第九章 祭りの後 1
今宵の町の灯りは消えそうになかった。
新王が誕生したティエンランの城下では、どこの街角でもどんちゃん騒ぎで大盛り上がりだ。
リウヒとシギは宿の一室、ベッドの上で抱き合っている。甘い雰囲気は一切なかった。明日への希望と新しい王を称える声や、楽しそうな笑い声が窓の外から、絶え間なく聞こえる。
セイリュウヶ原から都に登ったあの高揚感、上意の礼の感動が過ぎ去ってしまえば、後に残ったのは戦で現実に経験した、殺し合いの恐怖だった。
「未だにこの感触が残ってるんだ」
シギがリウヒの腕の中で、震えながら言う。
「剣が人の体を突き刺した時の感触が手に……。あっけないほどずぶずぶ入っていって、そいつは倒れたんだ。多分死んだんだろう。他も血が飛んで……なんか臓器みたいなものが出てきて……。なあ、リウヒ。おれは人を殺したんだ。それも何人も」
「うん……」
「何人も殺したんだぞ。どうして逮捕されないんだ、これは罪だろう。死刑だろう。あの人たちも、奥さんがいて、子供がいて、父親の帰りを待っていたのかもしれない。恋人がいて、結婚の約束をしていたのかもしれない。おれは、犯罪者なのに、人を殺したのに、どうして……」
「でも、シギが助けてくれなかったら、わたしは死んでいた」
ねえ、シギ。聞いて。
「あそこで人を殺さなければ、シギは生きてなかったんだよ。わたしだって、生きてなかった。今まで、人が死んでいくのって他人事だった……」
祖父や祖母の葬儀は、あまりにも儀式化し過ぎていて実感が湧かなかった。テレビの中は自分と関係のない遠い所の出来事だった。ドラマだろうが、映画だろうが、ニュースですらも。
だから、イベントにでも参加する気持ちで戦に出た。実感と恐怖は後から襲ってきた。
行くべきではなかったのだ。
あの数々の死体。漂っていた濃い血の匂い。狂ったように殺し合う人々。
それでも。
「わたしは、シギとカスガが生きていてくれただけで、嬉しい」
抱いている腕に力をいれると、オレンジ色の頭に顔をうずめた。
***
酔いに任せて、見知らぬ人たちと抱き合い、肩を組む。どの顔も笑顔でいっぱいだ。
夜空の下、大笑いしながらも、カスガの心はあの戦のシーンを、繰り返し繰り返し再現していた。
ぼくは人を殺したのに、どうしてこんな所で笑っているのだろうか。笑えるのだろうか。
血と汗にまみれた体は、宿の風呂で落としたはずなのに、未だに生臭い匂いがする。
何人殺したんだろう。現代なら立派な犯罪者だ。死刑になってもいいくらいの。
だけど、あそこではそれが正しい行いだった。
なぜならば、それが正義だから。
宮廷軍を打ち破って、正しい王を宮に届ける。そんな大義名分があったから。
じゃあ、正義なら人を殺してもいいのか。
……分からなくなってきたな。
カスガは、疲れて段差に腰を下ろした。
多分、シギとリウヒも強いショックを感じているだろう。二人に遠慮して外にでたはいいが、一人で耐えられる経験ではなかった。
だって、ぼくたちは人を殺した。それも何人も。
参戦した民も同じだ。殺人を犯した人なんてそういなかっただろう。だけど、彼らは自分たちの生活を守る為に、あそこに行ったのだ。きっと今も、これからも誇りに思うだろう。
でもぼくたちはこの時代の人間じゃない。帰れるか分からないけど、未来の人間なのだ。
興味本位でついて行った自分たちとは、本気の度合いが違う。しかし、時間を戻してまた戦いに参加するかどうかと聞かれたら、カスガは一も二もなく、参加すると答えるだろう。どちらにしても、しばらくはトラウマになりそうだ。
遠くに見える宮廷は、かがり火が焚かれており、闇夜に幻想的に浮かんでいる。
新しい王に立った少女は、今頃何を思っているんだろうか。
***
王座は、少女の体には大きすぎた。
その豪奢な椅子の上で、リウヒは膝を抱えてただ一点を凝視している。
竜が花や飛沫や風を従えて、天に昇る様を掘った黄金の扉を。
夢のような楽しい時間は終わった。永遠に続けていたかった旅も終わった。
これからわたしはここで、このティエンランの国王としての務めを果たさなければならない。
だけど、わたしのとった手段は、最初から間違えていたのではないだろうか。
竜を睨みつける両目から涙が溢れてくる。
父王が崩御するまで待っていたら、戦はなかった。それは思ったよりも早かった。宮廷に自分が入った時、父はもう死んでいたのだ。
もう少し、あともう少しだけ待っていればセイリュウヶ原が、血に染まる事はなかった。宮廷軍だって、ティエンランの民だ。
丁寧に埋葬するよう頼んだが、あそこで命を散らせたものにも家族が、友達が、恋人がいただろうに。
小さく鼻を啜る。
わたしは、王の資格があるのだろうか。兄さまに、力ずくでも帰ってもらった方がよかったのだろうか。
柔らかい絹で包まれた膝は、涙でぐっしょりと濡れていた。
「陛下」
足音が聞こえて、目の前にシラギが膝をつく。
