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blessing

「あなたに神の祝福を」


 白い衣装をまとった女性が腰を落とし、神にひざまずく老女に手をかざした。すると彼女の掌からはぼんやりと白い光が生まれ、静かに優しく老婆の体を包んだ。月光が見させた錯覚だろうか。


 老婆は、泣いていた。


 ステンドグラス越しに差し込む月光が、教会の中を薄ぼんやりと照らしていた。礼拝堂に伸びる二つの影は薄闇の中に溶けている。巨大な十字架が、途方もない悲しみの舟に乗る二人を見下ろしていた。


「あなたの背負う罪を、神はお許しになります。どうか涙しないで」


 女性が老婆の背に手を当て、声を殺して泣くその体を丁寧にさすっていた。


「フェシア様、私の子供たちは皆戦場で焼き殺され、骨となって帰って来ました。そしてわたしのような役立たずの婆が生き残ってしまったのです」


 そのひどくしゃがれた声が、老いた年齢と、毎晩泣き続けているのであろう事実を語っていた。


「そんなことをおっしゃらないで。神の前に命は平等です」


 教会には老婆の嗚咽が響いていた。


 フェシアは老婆の背を撫で、小鳥のさえずるような美しい声で続けた。


「あなたにはあなたの、お子様にはお子様の、神から与えられた宿命があるのです。それを全うして天国へ行っただけ。どうかその悲しみに沈んだ心を、私と共有させて下さい」


 老婆はひたすら泣き、フェシアはそれにずっと寄り添い彼女の幸福を祈っていた。


 それが彼女の定め。悲しみに寄り添い愛を注ぐ、シスターの役目。




 翌朝早くに、フェシアの教会の仕事が始まった。それは出征する兵士に祝福を与えること。


 戦況は悪化の一途を辿り、町からはどんどん男が居なくなっていった。年若い男が神父を務めていたこの教会では、神父すらも国に徴兵されてしまった。国はこの町ほど教会を重んじていない、町の人々は神父が居なくなったことでそれを深く理解した。そしてその留守を守るシスターたちをより敬愛するようになった。


 祝福を与えるのも今ではシスターの仕事となった。


 戦時下に於ける国の宗教の決めごとのため、祈るのは兵士の無事ではない。戦争の勝利だ。


「ギルバード・アイシス、ルーベント・ガロット、ニケア・ラピド。あなた方三つの魂の武運に祝福を。我等を脅かす敵たちに渾身の一撃を。どうか愛しい我らが国を守る矛となり盾となれ」


 フェシアはよく通る美しい声で祈りを込める。


 昨晩、己の息子を戦争に出し亡くしてしまった老婆に祝福を与えたばかりなのに、今こうして戦へ飛び込む命に勝利の祝福を与えている。彼女の心境を誰が知りえるだろう。


 十字架を背に声を響かせるフェシアに向かい、三人の男がひざまずいている。先程名前を挙げられた三人だ。身動きすることなく、教会の静粛を身に受けている。それを見守るギャラリーの中で、家族や友人は涙をこらえていた。出征に涙をすることは武運を損ねるとの昔からの言い伝えが、皆の涙を止めていた。


 すすり泣く声すら聞こえない静寂の中で、フェシアが一人一人に腰を落として手をかざす。


「どうか神の祝福を」


 フェシアが手をかざすと、ステンドグラスの光の錯覚か、白く光るものが手元に見える。


 それを三度繰り返して、フェシアは両手を組み神に礼をした。それに合わせてギャラリーも礼をする。深く長い礼だった。


 皆が心の中で願っていることが、フェシアは手に取るように分かった。


 戦争の勝利じゃない、彼らの命の無事。それを神に願うのが罪と言うのなら、せめて心の中では言わせて欲しいと、誰もが思っていることだった。


 儀式が終わると迎えの馬車が来て、彼ら三人を連れていく。健康な馬はほとんど軍馬として連れて行かれ、迎えに来た馬は素人目にも分かる老いて非常に頼りのない馬だった。


 三人は皆父親だった。状況を理解出来ていない幼い子供たちは、あどけない顔で父を見つめ、父はその顔を見て思わず涙腺がゆるみそうになる。


 馬車の運転手が次の徴兵員のリストを町長に手渡す。白ひげの町長は神妙な面持ちでそれを受け取った。


 三人を見送ると、人々はそれぞれの仕事に戻る。恐ろしいくらいに変わらない日常が再開されるのだ。三人の男性を欠いて、この町の時間は進んでいく。


 フェシアは一人、誰も居なくなった教会に居た。両手を組み、十字架に向かって。


 神よ、お許しください、私の罪を。彼女が毎日毎晩祈ることだった。


 戦争の残酷さは分かっている。けれど、自分はただの町のシスター。この町の大切な命が戦争という業火に投げ入れられても、残された者たちと祈るしかなかった。更に自分は、その命を炎に投じる手助けをしていると言っても過言ではない。


