5.お金がない!
「うう……、お金が無い」
そう言い放ち、ベッドに突っ伏す。ここ最近の浪費ぶりは振りかえってみると、相当に散々なものだった。
友人の引越し祝いのプレゼントを買ったことを皮きりに、自分への御褒美とばかりに豪華ランチフルコースを堪能してしまったのだ。その他にも、前々から欲しかった水仙の髪飾りと、快適な昼寝に使用するハンモック、極めつけは瑠璃色に輝くグラスセットと正に物欲の赴くがまま、贅の限りを尽くしてしまった。
「アンタねぇ、いくらなんでも使い過ぎよ、使い過ぎ。報酬が手に入ったからって、こんな使い方してたら、いずれこうなることは分かってたんじゃないの?」
アリエルが倒れこんだすぐ脇、ベッドに腰掛けたパティが呆れた口ぶりで言う。つまり『後先考えずに行動するからこうなるのだ』そう言いたいらしい。
「そ、それはそうだけど……」
手持ちのお金を見る限り、とても口ごたえなど出来やしない。なぜなら、残金が全てを物語っているのだから。
「あ~、なんてバカなんだ私ってばぁ!」
「そんなこと、前から分かってるじゃないの」
「魔闘士試験の頭金と今月分の生活費を兄様に渡したら、こんなに残りが少ないなんておもわなかったんだようっ」
「計画性の無いアンタに私は度々忠告してきたつもりだったのだけど……。でも、アンタは聞いてなかったみたいね、このダメエルッ!」
「えっ、ダメエルって私のこと?」
「アンタ以外に誰がいるってのよ。毎度毎度、ホントに懲りないわねー。言っとくけど私は貸さないわよ」
「ちぇっ、パティはいいじゃん。バーゼルでも屈指の名家の娘なんだからさー。お嬢なんかには私の境遇なんてわからないんだよっ」
アリエル自身、幼稚な発言をしている事は理解しているが、心の余裕の無さに、ついつい棘のある言葉づかいをしてしまう。
「……へぇ、私が最近家を出た理由までわかっているのに、そういう台詞が出る事自体が驚きだわ」
これは明らかに怒気を含んだ言い方だ。そして、パティはアリエルのこめかみへと手を伸ばす。
「へっ、パティ? なにさ、このアイアンクローな体勢は……?」
「こういうことよっ!」
「あだっ! あだだだだぁっ!」
パティは指先に力を込めてくる。
ちなみに二人がいるのはアリエルの部屋なので、誰も助けには来ない。家は町外れの小さな丘の上にぽつりと建っており、周囲に民家はないのでアリエルの叫び声は近所迷惑にもならない。同居している兄のソーザは仕事で外出中、救いの手などあるわけがなかった。
「……さあ、言ってみなさいよ。私がアンタの何が分かってないっていうの?」
「あだだぁっ! ゴメンッ、ゴメンなさい! 私が悪かったデス~」
パティの言い分は尤もだ。彼女は今実家であるバティスタ家を出て、一人で暮らしている。しかも家からの援助は全く無い。
パティが家を出たのはトラヴァーリから帰ってきて直ぐのことだった。
魔闘士となって初めて得た報酬で、彼女はアリエルの家から比較的近い場所にある集合住宅の一室に移り住んだのだ。名家のお嬢様が住む環境下ではないはずなのだが、パティ自身が自立を希望したのだ。
以降、彼女は洗濯から掃除まで全て一人でこなしている。食事もアリエルの家で一緒に食べる事も多いが、自炊もキチンとやっている。
お金の使い方も庶民的、というかアリエルよりも遥かに節約していた。
なぜ、パティが家を出て一人暮らしを始めたかというと……、原因は男である。
機会は突然だった。『フラッグ』の後、ソーザが意識を失った時、アリエルもパティもソーザが死んでしまったと思った。三日三晩ソーザは生死を彷徨い、二度と話せることが出来なくなるのではないかと、泣き腫らした。もうこれ以上ないくらいに。
そんな中、奇跡的にソーザは息を吹き返した。
パティの行動が少し情熱的になったのはそれからだった。それはアリエルからしてみても、分かりやすく感じ取れた。
ソーザに想いを伝える為に、より近くに、より傍にいる為に。きっと彼女はそう決意しているに違いない。しかし、その想いとは裏腹に、本人の前では相変わらず猫かぶりしている状況は変わっていない。
「なら、そんな事もう言わないわよね?」
「は、はい」
すると、パティは指先から力を抜き、アリエルを開放する。
「全く、いらない労力を使わせないでもらいたいわ」
「……へ~い」
確かにパティの言うとおり、こんな茶番で時間を労費している場合ではない。とにかく金が無い、そうお金が無いのである。そして、二週間後にはソーザから魔闘士試験の分割払い分と生活費、合わせて三百ルークの請求が待っているのだ。
「う~ん、まずは仕事かぁ……」
「はぁ……、しょうがないわね。まずはギルドに行きましょう。一応アンタも魔闘士なわけなんだし、少しは選り好みできる仕事があるでしょ」
「ギルド? それって、つまりは仕事を請け負いに行くって事だよねっ! そうだよね? ……わぁ、初めてのお仕事だ、気合入れないとね~。どんな依頼があるか楽しみだ~♪」
