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矛盾だらけのアイソドシンク ―The World of Paradox―  作者: 天崎澄
第一章 矛盾邂逅編
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第2話 日常的回想

 アイソドシンク――白き少女を(かたど)ったその存在との邂逅で、葵蒼汰の平凡な日常は終わりを迎えた。


 ここからの回想は、その『尊い平凡』が終わる夜、“その日”の朝の出来事である――。


 


 * * * 




 その日の朝は、どうしようもなく平凡な朝だった。


 だが葵蒼汰にとってのそれは憂鬱の原因ではなく、恒久的な幸せの証だった。

 こんな毎日がずっと続けばいい。意識することなくそういう風に、蒼汰は思っていた。


 これといった特技もなくて、ルックスが凄まじく良いわけでもなく、かといって性格が聖人的に洗練されているわけでもないが、それでも心根から言動までもがただ真っ直ぐに伸びている。

 ついでに黒い髪も、少し長めに伸びている。


 葵蒼汰というのはそういう男だった。

 男で、男子高校生だった。ちなみに第二学年所属。


 とはいえやはり真っ直ぐなだけなので、朝の寝覚めは世間の学生の大多数に漏れずに悪い。


 両親が海外で仕事をしているが故の、一つ年下の妹との二人暮らしにも今や大分慣れてきたものではあるけれど、それでもそんな生活の中にやはり慣れないものもあった。


 それが、一日の始まりである。


 自室のベッドの上で、カーテンのフィルターをくぐり抜けて勢いの落ちた柔らかな日光がほのかに視界を赤くする。


 とはいっても蒼汰はまだそれを認識していない。

 なぜなら蒼汰の意識は未だ覚醒していないからだ。


 鳥の(さえ)ずる(こえ)の鳴る、清々しい空気の中でまだ夢現(ゆめうつつ)にまどろんでいる。


 やがて枕元で鳴り出したスマートフォンのアラームも、瞬間的な覚醒で無意識下に止めると、再び眠りに落ちていく。

 もはやこの男の眠りを妨げるものは何もない――かといえば、そんなことはなかった。


 控えめに響くノックの音。

 誰かが来たらしい。


 誰か、とは言ったものの、この家には蒼汰と妹の二人しか住んでいないわけで、だとすれば蒼汰がベッドの上で夢の世界へ旅立っている今、その『誰か』が妹以外の人間である可能性は著しく低い。


 かちゃり、と。


 ゆっくりと木製のドアが開き、高校生くらいの年の少女がそろそろと部屋に入ってくる。


 赤みがかった髪は長く腰辺りまであり、肌はどちらかといえば色白。その細身に淡いピンク色の可愛らしいネグリジェを纏って、澄んだ瞳でベッドの上に横になっている少年の様子を窺っている。


 静かにドアを閉め、ベッドに近付いてその端に腰掛けると、穏やかな少年の寝顔を見て微笑んだ。


 彼女の名前は葵緋奈。

 葵蒼汰の妹である。


 兄に対して恋慕にも似た愛情を持っている彼女にとって、こうして兄である蒼汰を起こしに来ることは、毎朝の楽しみになっていた。



「お兄ちゃん、おはよう。起きて」



 と小声で言いながら、それで起こすつもりは毛頭無い。

 “普通に”起こしたという事実を、後で嘘をつかない為に一応演じただけである。



「うーん、やっぱり起きないか。それじゃあちょっと刺激的に起こしちゃっても、仕方ないよね?」



 誰に聞いてるわけでもなく、単なる自分への言い訳だった。


 実はこの妹、前日の夜寝る前に、翌日の朝兄をどう起こすかを決めておくという日課がある。

 それくらい、葵緋奈にとってこのプロセスは自身の人生の中での重要事項なのだった。



「それじゃあお兄ちゃん、起こしちゃうよ?」



 そう言って兄の髪をひと撫でし、そして。

 おもむろに敬愛する兄の耳元に唇を近付けると――。



「はー死にたい死にたい死にたい、消えたい、居なくなっちゃいたい。なんでこんな世界に生まれちゃったんだろう意味わかんない。理不尽だし不合理だし非生産的だし、こんな世界存在する価値無い。だから世界も私も消えちゃえばいいんだ。消えちゃえ、消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ……」



