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思い出したくない過去の出来事──。
長時間配信の疲れか、彼女の悪夢はまだ続いていた。
アイドルを辞めてから、半年が過ぎていた。
部屋に引きこもり、ただ時間を浪費する日々。SNSも見ない。テレビもつけない。
芸能界のことは、もう何も知りたくなかった。
だが──
「……このままじゃダメだ」
ある日、彼女はそう呟いた。
貯金は減っていく。何より、このまま何もしないでいることが、自分を殺していくような気がした。
アイドルは辞めた。でも、アイドル活動は好きだった。ファンと繋がることも、好きだった。
(色々練習したことを活かせるようなこと……。また、やれないかな)
そんな時、目に留まったのがVチューバーという存在だった。
アバターを被れば、顔を出さずに活動できる。過去を隠したまま、新しいスタートを切れる。
彼女は、いくつかの事務所に応募した。
「合格おめでとうございます!」
オンライン面接で、そう告げられた時。涙が止まらないのに自然と笑顔が溢れた。
あの炎上以来、彼女にとって、半年ぶりの笑顔だった。
「ありがとうございます……! 頑張ります!」
アイドルデビューした時と、同じくらいの喜び。
採用されたのは、中堅のVチューバー事務所だった。
大手ほどの知名度はないが、注目度が低いのはかえって良かった。
だが──。最初の打ち合わせで、予想外のことを告げられた。
「キャラクターなんですが……白ギャル系でいこうと思います」
「え……ギャル……ですか?」
彼女は戸惑った。自分とは正反対のキャラクターだ。
ギャルらしさとはどういうものなのか、彼女には全然わからない。
「はい。清楚系は既にウチに何人かいるので、差別化のためにも。それに、金髪のアバターデザインがもう上がってきてまして」
画面に映し出されたアバターは、確かに可愛かった。
プラチナブロンドの髪、少し派手なメイク、胸元の開いたギャル系のファッション。
これが岐路となるのはわかっていた。
ギャルキャラでデビューするか、それとも辞退するか──。
「……分かりました。やってみます」
彼女は頷いた。
新しいスタート。新しい自分。
それなら、今までとは違う自分を演じてみるのも悪くない。
過去のことは秘密にしよう。
歌うことも好きだけど、Vチューバー定番の歌配信も、
アイドルの過去がバレるかもしれないから封印しよう。
彼女は、そう決めた。
デビュー配信は、緊張の連続だった。
「どうも〜! 茉白姫輝、通称きてぃだよ! よろしくな、おまえら!」
必死に明るく振る舞う。語尾に「〜じゃん」「〜っしょ」をつけるのも、最初は違和感だらけだった。
初配信の同時接続数は、500人ほど。この事務所の規模を考えると、決して多くはない。
『可愛い』
『ギャル系いいね』
『声が好き』
コメントは好意的だったが、爆発的な反応があったわけではない。
(私、あまり期待されてないのかな……)
配信を終えて、彼女は裏アカウントを開いた。
このアカウントは、アイドル時代から使っているものだ。
鍵をかけて、誰にも教えていない。ここだけが、彼女の本音を吐き出せる場所だった。
『初配信終わりました。500人も来てくれて嬉しかった。ギャルキャラ難しいけど、頑張ります。応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました』
真面目な文章。アイドル時代と変わらない、彼女の本質がそこにはあった。
数日後、先輩Vチューバーの聖花香恋に声をかけられた。
「ねえねえ、きてぃちゃん! 元芸能人なんでしょ? 裏アカくらいあるでしょ? フォローさせてよ〜」
香恋は、黒髪和服の清純派キャラだ。
「恋愛はまだ早いです♡」が口癖で、ガチ恋勢を大量に抱えている人気Vチューバーだった。
「え、裏アカ……?」
「あるでしょ〜? みんな持ってるって! 私もあるし! 元芸能人なら絶対持ってるよね?」
強引に迫られ、彼女は仕方なく裏アカを教え、鍵も外した。
