25.インターバル
「えっ?」
アリエルはコーラーの指示に、思わず疑問の声を漏らす。まだ右サイドのフラッグは生きている。
「アンタ、状況理解してるの?」
パティが険しい顔を向けてくる。目線はルイフェに固定したまま、口を開く。
「私達は中央のフラッグを失ったどころか、戦術の要であるロンドさんまで失ったのよ。その右サイドを、リオだけで防ぐなんてことは到底無理。ならばいっそのこと右サイドを放棄して、左フラッグの防衛に全力を尽くす事を、コーラーさんは選択したのよ。左フラッグの位置にサミー、エステシオ、マイコは侵入出来ないでしょ。こっちはまだディフェンサーが三人残っているんだし、自軍二列目では私とアンタがサイドからの侵攻を食い止めている状況よ。守備陣が注意すればいいのは、ホアンの進入とマイコって子の遠距離からのパチンコ玉だけでよくなるのよ」
「おぉ、なるほどっ!」
パティの説明でアリエルは納得する。
その状況判断を咄嗟に指示したコーラーは、やはりアリエル達のチームの中で一人経験が違った。瞬時に戦況の建て直しを図る為、指示を出し、最低限の損害で場を安定させようとしたのだ。
リオが左サイドへ撤退した為、守る者がいなくなった右サイドのフラッグにエステシオはゆっくり歩み寄り、捻るようにしてフラッグを折る。これで四ポイントを反乱軍は獲得した。
コーラーは鉄矛を振るいながら、リオの自軍左一段目への撤退を確認すると、自身も脇目も振らず飛び込む。リオの撤退の為、ホアンとサミー、二人の攻撃をその身に受けたコーラーも、もはや満身創痍の体で、既に体内に蓄えていた念気量は使い果たしている。正に八方塞がりの状況である。
傷だらけのコーラーと魔法を放出しっぱなしだったリオ。今まともに戦えるのはフラン一人という守備陣に、プレイメイカーのホアンが襲い掛かる。飛んでくるダガーを右手のチャクラムで叩き落し、左手のチャクラムでホアンを牽制する。
こちらの消耗具合から、急な試合運びをする意図はあちらには無い様だ。アリエル達に気の抜けない展開を継続させつつ、精神と体力の限界を待つ作戦なのだろう。
フランは飛んでくるパチンコ玉とダガーから、必死に仲間とフラッグを守る。
「どうにかならないか!?」
フランの嘆くような叫び声が、アリエルの耳に突き刺さる。
「……すまん、呼吸が荒くなって念気が上手くできん。もう少し待ってくれ!」
フランの嘆願にリオが弾込めしたライフルをホアンに向けて発射する。
しかし、リオは先ほどから様子が変だ。リオから発射される弾は標準が全く合っておらず、ホアンを大きく外れ、通過する。突破された右サイドの状況を考えれば無理もないが、それでも、この状況下でパニックになっては、味方の足を引っ張るだけだ。今はまだそこまでいってはいないようだが、このままではリオがそうなるのは時間の問題のようにも思える。こういう時、視野が広いが故に、苦しい状況が分かってしまうのは考えものだ。
しかし、そんなリオの銃弾でも牽制程度には効果が期待できたようで、それだけでもフランにとっては精神的に助かるだろう。
「くそっ、このままじゃジリ貧だ。何か手立てはないのか!?」
「今は凌ぐ事だけを考えろ、余計なことを考えると負けるぞ!」
フランとコーラーのやり取りに、アリエルは思わずこう思ってしまう。
――コーラーさん! それは答えになっていないよ、このままじゃ絶対に負けちゃう。
「パティ、後ろ相当やばいよ……」
真横で守備部隊の為に、援護の銃をぶっ放しながら、状況をパティに説明する。
「ロンドさんがやられて、右と中央のフラッグは取られちゃったんでしょーが。今の状況は当然じゃない!」
「お嬢ちゃん達も観念してギブアップしたらどうかしら。今なら大した怪我もなく、五体満足でお家に帰れるわよ」
ルイフェがアリエルに接近すると、回し蹴りを繰り出しながら囁く。
その蹴りを受け流しながら、アリエルは虚勢を張ってみせる。
「まだまだっしょ。そっちこそ、私達を抜いてからそんな台詞は言うんだね~」
「あらあら、ここが突破できなくても、彼等が中央から残る一つの旗を落としてくれるわよ。私は貴女達二人を引き付けておけばいいんですから」
「……優しいのね」
性悪な微笑みをするルイフェに、パティは予想外の台詞を吐いたようだ。
その言葉にルイフェの瞳が揺れた。それは確実に動揺とわかるほどに。近くにいたアリエルも目を丸くする。
「あなたほどの腕前なら援護さえあれば、私達を撃破しようと思えば出来るはずだわ。それをしないって事は、あなたは心から反乱の手助けをしてない証拠ね」
「何を言っているのかしら。私は与えられた仕事をただこなしているだけよ。それ以上の成果は上も期待していないわ」
「そうなの? でも普通に考えて数的有利の決定的なチャンスを前に動かない人も珍しいんじゃない? それなりに欲が出てくるのが、人ってものでしょう」