「うわあああああっ!!」



 絶叫と同時に上半身だけが飛び起きて、葵蒼汰の意識は覚醒した。



「おはよ、お兄ちゃん」



 闇とも病みとも思える文言を発した張本人とは思えない爽やかな笑顔を浮かべて、妹は兄の寝起きを歓迎する。

 一方の兄は目を見開き、茫然とした表情で目の前の白い壁を見つめていた。



「今日は、不快系か……」



 やっと発した言葉がそれだった。



「不快だった?」



「ああ……不快も不快だよ。こんなに寝覚めが悪いこともそうそうねえよな……」



 はあ、と溜め息を吐きながら片手で頭を支える。



「なあ、もっと普通に起こせないのか? お前は可愛いし料理も出来るし気も利くし、スタイルだって悪くないんだ。ただその変な性癖には流石の兄ちゃんも辟易するぞ」



「お兄ちゃん、どんな目で妹を見てるの……。あと性癖って言わないで」



「客観的に見た正当な評価だよ。問題はそこじゃなくて、だから普通にさ……」



「普通に起こしてるよ、ちゃんと。ただそれでお兄ちゃんが起きないから仕方なく工夫してるんじゃない」



「工夫にもしかたがあるだろう……。今日の『不快系』もトラウマになりそうなくらいだが、『痛覚系』、『温度系』、『味覚系』も相当に酷いからな? 『騒音系』が一番マシ」



「ちょっと、私を加虐趣味があるみたいに言わないでよ。お兄ちゃんが起きないのが悪いんでしょ」



「いや、だとしてもさ、寝てる兄ちゃんの首筋に噛みつくとか寝てる兄ちゃんに氷水浴びせるとか寝てる兄ちゃんの口に練乳流し込むとか、常軌を逸してると思わないか?」



「全部寝てる兄ちゃんが悪い。けど、そこまで言うならアレ、解禁してもいいんだよ? “快楽系”」



「いやアレはマジでやめろ。兄ちゃんは妹に欲情したくねえんだよ。次やったらお前との縁を切るって言っただろ」



「はいはい。お兄ちゃんは可愛いなぁ」



「妹に可愛いとか言われたくねえよ」



「だったらすんなり起きて兄らしさを見せる」



 そうバッサリ言われるといっそ清々しく感じてしまうから不思議だ、と蒼汰はうなだれた。



「はー、でも兄ちゃんは翌朝どんな目に会うのかと思うと夜も眠れない……って、お前のせいで起きられないんじゃねえか!」



「さて、お兄ちゃんの寝起きの悪さと私の寝起こしの悪さ、どっちが先だったっけかな」



(にわとり)が先か卵が先か、みたいに言うんじゃねえよ……」



「あ、卵で思い出した」



 ポンと手を打つ赤毛の妹。



「目玉焼き、焼けてるから冷めない内に早く食べよ、朝ごはん」



「ん、あー、そうだな」



 結局毎度のこと、こんな感じでうやむやになって終わるのは、兄にとっても妹にとっても承知のことで、暗黙の了解でもあった。



「じゃあ着替えたら行くから、先に下行っててくれ」



「あ、私も部屋で着替えてから行く」



 そう言ってそそくさと、赤毛の妹は兄の部屋を出ていく。

 急に静かになった部屋で、蒼汰はベッドから立ち上がる、と。



「まあ、悪くない日常、だよな」



 一人呟いて、当たり前にある幸せを噛み締める。

 そうしてようやく、壁に掛かっている学生服に着替え始めるのだった。


 葵蒼汰の毎日は、大体こんな感じで始まる。




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