 何度この職を辞そうと思ったか。しかし、一度神に捧げた身であるという義務感と、今神父に続きシスターまでもがいなくなっては、教会を重んじる町の者たちが混乱するという責任感から、彼女は祈り続ける道を選んだ。


 この小さな町の小さな教会には、シスターは彼女一人きり。この教会を守れるのは、守らなくてはならないのは自分だけだと意思を強く持っていた。


「フェシア!」


 彼女が沈黙を愛し祈っていたところに、元気のよい男の声が投げかけられた。


 フェシアは振り返って入口を覗くが、ドアが開いた形跡も人影もない。小動物のようにきょろきょろとあたりを見回して、彼女はその名を叫んだ。


「ダグ! あなた、なんて所に!」


 彼女が叫ぶのも無理はなかった。


 ダグと呼ばれた青年は地上から数メートルもある天窓から顔を覗き込ませていたのだ。


「そこ、どいてくれ!」


 そう彼が叫ぶと、フェシアは慌てて十字架の方に駆け、叫んだ。


「危ないことはやめて!」


「危なくねぇって」


 ダグは天窓に足から入り、両手で窓枠を掴んでぶら下がった。そして体を前後に揺らして勢いをつけ、教会にわずかに設けられた二階の通路に着地する。元は結婚式などで花を撒く係の者が立つために作られた狭い場所だ。


 ダグはそこから駆け足で一階の礼拝堂に向かい、フェシアに笑いかけた。


「よっ、元気か?」


 太陽のように眩しい笑顔に対し、フェシアは開口一番怒りの言葉を浴びせた。


「あなたはまたこんな危ないことをして!」


 一連の行動を見ていた彼女が怒るのも当然だった。彼は難なくやってのけたけれど、一歩間違えば大怪我に繋がりかねない空中技。彼の身を思えばこそ怒らずにはいられなかった。


 顔を赤くして怒るフェシアに、両手を挙げて降参のポーズをしてダグは苦笑した。


「悪い悪い、だって、こうでもしないとフェシアの本当の顔が見れないんだもん」


 ポーズとは裏腹に、全く悪びれた様子のないダグ。フェシアは眉を寄せた。


「教会唯一のシスター、フェシア・マルチス。シスターだった母親の後を継いで責任感いっぱーい」


 彼は片眉をあげて、まるで「そうだろう?」と言いたげにフェシアの顔を覗きこんだ。

 フェシアは唇をへの字に曲げた。


「何が悪いって言うの」


「そうそう、その顔。それが可愛いんだよ」


 ダグはまたニカッと笑った。フェシアは今度は別の意味で顔を赤くして、近距離に立つ彼を突き放すように胸板を押した。


「からかいに来たんだったら帰って、いつもいつも冗談ばっかり……」


「冗談じゃなくて本当のことだもん。町の人間はフェシアに多くを望み過ぎだよね。理想のシスター、慈愛のシスター、気高いシスター。自分たちの悩みばっかり押し付けてさ」


 ダグは彼女の一撃によろけたふりをしたが、すぐに体勢を整えて、肩をすくめて言ってみせた。


「それが私の仕事だもの」


 フェシアはいまだに眉を寄せたまま反論した。


 ダグは礼拝堂の椅子に腰かけて、フェシアの顔を見上げる。


「フェシアは十八歳の女の子だよ。賢くてしっかりしてるから皆頼るけど、まだまだ君は少女だ」


 ダグが笑顔を失くして低い声で語りかけると、フェシアは唇を噛んだ。


「私は少女でも、この教会のシスターだもの。この町の人々の懺悔を、悲しみを、苦しみを癒す役目があるわ」


「同じ歳の俺を見てみろよ」


 フェシアの言葉をさえぎるようにして、ダグは言った。両手を広げて優しく笑っている。


 白いシャツに革ズボンを履いて、その下はロングブーツ。革をなめしたベストを着ている。ダグは褐色の肌で、微笑むと白い歯が映えた。短いダークブラウンの髪は清潔感があり、女性の話題になるには十分な容姿を持っていた。


