4.尊敬する先輩
思いもよらないカインの登場に三人は驚くばかりだった。
そして続くカインの言葉にクラウスは顔色を失うことになる。
「やあ、クラウス。悪いとは思ったんだけれど、話はすべて聞かせて貰ったよ」
「す、すべてとは?」
「君がリディアを騙して裏庭に連れてきたことを認めたあたりからかな」
クラウスの顔色は真っ白になっていた。今更ではあるが、クラウスは自分があまりにも支離滅裂なことばかり口走っていたことにやっと気づいた。
「申し訳ありません、しかしリディが……!」
「リディアは無実だよ、僕が証人になってもいい。今回のことは君の完全なる思い込みだ。一方の話だけを鵜呑みにせずきちんと調べればすぐに分かったことだ」
「思い込み……いや、でも……」
「カイン様、思い込みじゃありません! 事実なのです!」
カインとクラウスの会話に割り込むばかりか、そのあまりにも無礼なフェリシアの物言いにクラウスの顔色は更に悪くなる。
「何を言ってるんだ! やめないか!」
「やめません! だって悪いのはリディア様でしょう?」
「フェリシア、頼むから黙ってくれ!!」
顔面蒼白で必死にフェリシアを黙らせようとするクラウスだったが、フェリシアはそんなのはお構い無しだった。
「リディア様はカイン様の名を騙ったのですよ! カイン様に頼まれたと嘘をついて私を虐めたのです」
「君への苦情が生徒会に殺到して大変だったのは本当だ。それで僕から君に注意して貰えないかとリディアに頼んだんだよ。こういうのは男である僕から注意するよりも女性同士のほうがいいと思ったからね」
男性は無条件に自分を庇ってくれるものとばかり思っているフェリシアは、予想外のカインの言葉に目を丸くした。
「そもそも僕は君に名前を呼ぶことを許可した覚えはない。君は不敬の意味を知っているのかい?」
「で、でも私は!」
「本当にリディアの言うように自業自得だよ。君は貴族として最低限知っておかねばならないマナーすら知らないんだね。君は皆から無視されていたと言っていたがそれは違うよ。君はただ無知なだけだ」
クラウスはカインの言葉の真意に気づくと身体をガタガタと震わせた。自分が取り返しのつかないことを仕出かしたことにようやく気づいたのだ。なんでフェリシアの言うことばかりを鵜呑みにしてしまったのかと、そういくら嘆いてみても結果は変わる訳が無いというのに。
「リディア待たせたね。さあ行こうか」
いきなりのことに固まってしまっていたリディアは、カインの言葉に我にかえった。
「はい、会長」
「待て、リディ! 破棄するのは撤――」
「クラウス様」
リディアはわざとクラウスの言葉を遮った。今さら何を言われたところでもう元に戻ることはないのだから話を聞くだけ無駄なのだ。クラウスもフェリシアも、もう学園の生徒ではない。貴族たるもの、一度口に出した事を簡単に撤回などできないのだから。
リディアは制服のスカートの裾を少し摘まんで軽く礼をした。
「婚約破棄了承いたしました。ご安心下さい、私達の婚約は無事に破棄されることでしょう。ではごきげんよう」
茫然自失な様子のクラウスに別れの言葉を告げたリディアは、カインと共に中庭をあとにしたのだった。
「今日は校長に呼ばれていてね。時間が早かったから裏庭で昼寝してたんだよ」
あの場に居た理由を聞いてきたリディアに、カインはそう答えた。カインがあの場に遭遇出来たのは本当に偶然だったのだ。
「リディアはこれで良かったのかい? クラウスの事が好きだったんだろう?」
カインの言葉にリディアは思わず歩みを止めた。リディアは同じく立ち止まったカインの目を真っ直ぐに見つめながら答えた。
「あそこまで言われて婚約を継続するなど無理な話です。それに私達は婚約してはおりましたが幼なじみの様な関係でしたので」
「そうだったんだ! 僕はてっきり……」
リディアの言葉を聞いたカインは何故かホッとしたような微笑みを浮かべた。リディアはカインが自分のことを心配してくれていたのだと思い、彼に感謝の言葉を告げた。
「会長、本当にありがとうございます。ご心配おかけしてしまいましたが私は大丈夫です」
(そうよ! クラウスはろくに調べもせずに婚約者の私を冤罪で責めたてて婚約を破棄するような最低男よ。あんな男と結婚しなくてすんで本当に良かったわ!)
