チーム解散 4
シラギの手を取ってしげしげと見ているリウヒに、もうよいだろう、と苦笑が落ちる。
「武人の手とは、美しいものだな」
大きくてゴツゴツした、その手はとても安心感がある。自分の小さくて頼りない手とは大違いだ。手を合わせてみると、倍近くあった。
「はじめて言われたな、手を褒められるなど」
どうやら、トモキに再会時抱きついてから、触れられる恐怖は消え去ってしまったらしい。それが嬉しくて堪らず、リウヒはここ最近、いつもの仲間にべたべたと触りまくっている。みなは苦笑しつつ喜んだ。キャラやトモキには何かと言えば抱きつく様になったし、マイムは、からかいを含めてリウヒを抱きしめ、何回か胸の谷間で死にそうになった。わたしも大人になったら、あんなにふくよかな胸になるのだろうかと、湯浴みの度に、自分のものを見るのだが、残念ながらこれ以上成長してくれそうになかった。
カガミの腹にも触らせてもらった。案外硬くてびっくりした。
「ここに詰まっているのは脂肪じゃないんだよ。限りない知識と希望がつまっているんだ」
酔ったオヤジの戯言は
「なるほど、ではカガミさんの腹をかっさけば、素晴らしいものが見られるのですね」
カグラの感心した皮肉で打ち返された。
そのカグラは誰もいない宿の一室で、微笑みながらリウヒを膝の上に乗せて甘く囁いた。
「夢の世界に行ってみたいと思いませんか」
そこにけたたましく扉を開けて黒と金が乱入し、シラギはリウヒを抱き上げ、マイムは銀髪を殴った。
「幼児虐待、色魔退散! この外道!」
馬鹿じゃないの。あんた馬鹿じゃないの。殴る事はないでしょう。言い合いをしている二人を部屋に残し、シラギはさっさと下に降りる。
「なあ、シラギ。夢の世界ってなんだ。それにマイムはなんであんなに怒っているんだ」
「リウヒはまだ知らなくていい」
危ないところだったと一人ごちて、シラギがリウヒを下ろすとトモキとキャラが駆けてきた。
「ねえ、旅芸人が港に来ているんだって」
「リウヒもいこう。シラギさまもどうですか?」
「行っておいで。ただし、気を付けて」
三人ははしゃいだ声で返事をして、じゃれながら走っていった。その後ろ姿をシラギは、宿の戸に凭れて見送っていたが、小さな笑みを浮かべると、中に入って行った。
***
扉の中に入ると、窓際に老女が椅子に座って茶を飲んでいた。ただそれだけなのに、絵になっている。
[そろそろ、また旅に出ようかと思いまして]
バイトで培った精一杯の愛想笑いをしながらシギは言った。
[今までとてもお世話になって申し訳ないのですが、明日にでも発とうと思っているのです]
[あなたのお国はどちらだったかしら]
[ジンです]
[まあ。そうだったの。ヤン・チャオはお元気?]
誰それー! いやいや、まてまて、知っているはずだ。かなり重要な人物だ。今まで勉強した二年前の知識を必死で繰る。しかし、焦ったシギの頭は空回りを続け、結局思い出せなかった。
[げ……元気です、多分]
そう。老女はゆったりと微笑むと、傍で控えていたワカにティーカップを渡した。
[残念ね。一生懸命働いてくれたから、心名残もあるのだけど……。明日は、ワカ、あなたお見送りして差し上げなさい]
ワカは一瞬顔を引き攣らせたが、はイ、と素直に返事をした。
その後、台所に来た少女を捕まえヤン・チャオとは誰かと聞いた。
[ジン国の第三王子デス。なんでそんなこと聞いたんだロ……?]
思い出した、狂王! ティエンランに攻め入ってきた王だ。でもあの老女となんの関連性があるんだ。ああ、もっと歴史を勉強していれば、カスガがここにいれば。
[シギは、明日、本当にここを出て行くんデスカ]
[ああ。あいつに会いに行く]
もう、待ってられない。居場所が分かったら、ここにいる理由もなかったし、なんとなく薄気味悪さも感じていた。
[どんな人?]
