最終話 軌跡の果てに
「すまなかった。もう大丈夫だ。少し落ち着いたから」
数十分後、フランが少し落ち着きを取り戻したところで、口を開く。しかし彼女の顔はむくんでいて目も赤い。体全体に覇気は感じられずに、弱々しく悲鳴をあげている様で、アリエルはとても大丈夫とは思えなかった。
フランは自分の家族と国を守りたくて闘ったのだが、結果父親は戦死し、国は他国の傀儡となり、理想とはかけ離れた方向へと歩み始めてしまった。そして今、どん底で沈みきった心を必死で立て直そうとしているフランを見ていると、誰もが気の毒だと思うに違いない。
「そう、じゃあアンタこれからどうするの?」
しかし、アリエルの予想に反して、飛んできたのは早くも今後の話題だった。腕組みし、片目だけを器用に開いたパティがフランに問う。
「とりあえず、三千ルークの支払い……」
無表情で報酬を要求するのはリオ。
「えぇっ!?」
一人慌てるアリエルを他所に、二人は遠慮の全く無い言葉をフランに投げかける。
「ち、ちょっと二人とも、いくらなんでもそれはないんじゃないのさ」
「アンタねぇ、本人が大丈夫って言ったなら、大丈夫なんでしょ? なんか文句あんの?」
パティは非行に走った少年のように、据わった目線でアリエルを睨む。
あまりの迫力にちょっとびびる。
横ではリオが当然とばかりに、無言で顎をカクカクと揺らして煽る。まるで、親分子分のような関係だ。
「で、でもさ~」
パティ達が本当に性質の悪そうな顔をするので、アリエルはやや引き気味に反応する。
しかし背後から聞こえてくる、押し殺したような笑い声にアリエルは振り返った。
「いや、いいんだ。私が大丈夫と言ったのだから。ここまで素直に励まされると、な。私は良い親友を得た事を神に感謝しなければいけないな」
見ると、フランが口元を押さえながら、体を折って笑っているではないか。なにがなんだかわからないような表情をしたアリエルに、ソーザが小さく笑いながら「アリーはそのままでいいと思うよ」と一言付け足す。
「そうだな、これからどうするかは、もう少し時間をかけて考えるとするよ。それに報酬は準備してあるよ。隣の部屋に人数分、きちんと用意してある」
フランはそう言って、右隣の部屋を指差す。
「それに困った時は貴女達がいるから。今、私は分かったよ。父を亡くして、独りになって、国に尽くす意味も無くなったけど……」
ここでようやくアリエルにも分かった。
パティやリオの台詞の意味を。
パティのそれは彼女の将来を心配しての一言。
リオのそれは彼女の自棄を心配しての一言。
勿論、アリエルだって二人と同じだった。
そして、フランはアリエルの期待通りの台詞を少女のような口調で言う。
「私にはこんなに素敵で頼りになる友達がいるからっ……!」
フランは三人の輪に両手を広げ、飛び込む。アリエルの背中にフランの柔らかな胸があたり、パティとリオは首を両手に絡み取られた。
この瞬間、私達は本当に真の親友になれたと、アリエルは感じた。それほどまでに皆の表情は歓喜に満ち、声に色があった。
よく言われる。雑談相手は選べても親友は中々選べない。選ぼうと思って出来るモノではないからだ。人が一生を生きるうえで大切なものは人の絆である、と。今、正にアリエルは、そのかけがえのない宝物を手に入れたのだ。
そんなアリエル達の微笑ましいやり取りを、ソーザは安堵の表情で見つめている。隣で慎ましく微笑むルイフェも、きっとそうなのだろう。
そして彼女は椅子から立つと、彼女の小さな唇が冗談めかしたような言葉を発する。
「あら、お姉ちゃんは独りじゃないわよねぇ。ねぇ、イルイちゃん」
――んっ? ……聞き違いか? アリエルは一瞬そう思った。
「「「「「ええええぇぇっ……!」」」」」
そんな円満な空気の中、四人に歩み寄っていったルイフェの一言に、五人は一瞬で固まった。
