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時刻は、少し遡る。
茉白姫輝が36時間の死闘を終えて眠りについた、その数時間後のことだった。
発端は、一つの匿名掲示板への書き込みだった。
『聖花香恋、裏アカ特定されたってマジ?』
最初は、誰も本気にしなかった。
Vチューバーの裏アカ特定なんて、定期的に出てくるガセネタだ。大抵は証拠不十分で終わる。
だが──
『証拠あるぞ。これ見ろ』
貼られたスクリーンショット。
そこには、香恋にしかわからない情報や特徴的な言い回し、
過去に配信で言及した出来事と完全に一致する内容が並んでいた。
『マジかよ……』
『これ本人じゃん』
『彼氏いるのかよ!』
裏アカには、彼氏とのデート報告、ラブラブな投稿が大量にあった。
『今日も彼と映画♡ 幸せすぎる』
『彼にプレゼントもらっちゃった! センスいい〜。リスナーとは大違い』
『食べ物とかもらっても、何入ってるかわからないからゴミ箱行きなんだしその金でスパチャ送れよw』
『まあお金落としてくれるから頑張ってるけど、正直キモい人多いよねあたしのファンw』
清純派を売りにしていた香恋の、裏の顔。
スレッドは瞬く間に伸びていった。
『嘘だろ……ガチ恋してたのに……』
『清純派(笑)』
『スパチャ返せ』
そして、情報は掲示板からXitterへと拡散された。
ついに、ハッシュタグ「#聖花香恋裏アカ」がトレンド入り。
香恋の所属事務所は、慌てて火消しに走った。
「緊急配信を行います。香恋本人から説明があります」
だが、ここまでの炎上を経験したことのない中堅事務所。炎上に対するノウハウはまったくない。
結果、その配信が、さらに火に油を注ぐことになる。
緊急配信が始まった。
画面には、いつもの黒髪和服姿の香恋が映っている。
だが、彼女は明らかに動揺していた。
「あの……皆さん……」
声が震えている。同時接続数は5万人を超えていた。普段の倍以上だ。
『言い訳しに来たか』
『どうせ嘘だろ』
『早く説明しろよ』
コメント欄は既に荒れていた。
「裏アカのこと、本当にごめんなさい……」
香恋の声が、さらに小さくなる。
「確かに、私には……彼氏がいます……」
瞬間、コメント欄が爆発した。
『は?』
『認めるのかよ』
『終わったな』
『清純派ってなんだったの?』
『スパチャ全額返金しろ』
『嘘つき』
罵詈雑言が画面を埋め尽くす。
ここまで罵倒一辺倒の配信を経験していない香恋──。
今までちやほやしてくれたリスナーが一斉に反転する恐怖に、彼女は明らかにパニックを起こしていた。
「でも……でも!」
涙声になりながら、叫ぶように弁明する。
「他にも彼氏いる子だってきっといますよね! 私だけじゃないはずです! Vチューバーだって、裏の生活あるってみんなだって知ってたでしょ!」
その言葉に、コメント欄が一瞬静まり返った。
そして──
『は????』
『逆ギレかよ』
『最悪だな』
『他の子もやってるから許せって?』
『これ以上ないくらいのクズムーブ』
失言──。炎上は、完全に制御不能になった。
「正直に言ったのにどうして責められるんですか!? Vチューバーとしてのキャラと中身は別だなんて、みんな分かってたはずなのに……!」
香恋は半泣きで叫んだ。
マネージャーが慌てて配信に割り込んでくる。
「すみません! 今日の配信はここまでで──」
中堅事務所で、コンプライアンス教育やアクシデントにまで対応する力が足りなかった。
配信が、緊急で打ち切られた。
だが、時すでに遅し。
『所詮Vチューバーなんてこんなもん』
『裏では俺らを馬鹿にしてんだよ』
『もうVチューバーなんて信じられない』
『香恋だけじゃない、全員そうなんだろ』
失望と怒りの声が、ネット中に溢れた。
──そして、怒りの矛先は香恋だけに留まらなかった。
『「他にもいる」って言うなら、探してやるよ』
『芋づる式に全員燃やそうぜ』
『特に同じ事務所の奴ら怪しいだろ』
香恋の裏アカを徹底的に調べる者たちが現れた。
フォロー、フォロワー、いいね欄、リプライ──全てを精査する。
『香恋の裏アカからフォローされてるやつ、絶対同じ事務所のやついるだろ』
『片っ端から調べろ』
そして──
『待て、このアカウント怪しくね?』