「俺はこんなに自由に生きてる。フェシアももっと自由に生きようぜ」


 フェシアはダグを見つめたまま、ダグはフェシアを見つめたまま、動かなかった。


 ダグが口を閉ざすと、教会は水を打ったように静かだった。


「結婚しよう、フェシア」


 フェシアはその言葉に動じることなく、首を横に振った。


「いいえ。私は神に仕える身。この仕事をやめるつもりはないわ」


 ダグは視線を少しだけ残念そうに下を向けると、押し黙った。


 重苦しい空気が教会の中を支配していた。


 その時だった。


 教会の扉が派手に開かれて、一人の少年が入ってきた。


「あー!」


 そしてダグを見つけるなり、指を指して大声を出した。


「ゲイリー君」


 名を呼んでフェシアが駆け寄ろうとするが、それに間に合わず少年は大きな声でダグに言い放つ。


「しごともしないで、あそんでばっかのダグだ!」


 ダグは少年の言葉に苦笑していたが、フェシアは腰をかがめて少年をたしなめる。


「ゲイリー君、そんなことを人に言ってはいけませんよ」


 それでもゲイリーは、純粋な瞳を輝かせながら首を傾げて言った。


「だってママがいってた! ちょうちょうのむすこだから、せんそうでもなにもしなくていいんだって」


 フェシアはゲイリーの口を塞ぎたかった。これ以上彼を傷つけるような発言はさせたくなかったからだ。


 町の人間がダグを良く思っていないことは前々から知っていた。子宝に恵まれなかった村長が、捨て子を拾い我が子とし、育て上げたのがダグだった。少し年齢は若いが戦争に行くに相応しい精悍な男性であるダグが、いつまでも出征せずにいるのは村長の息子だから贔屓されているせいだともっぱらの噂だった。出征する男性は、国から要望された基準と人数によって町長が決定する。町長の決定は絶対で、逆らうものは居なかった。


 困り果てるフェシアに、ダグは「しょうがねえな」とばかりに立ちあがって、ゲイリーのもとへ寄って行った。


「悪いね、ゲイリー君。遊ぶのは楽しいぜ」


 笑ってゲイリーに応じるダグに、フェシアは思わず彼の方をじっと見つめた。


「あなたって人は……」


「ダグとはなすとあそびにんになる! にげろー!」


 ゲイリーは誰に教え込まれたのか、残酷な台詞を残して教会から飛び出していった。


 少年が出ていった教会は沈黙に包まれ、フェシアは腰を落としたまま、ダグを見上げた。


「嫌じゃないの?」


「慣れたね」


 肩をすくめるダグ。


 フェシアは腰をあげると白い衣装についたごみを払って、立っているダグと見つめ合った。


「自由は楽しいよ、俺は本当のことしか言ってない」


 フェシアは今にも泣き出しそうな困惑した顔で、何も言えずに彼の顔を見つめていた。


「俺は優しいフェシアが好きだ。そうやって困ってる顔も好きだし、怒ってる顔も好きだ。もっともっと、自由なフェシアを見てみたい」


 ダグは優しく微笑んでフェシアに語りかけた。


 ダグがフェシアにプロポーズをするのは今回が初めてではない。何回も何回も願い入れては彼女にばっさりと断られている。


「私は、出征した神父様の留守を、守らないといけないから……」


 何とか言葉を探しながら繋げていくフェシア。ダグはそれを切って言葉を投げた。


「神父は戦争で死んでる」


「どうして、それを……」


 フェシアは目を見開いた。彼女の驚きは、神父の死という事実ではないようだ。神父の死を知っていることに対してだった。


「町の人間には黙ってるよ」


 ダグは再び椅子に腰を落として足を組んだ。


「町長様から聞いたのね」


 フェシアが厳しい目つきで彼を見下ろしている。


「まあな」


 はぐらかすようにして曖昧な返事をした。


「戦争は人の魂を食う化け物だ。愚かな魂がいくつ食われたことか」


「戦争の為に消えていった魂を冒涜してはだめよ」


「それじゃあ俺にも戦争に行って欲しいのか?」


 いつになく真剣なダグの視線に、フェシアは思わず閉口した。シスターとしてのフェシア、個人としてのフェシアの意見が激突して彼女の口を閉ざしてしまったのだ。


 フェシアは視線を落として、何とか「私は」と口を開いたところで、ダグがさえぎる。


「悪かった。意地悪な質問をし過ぎたよ」


 本当にすまなそうな顔をしているのを見て、フェシアは複雑そうに顔をゆがめた。


 ダグは彼女が家族を戦争で失くしていることや、戦争へいく男たちへの祝福の影で、送り出した女たちの懺悔を聞き届けていることを知っていた。


 フェシアは頭を覆う白いベールを外して、亜麻色の長い髪を解放する。窓やステンドグラスから注ぎ込む光が彼女の髪を美しく艶めかせていた。


 白い肌に大きな瞳、彼女の亜麻色の髪は顔によく似合っていた。


「私はあなたに戦争に行って欲しくはないわ。でもあなたが行かない代わりに他の人間が戦争に行くのよ」


 ダグは椅子から腰を上げて彼女の目の前に立った。背の高いダグは、彼女を見下ろすようにして「ああ」と返事をする。


「軽率なことは言えないの、分かって」


「分かってるさ」


 俯く彼女の小さな頭を見つめて、自然と髪に手が伸びた。ダグが彼女の髪を梳こうとして指先が触れるとすぐに、その手は制された。


「だめ。神様の前よ」


 彼女の小さな手が彼の手を突き放す。ダグは切なく目を細めた。ダグは巨大な十字架を睨むように見上げた。


 彼女を苦しめる十字架なんてなくなってしまえばいいと、心の中で何度も思った。しかし彼女はこの十字架と共に生きることを、町人たちがすがる十字架を守って行くことを決めた女性だ。ここで強引に抱きしめたとしても、彼女の心は離れるばかりだと分かっていた。


