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公爵子息の絶望〜黒歴史はベタついて〜


僕の名前は、フェリス・カルヴァーン。

カルヴァーン家は、王族と懇意にしている、中枢貴族の一つだ。

人は皆、僕を讃える。確かに僕は、カルヴァーン家の名に恥じぬよう、文武に芸術、社交に治政と様々なことを広く、深く学んできた。生半可なレベルのものではない。

僕は常に自分自身を律して、行動してきた。だからこそ、全ての経験は学ぶべきは過去でこそあれ、恥ずべきものでは決してない…はずだった。


正直に言おう。僕には、一つだけ思い出すにもおぞましい過去がある。それは忘れた頃に、時折脳裏をかすめる。その度に、僕は、自分が酷く恨めしく、自らの愚かさが心底苦々しく思うのだ。

この忌まわしき思い出には、僕の親友第二皇子であるルシウスが深く関わっている。

…いや、そんなに深くは関わっていないし、むしろ僕の自業自得であって、彼自身も被害者だとは分かっている。分かってはいるのだが、それでも彼にでも八つ当たりしないとやってられないのだ。あの日、あの時、僕があそこにいなければ…。

とにかく、彼を恨んだのは後にも先にもあの時だけだー…。




******





「化け物?」





その日、僕は、皇子の自室で彼の台詞を聞き返した。ルシウスから始めて悩みを打ち明けられたのだ。



…だが実は、この時、僕は少しだけ高揚する気持ちが抑えきれなかった。

今でこそ、僕達は自他共に認める親友だが、当時はいくら親友と周りから言われていても僕はルシウスに苦手意識があったのだ。


ルシウスは存外、プライドが高い。王族の矜持というやつだろうが、滅多に弱みを見せることはない。

また、どちらも甲乙つけがたく優秀なものだから、同い年、しかも近い階級ということで周囲から比較されることも多かった。僕は常に彼をライバル視して少しでも彼から尊敬の念を勝ち取りたいと思っていた。

だから、友でもあり、密かな敵でもある彼が深刻な顔で相談してきた内容を、浮かれていた僕は真面目に考えていなかった。




「あぁ、化け物に困っているんだ…」




真っ青な顔で頷くルシウスの話をまとめるとこうだ。

化け物と出会ってしまったが、周りは騙されて気づかない。このままでは確実に捕食されてしまう。しかも、毎日手紙が来るのだが封筒が頻繁によれている。何が何だかわからないけれど、おぞましいし、気持ち悪い。

