6.旅立ち
「それで私の所に来たわけか」
「そのとーり!」
パティ達を玄関先で出迎えたフランは、考え込むように右手の甲に顎をちょこんと乗せ、呟く。しかし、頭に頭巾をかぶり、左手にハタキを持っている状態でそんなポーズをしても、カッコがつかないだろうとパティは思う。
まぁ当然だろう。今フランの家では引っ越しの真っ最中なのだから。彼女が故郷であるトラヴァーリを離れ、このバーゼルに来たのはつい二日前の事だった。
国の内乱で大切な父を失い、その父の守りたかった祖国はロマリエの傀儡となってしまった。この出来事でフランは色々な絆を失った。
しかし、得た絆もまた大きかったのだろう。彼女は亡き父が残していたトラヴァーリでの政務を片づけると、早々にバーゼルに移り住む事を決意したのだ。
彼女の決断にパティとアリエルの影響は少なくはなかったが、一番の理由は新しく出来た家族の為だろう。
そう、父を亡くしたフランだったが、フラッグ戦後、義母のルイフェに妹イルイの存在を明かされ、親子揃って治安の良いこのバーゼルへの移住を決意したのだった。
バーゼルのギルド経由でソーザにその連絡が来た時、小躍りしていたアリエルをパティは思い出してしまった。
「でも、その調子だとまだ終わってないようね」
「いや、家財関係はもう運び終わっているよ。後は室内の掃除とちょっとした買い物くらいだな」
頭巾から桃色の綺麗な髪をのぞかせているが、フランの口から出る言葉は相変わらず堅苦しい。もっとも彼女が女の子らしい口調で話せば、かなりの破壊力を誇る。ただでさえ見た目が抜群なのだ。それでいて普段は型物を気取っているくせに、時折見せる少女のようなあどけなさは間違いなく反則技に等しい。
「じゃあ私達も手伝うよ~」
「そうか、それなら――」
「――問題ないわ」
フランがアリエルの手助けを快諾しようとすると、玄関の扉からルイフェが顔を出してきた。まるでフランからバトンを受け取ったかのように言葉を紡ぐ。
艶やかな黒髪と純白の肌、そして、情熱的な紅い唇が印象的な女性。懐には小さな幼児を大切そうに抱えている。
「あー。イルイちゃんだ~、相変わらずかわいいね~」
「当たり前だろう、なんていったって私の妹なんだからな」
確かにルイフェの腕に抱かれたイルイは可愛らしく寝息をたてている。しかし、アリエルの言い方ではどこか軽すぎる。
『相変わらずかわいいね~』って、アンタどこの軟派師なのよ?
パティがアリエルに対し、心の内でダメ出しをしていると、ルイフェが話を継続させる。
「そうそう、手伝いの件だけど、大分片付いてきてるし後は私がやっておくわよ。フランも今まで書類と片付けばっかりでストレス溜まってるでしょ? この辺で息抜きしてきなさい」
「ルイフェさん……、いいのですか?」
「ええ、あなたもリオちゃんに会いたいでしょう? 義理とはいえ私はあなたの母親なんですから、少し考えればわかるわよ」
「あ、あぅ……」
こう言われてはフランも敵わない。まだ家族になって間もないというのに何年も苦楽を分かち合ってきたかのようにルイフェはフランに接してくれる。実際密度は濃かったはずだ。一時は敵同士となった二人であったが、ルイフェはフランに危害が及ばないように配慮する一面もあった。ロマリエ側に気付かれず、敵である義娘の安全まで確保しようとしたルイフェ。その苦労は果てしなかっただろう。
「流石だね、ルイママ」
「ええ、でもあの容姿じゃあお姉さんの方がしっくりこない?」
「だね、同感。今度から『ルイ姉』って呼ばせてもらおうっと」
「あら、嬉しい事言ってくれるのね。それなら尚更、『妹』をよろしくお願いしなくちゃいけないわ~」
「ち、ちょっとルイフェさんっ!」
彼女の容姿を見れば、母親というよりも姉というポジションの方がしっくりくる。まだ二十半ばもない年齢なのだからそう思われても不思議ではない。
この若さで未亡人となり、一家を支えていくのは大変だろう。その辛さを欠片も見せないルイフェは本当に強かな女性だとパティは思う。
「フラン、家は私に任せて、その依頼サッサと片づけてきなさいな。そうねえ、お土産はスーぺルの銘酒『西方美人』でオーケーよ。でも『極海熊ころり』も捨て難いわね……」