好奇心に輝く少女の顔は、いつかの王女の顔とダブった。恋に恋する顔は、みな一様に同じなのだろうか。
[我儘で、自分と飯の事しか考えていない色気皆無な女だよ]
小さく笑って答えるシギに、ワカは目を丸くした。
[それは中々に、苦労しそうデスネ……]
[まったくだ。お前の好きな人はどんなだ?]
[怖い人デス]
少女も小さく笑った。
[でも、優しい人]
思い出したのか、顔がほんのり赤くなる。
[お前も苦労しそうだな]
[まったくデス]
二人は顔を見合せて、クスクス笑った。
翌朝。旅立つシギにワカも、トホトホと付いてきた。見送りの割にはずっと一緒にいる。その顔は、悩むように歪んでいた。
[お前、どこまで付いてくる気だよ。あんまり遠くなると、帰りが大変だろ]
シギが苦笑すると、ワカは仕方なさそうに止まった。
[じゃあ、ここデ……。あの、最後にお願いがあるのデスガ]
なんだよ。キョトンとするシギに、思い余ったように顔を上げた。
[シギが身につけているものを一つくだサイ。何もなければ指でも目ん玉でもかまいまセン]
[どんなお願いそれ!]
驚愕して身を引くシギに対し、ワカは真剣だった。
[何でもいいんデス。お願いシマス!]
そんな事言われても……。困ったように体に手を巡らす。ふと触ったのは首から下がっているクロスのネックレスだった。別れた女にもらったものだが、気に入っていた品だ。指よりはマシか。おしい気もしたが、ぶちりと引きちぎって少女に渡す。ワカは喜ぶと思いきや、安堵の息を吐いて、それを受け取った。
[ありがとうございマス。お元気デ。道中の無事を祈ってマス]
[ワカも元気で]
にっこり笑う少女に手をあげて応え、シギは踵を返して歩き始めた。
***
男の姿が見えなくなると、ワカは笑顔を引っ込めた。そして、道脇の雑木林の中に入ってゆく。そこには、短髪黒髪の端正な顔をした男が木にもたれ掛かっていた。
「どうしてあの男を殺らなかった」
「申し訳ありまセン……。でも、計画には無害だと判断しまシタ。いたずらに人を殺すのハ……」
男の手が下から上へなぎ払われる。乾いた音がして、ワカの頬が打たれた。
「だからお前は、いつまでたっても半人前なんだ」
おっかねー。クスクス。
上の木々から声がする。
「どうすんだ。おれが行ってこようか」
「ワカ。本当にあの男は、無害なんだろうな」
「はイ。自信をもって言えマス」
「なにかあったら、半殺しじゃあすまねえぞ。……そういうことで、あれは放っておいていい。お前ら、先に行け。おれはこいつを説教してから追いかける」
もう結局イランはワカに甘いんだから。あー酒飲みてー。
木々が揺らめく音がして、二つの気配が消えた。
俯いているままのワカの頬を、男の指が這った。
「痛かったか」
「痛かったデス」
打たれた頬は、ジンジンと痺れている。その内腫れてくるだろう。指はしばらく頬を撫でていたが、顎に回り持ち上げられた。ワカの顔が上がる。短髪の男――イランと目が合った。底冷えのするような目だった。
「どうしてあの男を殺らなかった」
もう一度、同じ事を聞かれた。
「情が湧いたか。それとも惚れたか」
「……少しだけ、情が移ってしまいまシタ」
会いたい。ただその言葉だけで男と女は泣いた。それを見た時、ワカは仰天を通り越して感動してしまった。
「ジュズサマには、消したと伝えマス」
これもあるシ、と男が首から引きちぎった、けったいな飾り物を見せた。
「雇い主に嘘の報告をするつもりか。そこまで執着しているのか」
「嘘も必要な時があるでショウ? そう教えてくれたのはあなたデス。それに、あの男は恋人に会うために出て行きまシタ」
「ふん」
「イラン」
顎にかかっていた男の手を取り、自分の口にそっと付けた。
「あなただけが、あたしの全てなんデス。それは分かってくだサイ」
「当たり前だ。おれがそういう風に教育したからな」
そして認めてもらいたいんなら。イランはその手を、勢いよく横に払った。反射的にワカの体がビクリと跳ねる。
