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卵が先か、鶏が先か

 初めて俺が綾川綺世に出会ったのは、大学4年生の春だった。就職活動はせず、院に進むと決めていた。内部進学なので試験はあってないようなものだったが、念のために研究室で過去問を手に入れ、そのための勉強を図書館で一人していた。春先でテスト期間も近くないので、図書館を利用する学生は本好きか、調べものをしている人間に限られる。綺世は前者のタイプだったようで、席はたくさん空いているにも関わらず、俺の前の席に座ったのだ。本を読むと集中して周りの世界が見えなくなる人間らしい。俺が勉強の手を止め、不躾にもずーっと見ていたのに、ちっともこちらに視線を向けてくる気配はなかった。

うちの大学では少数派の黒髪に、薄い化粧、カラーバリエーションの豊富な安さが売りの店の服を着た綺世は、ゲーテの詩集を読んでいた。地味な見た目に、お固い本を選ぶその嗜好は、俺の好みじゃなかった。俺の好みは、もっと派手な女だ。なのに、目が離せなかったのは、悔しいが一目惚れというやつだろう。遺伝子に刻まれていたかのように、俺は綺世を好きだと感じた。好ましい。抱きたい。欲しい。俺を、見て欲しい。


 ようやく、綺世が俺の視線に気がついたのか、本から顔をあげてくれた。


「れ、レイジ?」

「……なんで俺の名前知ってんの。俺、有名?」


 呼び捨て。俺は、綺世の名前なんて知らなかったのにだ。

綺世は俺の顔を見て、困惑したように視線を彷徨わせる。頬を徐々に赤く染めていく。


「有名かどうかわからないけど、わたしはあなたのこと少しだけ知ってるというか」

「ふうん?俺は、玲司。知ってると思うけど、生駒玲司。あんたの名前、教えてよ」

「い、生駒玲司?うそ、レイジじゃ、な、い?」

「はあ?なに、言ってんだ?」

「な、なんでもない!それより、わたしは、一之瀬綺世っていいます」

「綺麗な名前だな。綺世って呼んでいい?俺、あんたに一目ぼれしたみたいだ」

「……チャラいんですね、意外に」

「硬派だと思った?」


 俺のことを知っているようで、知らないような変な女だった。

押して押して押しまくって、強引に付き合い始めた。自分で言うのもなんだが、中性的な顔立ちといわれて顔の造形には自信があった。そんな俺に言い寄られて嬉しくないはずはないと、傲慢に思っていた。しかし、付き合ってみて、その自信は少しずつ砕かれていった。綺世は、俺を通して、別の男を見ていたのだ。

 それは俺によく似た男なのだろう。綺世は俺の仕草ひとつ見るたびに、唇を薄く綻ばせる。まるで俺と何度もキスをしてきたかのように、舌の絡め合わせかたに違和感がなかった。俺好み、俺の動きと一緒。刺激的な味の料理が苦手だが、綺世はそれを知らない。最初に手料理を振る舞ってくれたとき、舌が馬鹿になるかと思った。それを口にすれば、綺世は目を丸くし、落胆したように肩を落とした。イライラした。俺がここまで惚れているのに、思い通りにならない女。手酷く抱いてやっても、綺世は甘い声をあげる。初めて抱いたとき、処女でなかった。ナカはキツく俺を締め付けてきた。触れるたびに、蜜が溢れだした。処女のように初心な反応を示しながら、無意識に淫らな仕草で誘ってくる。身体は欲望に正直で、はしたない身体だった。


 愛しさと憎らしさを抱きながら綺世と付き合っていたある日、彼女が病院に運ばれた。

眩暈を起こして、車道側に倒れたらしい。運悪く運転手がよそ見をしていて、彼女を轢いた。急いで救急車が呼ばれ、集中治療室に運ばれた。俺は実験を途中で投げ出して、慌てて病院に駆け付けた。駆けつけたときには、もう手術は終わり、綺世は病室で眠っていた。機械に繋がれ、麻酔で眠らされる彼女の顔は痛々しく、包帯だらけだった。