そう言ってフランを送り出すルイフェはどこか楽しそうだ。どこまで本気か判らなかったが、最後に「両方宜しく♪」と言うあたり、本当にお土産を期待しているようだった。
「まさに美女と野獣といったところかしら、ギャップの激しい銘柄ね」
「『熊ころり』って凄くアルコール度数の強そうなイメージのお酒だね……。ルイフェさんってひょっとして酒豪?」
「……ゴホン、では改めて依頼の詳細を聞かせてもらえないだろうか」
咳払いを一つし、パティ達の横を並んで歩くフランは、蒼い胸当てを付けチャクラムを腰帯に下げている。
「アレ? フランの防具ってそんなだったっけ?」
「そういえばそうね、前はもう少し重厚な感じだったわよね?」
アリエルの言うとおり、前回のフランは上半身を覆う仕様の鎧だったが、今回は胸当てにガントレットと、比較的軽装な出で立ちだった。
「ああ、今回は長距離の移動だし、身軽な方が良いかと思ってな。ひょっとして、似合っていない……かな?」
フランは少し頬を赤らめ、上目づかいで聞いてくる。風でなびいたピンクの髪と肩を窄めた仕草とが、少し露出の高い服装と合わさり傍目で見ると眩暈を起こしそうになる。
「……し、心配しなくても似合ってるわよ。アリーの反応見ればわかるでしょう」
「そ、そうか?」
全くなんて破壊力だろう。同じ女であるにも関わらす、少しばかり嫉妬してしまいそうになる。
隣で何も言えず、口をパカパカと動かすアリエルを見る限り、パティの感覚が間違っていない事は明白だった。
「ちょ、ちょとぉ~、アレは反則、反則じゃない?」
「男の立場からすれば、ね。女からすればアレは天賦の才よ。ちなみに才の種類は違うけど、アンタにも少しはあるから安心しなさい」
「う~ん、嬉しくなくはないんだけど。そう言われると、イマイチ褒められているように聞こえないよーな」
「すまないが、そろそろ本題に入ってはくれないだろうか……」
小声で話すパティ達にフランが話を戻すよう促す。
「おーっと、そうだった。フラン、今回の依頼は遥かなる霊峰ぐらい高くって、私の懐のように深い事情ってもんが――、いたぁ!」
「はい、おふざけは無しよ」
フランに対する嫉妬からか、はたまたアリエルの気分なのかは分からないが、これ以上このアホを喋らせておくと、話が進まない。大体そんなに複雑な事情があってなるものか、それに今回の依頼内容はアリエルの胸くらいになだらかで説明するに難しくない。
パティはアリエルの頭を軽く小突き、話を進める。
「実はね、ソーザさんがギルドから配達の依頼を受けてきたのよ。内容は一通の手紙と物資の輸送。物資の量が多いらしいから輸送には『蒸気車』を使って行くわ」
「なるほど、それで私とパティの出番というわけなんだな」
やはり話の通じる相手との会話はやり易い。隣で頭を押さえ、唸っている奴とは全然違う。
「そういう事、車の調達はソーザさんがやってくれているから早くアリーの家に行きましょう」
「うむ、了解した」
三人でアリエルの家に戻ると、そこにはジョージとソーザ、そして『蒸気車』が並び立っていた。
「うっひゃぁ~、何さコレっ?」
「これは凄いな……」
目を向いたアリエルと感心するフラン。まぁ無理もない。パティ自身も『蒸気車』を見るのは初めてだ。
「へぇ、これは見事なキャリッジね」
「……で、キャリッジって?」
アリエルが小声でパティに耳打ちする。どうやら、意味を知らないらしい。そして、『ギルド』から来ているジョージの手前、恥ずかしくて堂々と訊けないらしい。
「一般的に言うと、馬車の馬が引いている車の事を総称的にそう言うの。サスペンションの無いタイプは『ワゴン』と言って、こっちは少し乗り心地が良くないわね」
そして、これは見事なキャリッジだ。光沢のある黒塗りの屋根に、堅い樫木材で仕立てられた外装、大きな鉄の車輪がキャリッジ本体を覆い隠すように四隅で存在感を放っている。そのキャリッジの前方の屋根が少し低くなっており、そこには操舵席のようなものが確認できる。後部側は両サイドに人一人が寝そべれるようなソファーが設置されており、車中も快適に過ごせそうな内装となっていた。これで乗り心地が悪ければ、詐欺だと言いたくなってしまう。
「さて、揃ったようだしさっそく説明させてもらおうか」
そう話を切り出したのはバーゼルのギルドで働くジョージだった。切れ長の少し垂れた瞳と細い顎に整った鼻立ちは正に良い(ナイス)男と呼ばれる類の男性である。
