第9話 千散儚
「今日はバイトか?」
「まあ……金曜なので」
嫌な顔をしながらも、後ろから付いて来る蒼汰の問いにちゃんと答えるのは、儚の可愛らしいところでもあった。
「なるほど、月水金がバイトなのか」
ついこの間、学年が上がった頃から始まったこのストーキング行為の甲斐もあり、恐ろしいことに蒼汰は儚のスケジュールを把握しつつあった。
バイトは週3日、月水金に神社の掃除。
バイトの日は放課後からバイト開始まで周辺を散歩。
バイトの無い日は放課後から時間無制限に気の済むまで散歩。
大体そういうようなルーチンで千散儚は生きているらしい。
それを知ってからというもの、蒼汰は更に儚の事が気になってしまった。
「あのさ、なんでいつも一人なんだ?」
聞きづらいことを気軽に聞けてしまうのは蒼汰の良いところでもあり悪いところでもある。
「一人が好きだからですが。というより、誰かと群れることの意味が分からないです」
「誰かと話すの、楽しいって思わないか? 例えば、今とか」
そんな蒼汰の言葉に、儚はまた溜息を吐く。
「あの……本気で言ってますか? 私は嫌だとはっきり言ったはずなんですが」
流石に立ち止まって振り返る儚の目を見つめて、蒼汰は言う。
「俺は楽しいけどな」
「はあ……そうですか。良かったですね」
呆れたようにそう言ってまた溜息を吐く。もはや癖のようなものなのかもしれない。
「あんまり溜息吐くと、幸せが逃げるって言うぞ」
そんな世間一般での風説に対して、儚は予め定められた持論を展開するように言う。
「大丈夫です、逃げる幸せがありませんから」
「幸せなんてどこにもあると思うけどなぁ」
「そうですか」
やんわりとした抗議に、儚は取り合わない。
「あ、そうだ」
再び当てもなく歩き始めた儚の後を付いて行きながら、蒼汰は何かを思い付いて手を打った。
が、それには特に反応もなく歩き続ける儚に、蒼汰もお構い無しに問い掛けをする。
「なあ、千散」
「……なんですか」
「お前の中に矛盾した感情ってあるか?」
昼休みに白敷叶にした質問を、儚にもしてみようという試みらしい。
「ありますけど……普通に」
それ以上話すつもりは無かった儚ではあったが、蒼汰が話の続きを待ってる空気を感じてまた溜息を吐くと、不承不承といった感じで話し始めた 。
「こんな世界から居なくなっちゃいたいと思うのに、死ぬ勇気がなくて生きてます」
そのある意味白敷叶と真逆とも言える答えに、蒼汰はどうしようもなく。
「千散」
「はい?」
「『居なくなっちゃいたい』なんて、言うなよ」
どうしようもなく。
「何故ですか、私が居なくなろうとあなたには何の関係もないことでは?」
「関係ある。だって今、話してる」
「だから、なんですか?」
「なあ、千散……俺はさ――」
どうしようもなく。
「お前と友達になりたいんだ」
涙が溢れてしまった。
はあ、と。
溜息を付いてまた立ち止まった儚が蒼汰の顔を見て、それでも表情を変えずに口を開く。
「すみませんが、友達にはなれません。私に友達は必要ないですから。ですが……とりあえずは居なくなりません。いえ、“居なくなれない”んです。心が矛盾してるので」
そう言って自分のスクールバッグから徐にハンカチを取り出すと、蒼汰に向けて差し出し。
「今日はこれで。考えなきゃいけないこともあるので」
蒼汰がほぼ無意識にその白いハンカチを受け取ったのを見て、儚は言葉を付け足す。
「それ、返さなくていいですから。あげます。あと、無駄かもしれませんが一応言っておきます。今後、なるべく私に関わらないようにお願いします」
深々と一礼をしてから踵を返し、足早に遠ざかっていく儚の背に、蒼汰は慌てて声を掛ける。
「千散、ありがとう! お願いは聞けないけど、お礼は後で必ずする!」
それに対する返事は無かったが、風に乗って微かに溜息の音が聞こえた気が、蒼汰にはした。