騎士の回想 ~鍛錬こそが生存の道~
俺がまだ一か月のうち半分はベッドの住人だった頃の話だ。俺は生まれつき体が弱かった。
代々騎士の一族に生まれたのに病弱だっていうのはずっとコンプレックスだった。でもそれだけだ。体は弱いけれど死ぬほどじゃない。
この病弱は別段、生死に関わるものではないと思っていた。けれど、それは間違いだってあるときに気付いたんだ。
それは王宮でのパーティーのことだ。
当時の俺は、シャイでなかなかほかのやつに話しかけられないで壁の花をしていたんだ。
ふと外を見ると、庭園のほうに女の子がいた。
一人で何をしているんだろうと心配になった俺は、そのままふらふらと庭園へと移動したんだ。
彼女は、一言でいうと花の精霊みたいだった。
とても端麗な容姿をしていて、儚げな女の子だと思ったんだ。
だから、頭に鳥の糞がついているのに気づいたときは、思わず三度見くらいしたし、それから彼女に相応しくないと感じて、気づいたときには彼女の髪に自分のハンカチを当てていた。
「…どなた?いきなり何かしら…?」
戸惑う声までもが清楚であまりに可憐だった彼女に、正直に事を伝えるのがためらわれて、俺は小さな声で髪が汚れていたから、ともごもご言い訳をした。
それを疑いもせず、彼女は嬉しそうにお礼を言った。
だから、仲良くしたい、もっと親しくしたいとそう思ったんだ、その時は。
髪を整えおえるまで幸せなひと時はあっという間だった。
俺は、彼女の髪を綺麗にしてあげて、それから彼女は俺を真正面から見て…そして顔面が変わった。
俺の目の前で、一瞬で麗しい少女は消え、生存本能の鐘をかき鳴らすただの化け物の顔となった。
顔のつくりは変わらないのに、表情の変化だけでここまでの変化があるとは思わなかった。
俺は噴き出る汗を抑え、それでも、女の子だからとなんとか笑顔を作った。
ところが!!
ところがだ!!!
あいつはあろうことか、俺に唾をつけてきたのだ!!!!
べっとりとぬりたくってきた!!!!
嫌だ!!!!!という感情がすべてを凌駕し、俺は走った。
今までろくに走ったこともなかったけれど、疾風のように両親のもとへと駆け抜けた。
だが、悲劇は終わらなかった。全力疾走で息切れにあえぎながら母上のところへ戻ると、母上は眉をしかめ、俺を通りすぎてアンジェラのもとに近づいた。
危ない!!
そう言いたかったのに口を開こうにも息が絶え絶えで荒い呼吸をしている俺は何も言えなかった。
「あら、ペルム!か弱いご令嬢さんがこんなになるまで追いかけっこをしたらダメじゃない!かわいそうに…」
か弱いご令嬢!?そんなものどこに!?
追い掛け回されたのは俺だ!!!母上の眼は節穴か!?
母上は、息切れしてべしょりと力尽きたアンジェラの傍で彼女の背をなでながら、難めいた視線を俺に送った。なぜだ、母上!!!!
「…そうはいってもなぁ」
父上の声が降ってくる。父上は、俺と視線を合わせ、分かっているというように微笑んだ。やはり、父上なら俺のことをわかってくださると俺は安心した。
「かわいいご令嬢をつい追いかけまわしてしまうなんて、男の子ならよくあるだろう。…おまえもやんちゃな男の子だったんだなぁ」
!?
絶対にそれだけは違う!!!!!!!!!
普段、気恥ずかしくて自分の意見をあまり言えない俺だけれど、これはあんまりだ。
母上も、なに、あらあら…みたいな顔をしているんだ!!誤解だ!!!!
何があっても否定しなくては!!恥ずかしいとかそんなことをいっている場合ではない。これだけは、絶対に認めてはならぬ。
恥なんてかなぐり捨てて、持ちうる最大の語彙を使って拒絶しようと口を開いた。
その時、恐ろしい握力で僕の右手が握り込まれた。
「…はぁっ…はぁ…っ…捕まえましたわ」
そして近づいてくる顔。
ゾンビのように息を吹き返したこの女の顔は、俺にしか見えなかったが、この世のものとは思えないほど緩んでいた。
開いた口からは唾液に濡れた、真っ赤な舌がこちらへ伸ばされた。
それはさながら死刑宣告のようでー…
思わず頭突きした俺は、彼女の頭の固さに負けて気絶した。
目が覚めたら、唇が痛かったような気がしたが、事の顛末は何も聞かないことにした。
俺は、身をもって戦いで負けた先にあるものは死のみだということを体感した。
甲殻類のように固く、しぶといあの女に、次、捕まったら俺はきっと殺される。おそらく心身ともに。
負けは死だ。病弱だ何のといっていられない。
俺は、狂ったように体を鍛えた。そして、屈強な筋肉と頑健な肉体を手に入れた。
病弱なもやしっ子、騎士一族の味噌っかすと呼ぶ者はもういない。