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 息づまるような沈黙が十数秒ばかり続いてから、ようやく祖母は口を開いた。


「では、佐竹様。もしも、そちらのご両親様が婿入りのお話に難色を示された場合、あなた様はいかがなさるおつもりなのです」


 言葉遣いは飽くまでも丁寧で、声音も決して脅すようなそれではないのに、その問いはまるで、抜き身でまっすぐに刺突するかのような鋭さだった。

 場にいる一同は、宗之を除いてみな、喉を詰まらせたように沈黙している。


 が、やはり宗之は水盤のおもてのように静かだった。

「浅慮なことで、まことにお恥ずかしい限りです。しかしながら、『将来を誓った上で』と申し上げた以上は、いかようにも、両親を説得するつもりでおります。もしやそれが無理だとしましても――」

「いえ、無理だと思いますよ」

 凪子は、宗之の言葉を遮ってそう言った。

「お家の存続ということは、いまや一般のご家庭でも相当に重要視されていると聞いております。かつてのような、武家や公家ほどではないにしてもです。ご両親様も、よほどのことがなければ、一人息子の貴方様を他家へ婿養子になどは出されますまい」

「…………」

 宗之は沈黙し、ややその眉間に皺を立てたようだった。

 馨子をはじめ、櫻子も父母も、はらはらしながらこの二人のやりとりを見守っている。


「貴方さまとて、人の子でございましょう。子は、親があって育つもの。貴方様をこれまで生み育てた方々のご意向を無碍になさるというのは、いかにも人の道に外れております。矛盾したことを申すようではありますけれど、馨子ひとり欲しいがために、ご両親様を捨てるような殿方を、わたくしは孫の夫として認めるわけには参りませんわ」

「……ごもっともです」

 宗之は、軽く頭を下げた。さすがに、これには一言もなかったようだった。

 そこからまた、なにか空恐ろしいような沈黙が流れた。


「あの、おばあさま。よろしいでしょうか」

 と、それを破ったのは櫻子だった。

「なんですか、櫻子」

 甘い桜色のワンピース姿の櫻子は、背筋をしゃんと伸ばして、やや硬い声で凪子に言った。

「お話を蒸し返すようで申し訳ないのですけれど。馨子お姉さまに参ったというご縁談、お相手はどうしてもお姉さまでなければいけませんでしょうか」

 凪子が妙な顔になった。

「……何をおっしゃっているのです」

「お相手様のご年齢にもよりますけれど。先様さきさまが、三つ下の妹でも構わないとおっしゃってくださるのでしたら、このご縁談、わたくしがお受けしてもと思っております」

 櫻子の声は、やや震えているようだった。父母は驚天動地といった様子で、同時に声を発した。

「さ、櫻子……!」

 それは馨子も同じだった。

「何を言うの、櫻子。いくらなんでも……。だってあなたは、まだ――」

 櫻子はまだ十二だ。大昔ならいざ知らず、そんな年齢でお見合いなど、聞いたこともない。

「いいえ、お姉さま」

 櫻子はまっすぐに馨子の顔を見上げて、きっぱり言った。そうして、やや青ざめてはいたものの、にっこりと笑って見せた。

「だって、お会いするだけならいいではありませんか。わたくしが『この方はとっても駄目だわ』と思ったら、お断りすればいいだけのお話でしょう? そうですわよね? おばあさま」

「……いえ。これは飽くまでも、馨子に来たお話です。そのようなわけには」

 やや渋い顔になりながら祖母が言うのに、櫻子は噛み付くようにして言い募った。

「ですから。お姉さまには『問題が起こった』のです。先様さきさまと添うとなれば、かえってあちらに失礼になる事態になったということです。あちら様のご意向をおたずねするのは勿論ですけれども、わたくしはそれでも構わないと申し上げているのです。おばあさま、一度、あちら様へお訊ねいただくわけには参りませんでしょうか。『妹の櫻子ではいけませんでしょうか』と」 

