3ー4
私が、宿屋から帰って来たのが昼の少し前。そこからシルティス商会の帳簿を、複式簿記に改める所から始め、仕入帳や売上帳などの補助簿を作って、総勘定元帳を作成した所で、日暮れ直前になってしまった。日が暮れてしまったら作業が続けられないので、コルネリウスから夜にも作業ができるように、蝋燭を借りた。蝋燭は、消耗品だし、借りるという表現が不適切かも知れないけれど、拝み倒して、なんとか借りた。コルネリウスは嫌そうな顔をしたけど、しぶしぶながらも応諾してくれた。蝋燭を私が借りてしまったら、日没後に自分の部屋で勉強が出来ないというのと、メルさんの手伝いから帰ってきてからも部屋に閉じこもって、私が教会の仕事をしなかったことに反感を持ったというのが、コルネリウスが渋った理由だ。
コルネリウスの気持ちも分かるけど、私も私でハンドクリームの為に必死だから、お願いに謝罪を乗じて、それをさらに三乗したくらいで、コルネリウスが折れてくれた。
コルネリウスからは、メルさんの宿から教会に帰って来た時に、羽ペンとインクと、そして砂板という道具を借りている。高級品である羊皮紙は、シルティスさん達が負担するということで、一束持って帰って来た。
決算書類などを作った後で、羊皮紙が余ったら、道具を貸してくれたお礼にコルネリウスにプレゼントしようと思う。シルティスさん達には悪いが、決算書類を書いた羊皮紙以外は、書き損じたので捨てたということにして……。ハンドクリームも大事だけど、コルネリウスとの人間関係も、同じように大事だとし。今は、ハンドクリームを完全に優先しちゃっているけど……。
ちなみに、砂板というのは、磁気ボードを技術的にものすごく劣化させたような、何度でも書いて消せるメモ帳のようなものだ。磁気ボードは、砂鉄と磁石を利用して、文字を浮かび上がらせるという仕組みだけど、砂板は、板の上に薄く広げた片栗粉のような粒の細かい砂に、木製のペンで文字を書くと、黒く塗られた板が見えるようになるという原始的な仕組み。まぁ、砂浜に文字を書くのと原理としては何も変わらない。ただ、砂が白色で、板が黒色だから、自分が書いた文字がはっきり見えるというだけ。唯一、優れた点を上げるとすれば、野球部が部活後にグランドを整地するのに使っていたT字のトンボを掌サイズにした物が、砂板の横に取り外しができる形でセットになっていて、それを使えば、白砂に書いた文字を楽に消せて、また文字が書けるようになるという点だろう。
こんな物をわざわざ作るんだったら、黒板とチョークを発明してよ、この白い砂をこぼしちゃったりしたら面倒じゃんと純粋に思う。
日没後も、自分の部屋の机で蝋燭の明かりを頼りに、試算表の作成をすっ飛ばし、だってシルティスさんもサルデトさんも、在庫の残高とか把握してないし、減価償却費ってなんのことだい? と首を傾げているし! まぁ、とりあえず清算表を作って、財務諸表の作成が終わったところで、東側の空がうっすらと明るくなっていた。貸借対照表がバランスしてないけど、サルデトさんの計算でも収支が合ってなかったし、しょうが無い!
もうすぐで太陽が地平線から顔を出しそうだった。一階の調理場に時計を見に行くと、五時を少し過ぎたところだ……。徹夜をしてしまった! なんで、こんなことになっちゃったんだ……。まぁ、ハンドクリームが欲しかったからだけど……。
有沙が作ったシルティス商会の帳簿は、羊皮紙30枚を越えていた。今後も、複式簿記での記帳ができるように、各種補助簿のフォーマットを作ったりしたのも、枚数が多くなってしまった原因だ。一応、今後の使い勝手を考えて、必要になるかもしれない勘定項目も作っておいた。貸借対照表に、貸倒引当金という勘定も一応作ったけど、使われない可能性の方が高い気がする……。
完成した書類の最終チェックをした後、巻物のように丸めて革紐で縛る。そして、それを机に置いて、一階に降りた。柱時計は、5時5分前を指していた。今から寝てしまったら、朝の鐘を鳴らす時間に起きれないだろう。
火箸を持って、竈の扉を開ける。竈の中の暖かい空気が顔に触れた。竈の灰の下で、まだ微かに残っている炭を火鉢で掘り起こす。灰の中には、燃え残って炭化した薪がある。竈を上手に使える人というのは、次の日に簡単に火が起こせるように、火だね上手に灰の中に残す人だと、コルネリウスが教えてくれた。火鉢で掘り起こした薪に、ふぅっと口で空気を吹き込む。吹き込んだ空気が触れた部分が、赤色に変わった。
「よし、火は残っている。さすがコルネリウス」と、独り言を言う。そして、竈の横の壺から、よく乾燥した枯れ葉と小さな小枝を、掘り起こした薪の上に置き、空気をなんども吹き込む。
息を吹き込むと、徐々に薪が赤色に変わっていく。何度か息継ぎを挟んで、空気を送り続けると、枯れ葉に火が移った。ぼぅっという音がなる。そして小枝も燃え始め、パチ、パキ、パチ、という音が鳴り始めた。燃えさかる小枝の上に、私の二の腕より少し細い薪を二つ、竈に放り込んだ。これでしばらくは燃え続けるので、コルネリウスが朝のスープを温めるのの手間が省けるだろう。異世界に来てから、女子力が上がった大幅に上昇したと思う。ただし、上昇しているのは、江戸とか明治時代の女子力だろう。平成時代の女子力は、まぁ語るまい。
