和平交渉&戦場に流れる歌
今回は短めです
1942年3月スイスジュネーブ
日米の国連大使が和平交渉を行なっていた
「そろそろ止めにしませんかアメリカ大使」
【自分から攻撃しておきながら止めにしませんかですかな日本大使】
「だから我々は先に攻撃していません」
【たとえ先に攻撃していなくてもこの講和条件は我々を馬鹿にしているとしか思えない】
日本講和案
1、アメリカは日本占領下のアメリカ領の独立を認める
2、ハワイ、アリューシャン列島、サモアの非武装化
3、日独英露枢軸に参加しソ連戦に参戦すること
【1、2の条件など我々が負けている時に出すような条件ではないか、3に至っては同盟国を裏切れなどそんなことをしたら我々の国際社会での信用が無くなってしまうじゃないか】
「我々は譲歩しているんだ、それよりあなた方の講和案なんて我々を見下して作ったとしか思えない」
アメリカ講和案
1、日本領を二次大戦参戦前へ戻す
2、1で示した日本領以外にいるありとあらゆる日本の軍事勢力の撤退
3、日本はアメリカへの賠償を兵器や技術て行う
4、3は新技術や新兵器を優先する
【ふん、我々より優れた技術があるか解らんのに技術や兵器による賠償を提案しているのだぞ、我々はこれでも譲歩している】
「この白豪主義が今この講和案を飲まなかったことを後悔するんだな、アメリカ領を西海岸以西に存在しなくなってもこの講和案では結んでやらないからな」
【貴様らのような黄色い猿が調子に乗るな、貴様らこそもうすぐ首都を焼け野原にされるのだからな焼け野原になった後に泣き付いてきても知らんぞ」
「勝手に言ってろ、貴様らが今講和案を飲まなかったことに後悔するんだな」
【後で我々に戦いを挑んだことを後悔させてやる】
第一回日米講和会議は大使がお互いに喧嘩を打っただけで終わってしまった。1942年3月 欧州
この頃から英独露枢軸軍とソ連軍の両軍のラジオ番組から同じ曲が流れるという不思議な出来事が起こっていた。
その曲の名前は“リリー・マルレーン”戦争に行った愛する人を無事を祈る女性の心情を描いたこの曲はドイツ軍のラジオ番組で初めて流れてからイギリス軍、ロシア軍の兵士の間でも人気になり英語やロシア語に翻訳され、ましなラジオ番組が無いためロシア軍のラジオ番組を聞いていたソ連軍でも人気になり両軍の前線で戦う兵士の間に広がっていった。
戦後書かれた本に次のような逸話が載った
1942年3月
英独とソ連がある村で向き合っていた、欧州戦線にはある暗黙の了解が存在していた。それは20時から翌日の7時までは停戦するというものだった、このため夜戦上等だった太平洋戦線と比較して騎士の戦場と呼ばれていた。そして、9時のラジオ番組から流れるリリー・マルレーンを両軍がそれぞれの言語で歌うことが慣例化していた、これを見たWW1の生き残りの英独軍の将校はまるで開戦一年目のクリスマスのようだったと言ったと言われている(WW1開戦一年目のクリスマスは休戦となり塹壕で向かい合っていた英独軍はその日だけサッカーをして全員にケーキが配給されたという逸話がある)。
戦争は悲惨だがその影には隠された人間ドラマがあるのだ。
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