「俺はフェシアを愛してる。フェシアが幸せに過ごせるなら、それでいいんだ」


 ダグは彼女にウインクをして教会の扉から出ていく。開け放たれた扉から差し込む光が、ダグの長い四肢の影を教会の床に映し出していた。


 一人残されたフェシアは、椅子に座りこみ、悲しげに眉をひそめた。




 家に帰っても誰も居なかったが、フェシアは今夜、久々に家で夜を過ごすことにした。眠れぬ夜に教会で一晩祈り続けることもよくあるのだが、今日はいささか疲労がたまりすぎていた。


 家族五人で住んでいた家は、彼女一人で過ごすにはあまりに広過ぎた。部屋の隅の椅子に腰かけて、写真たてを膝において眺めていた。


「兄さん、お父さん、お母さん……」


 まだ彼女が幼い頃に撮った家族五人の写真。歳が離れているせいで、兄二人はしっかりと立っていたがフェシアはまだ母に抱かれていた。


 色あせていくこの写真がフェシアの宝物だった。母親の記憶はあまりないが、この写真を撮った後辺りに病状が悪化し、そのまま他界したと父から聞いた。父と兄たちは、一人になってしまうフェシアを最後までとても心配しながら出征していった。そして、灰になって帰ってきた。


 初め、一番上の兄が戦死したと報せを受けた時、フェシアは涙を止めることが出来なかった。目は赤くはれ上がり、声は話すこともままならなかった。そんな彼女を支えてくれた神父も、兄の死と入れ替わるように戦争に行ってしまった。二番目の兄の死、そして父の死の報せを受けた時、もうフェシアは涙を流すことはなかった。戦争に行った者は戻って来ないのだと、周りの人々を見て学習してしまったからだ。だから、神父が戦死をしたという話を聞いた時も、初めこそひどいショックで言葉を失ったが、その後はすぐに冷静になり、町人たちにそれを隠すため隠れて一人で埋葬をした。神父の死が町人たちに多大な影響を与えることを分かっていた。


 思えばダグは、彼女が死に接する度によく会いに来る存在だった。神父の死を知っていたことから、フェシアは改めて納得出来た。彼は自分の心を支えようとしてくれているのだと。


 捨て子だった彼とは、幼馴染として育った。同年代の人間は「捨て子」や「町長の養子」という偏見から相手にしなかったが、フェシアは違った。幼い時期をダグと共に過ごし、こうして彼と共に大きくなった。彼の肌が褐色なわけも、彼が何処で誰から生まれたかも分からない。しかしフェシアは彼を彼として見て接する、唯一の存在だったといえるだろう。


 戦争が始まって、町長が出征する人間を選ぶようになってからダグへの風当たりは一層厳しいものとなった。いつまでも出征しないダグに、町人たちは町長のえこひいきを感じ始め、あからさまにダグへの反応を冷たくした。


 そのせいか、ダグは町人全員の出席が義務づけられている出征の儀式にも顔を出さなくなった。そしてついに町人が集う教会での礼拝日にも、彼は姿を現さなくなった。子供までもがダグの悪評を知っている町だ、さぞ暮しづらいことだろうとフェシアは思う。


 しかしフェシアは、だからと言ってダグに出征して欲しいなどとは一切思っていなかった。行かないのならば、それでいいこと。もし本当に町長のえこひいきだとしても、戦争に行ってしまったら命など無いも同然なのだから。けれど、シスターとしてはそんなことは口には出せない。出征するダグの代わりに死んでいく魂がこの町に今も息づいている。


「ふぅ……」


 今は亡き家族とダグに思いを馳せ、フェシアはため息をついた。


 虫の鳴き声がよく通る夜だと思った。灯したランプの明かりが部屋を照らし、彼女を妙に懐かしい気分にさせる。


 シスターの衣装を脱いだ彼女は普通の町人の娘と変わらない。白いブラウスにニットの羽織物をし、革をなめし少しスリットを入れたロングスカートをはいている。父親がよく座っていた大きな椅子に腰かけて、脚には膝かけを乗せていた。少々冷える夜だった。


 部屋の隅には窓があり、外を覗くことが出来た。フェシアが目をやると、民家が点々と在ることがその家の灯りから分かった。


 この町からどんどん男性が居なくなっていき、より女性が働くようになった。町の中の仕事は勿論、農業も工業もだ。考えてみたらもう何度出征の儀式を行ってきたことだろう。フェシアは眉をひそめた。送り出した男たちは一人として帰って来なかった。そして今日も三人の男性が町から消えた。


 戦況が悪化していることは、ただの小さな町の教会の一シスターであるフェシアにも分かっていた。徴兵される間隔は次第に狭まり、徴兵年齢がどんどん引き上げられ、同時に引き下げられもある。毎度儀式をしていると、その顔ぶれで分かるようになってくる。今日の三名はいずれも子供の居る父親だった。町長も断腸の思いで彼らの出征を決断したに違いない。町人たちはそれを分かっているからこそ、町長の決定に逆らわない。そして、いつまでも出征しない町長の息子・ダグに不満を覚えるのだった。


