7.秘密の場所へと
春を迎えたとはいえ、フローラ王国の中でも北に位置するラヴァール領はまだ少し肌寒い。
その後いくつかの件をフレイと話し合ったリディアは執務室を後にした。
一度自室に戻るとワンピースの上にストールを羽織り、今度はマリアと護衛の騎士を一人伴ってリディアは庭へと向かった。
ラヴァール邸の庭は、隅々にまで丹念に庭師の手が行き届けられている完成された美を感じる庭だ。木々の一本一本、それこそ枝の向きまで全てが計算され尽くされている。
移ろいゆく四季に合わせて植えられている花々は時に目を楽しませ、時に心を和ませてくれる。
今の時期は春の花々が、まさにこれから盛りを迎えようとしていた。色とりどりの花々が競い合うように咲く様は、何度みてもため息を吐くほどに美しい。
いつものリディアならばそんな庭を眺めながら紅茶を飲みつつ読書をするところだ。しかし今日はそちらには目もくれず、真っ直ぐにある場所へと向かっていた。
そこはラヴァール侯爵家の屋敷の庭の片隅にある、ぐるりと木々に囲まれて周りから見えない様に隠されている秘密の場所だ。
「マリア、たしかこの裏よ」
「お屋敷の庭にそのような場所があったとは知りませんでした」
「お母様がまだ生きていらっしゃった時以来だもの。最後にここに来たのは十年以上前だし、マリアが知らないのも無理はないわ」
マリアがラヴァール侯爵家の侍女となったのは五年前だ。ちなみにリディアの専属侍女となって三年目になる。
貧乏な子爵家の三女であるマリアは仕事熱心なことを評価され、また年齢も近かったことからリディアの専属侍女に抜擢された。
「それにこの場所はお父様とお母様、庭師のトム爺さん、あとはロイズと護衛の騎士くらいしか知らないはずよ」
「そうだったのですね」
「ここが出入り口なの」
刈り込まれた木と木の間に人が一人通れるくらいの隙間があった。さすがここが出入り口だとは誰にも気づかれないだろう。
「マリア、ここで待っていてくれる?」
「そんな訳には参りません。私も一緒に行きます」
「でも……」
「トム爺さんが管理しているから大丈夫だとは思いますが、念のためです」
「……分かったわ」
護衛の騎士には申し訳ないがこの場に待機して貰い、リディアとマリアは二人で秘密の場所へと足を踏み入れたのだった。
「シロツメクサ、あまり咲いていませんね」
「ええ」
本来であれば、まるで野に咲く花をそのまま持ってきたかの様にシロツメクサが咲き誇る場所。しかしまだ少し時期が早いのかシロツメクサはほとんど咲いてはいなかった。
そこは一面が緑色のクローバーで埋め尽くされていた。
庭師達を束ねるトム爺さんがきちんと管理してくれているのだろう。他に雑草などは生えてはおらず、木々も内側からも綺麗に刈り込まれ手入れされていた。
この場所はまるで、誰かが訪れるのをずっと待ってくれていたようにリディアは感じた。
リディアにはこの場所の記憶が二つある。
しかし記憶と言ってもこの場所に来たことがあること、この場所が大好きだったことそれだけだ。
ここに来てシロツメクサが咲き誇る様を見れば、何か記憶が甦るのではないかと密かに期待していたリディアはがっかりした。
柔らかな春の光が木々の間から差し込みリディアとマリアを照らす。リディアの心は懐かしさでいっぱいになった。
(顔は判らないけれど美しい女性とこの場所で笑いあった、そんな気がする)
それはリディアが夢を見たばかりだからそう思ったのかも知れない。けれどリディアは美しい女性は母だと直感していた。
「もし本当にお母様だったのなら嬉しいな」
リディアにとっての母の記憶は、生前ではベッドの上で横になっている姿だけ。
亡くなってからの母は肖像画の中で華やかなドレスを着て微笑む絶世の美女。永遠に美しい姿で存在する変わりに話し掛けてもくれず、抱き締めてもくれない。
リディアを愛してなどくれない。
僅かでも母を感じたくて、幼いリディアは母の肖像画に毎日話しかけた。美しく微笑む母を前にリディアは何度涙を流しただろう。
――おかあさま、おねがいわたくしをだきしめて……!
リディアはそう呟き何度も何度も涙を流した。
母から愛された記憶がないリディアは、母を乞う思いを肖像画の母にぶつけるしかなかった。
(でもそれは違ったのかもしれない。私はちゃんとお母様から愛されていたのかもしれない)
リディアは絶対に自分の記憶を取り戻すのだと決意を新たにした。
「マリア、またここに一緒に来てくれる?」
「もちろんです、お嬢様」
「私ね。過去の記憶を取り戻したいの。お母様との思い出を取り戻したいのよ」
「お嬢様……」
庭を後にしたリディアだったが、再びこの場所を訪れる機会はなかなか訪れなかった。春は天気の移り変わりが激しく、強風や雨が続きなかなか庭に出ることができなかった。
その代わりリディアは父フレイとの距離を近づけていった。
執務室でのことで、もしや自分は父のことを誤解していたのではないかとリディアは感じたのだ。
フレイからは春期休暇をゆっくり過ごすように言われたリディアだったが、三日もすれば飽きてしまった。今までずっとそれこそ休む時間も惜しんで日々を過ごしていたリディアには、趣味と呼ばれるようなものが無い。
読書をするにも、ラヴァール邸の図書室にある本は読み尽くしている。
四日目からはリディアは父と一緒に執務室に籠った。そんな自分に似た性格の娘をフレイは呆れるように見ていたが、その口元が僅かに緩んだのをリディアは見逃さなかった。
執務の合間の休憩で出されるのはリディアの大好きなミルクティーと甘いお菓子だ。甘いものが苦手なはずのフレイも同じものを口にしている。
少し見方を変えただけで、父のさりげない優しさがラヴァール邸には満ち溢れている。
それが何だか胸がくすぐったくなるほど嬉しくて、リディアは端正な父の顔をこっそり見つめるとそっと微笑んだ。
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