ケチャップごっこ。
そこは、小さな池だったけれど、僕たちにとっては巨大な湖だった。
そういう設定だったのだ。
近所の雑木林はジャングルってことになっていて、奥地には虎が住んでいることになっていた。僕らは、その神秘の世界を探検する勇気ある冒険家達であり、毎日学校が終わったら、空き地の裏側に木箱を組み合わせて作った秘密基地に集合するのが、いつもの日課だった。なんか紐みたいなものを拾っては大蛇の抜け殻だとか言ったり、飴玉は爆弾で、輪ゴムは拳銃で、風の強い日は嵐がやってきていて、雨の降った日は川が決壊することになっていた。
それが普通だったのだ。
あの頃の僕らにとっては、冒険の毎日こそが普通で。
普通の毎日を、いとも簡単に冒険に変えることができたんだ。
(ねえ、何それ)
(ケチャップ。これをね、潰すと)
(わ、血みたいだ)
(へっへっへ、今日はこれで西部劇ごっこしようぜ)
いつも奇抜なアイディアで僕らを引っ張っていったダイキ君に、僕はこっそり憧れていた。
彼の輪ゴムさばきは、ほとんど神業で、五メートル向こうの缶にも、いとも簡単に輪ゴムを飛ばす。
それがすごくかっこよく思えて、僕は彼に隠れてよくこっそり練習したものだ。
「びっくりだよな。まさか、お前が刑事になるなんて」
場末のバーのすみっこで、二十年ぶりに会ったダイキ君は、もうすっかりおじさんになっていた。
いや、ダイキ君だけじゃない。僕だってそうだ。
彼の目には、僕は、冴えない中年に映っているはずだった。事実、その通りで、毎日毎日自分じゃない誰かのために働き、自分じゃない何かのためにすり潰される人生を送っていたのだ。疲れもするし、老いもするだろう。誰もが平等にそうだったろう。
「そろそろやるか」
ダイキ君は、にやりと笑う。
その笑みは、どこかあの頃のように少年じみて見える。
なあ、ダイキ君、嘘だろう。
君が暴力団に関係しているなんて、何かの冗談なんだろう。
僕が刑事になったことくらい笑えないよ。
「ケチャップが」
「うん?」
「ケチャップがないよ」
僕は、泣いていたと思う。
「あれがなきゃ。あれがなきゃ、本当に死んじゃうよ」
「……。はは、そういうことか。よく覚えてたな。あんな昔のこと」
ダイキ君は笑った。昔みたいに。時が戻ったみたいだ。
僕らは西部劇のヒーローで、拳銃を握ったら、やることは決まっていたんだ。
「幻想だよ。あの頃の俺達は幻想に免れていたんだよ。ケチャップの意味なんて、本当は何もわかってなかったんだ」
僕は、拳銃を引き抜いた。
そして、僕らの幻想を打ち壊す撃鉄の音を聴いたんだ。