『どれ?』
『これ。投稿内容が配信の反省とか、ファンへの感謝ばっかり』
『いかにもVチューバーっぽいな』
香恋がフォローしているアカウントの一つが、槍玉に上がった。
『「今日の配信で○○さんが来てくれた」……これって茉白姫輝の配信のことじゃね?』
『時系列チェックしたら完全一致してるわ』
『マジできてぃの裏アカだわこれ』
ついに──茉白姫輝の裏アカウントが、特定されてしまった。
『きてぃもかよ!』
『男性Vとコラボしまくってるし、絶対遊んでるだろ』
『「経験人数7万人」とか言ってたしな』
『「ストロングゼロの空き缶が部屋に転がってる」とかも言ってた』
『ギャルとか絶対ビッチじゃんw』
『自撮りないかなww絶対ブスだろww』
ネット民たちは、血気盛んにきてぃの裏アカに殺到した。
『さあ、燃やすぞ!』
『香恋の次はきてぃだ!』
『Vチューバー全員燃やせ!』
怒りと失望に満ちた彼らは、きてぃの裏アカを開いた。
しかし──
『……あれ?』
最初に裏アカの内容を見た者が、戸惑いの声を上げた。
『なんか……様子がおかしくね?』
きてぃの裏アカには、予想とは全く違う内容が並んでいた。
『今日の配信、○○さんが応援してくれて嬉しかった。いつもありがとうございます』
『△△さん、最近コメント来ないけど元気かな。忙しいのかな。次の配信で会えるといいな』
『リスナーの□□さん、仕事で悩んでるって言ってたから、次の雑談配信でさりげなく励ませるといいな』
ファンへの感謝。一人一人への気遣い。
燃える要素が、全くない。
『……は?』
『これ本当にきてぃ?』
『めちゃくちゃ真面目じゃん』
『燃やす気満々だったのに拍子抜けした』
『いやいや、どうせ誰かの悪口とか書いてんだろ? もっと掘れよ』
さらに読み進めていくと──
『○○さんの名前、絶対覚えておこう。いつも的確なアドバイスくれる』
『リスナーさんの名前、全部ノートにメモしてる。みんなのこと、ちゃんと覚えたい』
『あの時の雑談配信、△△さんが元気なさそうだったから、好きなゲームの話題振ったら笑ってくれた。良かった』
『全然悪口とか書いてねえな……』
『え、俺の名前覚えてくれてたの?』
『あの雑談配信の唐突な話題、そういうことだったのか……』
コメント欄を見ていた常連リスナーたちが、次々と反応し始める。
そして、ある投稿が注目を集めた。
『◇◇さん、「最近おばあちゃん食欲なくて心配」ってコメントしてた。何か力になれないかな。高齢の方でも食べやすい料理、調べてみよう』
その数日後の投稿。
『卵豆腐、良さそう。柔らかくて栄養もあるし。次の配信で自然な形で話題に出せたらいいな』
そして、配信の切り抜き動画へのリンクが貼られていた。
リンクを開くと、きてぃの雑談配信の一部が映っていた。
「みんなご飯ちゃんと食べてる~? あたし最近、食欲ないとき卵豆腐にハマっててさー。柔らかくて食べやすいし、栄養もあるし。おばあちゃんとか、お年寄りの人にも良いんじゃないかなって」
当時、唐突に見えたこの話題。
裏アカを見て、初めてその意味が分かった。
『これ……◇◇のおばあちゃんのことじゃん……』
『あーこれ、俺も覚えてるわ』
『マジで気遣ってくれてたのか……』
『泣ける』
さらに、別の投稿。
『歌手を目指してるという女の子からマシュマロが来た。本気で悩んでるみたい。私にできることはあるかな』
次の投稿。
『あの人に連絡するの、正直怖かった。芸能関係者とはもう関わりたくなかったけど……でも、あの人だけは信頼できた。勇気を出して連絡してみた』
『具体的なアドバイスもらえた。オーディション情報、ボイトレの方法、事務所選びのポイント。次の配信で、あの子に伝えられるといいな』
歌手志望の女の子に、具体的に親身に語っていた姿がファンの脳裏をよぎる。
『これ……元芸能人ってこと?』
『だから詳しかったのか』
『マジで親身になってくれてたんだな』
そして、さらに衝撃的な投稿が見つかった。
『ギャルキャラだから恋愛相談多いけど、全部少女漫画の受け売り。実は私、男の子と手を繋いだ経験すら、握手会以外ない』
『カルピスが好き。味が濃いのも炭酸も苦手だから、原液1:水9の割合が最高』
『お酒は匂いが無理。「ストロングゼロの空き缶」なんて部屋にない。むしろ部屋は毎日掃除してる。でもギャルキャラだからこれは内緒』