 フェシアは不意に、ダグの顔を思い出す。


「結婚しよう」


 彼は最近になり、よくプロポーズをしてくる。確かにお互い結婚を考える年齢ではある。しかしフェシアはシスター。現役のシスター相手にプロポーズなど不毛なことなのに、懲りることなく何度でも「愛している」とダグは言う。


 フェシアも年頃の女の子だ。それを思い出して、少し頬を赤くさせる。


 どうして自分なんかがいいんだろう、子供の頃から一緒に遊んでいたからだろうか。そんなことで未来の町長の妻が決まってしまっていいのだろうか。フェシアは彼から求愛される度に、いつも困惑していた。


 周りの民家に灯された明かりが消える頃、フェシアもランプをそっと消して眠りに就いた。




 翌日、ふとしたことから事件は起こった。


 フェシアはいつも通り教会を掃除し、朝の祈りをささげていた。戦地の男たちの安全と、町の人々の心の平穏を願いながら。


 今日は教会の礼拝日。昼間の定刻になると町人たちが集う。今日話す内容をもう一度復習し、教会の扉を開いておいた。


 ここ数日からっと晴れて、青空に大きな白い雲が浮かんでいる。手でちぎれそうな白い雲に手を伸ばすけれども、空しくもその手は虚空を掻くだけだった。この青空の向こうで殺し合いが行われている。そう思うとフェシアは胸が痛んだ。戦いを止めれば、こちらが攻め込まれてしまう。お互いその理論に縛り付けられて、戦争という火にどんどん油を注いで行っているのだ。それは誰も止めることが出来ないのだと、薄々気が付いていた。行きつくところまでいかないと、どうすることも出来ない。つらいことだが、事実だった。


「シスターさまぁ!」


 その時、フェシアは彼女を呼ぶ、今にも泣き出しそうな悲鳴を聞いた。扉から外を見回すが特に姿はない。訝しんで教会の中に入ると、衝撃的な図が視界に飛び込んできた。


「ゲイリー君!」


 そこには、昨日ダグが入り込んできた天窓に掴まって震える少年の姿があった。


「どうしてそんなところに……」


 と言いかけて、昨日のことを思い出す。ダグも天窓から入ってきた。天窓にのぼるルートがあり、少年はそれを恐らく好奇心から見つけてしまったのだろう。


「動いちゃだめよ!」


 フェシアはそう叫んでから右往左往し、何とかひらめいた案で、まず一旦教会の外に出て教会をぐるりと一周した。すると隣の建物の屋根と教会の屋根が近接していることが分かった。隣の建物には丁度梯子が立てかけてあり、そこをのぼっていったのだろう。


「たすけてぇ」


 弱々しい叫び声に背中を押されて、フェシアが梯子をのぼろうとしたところに礼拝に来た女性たちが現れた。


「シスター様、何を?!」


 驚いて目を丸くする女性たちに事情を説明すると、みな悲鳴をあげた。


「とにかく何か柔らかいものを天窓の下に。ご協力をお願いします」


 フェシアの言葉に女性たちは深く頷き、それぞれの家に駆けた。


 その騒動をききつけてゲイリーの母親始め町の者たちが集まり出した。けれど、ゲイリーを助け出せそうな男性は現れず、町からほとんど男性が居なくなってしまった事実を改めて突きつけられる。


「わぁっ!」


 ゲイリーのような少年の腕力はたかが知れている。少年は悲鳴をあげて片腕を天窓の縁から離してしまった。恐らくもう片方の腕の筋力も限界に近いだろう。


「危ない!」


「誰か!」


 女性たちの悲鳴がこだまする教会内で、フェシアは一人唾を飲んで頷いた。


 そして急いで外へ向かう。決心したのだ。


 梯子に足をかけて一歩一歩昇っていく。立てかけてあるだけの固定されていない梯子は非常にバランスが悪く、しかもシスターの正装のロングスカートが足の可動域を狭めて非常に動きにくい。


 慎重に、しかし素早く建物の屋上に辿り着く。地上ではさして感じられなかった風がやけに強く感じられ、しかも教会に対し向かい風になっている。短い幅ではあったが飛び移るのがためらわれた。


 しかし、天窓の下では少年が泣いている。その事実が彼女の正義感を掻きたてた。白い衣装をはためかせながら、動きやすいようにスカートをつまみ上げ、教会の屋根へと飛び移った。