その言葉を聞いたルイフェの表情が歪む。なんとも言えない、苦しそうな顔は苦痛の色が滲み出ている。
「あなたは何故闘うのかしら? そして私にはあなたが裏切り者にはとても見えない!」
確かにパティの言う通り、緩くはないが殺傷力のない攻撃と積極性のない姿勢は、明らかにどこかおかしな雰囲気があった。
「教えてちょうだい!」
ルイフェの動揺を突き、パティはルイフェの足を剣先で弾くと、彼女の胸倉をがっしり掴む。
その瞬間、フィールドの隅々まで前半終了を告げる笛の音が、高々と鳴響いた。
すると、ルイフェは無言のままパティの腕を振り解くと、そのままベンチの方へとぼとぼと歩いていった。
「あの人、すごく悲しい顔してたね」
アリエルの言うとおり、パティの手を払った彼女の眉は下がり瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「そうね」
ぶっきらぼうに言い捨てるパティを見て、アリエルは眉を窄める。
アリエルにも話の内容は聞こえていた。アリエル達にも譲れない事情があるように、ルイフェにも譲れない何かがあるのだろう。誰かを救う為に誰かを犠牲にしなければいけない。犠牲の大小は別として、それはいつの時代でも必ずある。
まるで悪魔の微笑をした神が、外れくじを引いた人間に罰を与えているような気がする。フランとルイフェは、この時代で同時にその不幸なくじを引いてしまったのだ。しかも意地悪な神は、ここでも性質の悪い救済措置を設けるのだ。
救いの糸を一本だけ彼女達の元に垂らし、奪い合わせる―――
勝った方だけが助かる事が出来ると微笑みかける。
『助かるのは一人だけ―――』
そんな考えと現状に、胸くそ悪くなったアリエルは、ベンチに戻ると直ぐに用意されていた瓶から水をすくい、一気に胃へ流し込む。水は乾いた口内と喉を潤してくれたが、嫌な感覚は流れていってはくれなかった。
「最悪だ。ロンドは負傷退場、フラッグはもう左の一本だけか……」
コーラーがベンチに腰を下ろし、気落ちのする一言。しかし、この状況でポジティブな発言をしろという方が難しい。一人少なく、フラッグは残り一本。こちらが逆転するには相手のフラッグを全て壊すしかない。後半の十五分で果たしてそれが出来るだろうか、それは限りなくゼロに近い。
リオは俯いたまま、動かない。極度の魔法の使用で、体力を回復させるだけで精一杯という様だ。無理もない、彼女はアリエル達と違って、手を抜いた強者ではなく、容赦のない歴戦の猛者を相手にしていたのだから。肉体的消耗はおろか、精神的にも彼女が一番きつかったはずだ。パティも立ったまま腰に手を当て、天を仰ぐ。
皆、傷だらけのボロボロで後半戦などとても無理に思える様相だった。
「もういい。十分だ」
そんな中、口を開いたのはフランだった。彼女の美しい桃色の髪は埃まみれになっており、顔は汗で汚れていた。
無理に笑顔を作ってアリエル達に接するフランは、とても痛々しく見える。
「こんな状況ではもう勝ち目などない。私はともかく、貴女達まで無理をして命を危険にさらす必要なんてない」
もっともな意見である。これ以上の戦闘継続は死者が出る可能性があるし、戦況は覆らない。フランの言葉に反対の声を上げる者はいなかった。
――でも、私は、
「じゃあ、私は審判に後半戦の辞退を報告してくる」
皆を一瞥したフランは振り返って審判団のベンチへ歩を進めようとした。
しかし、フランはその足を進めずに、もう一度こちらを振り返る。
なぜなら、フランの腰帯をアリエルの手が掴んで離さなかったから。
そして、それを見たフランはまた哀しそうな笑みを浮かべる。瞳は少し滲んでいる。
滲んでいるのはフランの瞳だろうか、それとも私の瞳だろうか。アリエル自身、見分けがつかないでいた。
「いいんだ……。もういいんだ」
――良くない。良いわけない。
「貴女には本当に感謝している。もう十分助けてもらったさ」
フランはその手を解こうとするが、アリエルは離さない。
――助けてない。救ってない。私はまだ何も出来ていないっ! もう無力で孤独な自分はイヤだっ! アリエルの心の内がそう叫ぶ。
「その気持ちだけで私は嬉しいよ」
そう言いながら、フランはアリエルの手を掴む。
――私は嬉しくない! 楽しくなんかないよ! なんで私には救えないの? 大切な友人の窮地が、涙が拭えないの……? アリエルは己の無力さを心底嘆く。
「……いやだよ」
アリエルの声が嗚咽と共に僅かに漏れた。フランは困った様に笑い、無言のままアリエルの手をゆっくりと腰帯から外す。
「もう諦めるのかい?」
フランが再度審判団の方へ振り返った、その時だった。聞き覚えのある声がベンチの更に奥、人ごみの中から聞こえたのだ。皆が一斉に声の方向へ顔を向けたあたり、空耳ではないようだ。