 手を握った。綺世の温度を確かめたかった。


「レイ…ジ…?」


 呼吸器が吐く息で曇る。どれだけ手を握っていたかわからないが、綺世は目を覚まし、虚ろな目で俺を見た。


「迎えに来てくれたんだ―――」


 嬉しそうに微笑む彼女。笑った拍子に切り傷が痛んだのか、顔をしかめた。


「もうひとりにしないでね」

「綺世?」


 何の話をしている?綺世は、本当に俺を見ているのか。

また、俺を通して、俺によく似た誰かを見ているのではないか。


「レイジがいるなら、死ぬのはこわくないね。三年前も、そう言いたかった。レイジがいっしょにいてくれるなら、わたしは死ぬのがこわくなかったんだよ」

「俺は、レイジじゃねえ。生駒玲司だ。三年前ってなんだ。お前は、ずっとそいつと俺を重ねてみてたのかよ…っ!」

「…?ごめん、レイジ、よく聞こえないや」


 疲れたからもう眠っていい?とそう言って、綺世はその目を再び開くことはなかった。






◆だから、お願い、最後まで



――――晩年、アメリカと日本を中心とした第二の産業革命が起こり、タイムマシーン技術が開発された。

しかし歴史を変えるという倫理的問題から、物をタイムマシンに乗せることはあっても、人間を乗せることはまずあり得ないという各国の総意を得るに至る。


 世界第一位のスーパーコンピューター"マザー"が、その決定を覆す。

すでに過去に渡ったことのある人間を計算で弾き出し、歴史を改変しないために選ばれた25名が過去に送られることとなった。


 癌に全身を冒され病床から動けぬ俺のもとに、政府からその通達がくだされる。


「見ての通り、俺はもうここから動けないんでね。残念だな、お偉いさん方」


 身体中に伸ばされているコードは、生命維持装置に繋がれている。

年を取って、病に冒されて骨と皮だけになった指で、コードの一つを撫でながら俺はシニカルに笑った。


「………世界条例第87条に抵触しますが、致し方ありません。マザーの命令は、あらゆる特例を許可します。貴方の意識をクローンに移し、過去に送ります」

「は。本気か?」

「勿論です」


 古びた肉体を捨て、俺は綺世と出会った頃と同じ年齢の肉体を得た。


「マザーの計算によりますと、貴方は一之瀬綺世(16)の命を救う手筈となっています」

「綺世だと…?」

「知り合いですか?マザーによりますと、そこで一之瀬様が命を落とせば、第二次産業革命が30年遅れることになります。そもそもこの度の革命の貢献者の一人に、貴方の名前もありますので、それが関係しているのでしょうね。生駒博士」

「………」

「では、健闘を祈っています」


 タイムマシーンでもなんでもいい。

過去に行く手段を得て、綺世に俺だけを愛して欲しい。

ただそれだけのために、俺は大学を入り直し、専攻を変え、一生を研究に捧げた。


 タイムマシンで送り込まれた先で、俺は衝撃の事実を知る。

16歳の綺世は大学で出会ったときと変わらず美しかった。

少女らしさはあるものの、俺の知る綺世。


 正確には、俺だけを知る綺世。


 綺世と俺はやがて恋に落ちる。

当たり前だが、俺は最初から好きだった。

だが、綺世は違う。これが正真正銘の初恋だと言った。


 つまり、あの今際の際で、綺世が俺に重ねた"レイジ"は、"俺"で――――…。


「やだ…!死なないで、レイジ!なんで?なんで、血が止まらないのっ!」

「…この身体はそういう設定だったんだよ。お前を庇って死ぬ、そういうな」

「やだやだやだ!わたしを独りにしないで…っ!ずっと一緒にいてくれるっていったじゃない!わたしが死ぬまでそばにいてくれるって…!」

「嘘じゃ、ねぇよ。あんたが死ぬときはそばにいてやる。―――だから、俺だけを見ろよ?綺世」

「いやぁ…っ」


 遠のく意識の中で考える。ようやく訪れた俺の死。

綺世が愛した"生駒玲司"は誰だったのだろう。


 過去に飛んだ俺、未来で出会う俺。


 卵が先か、鶏が先か。


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