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光芒  作者: 魚澄蒼空
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01.雨中の星

処女作となりますが、どうぞよろしくお願いします。

 黒褐色のアスファルトは、平たく凸凹に舗装されている。此処を歩く人間の燃え尽きた灰の色こそがこのアスファルトの黒なのだろうとふと思ったのは、何時からだったろう。

 少なくとも子供の頃は、地に敷かれたこれのことなんて気にも留めていなかったように記憶している。下なんて見ていなかった。

 あの頃は前ばかり見て、その先にあるものだけを見ていた。それが今は、歩く道の果てに、この先に何があるのか──分からなくなっていた。

 けれど歩き続けなければいけない。辿り着く場所も、この歩みの意味も分かってはいないけれど。

 だとすればこの世界はどこまでも無意味で無価値で無常で無情で、そして仄暗い。


 嗚呼。いっそ、滅んでしまえばいいんだ。



 深夜のコンビニエンスストアは、繁華街の店舗であっても客の入りはまばらだ。

 勤務を終え、お疲れ様ですと同僚に返し外に出る。蒸した外気が温く頬を撫でて、自動ドアの無機質な駆動音がやけに煩く聞こえた。夜の光に集る羽虫とは反対方向に歩を進め、薄暗い路地に入った。


(……疲れた)


 目が乾燥するし頭も重い。足取りもあやふやで、上手く纏まってくれない思考を手繰り寄せれば二日ほど前から何も食べていないことを思い出した。不思議なことに、腹が減る気配なんてこれっぽっちもないけど。

 歩調に合わせ空に揺れる垂れた手は手持ち無沙汰に、ポケットに突っ込んでいた古い型番のスマートフォンを引っ張り出した。ロックを解除して覗き込む小さい液晶には、ホーム画面に表示されるニュースの文字列が浮かび上がっていた。

 大手音楽事務所のプロデューサーが、同事務所所属のバンドメンバーの女性に対し淫らな行為を……なんて内容。


「アホくさ……」


 心中の言葉が思わず口をついて出て、画面を切り替える。メッセージアプリに溜まった通知は、開かなければ誰からのものか分からない。親からの口煩いお小言か、それとも別のバイト先のシフトに穴でも空いたのか。別にどっちだってよかった。

 纒わり付く湿気が鬱陶しい。この辺もそろそろ梅雨入りらしい。この辟易とする低気圧の塊はじわりと滲む汗を張り付かせても、渇き血走った目には別段の効果もないらしかった。


 むわりと吹く何の意味も成さない風を見送れば、空は分厚い雲に覆われていた。紺碧の代替品はネオンサインと高層ビルに貫かれた赤黒い闇だった。

 星なんて見えない。目を見張っても届く筈などなくて、厚雲が覆うコールタールのようにのっぺりとした黒に阻まれるだけのこと。

 例の女性にしたって同じだろう。叶えることなんて出来もしない癖に足掻いて、その結果がこのザマだ。そして、存在すら知らない俺のような屑にさえ嘲られる。


「……アホくさ」


 もう一度吐き出した。換気するように深く。

 不細工な空模様に浸っている暇などないというのに。また家に着いて、眠って、朝が始まる。明日は午前中からバイトで、午後の講義は中間テストだっけか──スマホのスケジュール帳に記された内容を反芻しながらいつも通る公園に足を踏み入れる。この公園を抜ければ、俺の住むアパートはすぐそこだ。

 ジョギング用に舗装された敷地内の道に沿って歩く。錆び付いた遊具たちが消えかけの街灯に照らされて、薄らと佇んでいた。みすぼらしくも、これが現実だとでも嘯いているのか。剥げた塗装の色は、もう誰にも分からなくなっていた。


 何故だか立ち止まって見てしまっていたジャングルジムから目を逸らし再び歩き始めると──何処からか歌声が聞こえた。

 いや、何処からかではなく、この公園の敷地から。ある程度の面積を持っているから、声の主は見えないが、丁度こちらの進路からだった。

 綺麗に澄んだ歌声。だがその声音は余りにも弱々しく、今にも枯れてしまいそうな気色を感じさせた。

 こんな深夜に、こんな場所で。好奇と僅かな怯えと、何より帰路だったこともあって、俺は躊躇せずに声の方へと進む。


 滑り台の影になっていて、此方側からは見えなかった場所に──その声の主はいた。

 可憐で、少し儚げを感じさせるような少女だった。鳶色の艶のある髪は肩口くらいまで伸び、紫水晶のような瞳は何処か遠くを見上げている。見えるものなんて醜く黒い夜空だけなのに。

 そんなものを見て何になるというのだろう。そんな消えそうな声で歌って、何の意味があるというのだろう。何故だか、この少女がとても憐れな人間かのように思えた。そして、僅かな苛立ちも。


「なぁ、あんた。こんな夜中に歌われると、ちょっと煩くて困る」


 歩く俺に気がついたらしい彼女に声をかけた。足音にびくりと震えたかと思うと、気まずげに顔を横に向けた。


「あ……ごめん、なさい」


 変わらず小さな声。伏せられた瞳を縁取る長い睫毛には、透明な雫が乗っていた。

 蒸し暑い空気に乗った彼女の謝罪が、少し強く言い過ぎたかなんて自省を促した。街灯はチカチカと点滅していた。


「それに、一人でいると危ないから。早く家に帰りなよ」


 少女は逡巡するみたいに俯くと、ぽそりと呟く。


「……ないんだ。帰る、家」

「え……」


 僅かな罪悪感が取って付けた中身のない言葉に返された内容に、思わず息が詰まる。

 訪れた沈黙を埋めるかのように、雨が降り始めた。重く垂れた黒に押し潰されそうな錯覚を覚える。次第に強くなり始めた。

 少女は慌てたように近くのベンチに駆けていき、其処に置いてあったバッグとケースを掴むと、おろおろと周囲を見渡している。雨宿りできる場所を探しているらしかった。


「この辺住宅地ばっかだから、雨風凌げる場所ないと思うけど」

「そう、なんだ……」


 一応忠告してやると、更に眉根を寄せて立ち竦む。抱き抱えられたケースが雨に濡れて黒く光った。それはどうやらギターケースのようだった。

 俺も傘を持っていない。家はすぐそこだから、要らないことには要らないけど。かと言って目の前で雨に降られている彼女を放っておくことも出来ずに、一緒になって雨に佇んでいる。

 何も出来ない癖に。何かしてやる気概も、切り捨てる思い切りもない。

 思わず下を向いて、水滴に色を濃くしたアスファルトの黒褐色が映り込む。いつもの光景。鼻腔に滑り込む濡れた臭いは、饐えたような心地がした。


「あの」


 ふと声をかけられ、視線を少女に戻した。此方に近づいて、上目遣いで俺を見つめていた。張り付いてきた服が、身体のラインを浮かび上がらせていた。

 潤む瞳は、雨の所為か或いは。彼女の紫水晶はとても無機質な光を帯びていた。彼女の精巧な人形のような美しさが、非現実のようなものを感じさせたからだろうか。


「もし良かったら……お家に泊めさせて貰えませんか?」


 雨に打たれたその言葉も、やけにハッキリと耳に響いた。

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