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「っしゃあああああ! 倒したァァァ!」
画面の中で、白いプラチナブロンドの髪をなびかせたアバターが両手を高々と上げた。
茉白姫輝──通称きてぃは今、「超ムズアクション、全クリするまで眠れません!耐久配信」に挑戦中。
配信開始から三十時間を超えて、ようやくゲームの中ボス、「タイラント」を撃破したのだ。
「タイラント」は、高難易度アクションと言われるこのゲームの中でも特に手強いことで有名で、多数のゲーマーの壁となってそびえ立つ悪名高き「門番」だ。
『やったああああ!』
『タイラント倒したあああ!』
『きてぃちゃんすげええ!』
『30時間超えとか頭おかしい(褒めてる)』
コメント欄が祝福の嵐に包まれる。きてぃ本人も、アバターの向こう側で目頭を押さえていた。
「みんな……ありがとな……。あたし一人じゃ絶対無理だったし……」
声が震えている。普段の軽いノリはどこへやら、素の感情が滲み出ていた。
『きてぃちゃんマジ泣きじゃん』
『でもまだラスボスあるぞ!』
『ここまで来たらあとちょっと!』
『最後まで付き合うぜ!』
そう、まだ終わりではない。この先にラスボスが待っている。
だが、その時──画面の端にDiscordの通知が表示された。マネージャーの南雲さんからだ。
「あー、ちょっと待ってね……」
きてぃが通話に出ると、画面越しに女性の切迫した声が響いた。
「きてぃちゃん! もう限界よ! すぐに配信終わって!」
「え、でも南雲さん! あと少しでラスボスじゃん! エンディング見たいっしょ、みんな!」
きてぃは慌ててリスナーに同意を求めた。
『見たい!』
『ここまで来たら最後まで!』
『いや体が心配だって』
『30時間超えはヤバいでしょ』
コメント欄は真っ二つに割れた。心配する声と、最後まで見届けたいという声が激しくぶつかり合う。
「南雲さん! あと六時間だけ! 三十六時間で絶対終わらせるから!」
「六時間!? きてぃちゃん、あなた今何時間起きてるか分かってる!?」
「分かってる! でも、みんなここまで付き合ってくれたんだよ? あたしだけの都合で終われないじゃん!」
画面の向こうで、南雲マネージャーが深いため息をついた。
「……分かったわ。でも三十六時間ジャストで強制終了するから。一分でも過ぎたら問答無用よ」
「了解っす! じゃあみんな、ラストスパートいくよ!」
きてぃは再びコントローラーを握った。目は充血し、手は微かに震えている。それでも彼女は笑顔を絶やさなかった。
『よっしゃ! ラスボスまで行くぞ!』
『残り6時間!』
『きてぃちゃんファイト!』
『伝説の配信にしようぜ!』
それから五時間四十分後。
画面には、ラスボスの第三形態が表示されていた。体力ゲージはあと僅か。
きてぃの手は限界まで疲労していた。視界がぼやける。目薬を何度差しても、もう効かない。集中力も、限界だ。
「あと……あと少し……!」
必死に回避し、隙を見て攻撃を叩き込む。
コントローラーを握る手が痙攣しそうだ。でも、止められない。
『残り時間10分!』
『間に合うか!?』
『きてぃちゃん頑張れ!』
そして──
ついに、ラスボスの体力ゲージが、ゼロになった。
「っしゃああああ! やったぁぁぁ!」
きてぃの歓声が響く。目は充血し、声は枯れかけているが、その瞬間は純粋な喜びに満ちていた。
『おめでとう!!!!』
『やったああああ!』
『伝説の配信だわこれ!』
『36時間かけてクリアとか頭おかしい(最大級の賛辞)』
コメント欄が祝福で埋め尽くされる。画面には自動的にスタッフロールが流れ始めた。
「みんな……本当にありがとな……。キミらがいなきゃ……絶対無理だったし……」
きてぃの声が震える。BGMに乗せて、開発スタッフの名前がゆっくりと流れていく。
『きてぃちゃん泣いてる?』
『こっちまで泣けてきた』
『最後まで見届けられて良かった』
『ゆっくり休んでね』
「じゃあみんな、スタッフロール見終わったらお別れだからね──」
そう言いながら、きてぃは画面を見つめた。残り時間はあと数分。
まるで計算したかのようなジャストタイミングだった。
スタッフロールの最後に、「Thank you for playing」の文字が表示される。
「──っと、これでエンディングまで全部見たね! いやー、マジで良いゲームだった!」
きてぃの声は枯れかけていたが、満足感に満ちていた。
『本当に伝説の配信だった』
『おつかれさま!』
『また明日も来るわ』
「みんな本当にありがとな! キミらがいなきゃあたし、とっくに諦めてたし!
ストゼロキメて寝るわ! じゃあまた──」
『おいおいww』
『死ぬぞww』
挨拶もそこそこに、きてぃは配信を終了した。アバターの動きが止まり、画面が暗転する。
その瞬間、茉白姫輝──本名は白石希乃美だが、ずっと「きてぃ」として長時間配信していたため、今はその名前さえ思い出すのが億劫だった──は、椅子から立ち上がることもできず、そのままデスクに突っ伏した。
「しんどい……マジでしんどい……」
VRヘッドセットを外す気力もない。体中の筋肉が悲鳴を上げている。意識も飛びそうだ。
それでも、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。
「でも……楽しかった……」
ふらふらとベッドまで這うように移動し、彼女は倒れ込んだ。
枕に顔を埋めると、思考が霧のように溶けていく。
(あの時に比べたら……全然つらくない……)
意識が遠のく中で、彼女の脳裏に過去の記憶が蘇る。
華やかなステージ。眩しいスポットライト。黄色い歓声。
そして──突然の醜聞。裏切り。失望。
(……ファンのみんなが応援してくれる限り……私は、頑張れる……)
茉白姫輝は、そのまま深い眠りに落ちた。
彼女が知らないところで、ネットの海では新たな嵐が巻き起こり始めていた。
それは、彼女にとって最悪の──あるいは最高の──転機となる嵐だった。
眠り姫が目覚めたとき、嵐の向こうに待っているのは、はたして何だろうか。




