2.出会い
「……うぅ」
両手いっぱいに食料を抱えたリオは、その重さに根を上げそうになる。
幼い頃から夢にまで見た、食うに困らない生活。正にそれを実感できる一時であるはずなのに、思わず愚痴を零しそうになる。
大体、パン屋の主人がビックリするくらいのおまけをしてくれたのが、そもそもの始まりだった。
「……リ、リオ、お前一体何処でこんな大金を……?」
「わたし、魔闘士試験に合格した」
「な、なにいっ!」
「ご、合格しちまったのかっ?」
「し、信じられねえ……」
「しかしよぉ、この金はどうしたんだい?」
「試験の帰りに友人の仕事に付き合った。その時の礼金」
リオが支払ったお金の出所を話すと、主人達は目を大仰に見開く。しかし、それも最初の一瞬だけで、彼らはたちまち商売人の顔つきになる。
「それは、めでたい! こりゃ俺達からもお祝いしなきゃなんねえな!」
「だな! そういやよぉ、今日は南の方から良い果物が入ってんだ。リオ、買ってかねえか、安くしとくぜ?」
「ウチもたくさんサービスすっからよ、買ってってくれ。まぁ、お祝いってことでディエゴにも美味いもん食わせてやりてえだろ?」
「……うっ」
なんともまぁ上手い言い回しだろうか。これでは多少なりとも購入するほかないではないか。手持ちが無ければ断る事も可能だが、三千ルークという大金を所持している現状では、その甘い誘惑に負けそうになってしまう。店の主人達もそこら辺はプロだ。サービスする品も赤字にならないような絶妙な値段で勧めてくるのである。しかし、リオが損をするような品は勧めないし、価格も安い。
「はぁ……」
とまぁ、こんな感じでついつい大量の食糧を買ってしまっていた。こんな無駄使いはリオの人生で初の経験である。
早く家に帰って休みたい気もあるが、そろそろ家があるスラム街に入る。治安もずっと悪くなるし、大荷物を抱えたまま通るには些か面倒だ。
さて、どうするか。
「……ううっ、そこのお嬢さん、た、助けてくれ……」
荷物を抱えたまま路地で熟考していると、側溝の方から呻くような声がした。
「た、頼むぅ……」
眼前を塞ぐ荷物の隙間から見えたのは、若い男性だった。路地の壁に身を任せ、力の無い声で男は言う。男はこの辺では珍しい和風の装いで、腰には見た事のない、先が湾曲したような剣が装備してある。
「お、お願いだ。君の持ってる……ソレを、くれ」
男は立ち上がると、ふらついた足取りでリオに歩み寄る。
「……え?」
男の虚ろな目線はリオの胸元で光る石に向いている。リオは身の危険を感じ、身をよじらせるが、それよりも早く男の手がリオの肩にかかる。
「きゃっ!」
両手に抱えた荷物と、もたれ掛かってきた男の重量に耐えきれず、地面に転がってしまう。
まさか、スラム街に入る前に襲われる羽目になるとは――
リオが警戒レベルを引き上げたその時だった。
ぐぅ~。
「は、はらへったぁ……」
「へっ?」
男の口から出た言葉に、リオは拍子抜けする。どうやら男は空腹でぶっ倒れていただけのようだ。
「しかし、なんだぁ? この柔らかい感触は……」
「……っ!」
更に男から出た言葉に下がり始めていたリオの警戒レベルが一瞬で降り切れた。両手に抱えた荷物なんかもうどうでもよかった。一刻も早く男の頬に強烈な一発を見舞うために、右手を高々と振り上げる。
「え? ウソでしょ……?」
男の声を完全に無視し、リオは左手で胸に置かれた男の手を払い、思い切り右手を振りぬいた。
バチーン!
