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ロゥカス!  作者: 結倉芯太
1章
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プロローグ

 世界が真っ白になった。

 さっきまで私の生活を規則正しく刻んでいた立派な大時計を頭に掲げていた教会も、活気に満ちて賑わっていた市場の店先も、今は原型を留めておらず、眼前に広がるのものは砕けた瓦礫と焼けた看板だけだった……。

 店から漂っていた食欲を誘う香ばしい川魚の包み焼きや、ブルーベリーパイの甘い匂いも消し飛んでしまっていて、代わりに漂ってくるのは鼻をつくような焦げついた腐臭だった。

 私は両親と買い物に来ていただけなのに、どうしてこのようなことになったのだろうか。

 人ごみの多い市場の中、私は父様や母様とはぐれないように、二人の手をしっかりと握っていた。父様の手はゴツゴツして大きくて暖かくて、母様の手は柔らかくて綺麗で優しくて、人ごみは嫌いだったけど二人と手を繋いでいる時間は嬉しくてたまらなかった。

 しかし、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。

 賑やかな市場から、いきなり街中に響き渡るかのような大きな爆発音がした。耳を塞ぎたくなるような轟音と共に、武器を携帯した全身を黒一色に染めた軍服の男達が瞬く間に現れた。彼らは次々と買い物に来た人々に襲いかかってきた。それは熊のように獰猛(どうもう)に、狼のように狡猾に、人がまるで家畜であるかのように、なんの抵抗も許されず一方的に虐殺されていった。

 そんな地獄の光景に動揺する私を、父様は近くに置かれていた酒樽に押し込んだ。母様は酒樽の蓋を閉める際、周囲の音や気配が消えるまで絶対に出てはいけないと私に言って聞かせた。二人とも恐怖に涙を浮かべていたのに、明らかに唇は引きつっていたのに、その口からは私を安心させようと「大丈夫」という言葉を何度も呪文のように唱えていた。

 私は母様の言われたとおり、酒樽の中に隠れて、おぞましい出来事がとおりすぎるのを恐怖に震えながら待った。外から聞こえる阿鼻叫喚の声は、両手で耳を塞いでも指の隙間から水がこぼれるように漏れ聞こえ、狭く光の無い暗闇の世界が私の心を凍らせた。

 怖い、辛い、怖い、寂しい、怖い、暗い、怖い、恐い、こわい、コワイ――――。

 もうおかしくなりそうだった。精神の維持が困難になりかけた時、物凄い衝撃と共に私は何かに吹き飛ばされ意識を失った。




 ……気がつくと、私は真っ暗闇の中にいた。しかし、直ぐにあの忌まわしい記憶と共に自分の置かれている状況を理解していく。脳内から溢れ出てくる恐怖に耐えられなくなり、樽から転げるように飛び出る。これ以上、あの狭くて暗い世界(タルの中)にいるのは嫌だった。

 しかし、飛び出した世界もまた酷い情景を私に見せつけてくれた。

 市場の通りには炭化した果物や装飾品が散乱しており、目の前にある店は支柱が折れ、屋根は傾き、煙が細々と寂しげにたっていた。漂う臭いは鼻のまがるような今まで嗅いだことのない刺激の強いものだった。

 異臭の正体はすぐに判断できた。

 それは木片や果実と同じように転がっていた、人の焼けた臭い……。

 私は零れ落ちる涙を拭いもせずに、近くにあった死体にすり寄った。眼前に広がる無数の死体。その中に両親がいないか確認する為だった。しかし、その中に二人は確認できなかった……。

 違う、確認しようが無いほど私が見た死体達は損傷が激しかったのだ。そのどれもが黒焦げになっており、辛うじて性別は判断できるものの、最早その死体が両親であるとはとても断定できなかった。中には腹が裂けて、内臓物が飛び出しているものも幾つかあった。我に返った私に、言いようのない猛烈な吐き気が襲いかかる。それに堪えられるほど、私は気丈ではなかった。身体が示す反応に従って、嗚咽を漏らしながら、吐瀉を撒き散らす。

 吐き気が治まり上体を起こすが、身体は鉛のように重たかった。精神的苦痛はもちろんだったが、肉体的にもかなり疲弊(ひへい)していたようだ。目の前に移る灰色の世界は涙で滲み、もう何もかもなくなってしまえばいいと思った。