「でも、櫻子……!」

 悲鳴のような声を上げたのは、母、好江だった。

 十六である馨子ですら早いというのに、いくらなんでも、まだ十三にもならない娘を見合いの席へ引っ張りだすのは、母として相当に耐え難いことだったろう。父も、言葉こそ発しなかったけれども、同様の思いでいることは顔を見るだけで分かった。


「お相手様は、いま、おいくつになられるのですか? おばあさま」

 やや震えている櫻子の問いに、凪子はちらっと宗之の方を見てしばらく沈黙していたが、やがて言った。

「今年で、二十二におなりだと聞いております」

「あら! 悪くないわ」

 櫻子がぱっと明るい顔になって微笑んだ。しかしそれは、どう見ても少しひきつったものだった。

「そうでしょう? 櫻子は今年で十三です。良かった、もっと上のおじ様だったらどうしようと思っていたの。九つぐらいの差なら、大したことではありませんわ」

「櫻子……!」

 馨子はとうとう、隣にいる妹の細い腕をぎゅっと握り締めた。

「無茶を言わないで! どうしてあなたが、わたくしのためにそんな――」

「お姉さまだからよ」

 急に、櫻子は驚くほどにきっぱりと言い放った。

「お姉さまでなかったら、わたくし、こんなことは言わないわ。お姉さまのためだから、こんな事でも言ってしまえるの。申し上げたでしょう? わたくしは、お姉さまが大好きなのよって……!」

 言いながら、遂にそのやや色の薄い大きな瞳に熱い雫が盛り上がってくるのを、馨子は絶句して見つめていた。

「い……けないわ、そんな……。そんなこと……!」

 やっと搾り出したその声も、掠れてがさがさになっている。


 と、その時、凪子が決然と言い放った。

「結構です。この場でのお話は、ここまでといたしましょう」

 その目は、ひたと正面に座る宗之に当てられていた。はっと馨子は口をつぐんだ。

「ここから先は、我が家の内でのお話です。佐竹様には申しわけありませんが、今日のところは一旦お引き取り願えませんでしょうか」

「……勿論です。突然の訪問、まことにご無礼を致しました」

 宗之は、素直にすっと頭を下げ、他の皆にも見るからに美しい礼をしてから、その場を立った。その姿は、腰に長物を佩いていないのが不思議に思えるほどのものだった。


 立ち上がった宗之は、ほんの僅か馨子の顔を見つめたようだったが、分かるか分からないかの程度に口のを引き上げて微笑んだようだった。

 それはやっぱり、静かな水面みなものような笑顔だった。

 その場の皆は、一瞬、馨子と同様、その宗之の顔に引き込まれたようだった。

 あの凪子ですらも、そうだった。



 宗之が退室してから、凪子は軽く息をつき、やがて馨子をそっと見やって苦笑したようだった。

「……そのお年で、なかなか殿方を見る目がおありのようですね。馨子」

「……は」

 思わず我が耳を疑って、馨子は不躾にも祖母に聞き返してしまった。

「あ、申し訳ございません。今、なんと……?」

「立ち居振る舞いといい、あの方はどこかあつしさまに似ておいでです。……血は争えないということかしらね」

 やや自嘲気味の笑みを零しながらも、祖母は少し嬉しげに見えた。馨子は不思議な気持ちになる。

 篤というのは、先代の西園寺家当主、つまり馨子の祖父の名である。今と同様、嫡子のなかったこの家に、凪子の夫として婿養子に入った人だ。馨子が生まれるよりも随分昔に亡くなったとのことで、馨子は写真でしかその祖父を知らない。風貌などは、宗之とは似ても似つかぬ人である。


(お祖父さまに……? 佐竹様が?)


 では「血は争えない」というのは、もしかして凪子と馨子のことを指して言っているのだろうか。

 確かに、きりりとした風情の凪子は、櫻子のような甘い雰囲気の娘よりは、はるかに馨子に近い存在だと言えるのだったが。


「お若いのに、なかなか見事な殿方でした。馨子、お送りしていらっしゃい」

「あ、はい……」

 す、と座布団から立ち上がった祖母の言葉にはっとして、馨子も慌てて立ち上がった。

 

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