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宿屋は1階に宿の受付と食堂があり、2階が客室になっているという構造だった。2階に上がる階段は人が通る中央部分が、通る人の靴底によって、長年削られた為か、少し低くなっている。
私は、ザインさんに案内されて食堂に入る。食堂には、四角いテーブルが4つと奥に大きなテーブルが1つという配置だった。そして、その一番奥の大きなテーブルには先客がいた。一番奥で椅子にふんぞり返っていたのは徴税官のラメドさんだった。あの体格でこの椅子に座っていたら、椅子が壊れないのかなと心配してしまう。明らかに普通の一般人向けの椅子ではキャパオーバーだ。
「ちっ、豚と重なったか」と、ザインさんが部屋でラメド徴税官を見つけるなり小声で呟く。やはり彼は、ラメドさんを嫌っているようだ。
確かに彼の着ている服は豪勢だけど、品のようなものが感じられない。典型的な悪役という感じだ。
宿屋の女将に促されて、席に着く。入口近くのラメドさん達ともっとも遠い席に座った。
「2人分頼む」
「はい、わかったよ」
そういうと、女将さんは宿の受付の方に戻っていった。厨房は、受付の裏にあるのだろう。驚いたのは、この店にはメニューがないこと。「2人分頼む」で意思疎通が出来てしまうのはすごい。識字率が低いから、メニューがないのは当たりまえか、と思いながらも「今日は何にする? 。新鮮な鶏肉がいま市場から入ったばかりだよ」とか、なんの料理を選ぶかの選択肢を提示してくれてもいいと思うのに。お昼の料理の選択肢は1つなんですか? なんてザインさんに聞くとまた驚かれるから、そんな質問はしないようにする。
「これは、これは、ザイン隊長殿ではないですか」
床をギシギシと音を鳴らしながらラメドさんがコップとワインピッチャーを持ってやって来た。ワイン臭いし既に結構酔っぱらっている。昼間っから酒を飲むなんて良い身分というか、部下に仕事させておいて、自分はなにをやっているんだ。他の部下達は、働いているのだろう。ザインさんにも同じことは当てはまるし、私だってコルネリウスに代わりに仕事をしてもらっているから人のことは言えないけどね。
「やぁ、ラメド徴税官。昼から精がでますな」
ザインさんは、昼からワインを飲んでいる事にいらだっているようだ。そして明らかな皮肉をぶつける。
「いやいや、任務とは言えど、こんな何もない田舎の村に来るのは大変ですよ。国王様への忠義がなければできない仕事ですな。ザイン様も大変でしょう。お互いの国王様への忠誠に乾杯といこうじゃありませんか」
全然皮肉が通じていないどころか、ラメドさんを乗せてしまったようだ。
「おや、そこの女性は? 」
「タキトスの教会で働いている、ササキ・アリサさんだ」
「これはこれは初めまして。私は、徴税官をしております、ラメド・ブッチャーと申します」
「初めまして。ササキ・アリサと申します」
そういって、一応席を立って軽くお辞儀をする。
「お、行儀のよいお嬢さんだね。どうだい、私の所に来る気はないかい? 楽な生活をさせてあげるよ。うん、よく見ればいい娘がないか」
ラメドさんは、私の体をじろじろとなめ回すように見始めた。おい、胸元を見過ぎ。何秒見ているんだよ。顔も近いよ。鎖骨を舐めてきそうだよ。怖いよ。
「髪も綺麗じゃないか」
パチン
