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配信の開始ボタンをクリックしようとする、その手が──。
思った以上に震えていることに、配信開始の直前になって気づいた。
それでも、震える手で開始ボタンを押す。
配信画面に、茉白姫輝のアバターが現れた。
いつものプラチナブロンドの髪。白ギャルの衣装。
だが、その動きは明らかにぎこちなかった。
「え、えっと……みんな……」
声も震えている。
同時接続数は、開始数秒で1万人を突破した。
普段の配信の10倍以上だ。
怖くて、コメント欄もまともに見れない。
でも、コメント欄が、物凄い速度で流れていくのだけはわかる。
恐る恐る、薄目でコメント欄を見る。
(……?)
様子がおかしい。
『きてぃちゃん!』
『待ってた!』
『カルピス飲んだ~?』
『1:9で薄めた?www』
『大丈夫?』
『きてぃちゃん最高!』
きてぃは困惑した。
炎上しているはずなのに、なぜか温かいコメントが多い。しかも「カルピス」って何?
「あ、あの……香恋さんの件で、あたしにも彼氏がいるんじゃないかって疑惑が出てるって……」
言葉が震える。
「男性Vさんとコラボしたりしてたから……色々誤解されてるかもしれないけど……」
ちゃんと分かってもらわなきゃ……。きてぃは必死に弁明しようとした。
だが、コメント欄の反応は予想外だった。
『誤解してないよ!』
『きてぃちゃん悪くない!』
『むしろありがとう!』
『一生推す!』
「え……?」
きてぃは戸惑った。
炎上しているはずなのに、なぜか好意的なコメントばかりだ。
「あ、あの……あたし、男性Vさんたちとは……本当に親しい仲とかじゃなくて……ただコラボしてただけで……!」
『知ってる知ってる!』
『握手会以外で手を繋いだことないんだよね!』
『恋愛経験ゼロだって書いてあった!』
『ピュアすぎるだろwww』
(握手会……? なんで知ってるの……?)
頭の中が(???)で溢れる。
そこに流れてきたひとつのコメントが、きてぃの目に止まった。
『裏アカ見たよ!』
「え……裏アカ……?」
きてぃの動きが止まった。
「裏アカ……バレてるの……?」
同時接続数は、2万人を超えた。
『全部読んだ! 5年分!』
『感動した!』
「え、ええええええ!? 5年分!? 全部!?」
きてぃの声が裏返った。
『アイドル時代の投稿から全部!』
『白石希乃美さん、美少女すぎる』
『中身ブスとか言ってすみませんでした』
『サーセンっした!!』
「うわあああああ! 名前まで!? アイドルのことも!?」
きてぃは両手で顔を覆った。アバターも同じ動作をする。
恥ずかしさで死にそうだった。
「全部バレてる……全部……!」
ギャルキャラが嘘だということも。
お酒が飲めないということも。
恋愛経験ゼロということも。
アイドルだったことも。
全部、全部! バレている……!
『きてぃちゃん可愛い』
『恥ずかしがってるの初めて見た』
『ところでストロングゼロの空き缶は片付けた?』
最後のコメントを見て、きてぃは慌てた。
「あ、あれは嘘! 部屋にストロングゼロなんてないから! むしろ毎日掃除してるし!」
『知ってる』
『裏アカに書いてあった!』
『無理してたんだね……』
「あああああ! そこまで読んだの!?」
『全部読んだって言ってるでしょ!』
『カルピス1:9も!』
『お酒は匂いが無理、も!』
『一生喪女かも、も!』
「やめてえええええ!!」
きてぃが叫ぶ。
同時接続数は、3万人を突破していた。
『きてぃちゃん、落ち着いて』
『みんな味方だから』
温かいコメントが流れる。
きてぃは、恐る恐る聞いた。
「み、みんな……怒って……ない……の?」
『なんで怒るの?』
『むしろ感謝してる』
『裏アカの内容最高だった』
「で、でも……あたし、配信では色々盛ってたし……」
きてぃは震える声で続けた。
「恋愛経験豊富って匂わせたり……酒豪だって言ったり……」
『全部嘘って知ってる!』
『「経験人数7万人って登録者数のことだった」ってやつ最高!』
『読んで爆笑した』
「あああああ! そこも読んだの!?」
きてぃの声が裏返った。
『きてぃちゃん、「経験人数」の意味知らなかったんだよねw』
『後から気づいて大赤面したって書いてあった』
『可愛すぎる』
『少女漫画で恋愛勉強してるのも可愛い』
「もう……もうやだ……」
きてぃは完全にパニックになっていた。
「こんなの……公開処刑じゃん……!」
だが、コメント欄は温かかった。
『大丈夫だよ』
『みんな味方だから』
『むしろ嬉しかった』
「え……嬉しかった……?」
きてぃは、ゆっくりと顔を上げた。
『だって、裏アカ全部ファンへの感謝だった』
『一人一人の名前覚えてくれてたんだよね』
『俺のことも覚えててくれた』
そして、あるコメントが流れた。
『◇◇です。おばあちゃんの卵豆腐の話、ありがとうございました』
きてぃの動きが止まった。
「え……◇◇さん……?」
『あの時、「おばあちゃん食欲ない」ってコメントしたら』
『次の配信で卵豆腐の話してくれて』
『裏アカ見て、あれが俺のおばあちゃんのためだったって知って泣きました』
『おばあちゃん、今は卵豆腐食べてくれてます』