唯一の弱点である頭には黒のニット帽をかぶる事でスタイリッシュにフォローしている。ジョージがいつも被り物を身につけているのはギルド関係者の中では有名な話だ。
その理由は勿論パティ達も知っているが、本人の前では禁句だ。以前口を滑らせた依頼人が謎の大怪我を負ったという噂もある。親しき仲にも礼儀あり、という事だろう。
「やっぱり気にしてるのかなぁ、若ハゲ」
「シッ、滅多なこと言うんじゃないわよっ……」
アリエルの小言は聞こえなかったようだ。ジョージは何事もなかったかのように蒸気車に近づいていく。
「まぁ、操作は簡単だ。前の操舵室はベンチシートのようになっていて、中央左右に一人ずつ座れるようになっている」
そして、キャリッジのフロントドアを開け中のベンチシートを叩いて見せる。開けられた車内の左側には先ほど確認した操舵と、その下には足踏みペダルが二つあり、中央前方には赤いレバーが、シート右側前方には青いレバーが設置されている。
「ジョージさん、この操舵が操縦する器具というのは想像できますが、他の器具は一体……?」
首を傾げてフランが問いかける。
「ああ、下にあるペダルは右のペダルが加速ペダル、そして左のペダルが減速ペダルだな。魔闘士の能力によっては結構なスピードが出るぜ。それと、この赤いレバーが火属性用の燃料供給レバーだ。青いレバーが水属性用だな。各々のレバーを握って魔力を送れば蒸気車の内燃機関が蒸気を精製する。その発生した蒸気圧で駆動するってわけだ。正確に言うと、ペダルで蒸気の送気量を調整してやってるんだ」
「なるほど、それで私達二人が必要だったわけね」
「うむ、合点がいった」
パティとフランはジョージの説明に頷く。
「うーん、じゃあ私がいるのは? フランとパティがいれば今回の依頼は大丈夫なんじゃ……?」
アホがいた。
「じゃあ、誰がこの蒸気車を運転すんのよ……」
「……おおうっ! そうだったァ!」
「そう言う事だ。視野の広いアリーなら確実に周囲の状況や道の良し悪しがわかるだろう。だから、この三人が一番適任だと俺は判断したってわけだ」
パティもソーザに同感だった。アリエルの視野はとにかく広い。まるで三百六十度全ての景観が視えていると思っていても過言ではない。それは前回の依頼で証明済みだ。
「さて説明も終わったし、お嬢さん方には出発してもらおうか。荷物はもう後部に積んであるからな」
ジョージが両手を叩き、出立の催促をする。忘れかけていたが、今回は身内の依頼ではない。輸送時間は短い方が顧客からも喜ばれるだろうし、パティ達の評価も上がるだろう。
「じゃあ気を付けていってくるんだぞ」
「へっへ~、私が運転か―。なんか良いねぇ」
「ちょっと、しっかり前見て運転しなさいよ」
「しかし、中は結構快適だぞ。シートもふかふかで、窓も広い。これは楽しい旅路になりそうだな」
少し浮かれ気味に話すパティ達だったが、いざ内燃機関を起動させ出発する頃になると、やや緊張した面持ちになってくる。
「じゃあ行くよー」
そんな中でマイペースなのがアリエルの長所ではあったが、パティの中で一抹の不安が拭いきれない。
「ねえ、フラン」
「なんだ?」
「今更だけど、アリーの運転って大丈夫なのかしら……?」
「私も同じ事を考えていた」
魔力を込めつつ、二人は囁き合う。
「なぁ、アリー、最初はゆっくり行こう。試運転は重要だと思うぞ」
「フランに同意だわ。慣れない運転なんだから、少し慎重に行きましょう――」
「レッツ、ゴォー!」
二人の意見などアリエルは聞いてやしなかった。内燃機関の起動準備が完了すると、直ぐに彼女は加速ペダルを全開で踏み倒す。
「――いやああぁぁああッ!」
「ま、待てッ! ちょっと待って! き、きゃああぁあ――」
蛇行しながらもの猛烈な勢いで蒸気車はスタートする。パティ達の悲鳴はあっという間に小さくなっていく。
「おいソーザ、蒸気車って高いんだぞ……?」
「……うん、無事に帰ってくるといいな」
「それは『車』のことか? それとも嬢ちゃん達のことか?」
「どっちも無事ならそれが一番だけどな」
「少なくとも俺には車が無事に戻ってくるとは思えんな……」
「は、はは……」
残された二人はそう呟いた。