私の髪を触ろうとしたラメドさんの手を弾いてしまった。しまった、と一瞬思ったが、ラメドさんは笑い始めた。
「いいぞいいぞ。私好みで、気性も激しいようだ。しかもその反応だと、処女かのう」
私は、ビンタを食らわしてやろうかと思った。でもザインさんが制止した。
「ラメド徴税官、それくらいにしてください。この方は私の客人。また、ラメド徴税官は、国王様も羨むほどの美女達とお屋敷でお暮らしになっている伺っていますぞ。その美女達が泣いてしまいますぞ」
「ははは。洗練された王都の薔薇もよいが、時として野花を愛でるのも一興かとなぁ」
なんか優雅な言い回しをしているが、内容が下品だと私は思う。
「はは、お戯れを」とザインさんが言った。
ザインさんがなんとかラメドさんから私を助けてくれたけど、納得がいかない。欲張りかもしれないけど、こんなときは「俺の女になに色目使ってんだよ!」くらいしてほしい。まあ、私はザインさんの彼女でもなんでもないのだけれどね。身分的は、ラメドがザインさんより上なのだろうか。
「話がそれましたな。では、乾杯と行きましょう」とラメドさんが言う。というか、お前が話をセクハラの方に持っていったんだろう、と言いたい。叫びたい。
ラメドは、ザインさんのコップにも強引にワインを注ぐ。私は、慌てて、コップに自分の手でふたをする。
「ササキ・アリサ嬢は、飲まないのか? 」とラメドさんが聞く。アリサ嬢とか言って、名前の後ろに「嬢」を付けて、紳士を気取っているなら、それは既に時遅しというものだろうと、私は思う。
「申し訳ございません。この後、教会の仕事がございますので」
とりあえず、嘘を言って飲酒を避ける。ザインさんはこの後、仕事はないのだろうか?
「私も、この後仕事が残っており…… 」
「国王陛下に」
ザインさんの言葉を遮って、豚野郎が勝手に乾杯の音頭を取った。ザインさんもそれを聞くと、あきらめたのかコップを手に取り、
「国王陛下に」
といってワインを飲み干した。国王陛下への乾杯となると、ザインさんも断りきれないのかもしれない。忠義というのも、大変だななんて思う。もしかしたら上司の注いだ酒は飲むという鉄則は、異世界含めた世界共通事項なのかもしれない。お父さんも、お酒は弱い方で、自分1人では飲まなかったけど、接待なんかでは無理して飲んで返ってくるようで、すごくきつそうな顔で家に返ってきて、そのまま便器で吐きながら寝ていたりしてたっけ。
そして豚は、ずうずうしくも私達のテーブルの椅子に座った。おいおい、まさかここで飲む気じゃないだろうな。しかも私の隣ってどいうことですか。豚の肉が厚い分、よけい近くに座られている感じがして圧迫感があるんだけど。このシチュエーション、生理的に無理。ザインさん私、無理。
「あっ、グラスが空ですね。私がお注ぎします」
そういって、豚野郎にワインを注いで、ザインさんにもワインを注ぐ。ザインさん、ごめんなさい。私はお酒の注ぎ役に徹します。そして、注いで廻ることにより、椅子に座るというような状況を作らないようにする。
「おお、ではまた乾杯といこうか。次は、美しきササキ・アリサ嬢に」
ラメドさんがコップを掲げる。美しき、などと言われてもうれしくもなく、コップも掲げた腕もぶよぶよだなぁなんて冷静に観察をしてしまう。
「美しきササキ・アリサ嬢に!」
ザインさんも乾杯をする。そういえば、ザインさんってお酒強いのかな?