胸の痛みを誤魔化すように、リディアは心の中でクラウスを激しく責め立てた。確かに恋愛感情では無かったが長い時間をかけて築いてきた信頼関係を、クラウスの手で粉々に壊されてしまったのだ。リディアが傷付いていない訳が無かった。
そんな元気の無いリディアに寄り添うように隣を歩いていたカインは、ふと道端に咲くシロツメクサに目を止めた。
「リディア見て。シロツメクサだ」
「本当だわ。王都ではもう咲いているのですね!」
先程までは表情も固く元気の無い様子だったリディアは、シロツメクサを見て途端に顔を綻ばせた。その何処か幼い自然な表情を見てカインも釣られるように笑顔を浮かべた。
「シロツメクサはリディアにとって特別な花だったよね。幼い頃から大好きだっただろう?」
「えっ? 私そんなこと会長にお話ししましたか?」
リディアの言葉に何故かカインは慌てたように答えた。
「……あ、ああ。前にそんな話をしていた気がするよ。それよりもリディア、僕はもう生徒会長じゃあないんだけれど?」
「も、申し訳ありません! カイン第三王子殿下……」
今までとは違う呼び方をするリディアに対して、カインはどこか緊張したように真面目な表情を浮かべてこう告げた。
「違う違うそうじゃなくて。リディアには僕のこと『カイン』って呼んで欲しいんだ」
「そ、そんな、無理です!」
「僕が許可したんだ、お願い呼んでみて?」
尊敬する先輩のお願いにリディアは緊張しながらその名前を口にした。
「……か、カイン、様」
頬を僅かに染めながら照れた様に名前を呼ぶリディアを可愛らしく思いながらも、カインは少し不満げな様子で答えた。
「本当は呼び捨てで呼んで欲しかったんだけどなぁ」
「それは本当に無理ですわ! 不敬にあたります!」
今度は頬を真っ赤に染めて叫ぶリディアを見て、カインは意地悪そうにニヤリと笑った。
「まあ今日のところはそれでいいよ」
「今日のところはって、もう!」
やっといつもの調子を取り戻してきたリディアの様子に、カインは心の中で安堵した。
「そうそう、リディアにお願いがあるんだけれど」
「お願い? 何でしょうか」
「リディア、えっと……。これからは君のことを『リディ』と呼ばせてほしいんだ」
「えっ……?」
「僕はずっとずっと前から、君のことを愛称で呼びたかったんだ」
名前を呼んで欲しいとお願いされた時と同じどこか必死な様子のカインに、リディアもドキドキしながら答えた。
「会長……じゃなかった、カイン様。そんな事で良かったらこれからはぜひ私のことを『リディ』とお呼び下さい」
カインはその答えに満面の笑みを浮かべた。
生徒会で一年もの間共に過ごしていたカインのことをリディアはそれなりに知っていたつもりであった。頭脳明晰で冷静沈着な金髪碧眼の麗しの王子様、それがカインだ。そんないつもの王子様のカインとは違う、素の部分を垣間見せて貰えたように感じてリディアは胸の高鳴りをおさえられなかった。
「本当かい? 撤回は無しだよ」
「そんなことしませんわ!」
カインが学園を卒業した今、王子である彼と会う機会はせいぜい夜会ぐらいだろう。リディアはそのことを今更ながら寂しく思った。
「それではカイン様、本当にありがとうございました。これからはお会いする機会も少なくなるとは思いますが……」
リディアの言葉にカインは少し考えてから答えた。
「君の役に立てて良かったよ、リディ。近いうちにまた会おう」
カインはリディアにそんな意味深な言葉を残して、王宮へと帰って行ったのだった。