化け物に関しては意味がわからないし、封筒がよれてることに関してはなんだそれくらいとしか思わない。

僕には、そんなに怯えることではないように思えた。



そう言おうとしたその時、部屋にノックの音が響き渡った。そして、現れたメイドの台詞を聞いてルシウスは顔を真っ青にしてこう言った。



「く…喰われる…!!」




「…喰われる?例の手紙がまだ届いたのか?」




「いや、この城に足を踏み入れてしまったらしい…!!もう我が国はおしまいだ…!!!」



俺はこの時、慌てふためくルシウスになんて大袈裟なと思った。そして、彼に少しばかりの優越感を抱きたいばかりにこう言ってしまったのだ…。




「それなら僕が食い止めてきてやるよ…!」




ルシウスが感極まったように僕の手を握り、ありがとうと何度も頭を下げる。

僕はすっかりそれに機嫌を良くした。気分は、モンスターから村を救う勇者そのものだ。


…あの時、どうして気づかなかったのだろう。そもそも、なんでもそつなくこなすルシウスが叶わない相手なのだ。僕が無策でなんとかできる相手ではないのだ。

あの浮かれきっていた自分自身を殴って止めてやりたい。相手は人間じゃない、いいから逃げろ、と。

しかし、覆水盆に返らず。後悔先に立たず。

とにかく、僕は、意気揚々と模造刀を片手にルシウスの部屋を後にしてしまったのだ。




「すぐに倒して帰ってくるからな!!」




僕は、勇ましく、外に出て周辺を散策した。皇子の部屋に行くならば、多分庭園を通るだろう。ならばこの廊下付近で隠れて待っていようと、僕はあたりをつけ、敵を待った。

そして、やってきた奴の頭頂に模造刀を振り下ろす。

しゃがみ込んだ敵はふるふると震え、僕は討ち取ってやったと得意げに柱から顔を出した。


そして、そこで踏ん反り返ってから、いざ顔を見てギョッとした。そこにしゃがみ込んでいたのは天使のような顔立ちの可憐な女の子。



…そう、つまり、僕は、まごうことなく、その瞬間、恋に落ちたのだ。

この天使のような女の子に初恋を、いや、運命を感じた。

天高く、気持ちが舞い上がり、顔にカッと熱が集まった。そして、僕は一目惚れした彼女の顔をじっと見つめ、はたと気づいた。


彼女の大きな瞳は濡れ、頬には涙の伝った跡がある。

ー…僕が頭を叩いたせいだ。

紳士であれ、女性には優しく。

今はどこに蒸発してしまったのかすらもはやわからぬ母が、僕に何度も言った教えだった。

何故、攻撃したのか、僕はすっかり忘れ、慌てて彼女の側に駆け寄った。




「…その、痛かったか?悪かった…」




彼女の溢した、露のような涙が美しく感じられ、僕は親指で掬い取った。

僕は自分の浅はかさとあまりの彼女の可愛らしさに恥ずかしくなって、俯いて弁解を始めた。

とてもじゃないが直視できなかった。

こんな可愛いご令嬢を化け物呼ばわりするなんて、あいつも失礼な奴なら、信じて攻撃する僕も最低な男だ。

言いたくはなかったけれど、痛い思いをした彼女は何故そんなことをされたのか知る権利があると思った。




「その、俺の親友のルシウスが…」





けれど、一生懸命、話している途中で僕は違和感に気づいた。隣が恐ろしいほど静かなのだ。相槌どころか身じろぎひとつしない。不気味さを感じ、僕は彼女の方を見た。怒らせてしまったのかー…。



そして、心臓が握り潰されそうになった。彼女は目をかっぴらいて僕を見ていたのだ。その口元には、微かな笑みが浮かんでいる。正直、怖かった。けれど、それはまぁよい。

僕が何より慄いたのは次の瞬間、彼女が僕の手をパクリと食べたことだ。視線を一切動かさなかったから、彼女にとっては無意識だったのかもしれない。

でも、手を食べられた僕は…!僕の恐怖は…!!

信じられなさすぎて、彼女の口元に目が釘付けになった。だけど、何回見ても光景は変わらない。僕の手が喰われている。



先程、彼女の涙を拭った時は、手が濡れることすら構わなかった。僕の指で悲しみが少しでも晴れるなら幾らでも使ってほしいと思っていたのに。

それがどうだ。僕のその右手は今や彼女の口の中にある。粘性を帯びた彼女の唾液に僕の手はまみれている。





これはただの可愛い女の子ではないー…!!

僕は遅まきながら、やっと理解した。頭の中にルシウスの声が何度もリフレインする。

化け物、喰われる、おしまいー…。

笑い事ではなかった。彼の言う通りだ。このままだと確実に食べられる…!!僕は慌てて、手を引っ込め、踵を翻して逃げようとした。




でも遅かった。

僕の唇にベタベタとした何かが押し付けられた。このベタつきは右手と同じー…。

全身の毛が逆立つのを感じる。恐怖で体が硬直していなければ、確実にえずいていた。実際、喉も拒絶するようにグッと引きつった。

鼻息が顔にかかる。大嵐の日の風にも勝るレベル。それぐらいに強かった。



しかも、最悪なことに、こいつはすぐには離れなかった。永遠とも思えるくらいに、僕の顔は鼻息で乾かされ、唇はガジガジと被り尽くされていた。

汚染だ、これはもはや汚染以外の何でもないー…。



なけなしの罪悪感は爆砕した。初恋も死んだ。

そのまま僕の意識は薄れ、ブラックアウトした。床にぶつかる瞬間、頭の片隅できっとこれは心を守るためなんだろうなと感じた。












目を覚ました時、僕は王宮のベッドに寝かされていた。西日が差し込み、あれからだいぶ時間が経ってしまっていたことを知る。

ギィと木の扉が開き、ヨロヨロとルシウスが入ってきた。そして、彼の指先が摘むのは、ヨレヨレになった一通の手紙。僕は、目を伏せ、静かに首を振る。

たかが一人の令嬢に完全に敗北したというみっともないところは、彼が既に察しているのだとしても親友にはわざわざ見せたくはなかったし、それ以上に現実は見たくもなかった。この世にあんな化け物がいるなんて。


僕を見るルシウスの瞳は凪いだ海のようにどこまでも優しげだった。

その瞳には憐憫が滲んでおり、僕は悟った。

僕もまた仲間になったのだと。僕は勇者ではなかった。モンスターの犠牲者だったのだ。

お互い涙目なことには気づかないふりをして、僕達は双方の今後の犠牲を憂い、肩を叩きあった。

そして、無言のままに僕達は共通の認識を得ていた。



ー…あいつはヤバい。




この悲劇によって、僕達の間には本当の意味での仲間意識が生まれ、僕達は魂の親友となったのだー…。







…ちなみにこの後、ルシウスからアンジェラは女ではなく男だと聞かされ、僕は再び絶望で気を失った。


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