 斜めになっている屋根に倒れ込むように着地し、はうようにして天窓の方へ向かっていく。白い衣装は汚れ、しわだらけになっていたがそんなことは厭わない。


 天窓に辿り着き、何とか少年の手を取る。教会の中で女性たちの歓声が起きるのが聞こえた。


 しかし、少年の予想以上の重さにフェシアの腕は悲鳴をあげ、更に安心した少年が力を緩めたことで、フェシアまでもが天窓の中に引きずりこまれてしまう。


「きゃああっ!」


「神様!」


 歓声は一気に悲鳴へと変わり、フェシアはゲイリーを片腕にぶら下げながらなんとか片手で掴まっていた。その表情は苦悶に満ちており、彼女の筋力ではもうこれ以上耐えきれないことを物語っていた。


 万が一の落下に備えて下に敷こうとした柔らかいものもまだ届かず、フェシアは最悪ゲイリーを自分で抱きかかえ、自分がクッションとなり守ろうと考えていた。


 ここから落ちればただでは済まないだろう。打ちどころが悪ければ万が一もあり得る。フェシアはぐっと腕に力を入れると同時に目をつぶった。目に浮かぶのは、何故だろう、「結婚しよう」と言ったダグの真剣な顔だった。


「もう、落ちる……」


 フェシアの片腕が天窓から離れたその瞬間、「どけっ!」と大声が響いて教会の扉から男性が駆けこんできた。


 彼女の落下に誰もが悲鳴をあげ、目を覆った。そして最悪の状況を想定していつまでも身動きが取れずにいた。


「……ダグ」


 フェシアの口がゆっくりと開く。ゲイリーを抱えたフェシアを抱えるようにして、尻もちをついて下敷きになったダグが「痛っ」と腰をさすっていた。


 彼女の強張った体は信じられないくらい脱力し、今も立ち上がれないくらいだったが、少年を抱きしめる腕だけは固かった。


「シスター様、ご無事で!」


 町人たちの歓喜の声が教会にこだまする。


 間一髪駆けこんできたダグによって、二人は抱え上げられ助けられたのだ。


 ゲイリーはわんわんと泣きだし母親のもとに駆けよって行った。


「立てるか?」


「ええ」


 ダグはフェシアの手を取ってそっと立たせてやる。まだ少し膝や手が震えていた。ダグはその手を抱きしめてやりたかったけれど、ぐっとこらえた。


「ありがとう。おかげで助かりました」


 シスターとして取り乱しまいとしているのが、ダグにはよく分かる微笑み方だった。


 白い衣装は汚れてしまったけれど、彼女の気高さや威厳はそのまま。フェシアは声をあげた。


「皆さん、私とゲイリー君を助けてくれたダグ・ワイズに拍手を!」


 彼女の美しい声が通った後も、拍手は起こらなかった。ゲイリーの母親すら、ダグを睨みつけているようだった。


 フェシアは戸惑うように「皆さん、これが命を助けた者への仕打ちですか?」と嘆いたが、ダグは分かりきったように目を瞑っていた。


「だってねぇ……」


「いつまでも出征してない男だし」


「町に居るならそのくらいするのが当然よ……」


 ダグを責める囁きが教会内にこだまする。


 フェシアは耳を塞ぎたい思いだった。ダグが出征しないから、村長の養子だから、こんな仕打ちを受けるのか。全ては勃発してしまった戦争が悪いのだと嘆くしかなかった。皆も本当は憎む心など持っていない。しかし、愛する息子、夫、父を戦争に奪われ、心が蝕まれてしまったのだ。