『本当にありがとうございました』
きてぃの目から、涙が溢れた。
「◇◇さん……おばあちゃん、元気になったんだ……良かった……」
『きてぃちゃん泣いてる?』
『優しすぎる』
『こういうことずっとやってたんだね』
さらに、別のコメント。
『歌手志望の□□です』
『あの時のアドバイス、本当にありがとうございました』
『裏アカ見て、わざわざ芸能関係者の人に連絡取ってくれてたって知って……』
『しかも、嫌な思い出があったのに、私のために……』
『今、ボイトレ頑張ってます。オーディションも受けてます』
『きてぃちゃんのおかげです』
きてぃは、もう我慢できなかった。
「□□ちゃん……頑張ってるんだ……良かった……」
涙が止まらない。
『きてぃちゃん、ずっとこうやってファンのこと気にかけてたんだね』
『裏アカ見て分かった』
『ありがとう』
コメント欄が、感謝の言葉で埋まる。
同時接続数は、4万人を超えていた。
きてぃは、少しずつ状況を理解し始めた。
「これって……炎上じゃなくて……?」
『炎上なわけないでしょ!』
『むしろ感謝祭!』
『きてぃちゃん最高!』
『一生推す!』
温かいコメントが流れ続ける。
きてぃは、深呼吸をした。
「……分かった。全部、正直に話すね」
『待ってた!』
『聞きたい!』
同時接続数は、5万人に達していた。
きてぃは、リスナーの質問に一つ一つ答えていった。
「これからもギャルキャラ続けるの?」という質問には──
「うーん……完全にやめるわけじゃないけど……もう少し、素に近い感じでやろうかな。無理してキャラ作るの、疲れちゃって」
『それがいい!』
『素のきてぃちゃんが見たい!』
『応援する!』
「男性Vとのコラボは?」という質問には──
「続けるよ! 楽しいし、向こうのリスナーさんも来てくれるし。でも、恋愛関係とかは全然ないから安心して……っていうか、あたし恋愛の仕方知らないし……」
『それも裏アカに書いてあった!』
『少女漫画で勉強してたやつ最高だった』
「うわあああ! それも読んだの!?」
きてぃが叫ぶ。
『「少女漫画みたいな恋愛ってあるの?」って書いてあった』
『可愛い』
「うわあぁぁ……。恥ずかしい……」
そして、最後の質問。
「歌は……歌わないの?」
コメント欄が、その質問で埋まった。
『歌聴きたい!』
『アイドル時代の歌声、動画で見た』
『絶対上手いよね』
きてぃは、少し迷った。
「歌……封印してたんだよね。アイドルってバレないように……」
『もうバレてるから大丈夫!』
『歌って!』
『お願いします!』
リクエストが殺到する。
きてぃは、深呼吸をした。
「……そうだね。じゃあ、一曲だけ」
『やった!』
「アイドル時代、一番最後に歌った曲……歌うね」
マイクの設定を調整する。
前奏が流れる。
そして──
きてぃが歌い始めた瞬間、コメント欄が止まった。
透き通るような歌声。丁寧に紡がれる音符。感情を込めた歌詞。
それは、配信で見せていたギャルキャラとは全く違う、彼女の本当の姿だった。
アイドルとして、ファンの前で歌っていた時の、あの姿。
1番が終わり、2番に入る。
コメント欄が、ゆっくりと動き出した。
『……泣いた』
『声きれい……』
『こんなに上手いのに封印してたのか』
サビで、きてぃの声が高く伸びる。
画面の向こうで、彼女は泣きながら歌っていた。
アイドルを辞めてから、こうして歌うのは初めてだった。
封印していた、自分の一部。
でも、もう隠さなくていい。
最後のフレーズを歌い終えて、きてぃは静かに頭を下げた。
「……ありがとう、みんな」
コメント欄が、拍手の絵文字で埋まる。
『最高だった』
『また歌って』
『一生ついていく』
同時接続数は、7万人に達していた。
「じゃあ……そろそろ終わるね。今日は、本当にありがとう」
きてぃは、最後に笑顔を見せた。
「裏アカ全部見られて……正直、めちゃくちゃ恥ずかしかったけど……でも、みんなが受け入れてくれて……嬉しかった」
『こっちこそありがとう』
『本当のきてぃちゃんが見れて嬉しい』
『これからも応援する』
『カルピス1:9で乾杯!』
最後のコメントを見て、きてぃは笑った。
「もう、カルピスネタ引っ張りすぎでしょw」
『一生ネタにする』
『次の配信でカルピス飲んでよ』
「分かった分かった! じゃあ次、カルピス飲みながら配信するよ!」
『やった!』
『約束だぞ!』
「これからも……よろしくね、みんな」
配信が終了する。
画面が暗転した瞬間、茉白姫輝は椅子に座ったまま、大きく息を吐いた。
「終わった……」
体中の力が抜ける。
だが、その表情は晴れやかだった。
「もう……嘘つかなくていいんだ」
スマホを見る。
Xitterは、祝福のメッセージで溢れていた。
『きてぃちゃんの配信最高だった』
『歌声に感動した』
『裏アカ読んで、ファンになった』
『一生推します』
『カルピス1:9買ってくる』
最後のコメントに、思わず笑ってしまった。
涙が溢れた。
嬉しくて、嬉しくて、止まらなかった。
「ありがとう……本当に、ありがとう……」
茉白姫輝は、スマホを抱きしめた。
死刑執行台だと思っていた場所は、実は祝福の場だった。
長い夜が、ようやく明けた。