「お、おねぇちゃんー……!?」
赤く腫れて窄んでいた瞳を、限界まで大きくしたフランが復唱する。
「そう、お姉ちゃん」
動揺するフランに対して、ハッキリと軽やかな口調で答えるルイフェ。
「だって、私がバーゼルからわざわざ来たのは、何もソーザさんに礼を言う為だけじゃないのよ。それだけなら、ソーザさんがバーゼルに戻ってきた時に伺えば良いだけのことでしょう?」
確かに言う通りである。正規軍の裏切り者であったルイフェが、リスクを犯してまで戻ってくる必要性は皆無だ。ならば隠された別の何かが存在していて当然と考えるのが普通だった。
「私だって愛した人とのお別れくらい、きちんとやりたかったのよ……」
少し寂しそうに情熱的な事をいうルイフェにソーザは苦笑していた。
それが寂しそうに見えたのはソーザにもそんな経験があるからだ。
ソーザは多分ミシェルと。そして、アリエルは両親と。
会いたくても、もう会えない。自分の気持ちが整理できず、その場で足踏みを繰り返すのだ。そしてそれは自分自身で決着をつけないと、先に進むことなど出来ないからだ。
ルイフェがその一歩を短期間で踏み出そうとしたのは、イルイの存在が大きいのだろう。
「まさか、フラン嬢ちゃんのお父さんとルイフェさんがそういう仲だったとは……」
驚きを通り越して呆れたとは正にこういうことを言うのだろう。ソーザは肩をすくめて嘆息をつきながら、逞しく艶やかしい婦人を見やる。
白色の肌に紅い唇が印象的な若き婦人は、小首を軽く傾げてそれに対応するので、ソーザ自身も参ったというしかない面になっていた。さすがのソーザも、そこまで下調べをする時間も察知も出来なかったようだ。
「しかし、いつの間にそんな関係に……、私は全く気付かなかった」
「あら、でもいいことじゃないの? 無くなったと思っていた家族が実はいたんだし。これからはお義母さんと妹の為にもしっかりしないといけなくなったわね」
そう言って、呆然とするフランにパティは近づくと、背中を押してやる。「良かったね」と囁いたのはリオ。彼女達に景気よく突き飛ばされたフランは、赤ん坊の前で五指をワキワキと不規則に動かしながら、戸惑いを隠せない。
「あら、お姉ちゃん、抱いてくれるのかしら? イルイ、お姉ちゃんですよ~」
「あ、あぅ……」
ルイフェから赤ん坊を渡されたフランは、機械人形のようにカクカクとしたぎこちない動作でイルイを抱く。首をきちんと固定し、ゆっくりと支えるように優しく。
イルイは少しの間、眼をキョロキョロとさせていたが、フランの抱き方が良いのか、それとも相性が良いのか、直ぐに瞳を閉じて眠りだした。
「おお、以外に上手じゃないか」
「うんうん」
兄妹からの世辞に、顔を真っ赤にして照れを隠せないフランは、もう完全にノックアウト状態だった。
「フランには申し訳なかったわ。私との関係は、あの人からいずれきちんと説明するつもりだったのよ。でもこんなことになって言い出せなくて、ね」
無理もない。ルイフェはイルイを人質にとられ、一時期はフランと敵同士だったのだから。そういえば、ルイフェがいたサイドにはフランもいた。それは凶暴なエステシオに義理の娘が当たるのを防ぐ為だったのか。それにいざという時は、フランだけでも助けたかったのではないだろうか。今となっては彼女の思いが痛い程に理解できる。
「いえ、いいんです……。だってそれは仕方なかったから……」
「そうね。それにルイフェさん、物凄く手加減して闘ってくれていたようだし」
「あら、やっぱり貴女にはばれていたみたいね、パティちゃん」
「そりゃそうですよ。私聞いたじゃないですか、『裏切り者とは思えない』って」
「あそこで本当のことを言うわけにもいかなかったから。でも実力が分からない程度に手を抜いたつもりだったんだけど……」
