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異世界人よ、大志を抱け!!!  作者: 植尾 藍
第3章 遙かなるイコニオン
19/75

3−1

 月灯りを頼りに大きな亀が静かに水面に顔を出して、静かだけどとても深い呼吸をするように、私は目が覚めた。部屋には時計がないから、正確な時刻は分からないけれど、朝の五時を少し過ぎたくらいだろうと思う。少しずつやってきた冬の寒さを防ぐために、コルネリウスが付けてくれた防寒カーテンを開ける。自分の部屋の景色がうっすらと浮かび上がる。窓ガラスを指で一回だけ撫でると、指先には、冷たさと、水の感触が残った。


 私はゆっくりと体を起こし、両手を天井へと延ばした。そして、両手を降ろした後、脚をベットから床へと移した。ベットから伸びた足首を左右前後に動かして、靴がどこにあるかを探す。すぐに左足の小指が靴の感触を見つけ出した。靴底に冷たさを感じながら、靴紐を結ぶ。靴紐を結んでいる途中で、耳にかけていた髪が落ちる。体重をベットから靴に移動させると、微かに床から、ギィという音が鳴った。


 部屋から出て、階段と呼ばれているけれど、梯子のような急な階段をゆっくりと降りた。手すりも冷たく冷え切っているけれど、しっかりと両手で握る。右足、左足と、踏み外さないようにゆっくりと一階へと降りた。


 食堂にある柱時計を見ると、朝五時十五分だった。習慣の力ってすごいなぁ。本当に毎日同じ時間に起きちゃうよ、と有沙は毎朝、時計の時刻を見ながら実感するのだった。


 井戸から水を汲むという作業には、慣れはない。1日も何回もやる作業だけど、朝一番が辛い。手が、あかぎれのような症状に軽くなってしまっている。手の年齢というものがあったら、確実のこの1ヶ月で、五歳は年を取っただろう。自分の母親の手の方が、若々しいかもしれないとさえ思う。最近では、中指の関節のところから、血が滲み出てきてしまうようになったし、水に手を浸けると、痛い。ハンドクリームが欲しいなぁって切実に思う。水汲み、洗濯、料理、有沙の日課の中で、冷たい水に手を突っ込まなければならない機会は多い。最近、どんどん寒くなってきているし、これからもっと寒くなるだろうなぁ、と考えると有沙は憂鬱になり、前の世界に帰りたいと強く思うのだった。


 先週、半分泣きつくようにして、コルネリウスに、手を見せたことがあった。

「有沙が一生懸命、働いている証拠だよ」と、コルネリウスは笑顔で言ったあと、同じように罅焼陶器みたいな皹だらけの手の甲を見せてくれた。お互いに、勤労の勲章を授与されたね、みたいな満足した笑みだった。


 コルネリウスが、自分の働きぶりを認めてくれているということには、胸にじぃんと来た。胸が熱くなった。けれど、そういう事が言いたいんじゃないんだけど、と機微を理解してくれないコルネリウスを恨めしく思ったのも事実だった。


 井戸で汲み上げた水をタライに入れて、食堂まで運ぶ。食堂の洗面台を使って、顔を洗ったりと、身だしなみを整える。食堂でそんなことをしている時に、コルネリウスが、薪を調理場にあるかまどに運んだりだとかで、食堂に出入りする。ちなみに、私は顔を洗ってたりする姿を、他人に見られるのが嫌だったりする。


 前の世界では、化粧をしている所を見られるのが大嫌いだった。彼氏の家にお泊まりした次の日の朝とかも、化粧をしている所を彼に絶対見られないようにいろいろ工夫をしたのが、古き良き思い出だったりする。いまは化粧品なんて、一つも持っていないけどね……。


 まぁ、コルネリウスも、そんな私の殺気を察してか、その場に遭遇してしまったときは、最速最短で食堂を出ていく。

 コルネリウスには、気を遣ってもらっているけど、本当は私だって、自分の部屋で朝の身支度はしたい。


 コルネリウスに井戸の水汲みを甘えていたときには、コルネリウスに私の部屋まで水を運んでもらっていた。水の入ったタライを頭に器用に乗っけて、二階へと運ぶのだ。

 もちろん私も、頭にタライを乗っけて二階まで運ぶことには挑戦した。だけど、あの梯子を登るのは無理だった。一歩登るごとに、右手で支えて水平状態を維持しているはずのタライから、水がこぼれ落ちてくる。そして、せっかく苦労して汲んだ水が、一階の石床に落ちる。タライを持っている右手からも、腕へ、脇へ、そしてお腹の横と、水が体を伝いながら通っていくのだ。あまり気持ちの良い感覚ではない。冷たいし。

