12.懐古の夜 2
ミシェルといた頃のソーザは猛々しく、そして勇ましかった印象が残っている。そんな勇み足気味のソーザを、ミシェルが隣でいつも優しくなだめていた。そんな二人がとても眩しくて、羨ましかった記憶がフランにはあった。
しかしその頃から、世界のあちこちで戦争が起こり始めた。その戦争から身を守る為、地位や金のある者達は傭兵を掻き集めた。当然、自分の身を守ってくれる用心棒は、優秀で信頼のおける者が相応しい。そういった傭兵連中の『優秀』という分野では、魔闘士の存在は際立っていた。彼らはお金さえ払えば、大抵どんな事でもやってのける。護衛は勿論のこと、警備や偵察も無難にこなす。中には暗殺や誘拐などの物騒なジャンルまでこなす輩もいたほどだ。
故に、彼らはどんなに優秀でも、雇い主には信頼はされない。矛盾した関係だが、それが前戦争時代での『魔闘士』というものに対する世間の認識だった。
そんな中、ソーザ達は父が護衛の為に雇った傭兵として、幼いフランの目の前に現れた。
戦争は酷かった。争いの起こった地域は土地が枯れ果て、作物は育たなくなり、各国は軍備拡張に躍起になり、度重なる過度の徴税を行ったため、地方の町や村では略奪や強盗などは日常茶飯事だった。
そんな明日をも知れない状況下で、フランは誘拐や強盗の可能性に怯え身体を震わせた。いっそ、こんな家に生まれてこなければ良かったとすら思った。
理由はあった。フランが七歳の頃、母親が殺されたのだ。
金目的での犯行だったらしい。母とは直視できないような無残な姿で再会した。綺麗だった桃色の髪は乱れ、着衣は無く、体のいたる箇所に殴打された後があった。
そんな母を見たフランは動揺し、泣き喚いた。ただ怖かった。
母をこんなにした奴等を憎いと思うよりも、怖いという気持ちが圧倒的に強く、フランの心を支配していた。「こんな風になりたくない」幼いながらにそう思ったフランは、母を殺した犯罪者よりも冷徹だったのかも知れないと今でも思う。
しかし、ミシェルは包み込むような穏やかな表情で、フランの手を優しく大切に握ってくれた。栗色の長く綺麗な髪がとても印象的だった。そして、あの手がどんなに心強かっただろうか。
すぅっと薄黒い感情が晴れていく。ミシェルは魔法でも使ったのだろうか。ただ手を握ってくれるだけで、こんなにも安心できるなんてフランは思いもしなかった。その後ろでは唇を尖らせて、無愛想な顔をしたソーザが居た事もよく覚えている。今思うとヤキモチでも妬いていたのだろうか。
そして悪夢のような日はやってきた。戦争の飛び火による、略奪者の到来。
争いごとにおいて敗者は全てを失い、勝者に奪われる。金銭、名誉、地位、そして人として生きる権利まで――。
当たり前で吐き気のしそうな略奪行為を、一心不乱に働く敵を目前に、薄情な傭兵達が逃げ出す中、ミシェルとソーザはフラン達家族を守る為に、身体を張って護衛の任を果たしきった。
結果、ソーザ達は一個中隊程の魔闘士隊をたった二人だけで退けた。様々な属性を持った攻撃を彼らは受け止め、その全てを弾き返した。
狂おしいほどの怒声を吐き捨て、血を流し、憔悴しきった眼を力の限り開き、感情をさらけ出しながら、ソーザは戦の渦中に突貫していった。そして、ソーザの背後では小気味よいダンスを踊っているような、艶やかな振り付けで二丁の銃を振るっているミシェルがいた。
二人はまるで死神と天使だった。少なくともフランはそう納得していた。漆黒の外套をなびかせる気高き死神と、純白のサマードレスを血に汚した美しい天使は、敵を殲滅するまで虐殺のダンスを踊り続けた。
そして、死神が糸の切れた人形のように倒れる。そんな彼を天使が抱きかかえ、傷を癒していく。その時、フランはミシェルの属性の能力を初めて見た。フランはミシェルに駆け寄ると、その不思議な力について尋ねた。
「私の属性はね、『聖』なのさ。傷を癒す力、病を治す力。でも他の人には内緒よ、この力は頻繁に使用できないからね」
ミシェルは気を失ったソーザを優しく見つめながら、フランの問いに答えてくれた。その声はとても弱々しく、健康な人のそれとはかけ離れていて、集中していないと聞こえないほどに小さな声だった。でも、それを見たフランはそんな彼女達を美しいと思い、同時に憧れた。
「俺は『闇の死神』、ミシェルは『聖天使』と呼ばれていたのは知っているだろ?」
知っている、わかっているつもりだ。フランは黙って頷く。