 だって私にはもう何も無いのだから、失うものも頼れるものも……、そして大切な人達も……。

 それは理解の出来ない範疇はんちゅうにあった。今まで当たり前のように存在していた物が、人が、あまりにも無残な風景の一部として私の瞳に映っていたのだから。

 それから、私は何時間、何日歩いたのだろう。もう、時間の経過も昼か夜かも分からない。お腹は空いているはずなのに、何も食べたいとも思わない。それなのに歩くことは止められない。なぜだろう、止まってしまえばきっと私は楽になれるはずなのに……。私の足が私の言う事をきかなくなるまで、私はこの灰色の世界を歩き続けた。

 色の無い世界は、何処まで歩いても荒れた町並みと散らばった死体ばかりで、変化は無かった。とっくに疲れきっていた私は、気がつくと教会の前にいた。休日になるといつも通っていた、立派な大時計と虹色のステンドグラスが素敵な教会だった……。

 私は教会を見上げる。七色で彩られていた綺麗なステンドグラスは無残に割れ、焦げ付いた窓枠だけが煙をもくもくと蛇のように立ち上らせる。大時計は当然の事ながら動いておらず、長針の針はどこかへ飛んでいってしまっていた。

 私は短針だけになった大時計をじっと見つめる。短針をクルクルと見守るように廻っていた長針は既に無く、その長針の助けがなくなり、進むことが出来なくなった短針は今の私のようだった。

「なんなのよ……。どうして……?」

 理由(わけ)わかんない。

「どうなったっていうのよ……」

 久しぶりに発声した声は、まるで自分の声ではなかった。いつものような明るい可愛らしい声ではなく、喉から出たそれはしゃがれて低く、私よりもずっと年上の男の子が言ったような声だった。

 その声に反応するかのように、私の瞼からまた大粒の涙が落ちてきた。それは私が歩みを止めなかった理由がわかったから。

 そう、まるで私は存在していないみたいじゃない。そんな馬鹿な事があるもんか。

 私はここにいるの。世界に存在しているの。

 だから―――

 私を独りにしないでよ!

 誰か私を救ってよ!

 何でもするから!

 言う事聞くから!

 だからお願い!私を助けてよ!

 私は教会として機能していないその建物の前で願い、顔を両手で覆うと力無く座り込んだ。もう何かをする気力なんてなかった。そんな人生を諦めかけた私の頭上から声が聞こえた。

 「大丈夫か?」、と。

 私はその声の方向に向かって顔を上げようとしたが、もう気力の限界だった。

 眠るように声の主にもたれかかると、私はまた意識を失った。




 私が経験した『世界消滅戦争』、その名前の通り世界の大半が消滅した戦争が終わって五年が経った。

 この戦争で世界の国々の殆どが消滅してしまった。長引く戦争で各国は国力を維持できず、国が疲弊すると当然ながら民の生活は困窮を極めた。連鎖的に各地で反乱が起き、国は次々と潰れていった。

ある国は多大なる魔法使用によって人の住めない地へと変貌してしまった。

 魔法は使用する際に土地の養分の根源となっている『せい』を吸い上げてしまう。過度の魔法使用はその土地の木々や草花、水資源の枯渇を意味した。人の争いとはなんとも醜いもので、それが分かっていても人々は力を行使し続けた。

 そして『世界消滅戦争』で使用された魔法による影響から、人の住める土地はもはや僅かな場所だけとなってしまった。この戦争に参加した国は例外なく先ほどあげた二例のどちらかによって滅亡している。

 そして五年経った今、生き残った僅かな人々は新たに権力者を擁立、新しく国を興し、生き残った僅かな資源を頼りに生活していた。

 今現在、世界にある国で先進国的立場にあるのが、国王による立憲君主制により統治されている『イングリド』、国民議会主導のもと民主主義を貫く『スーペル』、ローム神への信仰心から結託した法国家『ロマリエ』、そして最後に五年前、唯一中立を保ち続け国を維持してきた独立都市国家『バーゼル』である。

 この四カ国を中心に世界は新しく生まれ変わった。

 しかし、新しく生まれ変わった世界でも争いは絶えなかった。国家間同士の思想の違いの為か、一部の強欲な主導者の所為か、利権と欲にまみれた争いが頻繁に発生しており、とても平和になったとはいえる状況ではなかった。

 私の生きている世界は未だ不安定な状況で存在していた。





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