チーム解散 3
シラギがいきなり中腰になって、弾みで倒れた猪口から酒がこぼれた。一点を食い入るように凝視している。その視線を辿ってリウヒたちは驚いた。驚愕といってもいい。
酒場の隅にいた集団の中に、兄がいた。赤茶けた髪と翡翠の瞳をもつ、消えたはずの兄さまが。
驚きの為、身動きできないでいるみなを尻目に、シラギはつかつかとそちらに向かうと、男たちと悶着をはじめた。マイム、カグラ、カガミが慌てたように仲裁に入る。
キャラが何も分からずに、トモキとリウヒに訳を聞いたが、二人とも何と説明したらいいか分からなかった。その内、話がついたらしい。兄さまと共に、ついてゆくことになった。
「あたし、先に宿に帰ってるね」
なぜか小さく悲しげに言うと、そのままキャラは帰ってしまった。
みなと共に兄の後を付いてゆきながら、リウヒは首をかしげる。どうして兄さまは、海賊などされているのだろう。
こぢんまりとした一軒家で、兄はその疑問に答えてくれた。
「ここがわたしの居場所だからだよ」
居場所。では、わたしの居場所とはどこだろう。シラギの険を含んだ声とアナンの呑気な声を聞きながら、リウヒは考えた。
トモキの家か。この外の世界か。それともあの東宮か。巡る頭の中に、必ずいるのは、この愉快な仲間たちだった。
ああ、そうか。
みんながいるところが、わたしの居場所なんだ。外の世界だろうが、あの宮廷の中だろうが。
「では、力ずくで連れ戻すだけです。あまりの我儘に反吐がでそうだ」
聞いたことのない、シラギの低い声が聞こえた。声で殺せそうな迫力だった。
「黒将軍はなんだか表情が豊かになったね」
対象的な、兄の呑気な声がする。
「わたしを脅そうが、連行しようが無駄だよ。可愛い部下たちが黙っちゃいないからね」
室内を異様な殺気が漂っている。
兄は王位に就くのを拒否している。となれば、残るは自分しかいない。
でも、みんなは付いてきてくれるだろう。王女である自分について。わたしの居場所は、このみんながいるところだ。それが見知らぬ村であろうと、王座であろうと、どこでもいい。息を小さく吸って、リウヒは声を上げた。
「わたしが王に立ちます」
緊張は一気に解けた。視線が自分に集まる。思わず踏ん張り再び息を吸い込んだ。
「わたしが王族の義務を果たします。だから兄さまは今まで通りでいてください」
***
なんか、今までのバイトと違う、これ。シギはこっそりため息をついて顔を上げた。
扉を叩くと少女の声が応ずる。
[夕餉をお持ちいたしました]
[ありがとう。ワカ、そこに置いてくださいな]
老女が椅子に座って、ゆったりと微笑んだ。若いころはさぞかし美人だったと思わせる、物腰柔らかな老女だった。ワカと呼ばれた娘が、シギから盆を受け取る。
[どモ]
小さく頭を下げるとにっこり笑って扉を閉めた。目の前で。
北の小さな町にたどり着いたシギはこの不況の中、中々高額なバイトにあり付いた。
住み込みで、老女の世話をすればいいという。その家に行くと見た事もない上品な家で、そこの主人である老女もこれまた品があった。名前は知らない。
ただし、直接世話をしているのはワカという可愛らしい少女で、シギは小間使いのように飯を作ったり、掃除をしたりの仕事をしている。
まあ、仕事があっただけでもラッキーだった。税はついに、桁違いに上がった。外は苦しみの声でいっぱいだ。人々の目付きも恐い。
リウヒは大丈夫なんだろうか。恐ろしい目に合っていないだろうか。頭を巡るのは、その事ばかりだ。まさか人浚いにあって、遠くの国に売られているとか、色町に……。悪いことばかり想像してしまう。そして、そうでないと言い切れないのが、つらかった。
しかし、探すにしても、旅をするにしても金がいる。この仕事である程度の金を稼いで、それから探しに行くしかない。もどかしさを抱えつつ毎日は過ぎ去っていった。
[シギはいつも元気ないデスネ]
台所の机に突っ伏していたシギが、顔を上げると食器を下げに来たワカと目が合った。
[悩み多き年頃デスカ?]