 彼女の混乱する様子を見て、ダグは彼女の肩に手をかけた。


「もういいから」


 口元はうっすらと微笑んでいたが、その眼差しは淋しげだった。


 その時、人ごみの中から一人の女性が声をあげた。


「フェシア様はシスター様だからアンタに優しくしてるのよ、調子に乗らないで!」


「なんてことを……」


 フェシアがたしなめる前にダグが声を張り上げた。


「おい!」


 彼が怒るのは珍しいことで、思わずフェシアは目を見開く。


「彼女はシスターである以前にフェシアという少女だ。姿も見せないで批判をする奴に、その行動をとやかく言われたくはない」


 彼の威圧的な雰囲気に、女たちは教会の扉から次々と帰って行った。


 最後に一人残ったのは、先程ダグが助けた少年・ゲイリーだった。


「あのさ!」


 少年がダグの元に駆けよってきたので、ダグは少年に目線を合わせて腰を落とした。


「たすけてくれてありがと! ひとになにかしてもらったときは『おれい』をいいなさいって、パパがいってたから」


 その言葉にフェシアは思わず涙が溢れそうになった。


 ダグは優しく微笑んで少年の頭を撫でた。


「そうだ、偉いぞ。お前のパパは良いパパだな」


「うん!」


 そう言って飛び出していく背中を見送り終えると、フェシアは涙の限界だった。

 堰を切ったように溢れだす涙と嗚咽に、ダグが驚くほどだった。


 ダグは誰も居なくなった教会で彼女をそっと抱き寄せた。花のような彼女の香りが鼻腔を刺激して、思わずもっと力を込めたくなる。


「ゲイリー君のお父さんは戦争で亡くなっているの。きっとお母さんが知らせていないんだわ」


 ダグの胸板に頭を押し付けて泣く彼女は、最早一人の十八歳の少女だった。ダグはその大きな手で彼女の頭を撫でた。


「どうして、どうして戦争が起きるの……戦争は人を殺すの……」


 怨むべくは敵国ではない、争いそのもの。震えるフェシアの体から伝わってくる熱が、彼にそれを語りかけているようだった。


 ダグはその腕に力を込めた。まだ誰にも言えない決意と共に、彼女を守ることを誓いながら。


 ステンドグラスを背負った十字架は鈍く輝き、彼を嘲笑っているようにさえ見えた。彼は十字架を睨みつける。彼女をここにしばりつける十字架を。




 フェシアは次の日の夜、衝撃的な報せを受けることになった。


 教会の片づけをしていたところに町長が現れ、いつものように紙を渡してきた。そこには出征する男たちの名が連なっている。出征の儀式のために、出征前夜にシスターに渡されるのだ。


 その日は何故か町長は無口で、紙を渡すと何も言わずすぐに帰ってしまった。


 彼女が薄闇の中で月光を頼りに文字を読んでいくと、四人の出征者の中に「ダグ・ワイズ」の名前があった。


 思わずその紙を手元から落とすところだった。心臓は早鐘のように鳴り、今にも呼吸が止まってしまうのではないかと思うくらいの息苦しさが彼女を襲う。


「ダグが……」


 いよいよ出征の日がきただけのこと、と思うシスターのフェシアと、どうして今になって出征を、と思う幼馴染としてのフェシアがぶつかり合っていた。


 フェシアは紙を握ったまま、色々なことを思い出していた。


 ダグとこの町で育ったこと。遊んだこと。大人に隠れて行った場所。皆はダグを偏った目で見たけれど、本当はすごくいい人だと自分は知っていたこと。


 すっかり大人の男性になったダグのこと。プロポーズを受けたこと。本当は嬉しかったけれど、断らなくてはならなかったこと。危機一髪を救ってくれたこと。悲しい目をして笑うこと。いつも自分の盾になろうとしてくれること。戦争の黒い炎の中でも明るさを忘れさせなかったこと。


 気づくとフェシアは教会を駆けだしていた。向かう先はダグのすむ町長の家だった。無我夢中で走っていた。


 一階は既に明かりが消されていたが、二階の一室だけ明るい窓があった。ダグの部屋だった。


 試しにフェシアは扉を叩いてみたが、気づく者は誰も居ないようで反応は無かった。


 しばらく家の周りをうろついた後に、昨日のことを思い出して教会へ駆け戻った。教会の隣の建物に、長い梯子があったのを思い出したのだ。それでダグやゲイリーが教会の天窓にまでのぼってきてしまったほどの長さだ。


 フェシアは無断でそれを抱え、ふらふらとしながらダグの家へ急いだ。フェシアが家の横から梯子を立てかけると長さは丁度良く、窓の少し下あたりに届き、梯子の下は隣の建物によって支えられていた。


 フェシアはシスター衣装のまま梯子をのぼり、窓に行きつく、足許を見ると震えて落ちてしまいそうだったから、必死に上を向いていた。


 そして明かりのもれる窓を叩く。


 しばらくしても反応がなかったが、もう一度叩くとダグが窓に駆け寄ってきた。


「フェシア!」


 小声ながら慌てて彼女の名を呼び、彼女の腕を引いた。落ちないように彼女を抱きかかえ、自分の部屋に二人でなだれ込むようにして飛びこんだ。


「どうしたんだ?」


 下敷きになったダグが、彼女の泣き出しそうな顔を両手で包み込んで問いかけた。


「出征、するの?」


 そのままの体勢で、涙目になりながらフェシアが問う。


 ダグは目を逸らして「ああ」と呟いた。


「どうして今更出征してしまうの?」


 必死に彼にすがりつくフェシアの様子に、観念したのかダグは「ちょっと落ち着いて」と言って体勢を立て直した。


 ほとんどダグに馬乗りになっていたことに気づき、恥ずかしそうにそこをどくフェシア。


「黙ってたことがあるんだ」


 ダグは、フェシアがベッドに腰掛けるのを見届けてから自分も椅子に腰掛け、ゆっくりと語り出した。その表情は悠然として落ち着いている。


「俺は実は、隣の町で軍隊の特殊部隊の訓練を受けていた。何カ月も前から」


 フェシアは初めて知った事実に思わず言葉を失った。ただただ目を見開くばかりだ。


「戦況が悪化したら出征し、出征したら即、一番危険な戦地の第一線で戦力になるために作られた特殊部隊だ。戦争が始まってしばらくしてから、父さんから入隊するように言われた。何せ軍隊内ではエリートらしいからな、父さんも俺を入れておきたかったんだろう」