弟のディエゴにすら多少加減をして引っぱたいていたのだが、加減の一切しないビンタを見舞うのはこれが初めてだった その乾いた音は狭い路地中に響き渡った。
◆◆◆◆◆
「ご、ごめん、悪かったって。あれは仕方がなかったんだってば、腹が減ってて力が全然入んなくてさ」
「……最低」
「だから、不可抗力だってっ! 大体触れた場所が胸かどうかなんて判断も出来なかったんだから……」
「この下衆……」
「あれ? ひょっとしてさっきより酷い事言われてない、俺? 確かにさっきは悪かったし、こうやってパンを恵んでくれた事にも感謝してるって。その証拠にさ、君の家まで荷物を運ぶのを手伝っているじゃないか」
「それくらいやって当然」
人の気にしている部分を触った上であの発言だ。やすやすと許すわけにはいかない。まぁ、男性の荷物持ちがいることで、この治安の悪いスラム街を通ることが出来るわけなのだが。
「なぁ、君の家ってこの先?」
「……リオ、そう呼んでくれていい。わたしの家はこのスラム街の中にある」
「え、そうなの? だってリオって魔闘士だろ、なんでこんな辺鄙なところに住んでんの? あ、ちなみに俺の名前はアツト=オサナイってんだ。『アツト』って呼んでくれ」
「……アツト。なんでわたしが魔闘士ってわかったの?」
そう、アツトはリオを一目見て『魔闘士』だという事を見抜いた。リオは自身が魔闘士だという事は一切喋っていないにも関わらずだ。
「ああ、だってリオが首に下げてる石って魔石だろ? 一目見ればわかるぜ」
「アツトも魔闘士……なの?」
「まぁ一応はね。でも俺の場合、『色無』だからなー。仕事が無いからお金も無い。どこに行っても傭兵扱いにされちゃって、安定した御仕事って頂けないんです。トホホ……」
「ノーカラー……?」
「あれ、ひょっとして知らなかったのか?」
「うん」
アツトは片眉を上げ、意外そうな顔をするが、リオの返事を聞くと話を続ける。
「『色無』ってのは属性を持たない魔闘士達の蔑称だよ。残念ながら、俺みたいな『色無』は需要が限られるんだ。だって同じ魔闘士なら属性持ちの魔闘士の方が幅広い戦略や商売が出来っからな。『色無』の連中の大半は定期契約の護衛をやるか、戦場で傭兵をやるかのどちらかだ」
いくら引く手数多の魔闘士といってもランク付けは当然ある。それはリオにも理解出来ていたが、属性の無い魔闘士がこれほどの冷遇にさらされている事には驚いた。
「まぁ属性が無けりゃ、当然魔法は使えないからな。唯一救いなのが武器の携帯許可くらいかなぁ。勿論『色無』でも凄腕の魔闘士はいるぜ。まぁ、ごく僅かだけど、な」
「アツトは?」
「俺? まぁ、有能な魔闘士ならこんなところで腹空かせて倒れてないわなぁ、ははっ」
リオの分かり切った問いかけをアツトは呆れた表情で嘆息気味に返す。
アツトの言葉から、『色無』の魔闘士達の需要と給金はずっと少ないということは分かってきた。
「しかし、リオも不用心だぜ? そんな両手いっぱいに荷物抱えてスラム街を歩こうとするなんて、追剥してくれと言っているようなもんだぜ」
「……う。でも、それはわたしも考えていた」
そんな事はアツトに会う前から分かっている。だから足を止めてまで考えていたのだ。まぁ結果として、大麦パン一つで護衛と荷物持ちをしてくれる魔闘士が捕まったと思えば、結果としては良かったといえる。
「しっかし、リオってなんで魔闘士なのにこんな場所に住んでるの? もうちょっと良い暮らししてると思って声掛けたのにさー」
「……始めから集るつもりで」
「い、いやいや、そんなつもりは無かったよ。うん、無かった」
……アツトが有能な魔闘士かどうかは別として、人間性には少し問題がありそうだ。
リオは怪訝な眼差しでアツトを一瞥すると、スタスタと裏路地を進んでいく。
「あー、なんか俺信用なかったりすんのかなー。でもさ、これも渡世術なんだぜ? そうじゃないと生きられなかったりするんだって」
「うん、それは分かる」
「え、分かんの?」
「……わたしも、そうだったから」
リオ自身がそうやって世の中を渡り歩いてきた。幼い弟を連れ、時に人の優しさに甘え、親切な人達を騙してきた事だってあった。盗みや詐欺まがいの仕事もやってきた。もし、魔闘士試験に合格出来ていなかったら、リオは食っていく為に娼婦として街道に立っていただろう。事実、娼館からの誘いは後を絶たなかった。
リオの体躯は少し未熟だったが、髪は梳けば輝くような銀髪であったし、煤けていなければ肌艶も綺麗だった。みすぼらしい生活と服装が今までこれらの美貌を隠してきたのだが、年を取るにつれそういった勧誘が頻繁に来るようになっていた。リオ自身そんな自覚は無かったのだが、フランとの付き合いもあってか、それは確信へ変わりつつあった。
「そっか、そういうことか。リオは魔闘士になりたての新人か」
「……なぜわかったの?」
「ああ、家がスラムにあるって事と、服装と荷の中身が釣り合っていない。こんな不自然な組み合わせから想像できることは少なくないだろ」
リオの短い話からアツトは大体の事を察しているらしい。流石は腐っても魔闘士だ。
そういうアツトだってリオよりも二、三くらい年上くらいだろう、まだ若い。前を見つめる穏やかな瞳と、ボサボサだが艶のある黒髪が青年らしさを強調する。
そんなアツトの服装は独特で、たしか袴と呼ばれる東国の着物を纏い。腰に差してある剣も先端が反り返った奇妙な形をしている。身なりで人の事をどうこう言える立場ではないはずだ。
「まあ、これも何かの縁だ。困ったことがあったら言ってくれ。金次第じゃ話に乗るぜ」
「……考えとく」
そうこう言っているうちに見慣れた我が家が見えてくる。自然と歩行スピードがあがってしまう。
「おいおい、そんなにスピード上げなくたって、あわわっ――」
急な速度アップについていけず、両足が絡まったアツトがすっ転ぶ。両手に抱えていた荷を撒き散らしながら、それはそれは盛大に……。
「はぁ……、この縁は早めに切った方がいいかも」
リオはそれを眺めながら、ため息交じりにそう呟いた。
どうも結倉ですー。
約束より一日遅れで更新ですが、次はもう少しかかるかもしれません……
なるべく隔週で頑張ってみますが、出来ないときはごめんなさい 汗
ではではー