香恋は早速、彼女の裏アカをチェックしフォローした。彼女も仕方なくフォローを返す。
香恋は期待していた。元芸能人なら、きらびやかな交友関係や、業界の裏話、遊びの投稿があるはずだと。
でも、そこにあったのは地味で真面目な投稿ばかり。
『配信の反省……ファンへの感謝……真面目すぎ……』
『つまんない。まあいいか』
香恋はそのまま放置することにした。フォローしたことすら、数日で忘れてしまった。
(なんか、香恋先輩、フォローしてきたけど全然私に興味なさそう)
彼女は少し寂しく思ったが、それ以上に安心した。
この場所は、自分だけの場所。それでいい。
それから数ヶ月。
彼女の登録者数は、なかなか伸びなかった。
試行錯誤が少しずつ報われ、5千人、1万人、1万5千人……。
地道には伸びている、でもそこから先が遠い。
配信内容を工夫し、ゲームの腕を磨き、トークも勉強した。
それでも、同期のVチューバーたちにどんどん抜かされていく。
(何が足りないんだろう……自分がギャルじゃないから、求められてるものを表現できてないのかな)
彼女はギャルについて徹底的に調べた。
ファッション誌を読み漁り、ギャル系Youチューバーの動画を見て、言葉遣いや雰囲気を研究した。
さらに、「はろ~! きてぃだよ!」「体重はだいたいりんご120個分くらい!」という配信前の決まり文句を考えた。
有名キャラを意識したギリギリのパロディだったが、幸いこれはリスナーに受けが良かった。
そして、もう一つ。
男性Vチューバーとのコラボに、積極的に手を出すことにした。
多くの女性Vチューバーは、男性とのコラボを避ける。ファンの嫉妬を恐れるからだ。
でも、それは逆にチャンスでもある。
(男性Vとコラボすれば、向こうのリスナーも見に来てくれるかもしれない)
それに、同じ事務所には香恋を筆頭に清純派が多い。
ギャルキャラという差別化だけでは足りない。
男性とも気軽に絡めるギャル──そういうポジションなら、ニッチだけど需要があるかもしれない。
炎上覚悟、アンチ上等。
(このままじゃ埋もれるだけ……。やれることがあるなら、やるべきだよね)
最初のコラボ配信は、緊張した。
「よろしく〜! 体重はだいたいりんご120個分くらい! ギャル系Vチューバーのきてぃだよ!」
挨拶の声がいつもよりちょっと上擦っているのが、自分で分かった。
「よろしくお願いします。今日は一緒にEpaxやりましょう!」
相手は、登録者10万人ほどの男性Vチューバー。優しい人で、彼女の緊張をほぐしてくれた。
幸いコラボは好評だった。
『きてぃちゃん普通に強いじゃん』
『初めてこの子の配信見たけど、自己紹介のキャッチコピー草』
『りんご120個分ってどのくらいかわからんww』
『ギャル系も新鮮でいいな』
そこから、彼女は定期的に男性Vチューバーとコラボするようになった。
すると、2万人、3万人、5万人──。徐々に数字が伸び始めた。
「きてぃちゃん、最近調子いいね!」
初めて、マネージャーからも褒められた。
(ようやく、結果が出た──)
この仕事で、初めて手応えを得た瞬間だった。
男性Vチューバーとコラボしても炎上しなかったわけを、彼女は自分なりに分析した。
ひとつは、距離感に注意し、相手のVチューバーのことを恋愛対象外の友達として徹底して扱ったこと。
そのために、あえて「キミはいい人だけどちょっとタイプと違うかな~w」など、いわゆる「プロレス」を積極的に仕掛けた。
裏では、当然コラボ相手にあらかじめ話を通し、配信で「いじり」を行ったあとは個人通話で平謝り。
もうひとつは、男女どちらにも裏表のないフレンドリーなギャルキャラを徹底したこと。
(私、全然ギャルじゃないのに皮肉だなぁ……)
そして最後の理由。
(多分、私にあまり熱狂的なファンがいなくて、だからコラボしても炎上しなかったんだろうな)
熱狂的なリスナー、特に「ガチ恋勢」が少なく、大体のリスナーはいわゆる箱推し。
よく言えばグループとして応援してくれている。悪く言えば他に本命がいて、そのついでの存在。
