8.試験終了
リオは極度の緊張と、人付き合いが極端に苦手な性格のせいか、今までアリエル達の会話に上手く入っていけなかったらしい。今、その試験という呪縛から逃れ、かつ合格という嬉しい報告を貰い、安心して涙が出たらしい。まだ少し緊張していたのか、オドオドしながら、リオはアリエルに経緯を説明してくれた。
その後、休憩所に戻ったアリエル達はテーブルに向かい合わせの形で座り、お茶を啜っている。
「ゴメンね、リオ。つい嬉しくて……」
アリエルが顔の前で両手を合わせるお得意のポーズをとると、リオは睨むような視線を送ってくる。
「……もう、いい。気にしてない」
視線はともかく、言葉の上では許しをもらえたことで気持ちが少し楽になった。それならば、とアリエルは話を切り出す。
「でも意外、リオって無口で無表情だったから、てっきり喜怒哀楽ってあんまり表に出ないと思ってた」
またデリカシー無しの問いかけしまっただろうか。アリエルの脳内で神様がひょっこり、と小さく顔を出す。
「違う。さっきも言ったけど、人と話すのが苦手なだけ。嬉しい時は笑うし、悲しい時は泣く」
そんなアリエルの無礼な質問にリオは小さく首を振ってそう答えるが、今のリオも十分無愛想で無口のイメージが払拭出来ない。遠慮がちで時々途切れがちになる言い回し。よく観察してみると、人とのコミュニケーションを苦手としていたのが、会話と態度から容易に想像できる。リオは俯き加減のまま続けて言う。
「わたしの家、裕福じゃないから。試験のお金だって、やっと工面して、それで合格できなかったら、わたし、弟に顔向けできなかったから」
その言葉を聞いて、アリエルは理解する。
魔闘士という職業の給金は、どこで働いていても、大抵高額になる。雇う側からの待遇次第では、一攫千金の可能性も秘めた夢の職業でもあるのだ。だから、貧困層の人々は質素な生活を送りながらも、試験代を僅かながらに地道に貯め、一度きりの挑戦をするという者も、けっして少なくない。リオはもちろん、アリエルだって裕福な生活とはかけ離れた層の人間だ。そう何度も試験を受けられる身分ではない。リオにとっては正に人生を賭けた挑戦だったわけだ。極度の緊張と敗戦のショックで近寄りがたい空気を出してしまったのは当然といえる。
「そっか、ホント良かったね。これからは弟さんに少しは楽をさせてあげられるね」
アリエルも同じような境遇なので、思ったことがつい口から漏れてしまった。先ほどのデリカシーの神様が頬を膨らませて抗議の準備にとりかかるだろう。しかし、リオは小さく微笑みながら頷き「うん」と一言返してくれた。
アリエルは「これで私達友達だね」と心の中で独りごちた。
パティは仲良さそうに微笑み合っていた二人を、珍獣を見る様な目つきで凝視していた。
「ん、なにが?」
アリエルが何事も無かったかのような口調で言うので、パティは唖然としたままで聞き返した。
「あんた達、そんなに仲良しだったっけ?」
想像できなかった光景を目の当たりにして、体が固まってしまった。あれだけ皆と距離を置いていた銀髪の少女が素敵な表情で笑っている。「なにをやったらこうなるの?」と、パティは疑問に思う。
「あ~、面倒くさいから話すの省略。これがいつものリオだよ。少し人と話すのが苦手だけど弟思いの可愛い女の子っ!」
アリエルは両手を派手にリオのほうに突き出して、リオの紹介をする。
そんなアリエルの紹介の仕方は、まるで店頭でやる特売の叩き売りのように安っぽく見えてしまう。そんな阿呆なことをパティが思っていると、アリエルから大袈裟に紹介されたリオが椅子から立ち上がり、パティに向かって深々と頭を垂れる。
「ゴメンなさい」
出た言葉は謝罪の台詞。それは試験でパティを傷つけてしまった事に対してだとすぐに分かった。
「試験ですもの、かすり傷だし、気にすることはないわ」
パティは笑顔でリオの謝罪をうける。
それに、今日はとても良いものが二つも観賞できたのだから。
「まさか、一日でこうも面白い顔が見られるとはね」
「えっ? どゆこと?」
疑問顔のアリエルがなにかあったのか聞こうとすると、その一言は過剰に反応したフランによって遮られてしまった。
「ぎやぁ~っ」と奇声を張り上げて「……それは言わないでくれ」とフランが顔を真っ赤にして、パティに詰め寄ってくる。あれはフラン自身、余程はずかしかったのだろう。残されたアリエル達はフランがおかしくなった理由を掴めずに、ただ首を傾げている。
「とにかく試験には合格できたし、良き友にも巡り合えた。今日は素晴らしい日だった」
パティの話に興味をもたれるのを避ける為か、フランが締めの言葉を言う。
少し寂しい気はするが、窓越しで外を見ると日は傾いており、辺りの煙突からは夕飯の支度からモクモクと煙が立っている。そろそろ御開きの時間である。
「じゃあ、帰りましょうか。アリー、今日いいわよね?」
今日はソーザに魔闘士試験合格の報告をする為、パティはアリエルの家に立ち寄る予定にしていた。
「うん、そうだね。泊まってくの?」
「勿論よ」
そう切り出すと、アリエルはカップを持ち上げ、飲みかけのお茶を一気に飲み干してから答える。それは、いつも一緒にいる幼馴染の二人にとっては毎度のやりとりだった。
「あなた達は今日どうするの? 宿はとってあるのかしら?」
そういえば、遠方から訪れた二人はどうするつもりなのだろうか、とりあえずパティは二人に訊ねてみる。
「私はこれから宿を探そうかと思っているが……」