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2人に何度もお酒を注ぎ、その度に乾杯をしていく2人。コップにワインが無くなったタイミングで上手にお酒を注ぐのは、前の世界でのバイトで培った技術だ。飲み放題のお客様へ別として、単品注文のお客様には話が盛り上がっているところで注文を申し出ると、「もう一杯同じの! 」の気前のよい返事が返ってきて、店の売上に貢献してくれるものだ。
2人は注がれるままにワインをどんどん飲んで行く。ワインの追加も既に4回している。ちなみに、ラメドさんは、私がワインを注いでいるときに、合計5回私のおしりを撫でている。ワインピッチャーで頭をぶっ叩いてやりたい。
このワインピッチャーは陶器製だけど、量としては前の世界のワインボトルと同じくらいの量が入っている感じだ。最初は不機嫌だったザインさんも、歯の浮くような豚のお世辞とお酒でどんどん機嫌がよくなっていき、お酒のペースが早くなっていく。
ラメドさんが座っていた机には、空のワインピッチャーが3瓶置いてあるからラメドさんは、既に5瓶以上のワインを飲んでいる計算だ。ラメドさんは、暴飲暴食の果てにこのような姿になったのだなとしみじみ思う。
ちなみに、食事はザインさんも食べれる雰囲気ではなくなったので、宿屋の女将に言って、早々にキャンセルをしておいた。キャセルをした食事のお代は、ラメドさんの方につけといてくださいと言ったら、女将も笑顔で応諾してくれた。2人でこんなにワインを一気飲みするというのはすごいと思うけど、はっきり言ってすでにぐだぐだの状況だ。ラメドがずっとザインさんに向かっていろいろしゃべっているが、すでにザインさんは頭を垂れて、机を見つめたまま。たまに、うんうん、という適当な相づちを打つだけだった。
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女将も二人の様子に困って手を焼いているようだったし、私ももちろん手を焼いている。なぜか私が、女将さんに対してこの2人の状況を謝罪する。まあ、飲ませすぎたのは私にも原因がある。この宿屋の女将さんはメルさんと言うらしく、夫婦でこの宿兼レストランを経営しているとのことらしい。この状況を打開しようと、メルさんと一致団結をした結果、メルさんがザインさんとラメドの部下を呼んで来てくださるそうだ。この2人はこの宿屋に宿泊しているのだか、さすがに女手で運ぶのは無理だ。特に、このラメドは……。
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メルさんが、外に駄目な上司達を持った部下を呼びにいったので、私はとりあえず食堂の掃除をしていることにした。特に、ラメドが最初に座っていた先は、食べ散らかし放題である。
鳥の骨くらい皿に入れろよ。机の上にそのまま置いたり、床に投げ散らかさないでほしい。余った料理を1つの皿に纏めたり、食器を重ねたりとメルさんが片付けをし易くするように机の上を整える。それにしても、この食事の量を1人で食べたのだろうかと思うとほどの皿の数だ。
椅子の上に、巻物が1つ置いてあるのを見つけた。とりあえず、なんだろうと思って広げてみると、徴税指令書だった。
<徴税指令書>
於タキトス村
•小麦、三公七民。
•兵役、無。
•労役、3名。
以上
指令書だなんて大層なこといっても、大した事がない思う。ひどく事務的な印象を受ける。指令書の右下に、蝋燭を溶かしてその上から印鑑みたいなのが押されているのが、これが国王の印鑑なのだろうか。よく巻物にして、蝋燭が割れたりしないなぁなんて細かい巻物の作りに感心してしまう。でもとりあえずこれは大事なものだということは分かるから、無くならないように無理矢理、ラメドの服のポケットに突っ込んでおく。
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そうこうしている内に、ダレトさんが食堂にやってきた。
「ササキ・アリサさん、大変申し訳ないです」
ダレトさんは、ある程度メルさんから状況を聞いていたのか、すぐさま私に謝罪した。
「いえいえ、私は特に被害は受けていないので」
(セクハラされた以外は)
「ここは私に任せて、アリサさんは教会にお戻りになってください」
ダレトさんはザインさんを肩に乗せながら、メルさんに飲食代に迷惑料を上乗せしたお金を払った。「釣りは迷惑料だ」って映画以外で、初めて聞いたよ…… 。
私は、結局お昼ご飯を食べられなかったし、どっと疲れた。今日は、バルナバ神父とコルネリスが私の為に歓迎会の用意をしてくれているので、こうなったらそれに期待して、お腹を空かしておこう。私は、メルさんから食堂を片付けしやすいようにしてくれてありがとうとのお礼を言われ、時間があるときは、食堂も手伝ってよとも頼まれてしまった。教会もいつも仕事があるわけではないので、時間があるときは手伝いますので、遠慮なく行ってくださいねと快諾した。そして、忘れないうちにと渡されたワインは、やはり重かった。教会まで、このワイン2袋を持って階段を登るのはきつい。
読んでくださってありがとうございます。