「な、何よ、いきなりテンション高くなっちゃって」
アリエルの感情の起伏にパティは少したじろいでいたが、気分が高揚するのは当然だろう。初仕事はちょっと前に済ませてはいるが、あれは友人からの依頼という事もあり、ちょっとした、いやかなりの私情の部分があった。
今から行くところは魔闘士達が仕事を本格的に請け負う『ギルド』である。中には怪しく胡散臭い内容の仕事だって当然ある。勿論正当な依頼もあるが、見極めは全て己の判断に任せられる。依頼の失敗は当然その魔闘士の責任になるし、今後の指名依頼にも大いに影を落とすことにもなりかねない。名声はギルドで依頼をこなしていけば自然とついてくるものだが、その逆もきっちりあるというわけである。
つまりギルドに行くというのは、魔闘士として本格的にデビューするという事になるのだ。これで気合が入らないわけがない。
「ほらっ、パティ早速行ってみようよ」
「はいはい、そんなに急かしさなくてもいいじゃない」
アリエルに腕を引っ張られたパティがベッドから腰を上げたその時だった。
「アリー、その必要はないよ」
アリエルの部屋の扉を開けて入ってきたのは兄のソーザだった。
「兄様!」
「どうも、お邪魔してます」
ぺこりと頭を下げるパティにソーザはいつも通り、やぁやぁと片手を上げる。相変わらず穏やかな表情にのんびりとした仕草だ。そんなソーザが凄腕の魔闘士だと知っている者は少ない。もっとも今のソーザを見れば、大抵の人がそんなことを想像できはしないだろう。どこから見ても少し気の弱そうな優男なのだから。
「どうぞゆっくりしていって、と言いたいところだけど二人共、二つほど頼まれちゃくれないか? 俺の知り合いの依頼なんだが……」
「頼まれたよっ!」
「はい、やらせていただきますっ!」
二人はソーザの言葉を遮るように依頼を受ける。
「……はは、まぁ俺の知り合いの依頼なんだが、スーぺルまで物資の輸送依頼を受けて欲しいらしいんだ。『頼めるか?』と聞こうと思ったんだが、その必要もなかったようだな」
ソーザは扉に寄りかかり、肩を萎めて見せる。
「でも、なぜ私達なんです? その、ソーザさんなら私達よりも、もっと腕の立つ魔闘士にお願いできるんじゃ?」
「だねー。複雑な心境だけど、それには同感~」
アリエルも同感だった。ソーザに信用されている自信はあるが、魔闘士としての腕はまだまだ未熟だという事も重々理解は出来ている。
「ああ、実はそんなに難しい仕事じゃないんだよ。この手紙をスーぺルのとある人物に届けて欲しいだけだ。ついでにジョージのヤツからも物資の輸送依頼を頼まれていてね。どうだい? 初めてにしては手頃じゃないか?」
「そうですね。危険も少ないし、『ギルド』のジョージさんからの依頼なら信用のできる内容だわ」
「だね。しかも目的地が『スーぺル』ってところがまたナイスだよねっ! だってさ、スーぺルって、たしかリオの住んでる街じゃん」
そう、目的地というのがまたアリエルの行動意欲をかきたてる。仕事をこなしつつ、親友に会いに行ける、なんてお得な依頼なのだろうか。
「なに無い胸膨らませてんのよ」
「へっ? て、なに失礼な事言ってんのさ。胸なら私だって人並みにあるよっ!」
それを言うなら「期待に胸を膨らませる」だ。唇を尖らせて反論する。そりゃパティほどにデカくはないけどさ……
「それと、今回は移動に『蒸気車』を使ってもらうからな」
「なに、じょうきしゃって?」
「最近開発された動力車のことよ。蒸気の圧力を利用して車輪を駆動させてんのよ。もう実用化されていたんですね」
「ああ、バーゼルのギルドでも二台ほど購入したんだよ。あればなにかと便利だろ? でも、こいつを動かすには『火』属性と『水』属性の魔闘士が必要なのさ」
「なんで?」
「蒸気車を動かすには大量の水と高温の炎が必要なんだよ。だから効率よくそれらを生成できる魔闘士が必須ってわけだ」
「なるほどー」
どうやら、その『蒸気車』とやらを動かすには『火』属性の魔闘士と『水』属性の魔闘士が必要らしい。でも――
「火属性は私でどうにかなるにしても、アリエルは風属性ですよ、ソーザさん。それならもう一人水属性の魔闘士が必要じゃないかしら?」
アリエルが口に出すまでもなく、思考の回転の速いパティがすかさず質問する。
「それならちゃんといるじゃないか? 最近引っ越してきた優秀な水属性の魔闘士が」
「おー! 確かにっ」
なるほど、だからソーザはこの依頼を自分達に頼んできたのだろう。
パティとアリエルは笑顔で互いを見やる。これで行先はきまったようだ。
じゃあ、サクッと彼女を迎えに行こうじゃないの。パティは、そういわんばかりに親指で外を指し、アリエルを誘う仕草を見せる。それに頷かないわけにはいかない。
「じゃあ行くわよ、アリー」
「うん! フランを迎えに、だねっ」
「なら俺は蒸気車の手配と準備をしておくとしようか」
二人は手際よく身支度を整えると、足早に家を出る。外はアリエルの気分と同じような、気持ちの良いくらいに晴れ渡っていた。