4.食事会
「おーい、リエラ。いるんだろ?」
「どうしたのよ、ディエゴ」
ノックした扉を開けて登場したのはショートカット女の子。顔立ちはまだ幼さが残るが綺麗だし、後二年もすれば目を付けてくる娼館の連中も出てくるはずだ。しかし、そんな彼女の顔には疲労の色が強くでている。
それもそのはず、メッシェルダー姉弟のボロ屋の隣に住む彼女は幼い妹を抱え、朝早くから日が落ちるまで、働き尽くめの毎日を送っている。リエラと出会ってから血色のいい彼女の顔をディエゴは見た事がなかった。
それは多分自分達姉弟も同じだろう。スラムに住む人間にそんな表情ができる余裕などあるわけがないのだ。日々生活の為だけに働き、娯楽に使うような金はない。日が暮れるまで働いて固いパンを齧り、隙間風の多い家に戻ると藁に埋もれて眠りにつく。こんな生活をしていては疲労は増すばかりである。
しかし、今日は違った。
「御馳走だお前ら! リオが魔闘士になって帰ってきたんだ! すっげえ食いもんいっぱい買ってきてっからリエラとカーラも呼んで来いって。今日は腹いっぱい飯が食えるぞ」
「……ディエゴ、それって本当なの?」
「ああ、嘘じゃねえ。今リオが料理の真っ最中だ。だからよ、リエラにも手伝って欲しいみたいだぜ。まぁ妙竹林な男もいるけど……」
「……おめでとう! 本当に凄いわ。私に出来る事なら手伝うから早速準備しなきゃ」
ディエゴの言葉を聞いたリエラはたちまちに目を輝かせ、ディエゴの両手をがっしりと掴む。まるで自分事のように喜んでくれる。
「リオちゃん、魔闘士なったの?」
「うん、そうなのよっ。凄いねー、リオさん」
背後からひょっこり顔を出したのはカーラ。まだ7才になったばかりでやっと路地で売り子が出来る様な年になったばかりだ。姉のリエラはディエゴの二つ下の十三歳。四年前このスラムに流れてきたこの姉妹とは協力し合って生活してきた。
互いにフォローし合ってきたからこそ、リオはこの姉妹を招く事にしたのだろう。勿論ディエゴに異論はなかったし、むしろ当たり前とすら思っていた。
「カーラ! 今日は御馳走だ! 旨いものがたっくさんだぞ! お腹いっぱい食おうぜ」
「ホントッ? ねえお姉ちゃん、ホント?」
「ええ、今日はお姉ちゃんも手伝って美味しい料理作るからね」
「やったあ! ねえ、早くいこっ、いこっ!」
カーラは満面の笑みを浮かべリエラの裾を引っ張る。たまにはこんなカーラを見るのも悪くない。
「よし、なら行くか」
ディエゴは隣人二人を引き連れて我が家の扉を開ける。
――そして目に飛び込んできた光景にディエゴは呆れ果てた。
「おおっ! 少年ちょっくら助けてくれやしないか!?」
入口と真逆方向の壁に張り付いているアツトの顔は既にジャガイモのように凸凹している。そして、すぐ側に刺さっているナイフ。思わず眉を顰めたくなるような状況である。
「……リオ、何やってんだ?」
「おかえり、ディエゴ。直ぐに終わらせるから待ってて」
「いや終わらせるって、いったい何をだよ? いいからそのフライパンを置けよ。オッサンが死んじまう」
「こんな男、死ねばいい」
リオが他人にここまで感情を剥きだしにするというのは大変珍しい。一体どうやればここまでリオを激高させる事ができるのだろうかとディエゴは思う。
リオは家事を何回もサボると怒りはするけど、さすがにここまではやらない。一体アツトは何をやらかしたのだろうか。
「……あのおじさん大丈夫なの?」
「いや、大丈夫じゃねえだろう。……オッサン、顔歪んでるぜ」
「だ、だよね」
心配そうに成り行きを見守るリエラ。しっかりカーラの目を手で塞ぐ辺りは流石である。
「リオ! そこらへんにしとけよ。今日は御馳走作るんだろ? リエラとカーラも楽しみにしてるんだ。何したか知らねえけど、オッサンも反省したんじゃねえの?」
「ウン、おっさんも反省したよ! だから許ちて……」
