セイリュウヶ原の戦い 2
宮廷と都が見えた時、リウヒは安堵の息を漏らした。道を間違えないで良かった……。
後ろでシラギとカグラが、小声でやり取りをし、カグラが列を離れて都へ駆け去った。
「なにをしにいくのだ」
「あちらに報告に行った」
後ろでは民や海賊たちの声が上がっている。ふと振り返ると通過した村や町から付いてきたのか、それとも、駆け付けたのか人数がとてつもない数に膨れ上がっていた。子供や老人までいる。
この人たちの生活を、わたしはこれから背負うのだ。
あの光り輝く本殿の中で。
その責任の重さに心が沈んでくる。
だけど、大丈夫。大好きなみんながいてくれるから、わたしは自分の大義を果たすことができる。
「リウヒ」
シラギが横に馬を進めた。
「上意の礼を知っているな」
「勿論だ」
ティエンランの王はその生涯に一度だけ礼をする。最上位の礼を、即位時に国民に向かって。
「これからやるのだ。あの正門下で」
「……父王と、ショウギは……」
「我々が付く頃には、すでに崩御遊ばれ、消えている」
思わずシラギの顔を覗きこんだ。シラギは真っ直ぐに自分を見返している。
「そうか。分かった」
リウヒは歯を食いしばると、再び視線を天の宮に向けた。
都の大通りは沢山の人たちが両側に並んで、歓喜の声を上げて出迎えた。
みなが声を上げれば上げるほど、笑顔を見せれば見せるほど、寄せられる期待に潰れそうになる。
いやいや。リウヒは顔を上げた。まだ王になっていないのに、弱音を吐くのか、わたしは。
大階段前で馬を下りると、長い長い階段を登りはじめた。
あの頂点が、わたしのいるべき所なのだ。後ろからは歓声が絶えやまない。
キャラが小声で愚痴をこぼし、トモキがその腕をとって励ましている。
シラギはほとんど担ぐようにカガミを支え、マイムは平然とした顔で上っていた。
トモキがいなければ。
上を見上げながらリウヒは登る。
トモキがいなければ、わたしはここにはいなかった。きっと、あの東宮で殻に閉じこもったまま暮らしており、謀反でショウギに殺されていただろう。
そのトモキを連れてきてくれたのは、シラギだった。
初めて友達だといってくれたのは、キャラだった。
姉のように、ただの少女として接してくれたマイム。
カグラは――よく分からないな。リウヒは小さく笑う。
そして、外の世界へ連れ出してくれたのは、カガミだった。駒として見られていたとしても、掛け替えのない世界を見せてくれた。
正門下に立ったリウヒは驚いた。宰相以下、大勢の臣下がこちらに向かって跪礼をしている。トモキ達も後ろに立って、それに倣った。リウヒは微笑むと民衆に向き直る。
わたしの大切な国民たち。
両手を胸の前で合わせた。
この身にかえても。
右足を後ろに回す。地が小さく鳴った。
我が国と我が民を守ることを誓う。
ゆっくりそのまま沈み右膝を付くと、静かに頭を下げた。
****
王女が頭を下げると、爆発音に近い歓声が沸いた。熱狂状態にあるといっていい。
胸の前で、手を合わせて、膝をついて頭を下げる。ただ、それだけの動作なのに、なぜこんなに感動するんだろう。
リウヒは涙をこぼしながら、国の頂点にたった娘を凝視していた。
ねえ、小さな王女。
わたしは、ずっとあなたが嫌いだった。
美人で勇気のある正義のお姫さま。
そんな典型的ヒロインのあなたが大嫌いだった。
同じ名前で、小さな頃から苛められた。
コンプレックスもあったし、親も恨んだ。
でも、実際のあなたは違った。
自分とそっくりな平凡な顔だったし、王に立つその行動は、色んな人の思惑が絡んでいた。
それでも、今は、あなたと同じ名前だということに誇りをもっている。
もしかしたら、あなたの生まれ変わりだということが素直に嬉しい。
こんなに民に祝福されているあなたを、すごいと思う。
感嘆するほど美しい礼をしたあなたを、とても尊敬する。
