23.試合開始
真っ先に動いたのは、あの『黒豹』だった。素早く、リオのいる右サイドへと侵入を開始する。これに反応するように、ロンドが加勢しにこちらのサイドへ移動してくる。どうやら右サイドはエステシオと、リオ&ロンドのマッチアップになりそうだ。
相手左サイド、マイコ=ダグラスは、まだ様子見といったところだろうか。それとも、こちらが守るサイドのフラッグの破壊は、エステシオだけで十分と思っているのだろうか。だとすれば、相当に甘く見られている。いずれにせよ、サイドディフェンサーに攻撃参加の意思が無い事は、リオにとって悪くはなかった。
そのエステシオが手甲に魔力を込めて、リオに襲い掛かかる。
超接近戦を得意とする武器に対して、リオのスナイパーでは対応は難しい。距離を開けようにも、リオの背後にはフランの国の運命を左右する旗があるのだ。容易くこの場所を明け渡すことなど、できはしない。
リオがライフルの長い銃身に魔力を込めて、エステシオの打突を受けようと構えた瞬間、素早い動きでロンドが間に割って入る。ロンドは両腕を交差させて、エステシオの正拳突きを受け止める。が、流石に全ての衝撃を吸収できずに、リオの方に吹っ飛んできた。
飛来してきたロンドを、リオは両足で踏ん張って受け止める。
「大丈夫、ですか……?」
「そう見えるなら、あんたの目は節穴って事よ。全く、ぼーっとしてるんじゃないわよ。いちいちフォローなんて、出来る相手じゃないんだからね。私があいつを引き付けるから、あんたは援護をお願い。勿論、サイドディフェンサーの攻撃参加にも常に注意をしておくこと。わかった?」
急ぎ早口で用件を伝えるロンドに対して、リオは小さく頷く。話すロンドの口元から赤い液体が顎へと流れる。
熟練の魔闘士が、万全の体勢でガードしたのにも関わらず、この威力……。果たしてこのサイドをわたしは守りきれるのだろうか? 圧倒的戦力差に、言い知れぬ不安がリオの胸に漂った。
「さぁ、こっちは早くも修羅場ね。あっちは大丈夫かしらね」
ロンドの口から出た言葉に、文句の一つでも言いたくなった。他の心配よりも、まずは己の心配をするべきだ、と。二人の目の前には鋭い牙を剥いた、獰猛な『黒豹』がいるのだ。余計な事を考えていれば、たちまちの内に喉を食い破られるだろう。そう思うと、自然足が震えてくる。
そして、リオは気が付く。これが恐怖なのだと。
どうしようもない絶望感が、リオを襲う。
「パティ! くるよっ、左から!」
アリエルの声にパティは素早く反応して、飛んできた雷の矢を弾き落とす。
アリエルは風弾をルイフェに撃ち込みながらも、相手サイドディフェンサーの動きから、目を離していないようだ。パティも矢を弾くと、身体を風車のように回転させながら、ルイフェに接近し、なぎ払いを一段、二段と連続して放つ。ルイフェはその剣撃を器用に足で受け止める。斬撃を受け止めるルイフェの足には膝下から足首にかけて、煌びやかなダイヤの紋様が刻まれた、レッグガードが装着されている。
「中々やるじゃないの、お嬢ちゃんたち」
「どうも、アナタみたいな凄腕にそう言われると、悪い気分はしないわね」
二人の会話の最中に、ダニエルがパティ目掛けて再度弓を引く。しかし、アリエルの火弾がそれを阻む。さらに、弓を絞っていたダニエルに風弾の連発を打ち込み、怯ませる。
流石は相棒だ。状況が良く見えている。
アリエルがいるおかげで、ルイフェとダニエルは中々攻めて来られない。彼女が目配せし、先ほどから風弾や火弾で足止めや牽制をしてくれている。銃が二丁あるとはいえ、この二人を同時に監視しながら、相手とるとはパティからすれば、それは神業に等しい。改めてアリエルの才能には舌を巻く。おかげでパティにも周囲の状況が、少しだが確認できた。
逆サイドはかなり押し込まれてはいるものの、相手左サイドディフェンサーに動きがない為、なんとか踏ん張っている様子だ。このままでは、あちらは前半持たないかもしれない。
中央も凄いことになっている。
サミーとコーラーが、がっぷり四つの押し合いをしている。両中央の重要なポジションである二人が、正規軍側一段目中央で、激しいぶつかり合いを繰り返している。コーラーの獲物は、七尺はありそうな巨大な鉄矛。対するサミーも、自身の巨躯が丸々隠れそうな大盾を激しくぶつけてくる。二人のぶつかり合う様は、見るものを圧倒していた。偉丈夫が二人、轟音を鳴らしながら、何度も何度も打ち合うのだから、観戦する市民の目は彼らに釘つけになってしまう。
時折、サミーの背後からホアンが顔を出し、隙あらば、ダガーを飛ばして援護するが、それをフランがチャクラムで漏らさず落としている。
開始から五分少々で、フィールドの各エリアでは厳しい戦いが繰り広げられていた。
その激しい打ち合いの中で、パティは考える。
眼前の麗しい女性は、なぜこちらを裏切ったのか。どうして急に手の平を返したように敵対勢力へ寝返ったのか? きっと、何か理由があるはずだ。一番考えられたのが、金による調略。しかし、ロンド達の話を聞く限り、建国当初からこの国の警護を担ってきた彼女なら、金銭的な理由とは考えにくい。