「そんな。町長様はダグのことを本当の息子として愛しているわ」


「本当の息子だからこそ、だよ」


 認めたくない事実に、フェシアは首を何度も振った。


「そんなことありえない……。それに、訓練なんていつ行っていたの?」


「丁度教会の礼拝日と一緒だった。フェシアは教会にこもりきりだったから分からなかったかもしれないけど、俺は頻繁に隣町に行ってた」


 てっきり周囲の目を気にして礼拝に来ていなかったのだとばかり思っていた、浅はかな自分を責めた。


 自分の変化にはすぐ気がついてくれるダグ、どうして自分はダグの変化に気がついてあげられなかったんだろう。どんな気持ちで入隊して、孤独に闘ってきたんだろう。


「明日で出征だっていうのに、父さんはもう寝てしまったよ。でもいいんだ、これで恩返しが出来る。捨て子だった俺が死なずに済んだのは父さんのおかげだから」

 ダグは手を組んで前かがみになり、小さくため息をついた。その優しい顔にはうっすらと悲しみが滲んでいた。


「俺は父さんや母さんに本当に愛されていたのか、今でも分からない。俺がこの町にいていい理由も分からない。出征することは丁度良かったんだ」


「嘘ばっかり……」


 ダグの強気な言葉に、フェシアは震えながら言葉を絞り出した。


「戦争は人の魂を食うって、愚かだって、遊ぶのは楽しいって、言ってたじゃない……戦争なんて行かないで」


 彼女の本音に、ダグは目を見開いた。


 フェシアは涙をいっぱいにためた瞳で、ダグに迫った。


「ダグは愛されてるわ。お父さんやお母さんが信じられないのなら、私が愛している」


「フェシア、本当に……」


「ずっと前から、あなたのことを好きだったわ」


 フェシアは心にかけられた鍵が溶解していくのを感じた。自分の本当の言葉に、気持ちに蓋をしていたシスターという名の重い鍵だ。


 ダグが真剣な眼差しで、そっとフェシアに手を伸ばす。


 彼女は白いベールを外して、その手を拒まなかった。


 彼の指が彼女の艶やかな髪に触れる。まるで水に触れているような潤いが指先を支配した。


「気づくのが遅かったの、私の本当の気持ちに」


 フェシアは彼の座る椅子に向かって彼の頭を優しく抱きしめた。


 彼が少し泣いているように感じたのは、彼女の気のせいだろうか。


 永遠とも思える時間が過ぎ去り、ダグはフェシアの手を取った。


「ありがとう。結婚は出来なかったけど、気持ちだけでもすごく嬉しい」


 フェシアはそこで「そうか」と思った。戦争が始まってからやけにプロポーズを繰り返してくるダグは、一日でも長くフェシアと夫婦で居たかったのだ。本当の愛を感じながら生きたかったのだ。


 シスターという立場ばかりにとらわれて、町長の息子という立場ばかり見つめて現実が見えなかった自分を悔やんだ。そして、決心して口を開く。


「結婚しましょう、ダグ」


「え? もうこんな夜中だし、明日は出征してしまうんだぞ?」


「それでもいいの、私はこの町ただ一人のシスター。私が認めれば二人は夫婦になれるわ」


 彼女の強引な論理に戸惑いながらも、ダグは、


「本当にいいのか?」


 と真剣な面持ちで尋ねた。


 フェシアは涙を流しながらも微笑んで、「うん」と言った。


 ダグの真剣な顔が、フェシアに近づく。フェシアはそっと目を閉じた。


 二人の唇はどれだけ長く重なっていたのだろう。永遠にこの瞬間が続けばいいと、二人は心の中で祈っていた。


「この口づけをもって二人を夫婦となす……」


 フェシアが優しく微笑みながら、決まり文句を口にする。ダグは彼女の細い体を思いきり抱きしめた。フェシアも負けないくらい思い切り抱き返し、二人の夜は更けていった。




「ロバート・ダニー、アイリー・スミス、スパロウ・タイワンド、ダグ・ワイズ」


 翌朝、戦地へ赴く四人の戦士に神の祝福を与える儀式が執り行われた。


「あなた方四つの魂の武運に祝福を。我等を脅かす敵たちに渾身の一撃を。どうか愛しい我らが国を守る矛となり盾となれ」


 男たちを見送る女たちは、心細げで、それでも涙は見せずにいる。


 フェシアの前にひざまずく四人の男性。その中にダグも入っている。フェシアはその美しい声で高らかに神へ願いを乞う。


 昨晩まで本当には分かり合えなかった幼馴染のダグ。フェシアは彼を待つことに決めた。彼が生きて帰ってくることを確信しながら。そして、その無事を神に願いながら。


「どうか神の祝福を」





 この町には心優しい、年を取ったシスターが居る。


 彼女は生死の分からぬ恋人の帰りを、若くからずっと待ち続けている。


 何人もの恋人たちを祝福してきた彼女が祝福されるのは、いつのことになるだろう。


 彼女はいつまでもいつまでも、愛しい人を待ち続ける。


 その命の炎が燃え尽きるまで。

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[一言] やはり、こういう結末になってしまうのですね…。
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