『「経験人数7万人」って登録者数のことだと思って言ってたけど、リスナーさんたちには違う意味に聞こえてたらしい。気づいた時、大赤面した』
『忙しすぎる。このままだと本当に一生喪女かも。でもリスナーさんがいちばん大事だし、そもそも男の子と付き合うのって全然現実感ない』
掲示板が、騒然となった。
『ピュアすぎるだろwww』
『カルピス1:9って幼児かよ!』
『「経験人数」の意味を理解してなかったってマジか』
『ストロングゼロ嘘だったのかよwww』
『ギャルキャラ、無理して演じてたんだな……』
そして、ある単語に目ざとい何人かが反応した。
『握手会……?』
『Vチューバーは握手会やらないよな』
『元芸能人で、握手会? 待って、これもしかして……』
『アイドルだったんじゃね?』
さらなる深掘りが始まった。
過去の投稿を遡る。アカウントの開設時期を調べる。
『このアカウント、5年前から続いてる』
『5年前って、きてぃがVチューバーになる前じゃん』
『前は何やってたんだ?』
誰かが、古い投稿のスクリーンショットを貼った。
『今日のライブ、みんなすごく盛り上がってくれて嬉しかった。もっと上手く歌えるように頑張る』
『握手会でファンの人が「いつも元気もらってます」って言ってくれた。こっちが元気もらったよ。ありがとう』
『雑誌の撮影。緊張したけど、カメラマンさんが優しくて助かった』
『スキャンダル、全部嘘なのに……。運営の仕込みだったなんて、ファンの人たちに申し訳ない』
明らかに、アイドル活動をしていた時の投稿だ。
『きてぃ、元アイドルだったのか?』
『誰だよ』
『スキャンダルって何?』
『「運営の仕込み」ってマジかよ』
そこから、総力を上げての身元特定が始まった。
時期、活動内容、グループの規模、ビジュアル担当という言及、そしてスキャンダルについての投稿──
これだけ情報があれば特定は容易だった。全ての情報を総合し、ついに一人の名前が浮上した。
『シャイニングスターの……白石希乃美?』
『マジかよ、あの子か!』
『ビジュアル担当だった子だよな』
『捏造スキャンダルで卒業した……』
『どんな子? 誰か画像持ってない?』
誰かが、当時のアイドル雑誌の表紙画像を貼る。
そこには、輝くような笑顔の美少女が写っていた。
透き通るような白い肌。大きな瞳。天使の輪が光る黒髪ロングヘア。
正統派アイドルの姿がそこにはあった。
『えー!これマジ!? 超かわいいやん!』
『美少女すぎるだろ』
『Vチューバーの中身がこれって……』
『中身ブスだろって言ってた奴、息してる?ww』
特に、「どうせVチューバーの中身なんてブスだろw」と冷笑していた層が、一斉に手のひらを返した。
『すみませんでした』
『完全に美少女でした』
『むしろ美少女アイドルがVチューバーやってるとか最高では?』
『推します』
『お前ら手のひら返しすぎてドリルになってるぞww』
そして、アイドル時代の情報も次々と掘り起こされた。
『白石希乃美、スキャンダルは完全に捏造だったんだよな』
『運営が炎上商法で仕込んだやつ』
『本人は完全に被害者』
『それで嫌気が差して卒業したんだっけ』
当時を知るアイドルファンたちが、次々と証言する。
『握手会行ったことあるけど、めちゃくちゃ真面目だった』
『一人一人に丁寧に対応してくれて、神対応だった』
『だから捏造スキャンダルの時、ファンはみんな怒ってた』
『運営のせいで引退しなければ絶対今頃ブレイクしてたのに』
情報が整理されていく。
白石希乃美、元アイドルグループ「シャイニングスター」のビジュアル担当。
真面目で努力家。ファン想い。恋愛禁止を厳守。
運営の炎上商法に嫌気が差してグループを卒業。
その後、Vチューバー・茉白姫輝として再デビュー。
『つまり……』
『アイドル時代も真面目』
『Vチューバーになってからも真面目』
『裏アカも真面目』
『恋愛経験ゼロ』
『ファン大好き』
『完璧じゃん』
ガチ恋勢が、完全にノックアウトされた。
『アイドル時代から恋愛禁止厳守とか、ガチじゃん』
『「男の子と手を繋いだ経験すら握手会だけ」って……』
『守護らなければ』
ユニコーン勢も、完全に落ちた。
『裏アカ見たけど、ファンへの感謝しかない』