「仕事で結果を残せ」
口の端を歪めて言い残すと、去っていった。
ワカはぽつねんと雑木林の中に立っていたが、涙をこらえ、跳ねるように駆けだした。
***
井戸のつるべを回すと水が跳ねた。この時期には冷たくて気持ちいいが、冬になったら辛いだろうなと思いながら、桶をもつ。よいしょ、と手桶を持ち上げた瞬間、こぼしてしまった。
構わず、道をゆく男を凝視する。あのオレンジ頭、痩せぎすの体。
[どうしたの、リウヒ]
ユキノさんの声も耳に入らなかった。
「シギ……!」
足が勝手に動いた。裾が邪魔で縺れる。男もこちらに気が付き走りだした。道の真ん中、飛び込んで抱きついたリウヒをシギもしっかりと抱きしめた。
「シギ!シギ!」
「会いたかった……!」
「わたしも」
噛み付く様にキスをするとシギも応じた。嬉しさと懐かしさが、わき上がってきて眩暈がする。ああ、すごく会いたかった。この人が大好き。
「ごめんね」
「なんであやまんだよ」
「ごめん」
キスの合間に息つぎのような会話を交わす。ふと、後ろからの視線を感じて、慌ててシギから身を引いた。ユキノさんが、呆然としたように、なおかつ当てられたように赤い顔で立っていた。
[まああ、離れ離れになっていたリウヒの恋人……]
お茶を出されて、シギが赤い顔でお辞儀をする。リウヒは恥ずかしくて顔を上げられない。
彼氏とのラブシーンを母親に見られた娘のようだった。
[あっあの、かあさん]
台所にひっこんだユキノさんを追いかける。
[急で申し訳ないのだけど、明日、発とうと思うの。友達も待っているし……]
そして、そろそろ王女が立つ噂が流れるはずだ。
[ええ、いってらっしゃい]
ユキノさんは、リウヒの手を握って言った。
〔今まで、本当にありがとう。わたしは、あなたに娘をみていたのよ。とてもそっくりで、同じ名前で、幸せな夢を見せてくれた。あなたに甘えていたのもあるかもね。すごく楽しかったわ〕
歌うようなその声を聞きながら、リウヒの目から涙が溢れてきた。わたしが出て行ったら、この人はまた一人なのだ。
[ねえ、かあさん、トモキのところに行くべきだと思う。今はバタバタしているけど、落ち着いたらきっと、また連絡がくるよ]
うっかり言ってしまってから、しまったと思った。案の定、ユキノさんは驚いた顔をしている。どどどどうしよう。
[トモキさんを知っているっていう人と話したことがあるんです。おれたち]
ナーイス、シギ! でもちょっと微妙!
[あの子は無事なの!]
[はい、その妹さんも無事です]
ユキノさんは、安堵のため息を漏らした。ごめんね、もっと早く言えば良かったと謝ったら、いいのよ、と泣いた。
「トモキとハヅキは、兄弟だったのか」
深夜。リウヒはベッドの上で、シギの腕の中にいる。そのシギは壁に凭れるように座っていた。お互いの今までの経過は、それぞれが驚くことばかりだった。
「トモキの弟がハヅキ……でも、そんなことが……」
小さくブツブツ呟いているシギをリウヒが不思議そうに見た。
「どうしたの?」
なんでもねえよ、とキスをされた。甘い感覚に流されそうになって慌てて唇を離す。ハヅキの昔使っていたベッドの上で、そういう事をするのは、なんとなく嫌だった。
「しかも、幼少期の王女も預けられていたの」
居間の柱に、傷がいっぱいついていた。身長を計った後の傷だ。片面がハヅキで片面が王女。
トモキが計っていたというそれは、ハヅキよりも断然王女の方の傷が多く、複雑な心境になった。
「兄弟って、大変だな」
甘えるように、頬を男の肩に擦りつける。そして気に入りの、きれいな喉仏をとっくりと鑑賞した。
「シギは変な所にいたんだね」
夜更けにやってきた少女。不可思議な老女。
「早くカスガと合流して、もう一度話さねえと」
「ねえ、スザクに行く前に、都に寄りたい。昔のバイト先に顔を出したいの。この情勢でどうなっているか不安なんだ」
「分かった」
密やかな声は、その内無言になった。