 コルネリウスが、私の悪戦苦闘している様子を笑いながら見ていて、


「二階へ水を運ぶのは、俺がやるよ」と、言ってくれた。


 最初はコルネリウスの好意にあまえさせてもらったけれど、さすがに毎日、毎朝だと悪い気がしたので、三日くらい経ってから、固辞した。


 そういう経緯があって、私は、顔などを洗う時は、しかたなく食堂を使っている。   

 

 顔を洗った後は、服を二階で着替えて、また一階に降りる。そうすると、時計は5時50分くらいになる。そこから、教会の鐘を鳴らす準備を始める。準備といっても、教会の礼拝堂の奥の扉を開けて、煙突のような空間から垂れ下がっているロープの紐をほどくだけ。そのロープの先は、鐘につながっているらしい。煙突の右側の壁から、500円玉くらいの直径で、長さ30センチセンチくらいの鉄の棒が突き出ていて、そこにロープがぐるぐる巻きにされている。それをほどく。


 鐘を鳴らすには、鉄の棒に巻かれているロープをほどいたあと、そのロープを体の体重を利用して、思いっきり引っ張る。そうすると、鐘が鳴る。何回か鐘の音が鳴ったら、思いっきりロープを引っ張りながら、その鉄の棒にロープを再び巻き付けておく。そうすれば、お仕事完了。この鉄の棒にロープを巻き付けておかないと、風が強いたりしたら、鐘が風で動いて鳴ってしまうとコルネリウスが教えてくれた。


 ロープをほどくのは五分くらいの時間があれば充分。ほどき終わったら、また食堂に戻って、のんびりとテーブルに座って、柱時計の振り子を眺める。そして、1分前になると、席を立って、頭の中で数字を数えながら、また教会の礼拝堂に向かう。そして、鐘を手に持つ。そして、数えていた数字が58秒になったら、ロープを引っ張る。そうすると、時間ぴったりに鐘の第一声が鳴る。煙突のような空間を反響してくる鐘の音は、礼拝堂に大きく響く。まぁ、村の東門を抜けた小麦畑の端っこにいても、鐘の音が充分に聞くことができるのだ。鐘の真下では、耳を塞ぎたくなるくらい大きい音なのは、当たり前だろう。


 鐘をならし終わった後は、コルネリウスと一緒に朝ご飯を作る。かまどの近くに立っていると、竈からの熱で、徐々に体が暖まっていく。


 ちなみに、食堂の石床は、私にとって鬼門だった。暖まった部屋の空気と、豆やジャガイモのスープや、ポリッジとこの世界で呼ばれている麦のお粥みたいな料理を作るときに発生した水蒸気と、夜の間に冷え切った石床、この三つは、最悪な組み合わせだ。石床が、湿って、とても滑りやすくなるのだ。私は何度も転んでいた。熱くなった鍋を持っているときに転んだことがないのは、不幸中の幸いだろう。


 コルネリウスは経験上、このことは熟知しているらしい。私は、空気が石床で冷やされ、飽和した分の水分の凝結が起こり、石床が湿るという科学的な原理まで理解している。しかし、転ぶときは転ぶし、尻餅をつくときはついてしまうのだ。


 私は先日、食堂に朝食を食べに来たバルナバ神父の目の前で、受け身も足らずに、お尻から石床に、派手に激突してしまった。バルナバ神父は、目を丸くして驚いていた。そしてすぐに、やさしく私に手を差し伸べてくれて、

「コルネリウス、床に傷をたくさん付けておいてください。そうすれば、滑らないようになるはずです」という指示まで出してくれたのだ。


 その日の午前中に、のみを使って、コルネリウスと一緒に、石床に小さな溝を掘った。その溝を掘ったあとは、見事に、石床は滑りにくくなった。さすが、バルナバ神父だと思った。コルネリウスも、石床が滑りにくくなったことに、驚いていたようだった。溝の部分が、滑り止めの効果を発揮しているみたい。


 朝食の後片付けも終わった。これから私の自由時間だ。本当なら、洗濯や昼と夜の時鐘を鳴らす仕事があるんだけど、今日と明日は、コルネリウスに全部引き受けてもらった。宿屋のメルさんから、王都から来た商隊が宿泊するので、手伝ってほしいと頼まれているのだ。お客さんに出した朝食の片付け、シーツ類などの洗濯、昼食の準備などの補助をして欲しいという依頼だった。


 そして、今日と明日、宿の手伝いをすれば、バルナバ神父、コルネリウス、そして私に、宿屋の食堂での夕食をご馳走してくれるとのことだ。肉料理に、ワイン付きで。前の世界で言えば、臨時の短期バイトで、バイト代はディナーコース無料券、と言ったところだろう。

 私の歓迎会をしてくれたお礼を、二人にしたいと思ったのだ。

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