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 そして、今。

 馨子はこの異世界の、巨大な墳墓の前にいる。

 さやさやと夏の風が吹きぬけて、目の前の白い花束を揺らしている。

 

 いまはここで、安らかな永遠の眠りに就いている愛おしい人。

 彼が失踪してから、自分は一体、どれほど彼を探しただろう。

 いったいどれほど、泣いただろう。

 彼の忘れ形見である寡黙な息子は、その後、その夏に行なわれた剣道の大会を最後に、あれほど愛していた剣を捨てた。

 そこで何があったのかを、息子は決して語らない。


 しかし、どうやらこの世界で、彼は何かを得たようだった。

 そしてその手に、再びあのきらめくような剣勢が戻って来た。


(きっと……あなたのお陰よね。)


 馨子は静かに笑う。

 こちらの世界へ堕ちてから後、息子に何があったのか。

 彼が語らない以上、馨子はそれを聞くつもりもない。


 彼ももう、一人前の男なのだ。

 一人前の男には、寡黙に雄々しく、そして優しく生きてもらいたい。

 そう、かの彼の父親が、そういう人であったごとくに。


(どうか、見守ってやってね。……宗之さん)



 愛しい人との優しく懐かしい語らいは終わり、馨子はそっと立ち上がった。

 頬にあるのは、ただ微笑みだけ。

 そこに涙は、もう不要だ。


 自ら望んでこういう仕儀となったわけではなかったとしても、彼は彼で、ここで雄々しく生き、そして逝ったのだ。

 彼がその最期の瞬間までどこまでも、宗之その人であり続けたということは、あの王の姿と言葉によって十分に証明された。

 今はただ、そのことを、彼のために喜びたいとすら思う。


 そしてなにより、ここに嬉しいことがある。

 馨子は、こっそりとあの王に確約してもらったのだ。


 いつか、いつの日か、自分も大地に還るその日が来たら。

 自分もひっそりとここに、彼の隣に眠らせてもらうという、その一事を。



 背後に蹄の音がして、控えめな足音が近づいてくる。

 その音には、少し前から気付いていた。

 母親という生き物は、決してその音を聞き誤らない。

 彼は黙って、馨子が父と話し終えるのを待っている。


 馨子はくるりと振り向き、もう自分よりも随分と背の高くなった、その精悍な息子の顔に微笑みかけた。

「ありがと、あきちゃん。……行きましょうか」

 こちらの世界のものであるらしい、金糸の刺繍を施された長くて黒い衣を身にまとった息子は、不思議とそんな姿もよく似合った。

 彼と彼の友人は、こちらの世界で相当の年月を過ごしたのだという。


「馨子さん、馬術のほうは」

 息子が言葉すくなに尋ねるのに、馨子は笑って答えた。

「あら。お嬢様育ちを甘く見ないで欲しいわね」

 もちろん、あちらの世界の馬術とでは違う部分もあるのだろうから、そのあたりは当然、ちゃっかりとこの息子にレクチャーして貰うことにする。タイトスカートではなくて、パンツスーツを着てきていて良かったなどと、ふと思う。


 引いてきた馬に馨子が跨るのに手を貸して、息子は自分の乗ってきた、体躯の白い馬にひらりと飛び乗る。馬上の人となった息子は、さすが様になっていた。先刻のあの長髪の王とでも、さほど遜色なく見えるのは、親の欲目というものだろうか。


 息子はこちらの世界に来てから、どうやら大切な人を見つけたらしい。

 自分自身、様々の顛末があってあの宗之と結ばれたという経緯があるために、馨子はずっと以前から、とあることを心に誓ってきた。


 彼が連れてくるのがたとえどんな人であろうとも、決して否やは言うまいと。

 即座に「ああそうなの、よかったわね」と、心から寿いでやるのだと。

 息子の人を見る目については、一抹の不安も抱いてはいなかったから。


 しかし。


(さすがに、あんな子を連れてくるとは思わなかったわよね〜、あたしも……)


 ちょっと苦笑してしまう。


(さすが煌ちゃん、あたしの息子。想像の遥か斜め上を行ってくれたわ――)

 

 そのあたりは、さすが自分とあの宗之の息子だというところだろうか。

 馨子は密かにふふっと笑って、桃色や紫色の混在する、それはそれで美しい異界の空を見上げて大きく息を吸った。

 隣で馬を歩ませる息子が、やや怪訝な目でこちらを見たが、それには気付かぬふりをする。


 それでいい。

 それは、彼の人生だから。

 今、彼が愛するその人と、ただ幸せに生きて欲しい。

 親の望みなんていうものは、結局、それに尽きるのだ。



 と、馨子は、ぱっと息子に豪快そのものの笑顔を向けた。


「煌ちゃん! お城まで競争しましょ! あたしが勝ったら、今日こそ煌ちゃんを思いっきり、ぎゅ〜〜〜ってさせてもらうってことで!」


 びしっと人差し指を立てて言うが早いか、もう馬体に鋭く踵を当てている。

 息子は途端に半眼になった。


「……断る」


 しかし、馨子はそんな息子の言葉など、いつものように綺麗に無視した。

 蒼めいた体躯の馬が、驚いたようにどっと駆け出す。

 結い上げていた黒髪をほどき、そのまま風に嬲らせて、馨子は草原を疾駆する。

 異なる世界のその風も、やっぱり頬に爽やかだった。


 未来まえへ、未来まえへ。

 子供たちには、いつも未来があってほしい。


(また来るわね、宗之さん)


 背後へ飛び去ってゆくその人へ、ひとひらの想いを残しても。


 でも、もう振り向かない。

 ただただ、今は前を見る。



 いつかはあの祖母のように、

 あなたのそばに眠るときまで。



                           完



2016.9.4~2016.9.18

(執筆期間:2016.9.4~2016.9.16)


お読みいただき、有難うございました。

いつかまた、どこかで!

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