そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.6
動物系種族最大の悩み、それは『物が持てないこと』だ。ケモノの姿になっている間は食器も筆記具も、ドアノブも蛇口もつかめない。当然、ハサミやポリッシャーを手に取り、自分の爪をケアすることは不可能である。
トニーとロドニーはよく似た習性のイヌ科種族同士、互いの爪を整えることもできるのだが――。
「うわ! ハンク、血が出てるよ!?」
「ああ……後ろ足の爪が伸びすぎて、走った拍子に……」
「折れちゃったの!? 待ってて! 今消毒液持ってくるから!」
そう言うと、ゴヤは大慌てでリビングを出て行った。
しょんぼりした様子でソファーに横たわるホワイトタイガー。その周りに集まってくる黒犬三頭、狼、雷獣、ヤシガニ。宿舎にいる間は全力でくつろいでいるので、動物系の隊員は本来の姿に戻っていることも多い。三頭の黒犬と狼は、ハンクの足の状態を見て心配そうに声をかける。
「根元から折れてる」
「痛そう」
「大丈夫か?」
「他の爪も、折れる前に切りそろえたほうがいいんじゃねえか? だいぶ伸びてるぜ?」
「でも、これを切れる道具が無くて……」
「あ、そうか。虎の爪って固いからなぁ……」
「専用器具だったはず?」
「トリマー資格が必要」
「出張依頼しないと」
人虎ばかりが暮らす集落では、ごく自然に虎の姿で生活している。後ろ足の爪は日常的な歩行で適度に削れていくので、トリミングの必要は無い。だが、都市部ではそうもいかない。人の姿で靴を履いて生活していると、必要以上に爪が伸びてしまうのだ。
それは人狼や雷獣にとっても同じことで、ハンクの怪我は他人事ではなかった。
「隊長、虎の爪切れるトリマー呼びましょうよ」
「ハンク痛そう」
「かわいそう」
「おねがい」
モフモフ四頭にそう言われて、雷獣姿のベイカーは後足で立ち、『お手上げ』ポーズをしてみせる。
「事務のほうに申請は出しているが、順番が回ってこない」
「え? どういうことです?」
「中央に人虎族は少ないだろう?」
「はい」
「人虎族専門トリマーも、数が少ない」
「でしょうね」
「騎士団と契約しているトリマーが、現状では一人しかいないらしくて……」
「一人!? ってことは、もしかして人虎族の隊員が多いトコ優先ですか!?」
「ああ。うちはハンクしかいないから、なかなか来てもらえないんだ」
「そんな! 何とかしましょうよ!」
「俺もそう思って、自腹で別のトリマーを呼ぼうとしたのだが……」
「特定の隊員に私費を投じることは、団の規則に反します!」
「ほらな?」
「ハンク……お前、マジメ過ぎだっつーの……」
しかし、そうして放置して、ついに出血を伴う怪我となってしまった。隊員の健康管理も部隊長としての務めである。ベイカーは反対するハンクの言葉を遮り、直ちに『虎の爪も切れるトリマー』を手配した。
それから一時間後、ついに待望のトリマーが現れた。だが――。
「はーい、じゃあ、切りますよー」
小柄なお姉さんが手にしているのは、どう見ても工作機械のグラインダーである。回転する円盤状のやすりで爪を削り、徐々にやすりの目を細かくしていって、最後に専用の砥石で磨いて仕上げるらしい。
イヌ科種族のトリマーが使うのはニッパーのような小型の爪切りで、仕上げ用のネイルポリッシャーが電動だとしても、爪切り同様、子供でも持てるくらいの小さな物だ。
想定外の工具の登場に、モフモフ四頭は目を丸くして作業の様子を見守っている。
「痛かったらすぐに言ってくださいねー。やすりの目を細かいのに変えますからー」
「はい。今のところは大丈夫です……」
口ではそう言っているが、ハンクの毛は全身もれなく逆立っている。
ネコ科種族は肉球周辺の感覚が鋭く、わずかな振動でもかなりの不快感を伴うらしい。
狼と黒犬三頭は小声で話し合う。
「トリマーさんにいじられてる時って、メチャクチャ気持ちいいモンだと思ってたぜ」
「ワカル。ブラッシング気持ちいい」
「カットも気持ちいい」
「ネイルケアしてもらえると嬉しい」
「だよな? ネコ科ってそうじゃなかったのか……」
「大変そう」
「ハンク泣きそう」
「それより、虎を泣かせる仕事に就きたい人って……?」
「ああ……あのおネエちゃん、間違いなくドSだぜ……」
ディスクグラインダーを強く押し当てるたび、全身をビクッとさせるハンク。
怯えるホワイトタイガーに「ちょお~っと我慢しててくださいね~♡」と言うお姉さんの笑顔からは、SMクイーンの貫禄が感じられた。
と、ロドニーはここで気付いた。
中央市内にほんの数人しかいない人虎族専門トリマー。そんなレア職業の人間を、電話一本で、その日のうちに呼び出せるものだろうか。
ロドニーはゆっくりと振り向き、今は人間の姿のベイカーに尋ねる。
「……隊長? あの人、本当にトリマーさんですか……?」
「ああ、間違いなく資格は持っているぞ。資格なしでそういうプレイをすれば、違法営業になってしまうからな」
「念のためお尋ねしますが、彼女、他に何の資格を?」
「注射器と医療用拘束具を扱う都合上、看護師の資格も取得したと言っていた」
「それ以外は?」
