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さて、結論から言えば、その日のうちに大方のことがどんどん決まっていった。
まずは凪子が縁談をもちこんできた相手の家へ連絡を取り、なるべく波風の立たない理由を述べて平謝りに謝った上、馨子でなく櫻子との縁談ではいかがかという旨を打診した。
蓋を開けてみれば、実は先方は当の息子のほうでも、いわゆる長身で美人タイプの女性よりは可憐な美少女タイプのほうがお好みだったらしい。そんなわけで、むしろ願ってもないとばかり、一も二もなく「そういうことでしたら是非とも櫻子さまを」と、この話に飛びついてくれたのは幸いだった。
宗之のほうでも、その日のうちにすぐに両親にことの顛末を話したらしく、彼の父親から慌てたようにこちらに連絡が入って、近々のうちに親戚同士での会食を催すという運びになった。もちろんその前に、馨子がまずは一人であちらのご両親にご挨拶に伺う約束をとりつけた。
櫻子の見合いについては、まだ当人があまりに幼いもので、今の馨子と同じ十六になる三年後にあらためて執り行なうとのことで両家の約束が成立した。
しかし、櫻子はお相手の男性のことがことのほか気になって仕方がなかったらしく、とても三年も待てずに、こっそりとお相手のお顔を確かめに行ったのであるらしい。どうやらまた、あの運転手の三木に無理を言ったようだった。
それが意外にも、彼女にとっては結構まんざらでもなかったらしい。櫻子は三年後のお見合いを心待ちにするようになり、時々「うふふ」と可愛らしく思い出し笑いをするようなことが増えた。そんな妹を見て、馨子も本当によかったと胸をなでおろしたものだった。
さてその三木だが、ここまで色々とお嬢様がたに関してあまりよろしくない活動に関与しすぎたことで、当然ながら凪子からきついお叱りを頂戴し、少しだけだが減給もされてしまったようだった。
が、それでも、わがままな孫娘たちが迷惑を掛けたことでもあるので、職を解くといった最悪の措置は免れることになり、これまで通りに馨子の運転手として働くことを許された。
◇
馨子に関しては、その後、凪子から改めて話があった。
こと、ここに至った以上、家を継ぐのは妹の櫻子ということになるはずだった。となれば、馨子は一刻も早く自立して、家を出るべきだというのが厳しい祖母の考えだったのである。
さすがに「二度と我が家の敷居を跨ぐな」とまで言われなかったのは、祖母としての温情だったかと思う。しかし馨子自身は心密かに、家を出て後はそうしようと心に決めてもいた。
「あなたがこの家にいられるのは、高校を卒業する三年後の春、三月までとします。よろしいですね、馨子」
「はい。わたくしもそのつもりでおりましたわ、おばあさま」
祖母に部屋に呼ばれたとき、馨子はそのように即答した。しかし、心配してその場に同席していた父母と櫻子は、お互い困ったように顔を見合わせていた。櫻子など、もう最初から泣き出しそうな顔をしていた。
皆は今、卓を囲んでの座談の形になっている。
「そう。それはさすがのお覚悟ですね」
祖母はこともなげにそう言って、すぐに具体的な話に入った。
「まずは、あなたのお考えをうかがいましょう。白桜女子学園をご卒業されるまでは、当家はあなたの面倒を見ます。その後のことについては、働くにしろお勉強を続けられるにしろ、あなたご自身の力でなさること。勿論、金銭的なこともすべて、あなたご自身で賄うこと。これが佐竹様との将来を許す上での当家の条件です。この点について、あなたはどうお考えですか」
「あ、あの……お義母さま……!」
とうとう、我慢しきれなくなったように、母、好江が口を挟んだ。
きらりとその眼を光らせてこちらを見た凪子を前に、一瞬、母は身を竦ませたようだったが、自分を励まして言葉を継いだ。
「こ、高校を卒業しただけでは、当代、思うようにお給金のいただけるお仕事というのはそう多くはありませんわ。ましてや、馨子は娘です。できますことなら、大学、いえ短大や専門学校でも、何かしっかりと手に職のつけられるような学校に通わせてやりたいと思うのですが――」
