3.婚約破棄
フローラ学院の裏庭には大きな池がある。
その池の周りには木々がバランスよく植えられていて、その下にはいくつものベンチが設置されている。夏ともなれば池の上を風が気持ちよく吹き抜けて、木陰で休む者達へと涼を運んでくれる。
そんな裏庭は生徒達の憩いの場となっており、いつもは多くの生徒達で賑わっている。さすがに終業式を終えた今日は人影もまばらだった。
リディアが裏庭に着くと既にクラウスはベンチに座って待っているようだった。よく見れば隣には女性の姿が見える。あの珍しい淡い桃色の髪は学院でも一人しかいないから誰であるかは一目瞭然だった。
――やっぱり……やっぱりアーラの言葉が正しかった。二人きりというのは真っ赤な嘘だったんだわ。クラウスを信じた私が馬鹿だった……。
リディアはショックを隠せないまま、クラウスの前までふらふらと歩みを進めた。
「……クラウス様、これは一体どういうことでしょうか? 二人きりで話したいとおっしゃっていたではありませんか!」
「騙した事は謝る。ああでも言わないとリディは来てくれないだろう」
リディアの非難するような言葉にクラウスは冷たく答える。クラウスのどこか開き直ったかの様な言い分に、リディアは呆れるばかりだった。
「……それで、話とは何でしょうか」
「リディ、彼女を知っているだろう? この間の卒業パーティーでも一緒だったのだから」
クラウスは隣に寄り添うように座る女性を愛しそうに見ながらそう言った。
もちろん知っているに決まっている。
そもそも婚約者であるリディアのエスコートを断り、卒業パーティーでクラウスがエスコートした女性は彼女なのだから。
「はい、知っております。フェリシア・ロイズ子爵令嬢です」
彼女の名前はフェリシア・ロイズ子爵令嬢。クラウスと同じく今年度の卒業生でリディアより一年先輩にあたる彼女は、訳ありの令嬢でもあった。
フェリシアは産まれた時から身体が弱かった。幼い頃から病気がちで学院に通う事が出来なかった。フェリシアは学院に通うかわりに、子爵家の領地で療養しながら家庭教師から教育を受けていた。
だが頻繁に熱を出すフェリシアを心配してか家族は非情に過保護で、彼女はひたすら甘やかされて育てられた。
結局フェリシアはろくに勉強もしないまま、中途半端な教育しか施されないまま大きくなった。
やがて少しずつ体調も安定し学院に通える体力も付いたフェリシアは、およそ一年前に学院に編入したのだった。
ふわふわとした淡い桃色の髪に優しい水色の瞳、ぷるんと瑞々しい唇はいつも柔らかな微笑みを浮かべている。可憐でどこか儚げな美少女であるフェリシアは、あっという間に学院の人気者となった。ただし、男子生徒限定ではあるが……。
婚約者のいないフェリシアはあろうことか次々に婚約者のいる高位貴族の令息に近づいて行った。
ほとんどの令息は適切な距離を保ってフェリシアを上手くあしらっていたが、中には本気になってしまう者もいた。
そう、リディアの婚約者であるクラウスの様に――。
「リディ、いやリディア・ラヴァール侯爵令嬢! あなたはいずれラヴァール侯爵を継ぐ立場にありながら、彼女に陰湿な虐めを繰り返していたそうではないか!」
クラウスの思いもよらない言葉にリディアは驚く。とんでもない言いがかりだった。
「陰湿な虐めといいますが、私がいったい何をしたと言うのですか?」
そんなリディアの言葉に答えたのはフェリシアだった。その水色の瞳を潤ませてリディアに訴えた。
「リディア様はいつも私に酷い事を言うのです。男性に声をかけてはいけない、近づいてはいけないと言うのです……! それにそれに、他の生徒達には優しい言葉をかけてるくせに私にだけわざと冷たくするのです!」
あまりにも酷い言いがかりにリディアは絶句した。だがこちらには正当な理由があるのだ。
「確かに何度か注意は致しました。生徒会に彼女に対する苦情が多く寄せられておりましたので。私は今年度の生徒会副会長ですし生徒会長からも私の方から注意をして欲しいと頼まれておりました。それで私からフェリシア様に注意させて頂いたのです」
「なにが生徒会長に頼まれただ、言い訳はよせ! どうせ彼女に嫉妬して嫌がらせしただけだろう?」
今の説明のどこをどう聞けばリディアがフェリシアに嫉妬したということになるのだろうか。そもそも婚約者であるはずの自分が何故ここまで言われなくてはならないのだろうか。
どう考えても非があるのは自分を蔑ろにしたクラウスではないか、リディアはクラウスとフェリシアのあまりにも的外れな言葉の数々に腹が立ってきた。
「ですから……! 彼女への苦情が生徒会に殺到していたのです。生徒会副会長として仕方なく注意をさせて頂いたと言っているのです! 貴族の令嬢としての最低限のマナーもまったく出来ておりませんし……。何よりフェリシア様が何人もの婚約者のいる殿方と仲良くされているようでしたので適切な距離で接する様に注意させて頂いたのです」
「クラウス様、私他にも嫌がらせを受けていたのです。仲良くなりたくて色んな方に声をかけたのにいつも無視されました。それにそれに、何人もの令嬢方に取り囲まれることもあって何故か怒られてすごく怖かったのです。きっとリディア様が指示していたに決まってます!」
彼女が語る事はリディアにとって身に覚えのないものだった。だがフェリシアの語る内容は貴族社会の中にあっては自業自得ともいえた。むしろ学院内であったから無視されたり怒られるだけで済んだともいえる。まったく無知とは恐ろしいものだ。
「自業自得な気もしますが……。私はそのような事は致しませんしする理由がありません。そもそも私は卒業パーティーの時に初めてクラウス様とフェリシア様の仲を知ったのですよ? それに指示を出していたという証拠はあるのですか?」
そう、リディアは卒業パーティーの日に初めて二人の関係に気づいた。それでその場で思わずクラウスを問い詰めてしまったのだった。
そもそも休む間もないほど忙しい日々を送っていたリディアに、嫌がらせなんて無駄なことをする時間は無かった。
「ふざけるな何が自業自得だ! お前以外に指示する奴はいないだろう! フェリシアが言うんだからそれが証拠だ」
「はあ、そうですか……。ではクラウス様。証拠と仰るからにはきちんと裏付けはされたのでしょうね?」
「……してはいないが、お前みたいな女と違ってフェリシアが嘘を付くわけないだろう!」
クラウスのこの言葉にリディアは完全にキレた。
「まったく……お話になりませんわね。証言が本当かどうかの裏付けもせぬまま何の根拠もないまま一方的に私を貶めようとするなど……! 私にいいえ、ラヴァール侯爵家に対する侮辱ですわ!」
そしてクラウスもリディアの言葉に、とうとう言ってはならない言葉を口にしてしまった。
「相変わらず嫌みったらしい女だな……! もう我慢できない、リディア・ラヴァール! お前との婚約を破棄する!!」
そうクラウスがリディアに宣言した時だった。
「貴族たるもの、一度口に出した事は簡単に撤回などできないよ?」
思いもよらない人物がリディア達の前に現れた。
「会長……!?」
「カイン第三王子殿下……」
「カイン様~!」
そこにいたのは先日フローラ学院を卒業したばかりで前任の生徒会長でもある、この国の第三王子カインだった。