「……どうされたのです」
リウヒの目は相変わらず黄金の扉を睨みつけたままだった。
「己の不甲斐なさに意気消沈していたところだ」
そして、自分の声の頼りなさに再び情けなくなってしまう。
「お話を聞かせてはくれませんか」
優しいその声にリウヒは驚いた。この男は、こんな声も出せるのか。そして、シラギに導かれるまま、ぽつぽつと語り出した。
「リウヒ」
武人の美しい手は、白い頬を伝う涙をそっと拭った。
「あなたは、あなたの正しいと思ったことをやった。そしてその判断は、わたしは間違っていないと思う」
静かに言い聞かせるようにシラギは言葉を紡ぐ。王座に座る少女に跪き、その頬に掛かる涙を拭いながら。
「第一、最初から完璧な人間などいない。なんでも一人でやろうと思うな。リウヒの周りには、わたしたちがいる。そして王を支える臣下たちがいる」
「でも、これからも、みんなに甘えるわけには……」
「甘えではない。リウヒ。よく考えなさい。無理をして王が倒れたらどうする。臣下は、民は不安に思い動揺するではないか」
「そうか……」
「そうです」
安心させるように笑うと、シラギは立ち上がった。手を差し伸べる。
昔と変わらず黒一点を纏う男をリウヒは見上げた。そしてその手に、自分の小さな手をのせた。
「東宮では、三人娘とあの連中が待っている。遅れるとトモキがうるさいですよ」
リウヒも小さく笑った。
「ありがとう、シラギ。お前は頼れる男だな」
「お褒めいただき光栄です」
「ずっとわたしの傍にいてくれ」
シラギはなぜか、一瞬身を固めたが、嬉しそうに微笑んだ。
「御意」
***
王女が見事な上意の礼をしてから数日が経った。
税は瞬く間に元に戻り、治安も緩やかに良くなってきている。
チームカスガの三人も戦のショックから少しずつ立ち直っていった。
が、シギは、リウヒたちの前では何でもない振りを装うものの、寝る前に色々考え始めると、もう止まらなかった。
人を刺した時のあの感覚。戦場の匂い。敵が向かってきた時の恐怖。
体は勝手に震え始め、後悔と胸の痛みが襲ってくる。
横で寝ているはずのリウヒが、敏感に察して慰めるように抱きしめてくれた。
「大丈夫だよ。あそこで亡くなった人たちは、みんな新しく生まれ変わるんだから。またこの世に生まれてくるんだから」
「なあ、リウヒ」
違う事を考えたくて、息を吸い込む。
「なあに?」
「お前が見た、おれの前世の人はどんなだったんだ」
「うーんとね、他の人とは着てるものが違って……多分、海賊だと思う。鍬とか鋤とかもってなかったし」
そうか、やっぱり海の男だったのか。
「ねえ、シギ」
「ん?」
「現代で宮廷跡に行った時さ、ほら、初めてキスした時……。シギはどんな声が聞こえた?」
なんで、また今更……。
「この娘と離れたくない、でもこいつはここから動けない。おれと一緒に来てくれ。お前を愛しているんだ。だけど言えない。言えばお前は困るだろう…って。すごく悩んで葛藤していた」
「お願い、わたしの前からいなくならないで。あなたがこのまま、わたしを残して去っていくのなら、一緒についてゆきたい。でも、それは叶わない。恋する男について行く事もできない……って、わたしの中の声はした」
シギは思わず身をおこしてリウヒを見る。
「分からないよ。でも、もしわたしの前世が王女で、シギの前世があの海賊の青年だったら……」
「どうでもいい」
そんなこと、どうでもいいとシギは思う。
「おれはお前さえいれば、それでいい」
細い体を抱きしめると、リウヒも腕を回した。
「そうだね。わたしはわたしで、シギはシギだもんね」
「よくなーい!」
甘いキスをしていたシギとリウヒは、仰天して慌てて離れた。
「なんだよ、カスガ。驚かすなよ……」
「あー。びっくりした。寝てたんじゃなかったの」
「バカップル! このバカップル!いちゃつくの禁止って何度言ったら分かるんだ! 一人淋しいぼくの気持ちも考えてよね。それに、二人の前世が王女と海賊の男なんて、すごいことじゃないか!」
しまった、古代オタクの魂に火が付いてしまったらしい、とバカップルは顔を見合わせた。
「うんうん、すごいすごい。さ、寝ようか」
「どうして、君たちはいっつもいっつも、感動が薄いんだ……」
ため息をついてカスガがベッドに突っ伏す。
「だってさあ、前世を知ったからって、別にどうなるわけでもないしさあ……」
「このリアリストめ」
「カスガがロマンチストすぎるの」
「とにかく、もう寝ようぜ。カスガの前ではいちゃつかないからさ」
「おやすみー」
蒲団をかぶると、リウヒがひっついてきた。そっと唇を合わせてくる。ばれなきゃいいんだよね、と小声で囁く恋人にシギも小さく笑ってキスをした。
こいつがいるから、おれはあの恐怖を忘れることができる。カスガがいるから、笑うこともできる。
「ばれてるよ。本当に君たちは、超がつくほどバカップルだよ……」
不貞腐れたようにカスガが言った。