「……雨露がしのげればいいから」
それを聞いたパティとアリエルは「「はぁっ?」」とハモリつつ、疑惑の目線を容赦なく浴びせかける。
当の二人はなぜそのような視線を受けなければいけないのか、全く分かっていないらしい。リオにいたっては、アリエルを軽く睨み返している。
「アンタ達、状況分かってるの? 今は世界各国からこの試験のために大勢の人達が集まってきているのよ。そんな中で飛び込みの宿なんかとれるわけないじゃない」
「女の子なのに野宿でもするつもりなの? 危ないってば!」
アリエルの発言から、彼女も状況は分かっているようだ。まぁ、何年もこの街に住んでいれば、知っていて当然のことだろう。
毎年この時期は魔闘士試験に伴って、多くの人々が訪れる。だから、着いてすぐにやらなければいけないのは、まず宿の手配である。夕刻になろうかというこの時間帯では、最早どこの宿にも空きはないだろう。
二人にまくし立てられたフランとリオは肩をすくめ、驚きと不安が入り混じったような奇妙な表情をしている。
しかし、彼女達にそれくらいの表情をさせるくらいの勢いがパティ達にはあった。今言い訳をしようものなら、倍の説教を喰らわさなければいけなくなりそうなほどに。フランは苦笑しながら、両手で牽制、リオは目を丸くして、ただ驚くばかりといった様相だ。
「……ったく、今日は二人ともアリーの家に泊まればいいわ」
パティはそんな無計画な彼女達に、やれやれといった感じで提案する。話を振られたアリエルはニパっとした猫のような人懐こい笑い顔をむける。どんとこい、と言わんばかりである。
「私としては助かるのだが。いいのだろうか?」
「もっちろん! リオもいいでしょ?」
すまなさそうに聞いてくるフランに対し、アリエルは誇らしげに胸を張り答える。リオも小さく頷く。これで問題は解決した。
アリエルの家はバーゼルの南端にある。独立都市国家バーゼルの中心部には国政所と大きな教会があり、休日には信仰厚い人々が朝早くから祈りを捧げる為に集まってくる。
そこを囲むように商業区があり、信仰深い人々のお腹を日々満たす為、市場通りを中心に、ここもまた朝早くから活気に満ちたやりとりが繰り広げられている。闘技場は都市の北側にある為、家に帰るには中心部と市場通りを通る必要がある。
「うぅ……」
市場通りに入った途端、アリエルがお腹を押さえ餓え始める。
「アリエル……?」
その挙動を不思議に思ったフランが声を掛ける。
「いいのよどうせ、この子がこうなるのはいつものことだから」
「いつもじゃないよ! 今日はさ……、たくさん動いたから、いつもより早くお腹が空いてきたのだよ。それに加えてこの旨そうな匂いとお祭りのように賑わった雰囲気、この状況じゃあ、買い食いをしたくなるというのが人の本能というものじゃないさ!」
食欲旺盛な少女にとって、この家路を無傷で帰るのにはかなりの気合が必要の御様子である。アリエルの言うとおり、夕飯の時間帯も重なって商業区のいたるところで食べ物の美味しそうな香りが漂い、鼻をくすぐってくる。
「確かにアリエルの言うことはわかるな。ここまで活気があると、いろいろと目移りしそうになる」
「でしょー?」
フランもパティの後ろを歩きながら、店頭に並べられている商品を横目で見やる。
そんな事を言うと、アリエルが調子に乗って無駄遣いしそうだな、とパティは心の内で独りごちる。
「しかし、それ以上に私はアリエルの家が楽しみだな。友達の家に泊まりなんて、初めてだ」
少女のような笑顔でフランは言う。そして、その表情を見たアリエルは目を丸めていた。
アリエルがああいった反応を示すのも無理はない。フランはあの仕草を計算ではなく天然でやるのだから、パティとしても堪らない。
「パティ、……なにあれ?」
アリエルが顔を寄せ、小さな声で聞いてくる。
「凄く可愛いでしょ?」
「可愛いなんてもんじゃないよ、あれは反則。女として反則」
「私だって、最初は驚いたわよ」
しかも今回は前のように指摘をしていない所為か、フランは屈託無い可憐な笑みをしたままだ。耐性があるパティはともかく、初めて見たアリエルはかなり動揺したようだ。
「んっ? 二人ともどうかしたのか?」
フランが首を傾げてくる。
「いやっ! なんでもない、なんでもないよ」
「アリーが買い食いしないように注意してただけよ」
「そう、そうそう!」
そう言うと、二人は足早にアリエルの家を目指す。
拍子にもう一人、銀髪の少女の存在をパティは思い出す。
しっかり着いてきているか確認する為、彼女を見やる。すると、リオの大きな銀の瞳がキラキラと輝いているではないか。こちらは宝物でも見つけたかのような視線を桃色の髪をした騎士に向けている。
「いいもの見れたでしょ?」
「うん、ご馳走様……」
リオも可愛いものは大好きらしい。帰路の間もリオはちらり、ちらり、とフランを鑑賞していた。
そんな会話をしながら、商業区を抜け、町の中心部を通り、しばらく南に行くと小さな丘が見えてきた。その丘の上に、これまた小さな小屋のような建物が二つ、ポツリと建っていた。
「あそこが私ん家! ちょっと狭いかもしれないけど、居心地は抜群だよ」
アリエルは小屋を指差しながら言い、丘を颯爽と駆け上がる。ソーザが炊事の準備をしているのだろう。窓から煙が立っており、香しい匂いが漂ってくる。パティもお腹はぺこぺこだった。早くご飯にありつきたくてアリエルの後を駆け足気味で追った。