「宙吊りプレイのために、高所作業用の安全帯の取り扱い講習も受けたそうだが?」
「てことは、あの、もしかして彼女、特殊プレイ専門のコールガール……??」
「もしかしなくても、まさしくソレだが?」
それがどうしたと言わんばかりのベイカーの表情に、トニーとロドニーは顔を見合わせた。
「本職かよ」
「ハンクずるい」
「ちょっとイジメられてみたいよな……」
されるがままのハンクは、絶妙なタイミングで囁かれる「よく我慢できたわね」「偉いわ」「もうちょっと頑張りましょう? ね?」という声に、徐々に調教されつつある様子だった。
これ以上はいけない。
猛獣を手玉に取るオネエサンの絵面はたまらなくエロい。
見ているだけでも、新たな性癖が開拓されてしまう気がする。
謎の危機感に襲われてソワソワしているモフモフ四頭だが、ベイカーは別のことが気になっているようだった。
「それより、ゴヤはどこに行った?」
「あ、ゴヤならレインの様子がおかしいからって、抱えて出て行きましたけど?」
「レイン? 今日は中央にいないはずだが?」
「え? いや、だって、さっきからずっといたじゃないですか! ヤシガニに化けて!」
「……あれ、ヤシガニだぞ?」
「へっ?」
「言っていなかったか? 知り合いからヤシガニをもらったから、宿舎で飼うことにしたって……」
「聞いてませんよ!?」
「そうか、すまん。言い忘れていたかもしれない」
「あ、いえ、別にそれはいいんですけど……ヤシガニってペットになるんですか?」
「わからん。だが、見た目が食品っぽくないから、食用ではないのかな、と……」
「あー……そういえば、ヤシガニ料理屋って市内にはありませんよね……?」
「トニー、ヤシガニ食いたいか?」
「見た目がキモイ」
「食べたくない」
「いらない」
「じゃあペットだな」
そんな話をしている間にも、SMクイーンの調教は順調に進んでいた。
「我慢できなくなってきたでしょう? いいのよ? 怖かったら、声出しちゃっていいの。そのほうがずっと楽になるわよ……ほぅら、出しなさぁ~い♡」
「ひ……ひいいいぃぃぃ~あああぁぁぁ~っ!」
「そうよ! いいわ! もっと! もっと頂戴!!」
「ああっ! ひっ! ひぁっ! あああぁぁぁ~……っ!」
情けない裏声悲鳴。
そのくせ、妙にうれしそうな表情。
ホワイトタイガーはソファーの上で無防備な腹を晒し、ドSなオネエサンに完全降伏している。
「ハ……ハンクが落とされた……っ!」
「あの真面目君が……!」
「お前たちにも『凄腕のトリマーさん』を手配してやろうか?」
「いやいやいや! 結構ですから!」
「自分で爪切れます!」
「そうか。じゃあ、もうしばらくかかりそうだし、俺はゴヤとヤシガニを探しに……」
と、リビングを出て行こうとした時である。
宿舎内にゴヤの絶叫が響く。
「ギャアアアァァァーッ! レ、レレレ、レインッ! 何怒ってんの!? 痛い! 放して!! 手首切れる! 切れちゃうからあああぁぁぁーっ! うわあああぁぁぁーっ!」
ヤシガニの握力は甲殻類最強クラス。人間の指くらいなら簡単に切断できる。
「ふむ……やはり飼育は難しいようだ。どうしようか、ロドニー」
「でも、茹でて食べようにも、調理法が分かりませんよ?」
「そう、そこが問題だ。専用の調理器具が必要かもしれんし……?」
悩むベイカーに、有能すぎるコールガールが手を挙げる。
「は~い♡ 私、調理師の資格も持ってま~す♡」
「ヤシガニの調理経験は?」
「もちろんございま~す♡ ゲテモノ食材で攻められたい性癖の方も、結構いらっしゃるんですよぉ~?」
「ほう? ゲテモノとは、具体的には?」
「蜘蛛や蠍、食用ゴキブリ、ミルワームやイトミミズ類が主流ですわ。無理矢理口に押し込まれるのがダァ~イスキって変態さんのために、毒性部位の除去とアク抜きの方法は一通り心得ておりま~す♡」
「そうか……そちらのプレイも、個人的には気になるところだが……今日のところは、ひとまず普通のヤシガニ料理をお願いしたい。追加料金の請求はいつものところへ」
「はぁ~い♡ ご利用ありがとうゴザイマァ~ス♡」
隊長、そこに興味持っちゃうんですか!?
そんな言葉を顔いっぱいに貼り付けたまま、モフモフ四頭は同じこと心配していた。
爪切りだけで人虎族を落とせるSM嬢なのだ。彼女の手料理を口にして、はたして無事でいられるのだろうか。
「……トニー。俺がおかしなコトになっても、友達でいてくれるか……?」
「大丈夫だロドニー。俺はスゴイことわざを知っている」
「なんだよ、それ」
「赤信号」
「みんなで渡れば」
「怖くない!」
「トニー……俺、お前のそういうところ大好きだぜ!」
それは『ことわざ』だっただろうか。
モフモフ四頭を生ぬるい目で眺めながら、ベイカーは手帳を取り出す。
(ところで……あれは本当にヤシガニだよな……??)
いまさら確認するあたりがベイカーらしいが、ベイカーは隊員のスケジュールを勘違いしていたようだ。レインの地方任務は明日の夕方から三日間と書かれている。
ベイカーは無言のまま手帳を閉じた。
「……ヤシガニ料理、楽しみだなぁ~!」
妙に爽やかなベイカーの独り言に、違和感を覚える者はいない。
特務部隊宿舎に、新たな悲鳴が響き渡る。