黒煙が調理場と食堂に入ってくるから、竈の扉を早く閉めた方がいいんだけど、火に当たって体を温めたかったので、しゃがんだまま、両手の掌を火に向ける。そして、徹夜してしまった原因を思い返した……。
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メルさんの宿屋で、食堂の掃除が終わり、シルティスさんとサルデトさんを交えて、白湯を飲みながら休憩をするところまでは良かった。少しだけ休憩をして、また収支が合わない原因を探すサルデトさんと、そして、「大した金額でもないのに、本当に細かいなぁ」と、サルデトさんをからかうシルティスさん。
収支の帳簿を付けたりするのは、サルデトさんが担当している。そして、シルティスさんは、行商に出ている時は、護衛担当だそうだ。盗賊は、出るときは出るらしく、その際に活躍するのがシルティスさんらしい。
「傭兵になるか、商人になるか、迷ったんだよ」と笑うシルティスさん。
「昔は、剣を握らせたら騎士よりも強かったね」と、メルさんが言った。
「今でも強いぞ」とシルティスさんは言って、盛り上がる腕の筋肉を私に見せた。
そして、賊が出たら最前線で剣を振り回すのが社長って、どうなの? と思う私。
ラタさんは、弓が上手とかなんとか言う話も出たけど、ラタさんのことは回想してもあまり良い気持ちがしないので、省略。きっと、彼は、自分が安全な所から人の背中を狙って弓を射るタイプだろう。
しばらく穏やかで無害な会話があったあと、私は失言してしまった。
「大した金額じゃあないのなら、あきらめて、現金過不足で勘定処理しちゃったらいいんじゃないですか」と。
私は、私が聞いただけで三回は頭を抱えながら、「収支が合わない」と嘆いているサルデトさんに対してのフォローのつもりだった。帳簿上の現金残高と、実際の現金残高が合わないということは、帳簿のどこかに記載間違いや漏れがあるとか、お釣りを間違ったとか、お金を落としたとか、いろいろなことが想定されて、原因を突き止めることは、今となっては難しいだろうと思ったからだ。
その発言がきっかけで、徹夜するはめになったのだ。
「お嬢さんも、帳簿が分かるのかい? 」
「一通りですけど。私の知っているのとは、仕組みが違いますが」
「へぇ。どんな風に? 」
そんな会話の後、私は、シルティス商会の帳簿を複式簿記での仕訳に直しながら、簡単に説明した。
「なるほど、なるほど」と頷いてくれるサルデトさん。私の説明が上手だったのか、サルデトさんの理解力が優れていたのか、サルデトさんは仕組みをすぐに理解してくれた。
「この仕訳を基に、財務諸表と呼ばれる表を作るんですけど、ちょっと説明しにくいです」と私が言ったあと、ずっと黙って私の説明を聞いていたシルティスさんが言った。
「お嬢さん、アルバイトしないかい? 報酬は、ハンドクリームで」
私は、その言葉を聞いて、即座に「やります。やらせてください」と言った。
そして、二階からサルデトさんが持って来た羊皮紙と、シルティス商会の帳簿を持って、教会に帰り、そのまま作業に入り、今に至る……。
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天井、そして、階段から軋む音が聞こえた後、コルネリウスが食堂に顔を出した。私は、道具を貸してくれたお礼と、鐘を鳴らした後は、メルさんの宿に行くことを告げた。
「今日から教会の仕事を再開するという話だったのに、ごめんね」、とコルネリウスに謝り、宿の食堂でのディナーの計画を話した。
一昨日と昨日、宿の手伝いをしているから、ディナー分は働き終わっている。今日も宿で働く必要はない。だけど、夕食をご馳走するためには、今日も宿屋で働く必要があるのだと、コルネリスが誤解するように話をした。本当は、私利私欲の為、ハンドクリームの為です。嘘はついていないけど、嘘をついたのと変わらない。ごめんね、コルネリウス。
「それはいいね。バルナバ神父も喜ぶよ」と、屈託のない笑顔で言って、今日も教会の仕事を全て引き受けてくれたコルネリウス。コルネリウスが、感激するくらいの夕食会にしようと、罪悪感からか、私はそう固く決意した。
朝の鐘を鳴らしたあと、宿屋に行ってシルティスさん達に、作った資料を用いて、その仕組みと流れを説明した。明日、シルティスさん達は王都に帰るらしく、ラタも仕入れる商品の最終的な詰めを村の幹部としているということで、宿屋の食堂にいないのには、ほっとした。
説明すると言っても、サルデトさんからの質問に答えながらだし、簿記一巡を全て説明し終えるのに、かなりの時間がかかった。
「これは凄いなぁ」と、サルデトさんが感慨深く言った。私の徹夜の苦労が分かってもらえて、私もうれしい。
「お嬢さん、これはハンドクリーム一壺じゃ安かったね。これからこの村に来る度に、お嬢さんに、一壺届けるようにしよう。これは、今後も有効活用させてもらうよ」と、気前の良いことを言ってくれるシルティスさん。「ありがとうございます」と、私は深く頭を下げた。
なんか予想外の事態の好転に、私はスキップしながら教会に帰った。そして、昼食を食べた後、爆睡をして、起きると次の日の朝だった……。
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