「せっかく応援に来たのに、無駄足だったかな?」
黒の外套に黒のシャツ、そして黒のズボン。黒一色で染められた男。
群集からゆっくりと歩いて出てきたのは、アリエルにとって一番身近で頼りになる兄だった。
ソーザは人当たりの良さそうな柔らかい、いつもの笑顔をしたまま片手をやぁやぁと挙げて歩み寄ってくる。
「……どうして?」
「大事な妹の心配をしない兄貴がどこにいる?」
思わず出たアリエルの言葉に、ソーザは肩をすくめる。
「それなら直ぐに駆けつけて欲しいですよ」
「遅い……」
パティとリオが口を尖らせ軽く毒気づく。しかし二人とも先ほどの沈んだ顔ではなく、表情が明るい。心底ソーザの登場には嬉しかったようだ。
「はは、そうだね。まぁ、俺も直ぐに駆けつけたかったのは山々だったけど、色々と調べたいことがあってね」
頭を掻きながら、申し訳なさそうに言うと、コーラーに向かって軽く会釈する。
「久しぶりだな、闇の死神」
「ああ、久しぶり。妹がお世話になった、礼を言わせてもらうよ」
どうやら、コーラーとは面識があるのようだ。二人は軽く微笑み合うと、今度はフランに話しかける。
「さてと、メンバーチェンジだ、フラン嬢ちゃん。ロンドに代わって俺が入ろう。まだゲームは終わっちゃいないさ。泣くんじゃない、フラン嬢ちゃん、それに妹よ」
アリエルはソーザに頭をゴシゴシと撫でられ、昔の記憶が蘇ってくる。独りでいたアリエルを救ってくれた。あの時のように、優しくて懐かしい感触。それを思い出して更に涙が溢れ、鼻がツンと痛くなる。
「泣き虫は変わってないな。しかし、そろそろ時間になるし、作戦も話さなきゃならない。いいかい?」
アリエルは指先で涙を拭いながら頷く。それを見て、ソーザは皆に向かって作戦を話し出す。
「じゃあ、少しフォーメーションをいじらせてもらおうかな。まずアタッカーだが、サイドには置かずに、コーラーとパティの二人に担当してもらう」
コーラーとパティ、重量級の武器を持った二人による破壊力抜群の組み合わせだ。大逆転を狙うに相応しいコンビだ。指名された二人は黙って頷く。
「続いてプレイメイカーだがアリー、お前にやってもらうぞ」
「ええっ!? わたしぃ~?」
「ああ、視野が広くて小回りの効くアリーは、このポジションに適性があると思うよ。しっかり状況を把握してピンチの味方がいれば、援護してくれ」
驚くアリエルを他所に、意外にも周囲は納得の表情を見せる。
「視野の広いアリエルをプレイメイカーに置くことで、戦場における不利な箇所のカバーに専念させる。殺傷能力が低い銃だが、その分反動も少なく、射程もそれなりで小回りが効くから、足止め、牽制には十分だ。最後にディフェンサーだ、これは変わらずいく。コーラーの所には俺が入る」
そこで初めて異論がでる。
「サイドディフェンサーを二人おく必要はあるのですか?」
口を開いたのはフラン。
「恐らく相手はサイドアタッカーを置く布陣でくるとは思えません。エステシオもルイフェも強力なアタッカーです。それならば、自陣を自由に移動できるディフェンサーを最低でも二人にしなければ駄目だと考えますが」
「……私もそれについては同感」
アリエルが賛同すると、リオも同意見だとばかりにコクコクと頷く。
彼女も前半の時とは違い、顔色が戻ってきている。少し眉の上がったパティもそれなりに疑問だったようだが、彼女はソーザの信者なので口を挟まず押し黙ったまま、成り行きを見守っている。
確かに左フラッグしか残っていない状況では、サイドにアタッカーを置くフォーメーションでくることはまずないだろう。アタッカー二枚とプレイメイカー、サイドディフェンサー総出で、一気に攻め立てにくるに違いない。ならば、左エリアに侵入する前に手前のエリアで敵の侵攻を食い止める必要があるのではないか、というフランの意見だ。右にサイドディフェンサーを置いても、左サイドの攻防に参加できる位置はフラッグのあるエリアだ。これでは早めの守備参加に支障をきたす。
「確かにディフェンサーを増やしたほうが守備的にはいいのかもしれない。でもこのゲームは、勝ちにいくんだろう?」
そうソーザに聞き返されて、一同は言葉を失う。皆フラッグを守ることばかりが頭の中を回っていて、こちらがフラッグを全て破壊しなければいけないという意識が薄くなっていたのだ。
そんな呆気にとられた皆の顔をクスクスと軽く笑い飛ばしながら、ソーザは続ける。
「いいかい? これからが本番だ――」
ソーザは人差し指を立て、口元に寄せる。声のトーンを低くして続きを喋る。
アリエルは心の中で独りごちる。
後半は大丈夫だ。私達は絶対勝てる。まだ諦めない!
ソーザの話を聞いたアリエルは胸を張ってフィールドに駆け出した。