あなたはあなたの人生を立派に生き抜いたけど、わたしはこれからの人生を、わたしなりにがんばって生きてみせる。
わたしがなぜ、この時代に来たかは分からない。
だけど、あなたを見ることができて本当に良かった。
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「あなたたちには、お世話になったわね」
最後の報告をしたワカに、ジュズが微笑んだ。
「ショウギの息子が気になるけど……。まあ所詮、虫ケラだわ、大丈夫でしょう」
それにしても、カグラは本当に変わったこと。目を細めてクスクス笑う。その顔は柔らかく嬉しそうで、美しかった。
「小さな王女の上意の礼は、とても見たかったのだけど、残念ね」
「見事に堂々としていたそうデス」
あのイランが褒めたくらいだ。
「これが報酬の後金よ。またお願いする事があれば、その時はよろしくね」
「ありがとうございマス。ジュズサマ、お元気デ」
老女が微笑んで手を伸ばした。そこにワカが入るとゆっくり抱きしめられた。
とても温かくて、いい匂いがする。
母親とはこういうものなのか、と少し泣きそうな気持ちでワカは思った。自分には両親の記憶も幼いころの思い出も何もない。何度も血を吐き気絶をした、苦しい修練の記憶しかない。
しばらくジュズは、母が娘を慈しむように頭を抱きかかえて背を叩いていたが、そっと少女の体を離した。
「あなたもお元気で。さようなら」
ワカはにっこり笑うと、丁寧にお辞儀をし、部屋を出た。
外の雑木林では、イランが木に凭れてワカを待っていた。
「お疲れ」
「お疲れさまデス。これヲ」
ジュズからもらった金を渡す。イランは重さを確かめるように二、三度掌で弾ませると、懐にしまった。
「以外と早く終わりましたね」
「あのチビが国王かー。小娘が権力持つとロクな事になんねんだよなー」
「はやく里に戻りましょうよ。働き過ぎてもうクタクタ」
上から声がする。
「帰ろうか」
木枝が揺れた。仲間たちは早速帰ったらしい。
「いくぞ」
「先に行っててくだサイ。すぐに追いかけマス」
にっこり笑っていったが、イランは目を少し見開いてワカを見つめた。
「……めずらしいな。いつもはいの一番に駆けて部屋で爆睡するお前が」
「まア……。今回、あたしは楽だったのデ……」
「なにかあったのか」
ああ。ワカは目を閉じる。怖くて優しい人。あたしの大好きな人。
「なんでもありまセン。帰りましょうカ」
「ワカ」
両手で首を挟まれ、上を向けさせられた。
「よく聞け。お前は心が弱すぎる。任務の度に余計な感情をはさむな。情を移すな。情けをかけるな。今回もそうだ。そして今までもそんな事が何度かあっただろう」
それで失敗したこともある。イランは激怒しワカを半殺しにした。その時の傷は今でも背中に残っている。
「そんな調子じゃ、いつかお前の心は壊れるぞ。おれは、それは……」
イランの目が一瞬揺らいだ。
「……頭として許せねえ」
「申し訳ありまセン……金輪際、二度とないよう気をつけますノデ……」
あたしを見捨てないでくだサイ。目に涙をためて、イランを見た。
「お前次第だ」
静かに引き寄せられて、頬を撫でられる。二人とも目線は逸らさない。
「お前次第だよ」
親指の腹がワカの唇をなぞった。
「あたし次第……」
死ぬ事も恐くない。
「そうだ。今後の仕事で証明しろ」
殺す事も恐くない。
「はイ……」
この男に見捨てられる事。それだけがワカの絶対的な恐怖だった。
「以後このような事があったら、容赦なく切り捨てるからな」
「はイ」
「よし」
ワカの髪をクシャリと撫でると、イランは凭れていた木から身を起こした。はずみでワカがよろめく。
「帰るぞ」
少女の襟首を掴むと、イランは振りかぶってその身を思いっきり、空に向かって投げた。ワカは悲鳴を上げ、曲線を描いて飛んでいったが、民家の屋根に猫の如く着地した。そして何事もなかったかのように跳ねて消えた。