「ここで一つ質問だ。魔力の源ってなんだろうな?」
魔闘士にとってあまりにも常識的な質問をソーザは投げかけてくる。ひょっとして、ソーザは新米魔闘士であるフランの知識を試しているのだろうか。
「大地の中にある『精』でしょう。『精』を吸い上げ、魔石を通して魔法は発動します。そして川や湖の側では水の魔法はより強力になるし、火山の近くでは火の力は上がる。それは大地の中の『精』の属性が場所によって違うからです。逆に『精』の枯渇した場所では魔法は使うことは出来ません」
模範的な回答が出来たとフランは思う。鼻を鳴らして、どうだと胸を張る。
「そうだな。魔法は『精』がないと発動できない。でも実は『精』が無くても発動できる属性もある」
背筋に汗が流れる。驚きはあったが意外でもなんでもなかった。フランは小さい頃にその答えを知っていた事に気づく。ミシェルが口にした言葉がフランの脳裏をよぎる。
――頻繁に使用できない。
「それが『聖』属性なのですか?」
フランが一呼吸おいて答えると、ソーザは黙ったまま頷く。表情はどこか辛そうに見える。
「そう、希少属性の中でも特異の属性にして、万病に効く治療魔法。彼女は君に話していたのか」
「はい、あの時貴方達が私を守ってくれた際に」
ソーザは口の端を吊り上げ、軽く喉を鳴らした。その仕草が、『今から言う話は絶対に秘密にするんだぞ』そういう合図にも思えた。
フランは息を呑み、聞き逃さないようソーザの口元に視線を集中させる。
「世の中には死にたくない輩が溢れかえっている。彼女は信用の置ける人物にしか自分の属性を話さなかったよ。ホントにごく一部にしか、ね。君は凄いな、小さいながらに随分ミシェルに気に入られたようだ」
ソーザの言葉にフランは再び息を呑む。緊張からか、喉はカラカラで唾なんてもうでなかった。
「でも『聖』属性には重大な欠点があったんだ。それは『精』を使えないことだった。じゃあ何を源に魔法を発動させていたんだろうな」
ソーザは草をむしると、空中に投げた。千切れた草は強い風に飛ばされて、あっという間に夜の暗闇に吸い込まれていく。
「何だと思う?」
フランは考える。ミシェルが魔法を使ったときどういう状態だっただろうか。当時幼かったフランはミシェルの声しか記憶にない。あの消えそうな小さな声。そこから何が考えられるのか。
「疲れていた……」
フランは単純に思いついたことを口にしていた。
「そうだね、疲れちゃうんだよ、魔法を使うと。まぁ当たり前のことだけど。傷の治療なんかに使う分は使用しすぎなければ大丈夫なんだ。でも、ミシェルは使いすぎた。で、俺はそれに気付かなかった」
「命、ですか」
導き出される最悪の回答。魔法の使用によってすり減っていく命。無償で魔法が使用できるわけがない。通常、過度の魔法使用は一時的な体力不足に陥るだけで、命まで奪われることはまずない。
「俺は死んだミシェルの最後の約束を果たす為に此処にいる。それだけの為に生きている」
「約束って?」
フランは思わず聞いてしまっていた。しかし、ソーザは頭を掻くと、申し訳なさそうに頭を振る。軟らかく目を細め、口の端は少し上向き。でも瞳の奥はちょっと哀しげ。「これは飛びっきり大切な思い出なんだ、他の人には話せないよ」そんな事を表情で語っているように思えた。
「失礼しました」
小さく頭を下げ、フランは非礼を詫びた。ソーザは立ち上がり、自分のズボンをパタパタと叩きながら「気にしてないよ」と付け加える。
「それにこの話はアリーもパティも知っているからさ」
そう言いながら立ち上がると、ソーザはフランに背中を向け、右手を肩の上でヒラヒラ振り、ソーザは納屋へと戻っていった。
フランの憧れた人は相変わらず強かった。でも、少しだけ哀しい顔をするようになっていた。
そして、アリエル達も知っている。ソーザの過去を、そしてミシェルの事を。そして、フランはソーザにアリエル達と同等の信用を貰ったものと受け取ることにした。そう思うと、不思議と悪くない気分になる。むしろ憧れの人物からの告白に胸の奥が熱く感じた。
さて、自分もそろそろ寝たほうが良いだろうと思い、フランは小屋へ入る。
ふと、キッチンに置かれたコップに目を向ける。
コップが「緊張で喉がカラカラだったでしょう? 一杯いかが?」と語りかけてくる。
―――折角のお誘いだ、一杯頂こう。
風に押されるドアが心地良いリズムを刻み、喉の渇きが満たされたことで、一気に眠気を誘う。もうぐっすり寝むれそうだった。