おどおどとはしながらも必死の形相でそう言い募る好江を、凪子はちょっと意外そうな目で見やってから、少し笑った。
「あら、好江さん。あなた、そんなにもお話のお上手な方だったのね。これは存じ上げませんでした」
「えっ……、いいえ、あの……。し、失礼致しました……!」
好江は真っ赤に茹で上がって、しおしおと座布団の上で小さくなり、夫の陰に隠れるようにして縮こまった。
「……ふ。おほ、ほほほ……」
凪子は、そんな好江を見て急にころころと、まるで少女のように楽しげに笑い出した。
(え……。)
馨子を含む一同は、そんな彼女をまるで信じられない生きものを見るような目で、ついじっと見つめてしまった。こんな凪子の姿を見るのは、この場のだれもが、生まれて初めてのことだったのだ。
やがて、笑いを納めて再びひたと馨子を見つめた凪子は、先ほどの笑顔などまるで嘘だったかのような厳しい声音に戻ってこう言った。
「勿論、家を出たとはいってもあなたは当家の娘です。日銭を稼ぐためだからと言っても、当家の者として相応しくない、いかがわしいお仕事をなさるなどはもってのほか。家名に泥を塗ることだけは許しません」
「はい、おばあさま」
「好江さんのおっしゃるとおりです。たとえ万一、佐竹様の身に何かがあった場合でも、女手ひとつでも子供をきちんと育てられる程度には、あなたもしっかりとした生活基盤をお持ちにならねばなりませんよ」
「はい。肝に銘じます」
馨子は正座をしたまま、深く祖母に頭を下げた。そうして頭をあげるなり、こう切り出した。
「ということで、おばあさま。早速なのですが、お願いがございます。お聞きいただいても宜しいでしょうか」
「ええ。おっしゃってごらんなさい」
馨子がそう来ることはもう予測のうちだったのか、凪子は悠然と、卓の上の茶を一口飲みくだして頷いた。
「あれから、わたくしなりに色々と考えました。女性が男性に互して働いてゆくというのは、まだまだ並大抵のことではありませんわ。お母様のおっしゃる通り、何か手に職や、寄って立つ資格を持つことが必要かと思います。そのためには、やはり高校を出た後も、なんらかの勉強をする必要があるかとも」
「ええ、そうでしょうね」
「その間の学費と生活費についてなのですが。申しわけありませんが、しばらくの間、わたくしにお貸しいただくわけには参りませんでしょうか。学生の間はアルバイトなども致しますし、その後も働いて、必ずお返し申し上げますので」
そこで、馨子は座布団からおりると、ぴたりと膝の前に指をつき、深々と祖母に頭を下げた。
「どうか、どうか。お願い申し上げます、おばあさま」
馨子の凜とした声が座敷に響いて、その後しばらく、しんとそこは静まり返った。
真っ先に声を上げたのは、好江だった。
「わ、……わたくしからも、お願い致します。お義母さま!」
真っ赤な顔のまま、馨子同様、その場にひれふすようにして頭を下げている。その声はもう、叫ぶに等しかった。
次に頭をさげたのは、父、公孝だった。
「僕からも、お願い致します。馨子も、僕にとって大切な娘です。どうかお母様、お願い致します」
温厚で地味な存在である父が、いつになく熱さのある声音でそう言った。
「わたくしもですわ、おばあさま! どうかどうか、お姉さまにご援助を……! お願い、お願い……! お願い、いたします……!」
最後はやっぱり、涙声になった櫻子だった。
彼女はもう、ぽろぽろ涙を零して必死に頭を下げていた。
「……あらあら」
凪子はその年にしては不思議なぐらいに、嫣然とでも言うしかない笑みを浮かべて、満足げに頷いた。
「これで『なりません』などとお答えしたら、わたくし、どんな狭隘、鬼畜の輩かというお話になってしまいますわね」
必死に頭を下げていた四名は、それを聞いてはっと目を上げた。
庭先では、夏の訪れを告げる燕の声が、ちいい、と明るく鳴り渡った。