そんな考え事をパティがしていると、下腹部が強烈な衝撃と痺れに襲われる。
「んぁっ!」
……畜生、油断した。視界が歪み、パティはなんとも言えない声を上げて、倒れそうになる。が、アリエルがパティを受け止めると、追い討ちを仕掛けようとするルイフェを火弾で牽制してくれる。
「大丈夫!?」
「なんとかね……。少し痺れたみたい。雷属性の攻撃って喰らうとしんどいわ」
「それは、どの属性も一緒っしょ。愚痴言うな」
まだ痺れがとれず、下腹部に感覚はないが、アリエルの言う通りこれ以上泣き言は言っていられない。
「はいはい、わかったわよ。じゃあ引き続き援護よろしく」
そう言い放つと、パティは再びルイフェに向かって突進する。
大振りの振り下ろしから薙ぎ払う。そして、身体をもう一回転させて、再度強烈な払いを繰り出すが、ルイフェは飄々と身を翻しながら、剣撃を避ける。
当たらない攻撃に、段々とパティの心に苛立ちが募る。まるで、実体の無い影を相手にしているような感じだった。だが、パティの払い終わりのタイミングで、アリエルが後方から風弾を放ったらしく、ルイフェの体躯を地面に固定する。
パティはすかさず縦一閃の振り下ろしをルイフェに見舞おうとする。しかし、相手も黙ってはいない。敵陣後方から強烈な雷を纏った矢がパティを目掛け疾走する。
――大丈夫、これは相棒が落としてくれるはずだ! パティはそれを信じ、回避行動はとらずに、剣を振りかぶる。その予想通り、アリエルが強化弾で矢を叩き落とす。そして、完全に無防備になったルイフェの頭上に剣撃を見舞う。
――これはもらった! パティは確信した。
しかし、パティの剣撃はルイフェに当たることなく、地面にめりこむ。
「……ふぅ、今のは危なかったわ」
「それはどうも、私はもらったと思いましたけど」
パティは半身で避けるルイフェに、憎たらしいばかりの笑みを向ける。
正直に言えば、凄く悔しい。しかし、この笑みは虚勢という事もなかった。なぜなら、先ほど受けた下腹部の攻撃で分かった事がある。
普通、前大戦で異名を持った大物が、自分程度の新米魔闘士を一撃で仕留められないだろうか。それにパティは少しだが、戦闘中に周囲を観察できる余裕まであったのだ。そう考えると、ルイフェが手を抜いていると思わざるを得ない。もし、手加減したのであれば、彼女はこのゲームに乗り気ではない可能性も出てくる。そうなると、ルイフェにはやはり何か事情がありそうだ。
「あなたは何故正規軍を裏切ったりしたのですか?」
下段払いを繰り出しながら、パティは駄目元でルイフェに問う。
「いつまでも脆弱なこの国のあり方に疲れたのよ」
下段の剣撃をレッグガードで華麗に受けながら、ルイフェは答える。
応じた。しかも理由は明確ではない。『脆弱だから裏切った』そう言うが、脆弱だったからこそ、ルイフェはこの国の警護職に就いたのではないのか。これは間違いなく何かある。でなければ、こんな言葉は無視するだろう。打ち明けることが出来ないから、でもそれを分かって欲しいから、パティにはルイフェのもどかしい中途半端な気持ちが、この言葉に現れているような気がした。
「それは嘘じゃないのですか? 何か理由があるのではないですか?」
「あったとしても、お嬢ちゃんには関係の無いことよ」
「あなたは私利私欲で動く人間とは考えにくいです。ロンドさん達の話を少し聞いただけですが、建国当初から支えてきたこの国を、こんなにもあっさり裏切れるはずがありません」
パティは受け止められた剣に力を入れ、押し出す。ルイフェは見事な足捌きでパティの力押しを受け流す。
「例えどんな理由があろうとも、私はこの国を裏切った。それは事実。それだけのことよ。それとも、私に負けられない理由があれば、お嬢ちゃんは私の為に死んでくれるわけ?」
ルイフェの言うことは確かに正論だ。パティ自身、この場所にいるのは守りたいものがあるからだ。ルイフェにもやっぱり譲れない何かが存在している。それは、この一戦に勝たなければ守ることが出来ないものなのだろう。
闘う理由は人それぞれ必ずある。名誉、金、愛、自尊心、例を挙げたらきりがない。相手にも自分にも譲れない『大切なもの』はある。それならば、相手の『大切なもの』の内容など知らないほうが全然良い。
それを聞いてしまうと、辛くなる。言ってしまうと、それも多分、また辛いから。
「お互い譲れないなら、仕方ないですね」
「そういうこと、お嬢ちゃん」
ああ、この人は多分、悪い人じゃないのだろう。直感でパティはそう感じた。しかし、今は敵で倒すべき相手だ。できればあまり傷つけたくはないが、仕方ない。ここからは全力で―――
「――パティ!」
アリエルの言いたいことは、パティにも直ぐにわかった。
作戦忘れたの? とジト目で睨むアリエルが、背中越しでも十分わかる。
すぐに力押しに頼りそうになる自分の性分は、ソーザに最近注意されたばかりである。それは魔法量の消費に繋がるので、今は極力魔法を使用せず立ち回る。
――分かってるわよ。心の中でパティは呟く。