困った様に首を傾げながらも、視線はソーザに持っていくあたりは、アリエルやパティの稽古をつけた人物のあたりの検討が済んでいるとでも言いたいのだろう。
「コーチが良いんですよ」
肩をすぼめているソーザの代わりに、アリエルが代返する。
軽い笑いが起こり、先ほどの爆弾発言による動揺が治まったところで、ソーザがベッドから身を起こし、側にあった自分の荷の確認をする。
「さて、俺達もそろそろおいとましないと、な」
「え~、もう帰るの~」
「あんた馬鹿じゃないのっ!? ソーザさんも仕事があるんだから、我が儘言わないの」
がっかりと肩を落とすアリエルに、小言を言うパティ。
「わたしもディエゴが待ってるから……、それと」
リオはもじもじしながら、続きを喋る。
「わたし、今回は凄く足手まといだった。ロンドさんはわたしのせいで、今もベッドの上にいて、前半戦は怖くて、逃げ出したくて、皆の邪魔しかできなかった……。わたしはフランのお父さんが亡くなった時と同じように、また無理だ、もう駄目だ、って思うばかりで、ちっとも成長していなかった。でも休憩の時、アリーの気持ちが、ソーザさんの言葉が、わたしの臆病な心を楽にしてくれた。後半にわたしがきちんと役目を果たせたのは、あなたのお陰。アリーが前と同じようにわたしに喝を入れてくれたんだよ、諦めるなって」
「そんな、私だって無力だったじゃん」
そう言ってくれるのは嬉しいが、今回ばかりはアリエルもリオと一緒でどうすることも出来なかった。しかし、リオの見解は少し違ったようだ。彼女は幼い容姿とは正反対の淑やかな微笑みを見せる。
「それは違う。アリーが諦めなかったから、わたしは頑張れた。ソーザさんだって、援軍に駆けつけた。これはあなたが諦めなかったからだよ。そのおかげでわたしは胸を張って弟に会える……。だから、ありがとう」
リオも家で帰りを待つ家族がいる。その唯一の家族である弟は、姉の魔闘士試験の合格も、破格の報酬を受け取っていることも未だ知らない。
そう言って、どこか恥ずかしそうにイソイソと荷を纏めるリオの仕草は、どこか落ち着きのないように見える。もしかして、照れているのだろうか。
「いろいろと世話になった。本当に何度感謝しても、きりがないほどに」
「フランも私も貴方には返しきれないほど借りを作ってしまったわ。もし私の力が必要な時は連絡してね。協力は惜しまないわよ。連絡先はそうね……、決まり次第バーゼルのジョージさんに連絡しておくわ」
ルイフェは荷を背負ったソーザと握手を交わす。その晴れやかな表情は未亡人にしておくには惜しいくらいだ。
「で、アンタはこれからどうするの?」
そう言いながら、パティはフランの胸元ですやすやと眠る赤ん坊のホッペをやさしくつつく。
「そうだな、当面はルイフェさんと一緒にいるよ。まずは色々話し合って、今後のことはそれからだな。父の仕事の残件や手続きなんかも山ほど控えているから、しばらくは遊びにいけそうにもないな。まぁ私もルイフェさん同様、身の振り方が決まり次第、バーゼルのギルドに連絡を入れよう」
「私も家、遠いから……。でも、時間があれば遊びに行く。絶対に」
「そっかぁ、じゃあ待ってるからね! 絶対にまた家にきなよ~。約束だかんねっ!」
その言葉に二人は深く頷く。
そして、四人は身支度を整えると、それぞれの帰路へと足を向ける。
ソーザ達は東へ、リオは西へ。
アリエルは残ったフランとルイフェに手を振る。
アリエルは今回の騒動で自分の無知無力さを叩きつけられた。しかし、抗おうとしない限り、無力なままだということも、また分かった。
