15
そして、今。
馨子はこの異世界の、巨大な墳墓の前にいる。
さやさやと夏の風が吹きぬけて、目の前の白い花束を揺らしている。
いまはここで、安らかな永遠の眠りに就いている愛おしい人。
彼が失踪してから、自分は一体、どれほど彼を探しただろう。
いったいどれほど、泣いただろう。
彼の忘れ形見である寡黙な息子は、その後、その夏に行なわれた剣道の大会を最後に、あれほど愛していた剣を捨てた。
そこで何があったのかを、息子は決して語らない。
しかし、どうやらこの世界で、彼は何かを得たようだった。
そしてその手に、再びあの煌くような剣勢が戻って来た。
(きっと……あなたのお陰よね。)
馨子は静かに笑う。
こちらの世界へ堕ちてから後、息子に何があったのか。
彼が語らない以上、馨子はそれを聞くつもりもない。
彼ももう、一人前の男なのだ。
一人前の男には、寡黙に雄々しく、そして優しく生きてもらいたい。
そう、かの彼の父親が、そういう人であったごとくに。
(どうか、見守ってやってね。……宗之さん)
愛しい人との優しく懐かしい語らいは終わり、馨子はそっと立ち上がった。
頬にあるのは、ただ微笑みだけ。
そこに涙は、もう不要だ。
自ら望んでこういう仕儀となったわけではなかったとしても、彼は彼で、ここで雄々しく生き、そして逝ったのだ。
彼がその最期の瞬間までどこまでも、宗之その人であり続けたということは、あの王の姿と言葉によって十分に証明された。
今はただ、そのことを、彼のために喜びたいとすら思う。
そしてなにより、ここに嬉しいことがある。
馨子は、こっそりとあの王に確約してもらったのだ。
いつか、いつの日か、自分も大地に還るその日が来たら。
自分もひっそりとここに、彼の隣に眠らせてもらうという、その一事を。
背後に蹄の音がして、控えめな足音が近づいてくる。
その音には、少し前から気付いていた。
母親という生き物は、決してその音を聞き誤らない。
彼は黙って、馨子が父と話し終えるのを待っている。
馨子はくるりと振り向き、もう自分よりも随分と背の高くなった、その精悍な息子の顔に微笑みかけた。
「ありがと、煌ちゃん。……行きましょうか」
こちらの世界のものであるらしい、金糸の刺繍を施された長くて黒い衣を身にまとった息子は、不思議とそんな姿もよく似合った。
彼と彼の友人は、こちらの世界で相当の年月を過ごしたのだという。
「馨子さん、馬術のほうは」
息子が言葉すくなに尋ねるのに、馨子は笑って答えた。
「あら。お嬢様育ちを甘く見ないで欲しいわね」
もちろん、あちらの世界の馬術とでは違う部分もあるのだろうから、そのあたりは当然、ちゃっかりとこの息子にレクチャーして貰うことにする。タイトスカートではなくて、パンツスーツを着てきていて良かったなどと、ふと思う。
引いてきた馬に馨子が跨るのに手を貸して、息子は自分の乗ってきた、体躯の白い馬にひらりと飛び乗る。馬上の人となった息子は、さすが様になっていた。先刻のあの長髪の王とでも、さほど遜色なく見えるのは、親の欲目というものだろうか。
息子はこちらの世界に来てから、どうやら大切な人を見つけたらしい。
自分自身、様々の顛末があってあの宗之と結ばれたという経緯があるために、馨子はずっと以前から、とあることを心に誓ってきた。
彼が連れてくるのがたとえどんな人であろうとも、決して否やは言うまいと。
即座に「ああそうなの、よかったわね」と、心から寿いでやるのだと。
息子の人を見る目については、一抹の不安も抱いてはいなかったから。
しかし。
(さすがに、あんな子を連れてくるとは思わなかったわよね〜、あたしも……)
ちょっと苦笑してしまう。
(さすが煌ちゃん、あたしの息子。想像の遥か斜め上を行ってくれたわ――)
そのあたりは、さすが自分とあの宗之の息子だというところだろうか。
馨子は密かにふふっと笑って、桃色や紫色の混在する、それはそれで美しい異界の空を見上げて大きく息を吸った。
隣で馬を歩ませる息子が、やや怪訝な目でこちらを見たが、それには気付かぬふりをする。
それでいい。
それは、彼の人生だから。
今、彼が愛するその人と、ただ幸せに生きて欲しい。
親の望みなんていうものは、結局、それに尽きるのだ。
と、馨子は、ぱっと息子に豪快そのものの笑顔を向けた。
「煌ちゃん! お城まで競争しましょ! あたしが勝ったら、今日こそ煌ちゃんを思いっきり、ぎゅ〜〜〜ってさせてもらうってことで!」
びしっと人差し指を立てて言うが早いか、もう馬体に鋭く踵を当てている。
息子は途端に半眼になった。
「……断る」
しかし、馨子はそんな息子の言葉など、いつものように綺麗に無視した。
蒼めいた体躯の馬が、驚いたようにどっと駆け出す。
結い上げていた黒髪をほどき、そのまま風に嬲らせて、馨子は草原を疾駆する。
異なる世界のその風も、やっぱり頬に爽やかだった。
未来へ、未来へ。
子供たちには、いつも未来があってほしい。
(また来るわね、宗之さん)
背後へ飛び去ってゆくその人へ、ひとひらの想いを残しても。
でも、もう振り向かない。
ただただ、今は前を見る。
いつかはあの祖母のように、
あなたの傍に眠るときまで。
完
2016.9.4~2016.9.18
(執筆期間:2016.9.4~2016.9.16)
お読みいただき、有難うございました。
いつかまた、どこかで!




