大学生たち 2
「まさか茂みの中に隠れているとは思いませんでしたよ」
トモキがため息をつきながら、リウヒを睨んだ。
「もっと王女としての自覚と慎みを持ってください」
「持っているつもりだが」
「部屋から逃げ出して、裸足で庭の隅に隠れている事がですか?」
今日も脱走は失敗した。リウヒはトモキに襟首を猫のように掴まれ、部屋へと連行されている最中である。
「沓はどこへやったのです」
「ネズミが喜んで担いで行った」
トモキが再びため息をつく。
この人は知らないだろう。追いかけてきてくれるのを待つために、気持ちを試すために自分がわざと逃げ出していることを。
トモキが追いかけてきて、見つけ出してくれる。それに喜びを感じてしまう。
ああ、この人はまだわたしを見捨ててくれてはいないと安心してしまう。
多分、ばれたらものすごく怒られるだろうけれど。
「殿下、おかえり」
部屋の中ではカガミがニコニコして待っていた。襟首から手が離れる。
「今日は早かったね。もっとかかるかと思っていたよ」
オヤジの前には茶が湯気を立てている。控えていた女官たちがクスクス笑った。
「リウヒさまが沓をなくされたそうです。変わりのものを持ってきていただけますか」
トモキが言うと、女官たちはさすがに呆れた顔をした。
「まあ、殿下。あれは中つ国渡りの高価なものですのに」
「わたくしたちが殿下の為に一生懸命選んだものですのに」
「殿下はわたくしたちの事なんてどうでもよいのだわ」
よよよ。泣き崩れる真似をする。
「それはいけない、探してくる」
叫んで扉に走り寄ろうとすると、素早く襟首を掴まれた。
「駄目ですよ。わたしが行きます。リウヒさまは大人しくご勉学に励んでください。それからちゃんとリンさんたちに謝るように」
めっ、とリウヒを睨んでから、トモキはそのまま出て行ってしまった。
カガミと女官たちは苦笑している。
「リン、シュウ、シン、ごめん……なさい」
恥ずかしそうに、拗ねたようにリウヒが言うと、三人娘は再びクスクス笑う。
「これからは、もうなくさないでくださいまし」
「今度なくされたら、三人で泣いて縋りますからね」
「では、新しいお沓を選んでまいります」
ぞろぞろと優雅に女官たちが消えると、カガミののんびりした声が聞こえた。
「さて、そろそろ授業開始といこうか」
***
授業の終わった教室は閑散としている。その片隅で藍色の髪と茶色の髪がプイプイと言い合いをしていた。
「だから。あの本を適当につなげ合わせて、レポートとして提出すればいいってんの。どうせ、教授だってしっかり見ないんだからさ」
「それだけじゃつまらないっていってるんだ。宮廷跡にいけば何か新しい発見があるかもしれないだろう」
「小学校の遠足で行きましたー。別に何も見つかりませんでしたー」
「ああ、そう。じゃあいいよ。ぼく一人でするから。リウヒも一人で頑張ってね」
席を立とうとすると、リウヒの白い腕が慌てたように伸びる。
「嘘です! お許しを、お役人さま!」
カスガの好奇心と知識が頼りなのだ。逃してたまるか。この男は教授にも気に入られているし。
その時、後ろから声がした。
「おれもまぜてもらいたいんだけど」
振り返るとバサバサでオレンジ頭のひょろりとした男が立っていた。同じゼミの生徒だ。いつも一人で、おれに近寄るな的オーラを出している、変わった奴。結構モテるようで、何人かの女子が媚びた声をかけているのを目撃したことがある。
でも話したこともないこの男が、分かりやすい愛想笑いを浮かべながら声をかけてきたという事は、自分と同じ目的に違いない。カスガを頼る気だ。
リウヒが憤慨して口を開こうとした瞬間
「いいよ」
本人があっさり承諾した。
「カスガ!」
「人数は多い方が楽しいしね」
ニコニコしている。
「ところで君の名前はなんていうの。ぼくはカスガ・センジュ」
「シギ・ラシオン」
その目線がこちらに向く。
「リウヒ・アテルイ」
ふてくされたように言うと、案の定シギの目にからかいが宿った。
「へえ、伝説の王女さまかよ」
ああ、やっぱり。そうくると思ったのよね。慣れているつもりでも、腹が立つ。
「シギくんてさ……」
「そのシギくんってのやめてくれないか」
リウヒの声にオレンジ頭は鼻を鳴らす。
「なんでよ」
「女にくん付けで呼ばれたくない」
「じゃあ、なんて呼べばいいの」
ため息交じりにいうと
「そんなの自分で考えろ」
腹立ちが二乗になった。なんて奴なんだ。こいつ。
「それよりさ、お前どっかで会ったことないか。どっかで……昔……」
シギがマジマジと見てくる。リウヒは目を剥いた。
もしかして、わたしは口説かれているんだろうか。
やめて! 気持ち悪い!
