3.帰宅
「おー、これはまた大層な御宅で……」
「……貧相な御宅でいい」
「えっと、いや、そういった意味ではなくて、ですね。……そうそう! この荷物はどこに置けばいいんだ?」
「いい、気使わなくて。荷物はとりあえず足元に下ろして。先に少し埃を払っておかないといけないから」
御世辞にも清潔な家とは言えない。壁の所々に補修痕が重なるように残っており、ときおりその補修部分から隙間風が入ってきている。藁を敷きつめただけの寝床と少し傾斜がかったテーブルを見ると、リオの暮らしぶりを想像するのは難しくない。
建付けや環境も当然悪く、直ぐに埃が降り積もる。リオは頭に三角巾を着けると、手慣れた手つきで叩きを使い、小柄な体を精一杯伸ばしてボロボロの棚やテーブルに積もった埃を払っていく。
一通りの埃を落とし終えると、今度は箒を使い、キビキビと床を掃き始める。部屋の隅々まで念入りに。その仕草は、リオが魔闘士だという事を忘れそうになってしまいそうだ。
「とりあえず、置いた荷物をテーブルに」
「……」
「アツト、荷物を」
「……ん? ああ、分かった」
アツトは思わず見入っている自分に多少の驚きを感じながら、荷をテーブルの上へ上げる。
「さてと、そろそろ帰ってくる頃」
「帰ってくる?」
「ええ、ディエゴが。……わたしの弟」
「アンタ、弟がいたのか」
「うん」
リオはテーブルの荷を広げると、食材を取りだし始めた。更に取りだした食材を干物や穀物など日持ちのするものと、加工が必要な果物や肉、野菜を分けていく。
「で、今夜の晩飯は何を作るんだ?」
「……あなた、いつまでいるつもりなの?」
「まぁまぁ、これも何かの縁だろ? 細かい事は言いっこなしだ」
「それで通るほど世の中は甘くない」
「うわっ、厳しいねー。でもよ、俺みたいな異国魔闘士の情報も結構貴重だと思うぜ。それにリオは新人だろ、魔闘士のビジネス方法ってヤツを先輩である俺が教えてやってもいいんだぜ?」
アツトは自信たっぷりに胸を張る。確かにリオは魔闘士になったばかりで、仕事に就いたわけではないのだ。
「苦労して手に入れたこの魔闘士の資格で何をするかは、これから先の人生を大きく左右するぜ。勿論リオは属性持ちだろうから、仕事には困らないだろうな。しかしよ、給金は目に見えて違ってくる。より効率の良い仕事に就くには、情報は勿論、人間関係だって十分役に立つはずだ」
アツトの言い分は理解できた。高給取りになりたければ情報と当てが必須、そう言いたいのだ。そして、その第一歩として自分と情報交換をしようと持ちかけてきたのだ。なるほど、確かに魅力的ではある。
――しかし、
「あなたが言っても説得力が皆無……」
「えっ、何故に?」
当然だろう。アツトは魔闘士であるにも関わらず、今現在無職なのだ。そんな輩が言うビジネス論を教授して頂いたところで、役に立つとは到底思えない。
「信用ねえなぁ……」
アツトが肩を落としていると、家の外から足音が聞こえる。砂利を踏む音が間断ないことから、かなり慌ただしい歩調だ。
「リオッ!」
「……ディエゴ。おかえりなさい」
勢いよく戸を開けた少年をリオが無表情のまま出迎える。
銀の短髪、背丈がそれほど高くないせいか、釣り上がり気味の瞳がちょっぴり可愛く見える。
「リオ、結果はッ? まぁ、肉屋のおっちゃんから聞いたから結果は知ってんだけど、どういうことだよ?」
「どういう事って?」
「金だよ、金ッ! リオがいきなり上質な小麦のパンを買っていったって聞いて、俺すっげえ焦った! 一体どうしたんだっていうんだよッ?」
「……ああ、帰りにちょっと仕事を」
「し、仕事ォオオッ!?」
「うん、その礼金で三千ルーク」
「マ、マジか……?」
「これを見たらわかるでしょ」
リオと同じ銀色の髪をした少年は目を輝かせ、テーブルに乗せられた食材を見つめる。
「し、信じられない……」
「お、ひょっとして君がディエゴ少年かい?」
「なんだ、このオッサンは?」
ディエゴは釣り上がり気味の瞳で訝しげにアツトを見上げる。
「おっさんとは失礼な! こう見えてもお姉ちゃんの彼氏なんだぞ☆」
「何だとォオオッ?」
「……アツト、死にたいの?」
「少年、冗談だ。野垂れてる所を拾われた駄目魔闘士に変更する」
リオがナイフの刃先を突きつけると、アツトは両手を上げ降参の仕草で応答する。
「なんか信用ならねえオッサンだな……」
「良くそう言われるが、見た目以上には信義に厚い男なんだぜ。それに俺の名前はオッサンじゃない、アツトだ。更に言うと俺はまだ二十歳だオッサンじゃねえぞ」
「しっかし、こりゃすげー! 肉なんて何年ぶりだろう……、いいのか、リオ? これ調理すんのか?」
「シカトかよ」
「うん、こっちは大丈夫だから、あの子達を呼んでくるといい」
「おう、リエラとカーラだろ。んじゃ、ちょっくら行ってくる」
ディエゴを見送ると、リオが手慣れたナイフ捌きで調理にかかる。取り難い肉の骨がキレイに剥がされ、野菜も流れる様な手捌きで皮をむき、切り分けていく。見る限り、これは商売の出来るレベルの技術だ。
「おっ、意外にやるんだねえ」
「これくらいは当たり前。生きていく為なら出来ないといけない」
「だねぇ、でもあんまり素直に受け答えばっかりしてると、魔闘士としては生きていけないぜ」
「……っ!」
アツトに先ほどまでのヘラヘラとした弱そうな笑みは無かった。
「考えろよ。俺とアンタは初対面なんだぜ。そんな輩に私は魔闘士です、しかも新米ですって普通は言わない。更にこんな無駄な買い物もしない。普通なら得物が先だ。丸腰の新人魔闘士なんて全然怖くもねえ。しかもアンタはこれだけの情報を既に俺に教えてくれているんだぜ。全くもって不抜けてるとしか言いようがない」
オレンジをお手玉にしながらアツトは続ける。
「これで俺はアンタの家族構成や状況の把握を完了した。今なら仲間に連絡してディエゴ少年を拉致る事だって可能だし、ここでアンタを殺って、そこの大金だって奪う事が出来る。俺が言っている事アンタ分かるかい?」
「……最低」
リオがナイフを握る手に力を入れ飛びかかろうとしたその時だった。
「なーんてな」
「へっ?」
アツトは両手を上げると、ふやけた笑顔に戻る。
「信じたか、信じたろ? あっははー、騙されてやんのー」
そして若干涙目になりながら、笑い飛ばす。
――プッツン
「……てい」
「ん?」
「さいってえっ!」
脳内で何かが弾けたリオは、握っていたナイフを振りかぶって投げる。
「うおぅっ!? リオ、これはないぜ、反則だろう? ほら、アレだ。これは魔闘士の先輩としてだな――」
「聞かないっ!」
「痛っ!」
弁解をしようとするが、リオはフライパン片手にアツトに歩み寄って一撃を見舞う。
「いやぁ……、リオさん。流石にこれは反則なのでは? 死んじゃうよ?」
「妥当」
「……うそーん」
アツトは底意地の悪い発言をした事に心底後悔をしたのだった。そしてこの後自身がどういった運命を辿るかを理解し、絶望する。