アリエルは両の手の平を空にかざして想う。これからの人生、私は絶対に諦めずに理想を追い続けよう。例え失敗に終わったとしても、それまでは全力で駆けてやる。失敗した時は隣にいる友に助けてもらえばいいのだ。それに頼りになる兄もいる。あの時、私の願いを叶えてくれた神様はまだいるのだろうか。彷徨って、出口の見えない孤独から、私を救ってくれた兄。右も左も分からない私の面倒を嫌な顔をしながらも、常に心配してくれていた親友。
そして今回の件でまたかけがえのない人達がアリエルの中に入ってきた。
彼女らと出会えた事にアリエルは心から感謝した。その『軌跡』を作ってくれた神様に。
街道に出たところで、アリエルは大きく深呼吸をする。新鮮な野草の香りが鼻をくすぐり、心地よい日差しと爽やかな風を肌いっぱいに感じる。
「ん~っ。いい匂い! ねぇ兄様」
「うん? ……そうだな」
ソーザは鼻を鳴らして、そう答える。
その仕草が変だったのだろうか、パティが口元を手で隠しながら笑う。
「そんなに力んで吸い込まなくてもいいじゃないですか。確かにソーザさんの大好きな春見草の香りですけど」
「いいじゃないか、好きな匂いなんだから」
ソーザは再び鼻を鳴らしながら、力ない笑顔を見せる。
「さぁ帰ろうか、早くしないと日が暮れちゃうよ」
「うん! 帰ったら梨と桃の蜂蜜漬けと子豚の丸焼きを食べるんだ~♪」
アリエルは眼を輝かせながら、腰にぶら下げてある金貨の入った袋を叩く。今回の報酬である三千ルークは、色々あったが自分で稼いだ立派な給金だ。誰にも文句は言わせない。
「あんた、そんな無駄遣いしてると、あっという間になくなるわよ」
「お嬢のパティに言われたくないよ~だ」
お金持ちのパティには庶民の感覚はわからないだろう。日頃が質素な生活なのだからこんな時くらい贅沢しても、神様は許してくれるに違いないとアリエルは思う。
「まぁたまには贅沢もいいんだけど、その前にアリーには魔闘士試験の試験代を返してもらわなくちゃな」
心弾ませ、軽い足取りで歩を進めるアリエルは、その一言に凍りつく。そんな凍りついたアリエルを他所にソーザは淡々と話を続ける。
「確か試験代は受かってから、働いて返済するって約束だったしね。まぁ一括返済できるくらいの報酬だし、ちょうど良かったな」
軽かったはずの両足が、今は鉛のように重い……。
「でもほら、分割払いでもいいって言ってたじゃん? それでどうにか……」
出来るだけの反撃を試みる。
――そう抗うのだ!
「まぁそれもそうだな……」
ソーザは少し考える素振りを見せる。
よし、これならある程度の贅沢は可能だ。希望は持てる! 蜂蜜漬けは無理でも丸焼きくらいならば……! アリエルは強く自身に言い聞かせる。
「今後はアリーにも生活費を入れてもらわないといけないしな。よし最初は分割にしよう。それにもう一人前だし、お金の管理も勉強しないといけないからな。とりあえず最初は半分もらうぞ、千五百ルーク。そこから月々三百ルーク返してもらおうか」
「頭金に半分もっ!? それに月々三百かよっ…!」
ソーザの口から出た返済プランにアリエルは仰天する。
てっきり二年くらいかけてゆっくり返すかと思っていただけに、ショックを隠せない。
おまけに生活費も返済プランにセットされてしまった。
「せ、生活費もですか……?」
「もちろん。もう立派に魔闘士として一人立ちしたんだから、これからはきっちり取り立てるよ」
「そ、そんなぁ~」
絶望に天を仰ぐアリエルの横で、腹を抱えて愉快に笑うのはパティ。
友の不幸がそんなに嬉しいのだろうか。
交渉に失敗して助けを求めたいのに、友はとうにアリエルを見捨て、ゲラゲラと爆笑している。信頼しているソーザも今は敵だ。出来るだけ頑張って交渉したのだが、今のアリエルには味方になってくれる人は誰もいなかった。
神はアリエルの願いを聞き入れてくれなかった。
アリエルは観念し、肩を落として街道を進む。彼女の気分とは逆に、空は透きとおった晴れやかな蒼だった。