「ふん」
どうやら事を収めてくれるようだ。リオはアツトに冷ややかに見やると壁に刺さったナイフを抜いて調理場へ戻る。リエラが「手伝います」とリオの隣に並び立った。
「おじちゃん、なんでそんなにぼろぼろなの?」
「……お嬢ちゃん、これは嘘をついた罰なんですよ? お嬢ちゃんも嘘をついたら、おいちゃんみたいになっちゃうから気をつけようね。……ガクッ」
カーラはボロ雑巾のようになったアツトに無慈悲な質問をしている。少し憐れに思う気持ちもなくはないが、今は人生初の御馳走に胸を躍らせてしまう。ディエゴはカーラと二人、リオ達の料理が出来るのを楽しみに待った。
「う、うまっ!」
「おいしいねー」
「リオさん、このチキン、皮が凄くパリパリですよ」
「むぐむぐ、……上出来」
「痛ー! 口の中が痛いな、おい! でも美味いわコレ……」
一時間後、アツトとの自己紹介も終わり、作った料理に舌鼓を打つ五人。一人は怪我の影響もあって大変だろうが、他は全員満足のいく食事だった。香ばしくて柔らかい小麦のパンから始まり、果物が添えられたサラダは瑞々しくて甘い仕上がりで、パスタは旅先で世話になった家が作っていたものをリオが再現したらしい。極めつけは鳥一羽を丸焼きだ。皮は焦げ付く寸前まで焼き上げ、中は油がしっかりとのったジューシーなメインディッシュとなった。これで不満がある者などこの中にはいなかった。
「ひゃ~、食った食ったあ」
「もー、ディエゴったら、口にソースが付いてるよ」
「おお、サンキュー」
リエラが布きんを差し出す。
「何だ、あのリエラって子は少年の嫁か?」
「ち、違いますっ」
「リエラは家族みたいなもの。嫁には出さない」
「ちょっと、やめてくださいよ、リオさん」
「はいはい、冗談はそこまでだ、リオ。カーラがもうお寝んねしそうだぜ」
カーラはうつら、うつらと首を縦に揺らし、今にも倒れてしまいそうだ。嘆息交じりにディエゴが切り出し、食事会が終わりを告げる。
このまま続けていてもアツトに冷やかされそうだし、リオに至ってはリエラを実の弟よりも可愛がっている。気に入らないわけではないが、もう少しこちらを立ててくれてもいいではないか、そう思っている自分が少し恥ずかしい。ディエゴはそそくさと戸締りを始め、カーラを背負う。
「さぁ、行くぞ」
「う、うん」
「さて、俺も今日はこの辺で失礼しようかね。というか、玄関先借りるぜ」
見送るついでに帰るのかと思えば居座るつもりらしい。
「……別に今日泊めるくらいは問題ない」
「結構だ。さっきだって俺はアンタに忠告したはずだ。まぁ得体の知れない異国人にそこまでする必要はねえよ。それに玄関先の軒下を借りるんだ。俺にとっちゃあ、ほぼ泊めてもらっているに等しいよ。それじゃあな」
意外にもアツトはリオに断りを入れてから家を出た。
この男の性格から考えれば、それこそリオの厚意に甘えるものとばかり思っていたが、男らしい一面もあるようだ。
「じゃあ俺はリエラ達を送ってくるよ。いっても隣だけどな」
「うん」
「あ、あのリオさん、今日はどうもありがとうございました」
「……リエラ達ならいつでも歓迎」
そう言ったリオは笑顔で手を振る。
今までには無かった仕草だ。これは魔闘士試験で何かあったのだろうか? 感情の起伏が少なかった彼女をこうまで変えてしまった出来事が、もしくは人物がいたのだろうか?
ディエゴはその笑顔が嬉しくもあり、妬ましくもあった。ディエゴはそんな事を想いながら戸を開けると、そこには鼻を垂らすアツトがいた。
「えーっと、少年。家から何かこう暖をとれる毛布的なものがあれば欲しいんだが……」
少なくともコイツだけは絶対にありえないだろう。
「……ウチにそんな贅沢品はねえよ。寝袋貸してやっからちょっと待ってろ」
女に見栄を張った男の情けない末路にディエゴは憐みの視線を向けた。