『一人一人の名前覚えてるとか……』
『しかもリスナーの悩みまで気にかけてる』
『おばあちゃんの卵豆腐のやつ、泣いた』
『歌手志望の子へのアドバイスも、マジで親身になってた』
『ファン好きすぎて愛が重すぎる(褒めてる)』
『こんなの聖女やん』
Xitterのトレンドが、刻一刻と変化していく。
#聖花香恋炎上
#茉白姫輝
#白石希乃美
#きてぃは推せる
#元美少女アイドル
#裏アカが真面目すぎる
そして、ついに炎上した香恋より、姫輝のほうがトレンドランキングが上位になった。
『香恋の炎上でVチューバー全体に絶望してたけど……』
『きてぃで希望が見えた』
『Vチューバーもまだ捨てたもんじゃない』
『いや、きてぃが特別なだけ』
肯定的なコメントが、ネットを埋め尽くしていく。
『燃やすつもりで見に行ったのに、感動して帰ってきた』
『完全に予想外の展開』
『香恋の炎上がなかったら、この裏アカ見つからなかったんだよな』
『ある意味、香恋に感謝』
そして、ある者が呟いた。
『これ、きてぃ本人はまだ寝てるんだよな……』
『起きたらどうなるんだろう』
『本人、炎上したと思って絶望するんじゃね?』
『誰か教えてやれよ』
『いや、本人の釈明配信待とうぜ』
『絶対見る』
彼女が寝ている間に、きてぃの過去の配信の切り抜きが次々と掘り起こされた。
男性Vとのコラボ配信。ゲーム配信。雑談配信。
全てを、「裏アカの真実」を知った上で見直す視聴者たち。
さらに「答え合わせ」として、過去の配信に裏アカの書き込みを添えた新たな切り抜き動画がどんどん上がり、そのどれもが、視聴回数が、爆発的に伸びていく。
きてぃの登録者数も、みるみる増えていった。
10万人、15万人、20万人──
眠っている間に、彼女の人生は大きく動き始めていた。
だが──
当の本人は、まだ何も知らない。
スマホのバイブレーションが、部屋中に響き渡った。
一度、二度、三度──止まらない。
LINEの通知音、Xitterの通知音、電話の着信音。
全てが同時に鳴り響く。
「ん……?」
茉白姫輝は、重たい瞼を開けた。
時計を見る。まだ4時間しか寝ていない。
「なんで……こんなに通知が……?」
ぼんやりとした頭で、スマホを手に取る。
画面には、未読通知が数百件。
そして、マネージャーからの着信履歴が10件以上。
「え……?」
嫌な予感がした。
震える手で、マネージャーに電話をかけ直す。
ワンコール目で、すぐに繋がった。
「きてぃちゃん! やっと出た!」
「南雲さん……? どうしたんですか、こんな時間に──」
「炎上よ! 大炎上!」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。
「え……炎上……?」
「香恋ちゃんの裏アカがバレて、彼氏バレして、そこからきてぃちゃんにも彼氏がいるんじゃないかって飛び火したの! 今すぐXitter見て!」
震える手で、Xitterを開く。
トレンドに、「茉白姫輝」──自分の名前が上がっていた。
そして──「聖花香恋」「裏アカ」「彼氏バレ」の文字。
「嘘……でしょ……?」
アイドル時代の悪夢が蘇る。
捏造スキャンダル。炎上。罵詈雑言。
「また……また同じことが……」
涙が溢れそうになる。
「私、何もしてないのに……!」
「きてぃちゃん! あなたが無実なのは私もわかってる! でも、とにかく今すぐ釈明配信の準備して! 一刻も早く説明しないと、どんどん話が大きくなるわ!」
マネージャーの声が、遠くから聞こえる。
「は、はい……」
震える声で答える。
彼女は立ち上がった。
体はまだ疲れている。頭もぼんやりしている。
怖くて、どんな風に炎上してるのか、ネットも開くことができない。
「また……信じてもらえないのかな……」
胃が、誰かに握られたようにキュッと痛む。
暗い予感に支配されながら、彼女は配信の準備を始める。
でも──。配信をしなくちゃいけないのに、怖くて、機材のセッティングの手が止まってしまう。
(あの時の事を繰り返しては、ダメだ……。今度は、私の口から説明して、ちゃんと分かってもらわなきゃ……)
そう心のなかで呟き、必死に自分を奮い立たせた。
この時、彼女はまだ知らなかった。
今回の炎上が、アイドル時代とは全く違う結末を迎えることを──。




