1話 お風呂の時間
「ねぇ、眞桐ちゃんはお弁当のおかずは何が好き?」
夜八時を過ぎた女子寮の大浴場は、昼間の教室と変わらないか、それ以上ににぎやかだ。シャンプーを流すシャワーの水音に、おしゃべりに花を咲かせる少女らの笑い声。それらを背景に、湯船の隅で、比奈田まこはそう切り出した。
「んー、卵焼き」
まこの隣で湯船に浸かる草堂眞桐は、濡れた黒髪を耳にかけながら返した。
「はずせないよねぇ、卵焼き」
晩ごはんを済ませたあとだというのに、想像してうっとりした表情で微笑む。まこの頭の中では、じゅわっと出汁が滲み出るあまーい卵焼きが連想された。
「あまあまのふわっとした、卵焼き……」
味までもを想像しながらつばを飲み込むまこの横で、眞桐は眉をひそめた。
「しょっぱいのじゃないと無理」
眞桐にとっては、母親の作る甘くない卵焼きが正義だった。コンビニ弁当なんかに入っている、甘めのそれは邪道と昔から思っていた。
「あー、しょっぱいのもいいねぇ」
眞桐の言葉に触発されて、まこの頭の中の卵焼きが甘くないものに切り替わる。こちらはこちらで、ご飯に合う上に出汁の旨味との相性もいい。
「どっちでもいいんかよ」
眞桐は呆れたように言って、肩まで湯船に浸かった。
「卵料理にまずいのなんて無いんだよ」
「へぇ」
意味深ににやりとする眞桐を不思議そうに眺めつつ、まこもまた猫耳をリラックスしきって伏せながら湯船に深く体を沈めた。
「卵がかえる直前まで育てて、それを食べるって料理もあるんだよ。知ってる?」
「え? なにそれ?」
「ホビロンってやつ」
「しらなーい」
「味は美味しいらしいけど、見た目がかなりグロい」
卵の中で雛へと孵化する過程のそれは、味こそ良いとは言え食べる人を選ぶ。特に日本ではほとんど流通していないのもあり、抵抗感を抱く者は少なくないだろう。
「けど味が美味しいなら問題ないよ」
しかし平然と、お湯の温もりに目を閉じてうっとりとしながらまこは答える。
「……あんたの食い意地、舐めてた」
眞桐はやれやれと肩をすくめる。
「食わず嫌いはだめだからねぇ」
「何の話してるんですの?」
そんな話し込む二人のもとに、すらりと背の高い犬耳の少女――マシュリ・ケイトが体を洗い終えたのかやってきた。
「あ、マシュリちゃん、ポピロンの話」
「ホビロンな」
「!! な、なな……なんてもののお話をしてるんです!」
まこと眞桐の掛け合いに、マシュリは水に濡れた尻尾の毛を器用に逆立て慄きながら、さっと湯船に体を滑り込ませた。
「食後に聞きたくないワード上位に食い込みますわよ」
「それは言い過ぎ」
「言い過ぎなものですか」
マシュリは頭に思い浮かぶイメージを払いのけるように首を振りながら、眞桐のツッコミにきっぱりと言い返す。
「けど美味しいんだよ~?」
そんなマシュリの態度も特に気にするでもなく、まこは呑気だった。
「味は問題ではありませんわ!」
なによりグロテスクなものが苦手なマシュリにとってすると、見た目だけでそれを食べ物と認識することをやめてしまうレベルだった。
「食わず嫌いはだーめ」
「それをおっしゃるなら、まこはトマトを残すのをおやめない」
「あは、確かに確かに」
まこのトマト嫌いは友人の間では周知のことだった。なにより食べることが好きな彼女の苦手な食べ物と言うこともあるが、その毛嫌いのしようを面白がられているのだった。
「うう、想像するだけで酸っぱい」
両手を頬に当てて眉間にシワを寄せるまこ。
そんな大げさな反応につい眞桐とマシュリはつい笑いをそそられてしまう。
「風味がとか食感がとかならまだわかるけど、そこなんだもんな」
「まこはお弁当に入ってるプチトマト許せない派」
「まぁ! 彩りに口直しに素晴らしいじゃありませんの! なにより、あの小さな器にぎゅうぎゅうに詰め込まれたおかずの数々……お弁当はロマンですわ」
まこが唸る一方で、マシュリは目を輝かせる。
「でたでたお嬢の庶民ロマン論」
「眞桐にはわからないでしょうけれど、あれほど愛情と情熱の籠もった芸術作品はありませんのよ!」
前のめりに話すマシュリの勢いに合わせ垂れた耳が揺れる。
午後八時を過ぎた大浴場での熱いお弁当談義は、今夜も冷めやらない。