(これはさすがに、自分で分析してて落ち込む)
でも、ギャルキャラを徹底すること、キャラ立ちの重要さは身にしみた。
だから、配信ではキャラを作り込んだ。
「彼氏? まあ年頃の女の子に彼氏くらいいても当たり前じゃないw」
「経験人数? 7万人くらいかな! あ、これ登録者数ね! ww」
「部屋にストロングゼロの空き缶転がってるよ! 誰か掃除しに来て!」
実際は、彼氏どころか恋愛経験ゼロ。
お酒は苦手で濃い味も苦手、好きなのはカルピスを1:9で薄めたもの。
部屋はいつも綺麗に片付いている。
でも、それでいい。
これはキャラクターだから。
配信を終えるたび、彼女は裏アカに投稿した。
『今日の配信、○○さんがコメントくれて嬉しかった。前にも来てくれてた人だ。覚えてる』
『△△さん、最近元気ないな。仕事で疲れてるのかな。次の配信で、さりげなく励ませたらいいな』
『◇◇さん、「最近おばあちゃん食欲なくて心配」ってコメントしてた。何か力になれないかな。高齢の方でも食べやすい料理、調べてみよう』
数日後の投稿。
『卵豆腐、良さそう。柔らかくて栄養もあるし。次の配信で自然な形で話題に出せたらいいな』
そして、次の雑談配信。
「みんなご飯ちゃんと食べてる~? あたし最近、食欲ないとき卵豆腐にハマっててさー。柔らかくて食べやすいし、栄養もあるし。おばあちゃんとか、お年寄りの人にも良いんじゃないかなって」
唐突に見える話題。でもそれは、一人のリスナーのおばあちゃんのための、彼女なりの優しさだった。
ある日の企画。彼女はマシュマロで質問を募集していた。
「今度の配信、みんなからの質問を受け付けるよ~! マシュマロ送ってね~!」
配信前にあらかじめ、本番で読んでいいものと読まないものに分ける。その中に、歌手を目指しているという女の子からのメッセージがあった。
『本気で歌手になりたいです。でも、どうすればいいか分かりません。きてぃちゃん、何かアドバイスありますか?』
彼女は少し迷った。
芸能関係者とは、もう関わりたくない。
あの辛い思い出がフラッシュバックする。
でも──
(この子、本気で悩んでるんだよね)
彼女は、勇気を出して連絡を取った。アイドル時代、数少ない信頼できた芸能関係者の一人に。
『久しぶりです。実は、相談があって……』
具体的なアドバイスをもらった。オーディション情報、ボイトレの方法、事務所選びのポイント。
そして、忘備録代わりに裏アカに投稿した。
『あの人に連絡するの、正直怖かった。芸能関係者とはもう関わりたくなかったけど……でも、あの人だけは信頼できた。勇気を出して連絡してみた』
『具体的なアドバイスもらえた。次の配信で、あの子に伝えられるといいな』
そして、マシュマロ読み配信。
「えっとね、歌手目指してるって子。まず、ボイトレは絶対やった方がいい。独学じゃ限界あるから。で、オーディションは大手だけじゃなくて中小も受けること。大手は倍率高いけど、中小でも実力あればちゃんと見てくれるところある。事務所選びは、契約内容をちゃんと確認してね。特に、著作権とか、辞めた後のこととか。あと……」
具体的すぎるアドバイスが、10分近く続いた。
「妙に詳しいな」「経験者か?」とコメント欄。
でも、誰もその意味を深く考えなかった。
まだ、この時は。
その後も彼女は、リスナー一人一人の名前を記録し、コメントの内容をできるだけ覚えた。
誰が何を言っていたか、誰が最近来ていないか、誰が悩んでいそうか。
重要そうなことは全部、ノートに書き留めた。
(ファンのみんなが、私を支えてくれてる)
アイドル時代と同じ。いや、それ以上かもしれない。
今度こそ、失望させない。今度こそ、ちゃんとやる。
そう誓いながら、彼女は毎日配信を続けた。
そして──36時間耐久配信。
限界まで頑張って、ファンと一緒にゲームをクリアした。
充実感に満たされて、彼女は眠りについた。
(みんな、ありがとう……)
幸せな気持ちで、深い眠りに落ちる。
だが、その眠りは──数時間後、理不尽な形で破られることになる。