「ゼ、ゼミが一緒だから、そりゃ見た事はあるでしょう!」
そうか、だからかな、とオレンジ頭は首をかしげている。
次の授業の生徒がぞろぞろと入ってきた。
「外にでもいこうか」
カスガがのんびりというと、二人も頷いて教室を出た。
***
あれからなんとなく三人でつるむようになった。
「課題会議」と称してはカスガ宅に度々集まるからだ。しかし、鼻息荒いのは部屋主だけで、シギとリウヒはまったやる気がなかった。話はどんどん逸れて行って、結局は飲み会になってしまう。
取りあえず、夏休みに入ったらここから車で二時間ぐらいの、宮廷跡に行くことだけは決まった。それまでは夏休み前の試験がある。今度は「勉強会」と称してカスガ宅に集っている。ティエンラン嫌いのリウヒになんで歴史学科にはいったんだと聞いたら、そんなんあんたに関係ないと喧嘩になった。
「授業はちゃんとでているのに、さっぱり分からない……」
嘆くリウヒに
「でも君、いつも寝ているだけだったろう。当たり前じゃないか。高校の歴史の時もよく寝ていたよね」
カスガが突っ込む。
この二人は兄妹みたいだな。
シギはシャーペンを手の内でクルクル回しながら思った。
見ていて楽しい。
今まで、他人との関わりは薄っぺらなものだった。この二人といて初めて居心地の良さを感じた。が、楽しければ楽しいほど、母に悪いという罪悪感がわいた。
一度、酔った勢いでカスガにそれを漏らしたことがある。リウヒは横で爆睡していた。
「ぼくは母子家庭じゃないから、よく分からないけど」
缶ビールに口をつけながらカスガは言った。
「息子さんが、楽しめない生活を送っているのは、お母さんにとって嬉しいことじゃないはずだよ」
大切な人が自分のせいでつまらない時間をすごしているのは、むしろつらいことなんじゃないかな。
「それに、今じゃなきゃ楽しめないこともあるしね」
ふんわり笑ったその笑顔に癒された。
「お前、本当におれと同い年? なんでそんなに悟りきってるんだ?」
「多分、この子のせい」
クッションに突っ伏して、寝息を立てているリウヒを見る。
「小さい時から一緒に育って、ぼくはお兄ちゃん変わりだったんだ。お互い兄弟がいないから、余計にね。だからしっかりしなきゃって、ずっと思っていた」
藍色の頭をワシワシと撫でた。
「そこに愛は生まれないのか」
からかい口調のシギにカスガは苦笑した。
「兄妹愛しかないねー」
そして今、カスガいうところの妹は、勉強に疲れたのかシャーペンを投げ出して足をバタバタさせている。
「休憩! 夜食を要求します! 夜食を下さい!」
「お前、一時間も勉強してないじゃないか。どんだけやる気ないんだよ」
「脳みその栄養は全て消化してしまいました……。カースーガー。ごーはーんー」
へいへい、と部屋の主が腰を上げて、小さな台所に向かう。
「お前もなんか手伝えよ。一応女だろう」
煙草を吸おうとベランダに行きがてらリウヒを見おろす。
「リウヒを台所に立たせちゃ駄目だよ、シギ。死ぬよ」
「ひどい、カスガ」
「本当だって。ぼくは三回死にかけた。しかも海老アレルギーになった」
文句を言うリウヒを、カスガは無視して何を作ろうかな、と冷蔵庫を見回している。