[そうだな。悩み事は多いよ]
大変デスネ、とにっこりすると、出て行ってしまった。あの娘は悩みごとなんてなさそうだな、とふとうらやましくなった。
ある日、老女に呼ばれた。ワカがお使いにいったまま帰ってこないという。
[あの子のことだから、大丈夫とは思うのだけど、迎えにいってくれないかしら]
この情勢に、娘一人で外に出すなんて。呆れつつも辿るだろう道筋を教えてもらい、外に出る。夏の風が吹いた。ここに来てから、もう二年近くも経つのか。年月というものは、えらく早く過ぎ去るものだ。そして、リウヒに堪らなく会いたくなった。
恋しいとはこういう気持ちなんだな。胸がキュウキュウと痛んで切ない。
目的の少女は家から出て、十分くらいで見つかった。が、道端で凍り付いたようにかたまっている。真っ青な顔をして。
[どうしたんだ]
その声に、びくりと肩を震わせると縋るような目で見つめられた。半泣きだった。
[あれガ……]
少女が震える指で指す方向には、何もいなかった。シギの歩いてきた赤茶けた土道。否、いた。小さな、小さな雨蛙だった。つぶらな瞳でこちらを見上げている。
[お前……。もしかして蛙が怖いのか?]
[その、その単語をいわないでくだサイ! いーヤー!]
絶叫するワカを尻目に、雨蛙をつまんで草むらに放ると、小さく鳴いて飛んで行った。
[あの、その、あの、……ありがとうございまシタ]
律儀にぺこりと頭を下げる少女に、なんのこれしきと苦笑する。
〔さ、帰ろうぜ。ジュズさまが心配している〕
〔はイ〕
しばらくワカは、歩きながら考えるように下を向いていたが、決心したように顔を上げた。
[お礼に、願い事を一つだけ叶えてあげマス]
シギの目が点になる。なにこいつ、魔法使い? それともランプの精?
[願い事って……]
[あっ! でもあたし、好きな人がいるので、そういうのはだめデス]
慌てたように付け足す。子供に欲情するほど飢えてないっつの。
[おれも好きなやつがいるんだよ]
ワカが弾かれたようにシギを見る。
[だけど、はぐれちゃって、どこにいるのか分かんねえんだ]
そいつを見つけてくれないかな。無事かどうかわかるだけでもいい。それだけが今のシギの、切実な願いだった。リウヒの特徴をフンフンと聞いた少女は眉を顰めた。
[分かりました、十日くだサイ。その人に伝言などはありまスカ?]
からかっているのか、こいつ。しかし、ワカの目は真剣だった。
[会いたいって]
空は茜色に染まっている。カラスが鳴きながら山の方へ飛んで行った。
[滅茶苦茶に会いたいって伝えてくれるか]
***
シギに会いたい。リウヒは粗末なベッドの上で、枕を抱えた。昔、ハヅキが使っていたベッドだった。
わたしは卑怯者だな。枕を抱く手に力を込める。何も言わなくても、自分の気持ちは伝わっていると思っていた。シギは、ちゃんと言葉に出して、大好きだと言ってくれた。でもわたしが口に出したのは、醜い嫉妬の言葉だけだった。
次に会ったら、絶対に好きだと言おう。あの時の態度を謝ろう。例え、許してもらえなくても。もう好きじゃないと思われていなくても。
税が跳ねあがって、ユキノさんの暮らしも随分つましくなった。トモキが宮廷に入った時から支払われていた金は、すべてハヅキの学費に回していたそうだ。ところが、いきなりそれが止まった。ハヅキは大学にいることができず、退学することになったと手紙が来た。
「一度、母さんの様子を見ようと思ったのだけど、里心が付いてしまうから諦めます。いろいろと心配かけて、ごめんね。本当にごめん。少し旅にでます。帰ってきたら、必ず母さんに会いに行くから、それまでお元気で。兄さんとリウヒによろしく」
[あの子ったら……]
その手紙を読みながら、ユキノさんは泣いた。リウヒも泣いた。
あの時、まっすぐ大学を訪ねればよかった。もしくはハヅキがここにくれば、会うことができたのに。
[都で……子守りの仕事をしていた時に、ハヅキがそこの家庭教師をしていたんです。とても優しくていい子だった]
ユキノさんは、目を丸くしてしばらくリウヒを見ていたが、大きな息を吐いた。
[……あなたは……リウヒは、本当に不思議な子ね。とことん、この家と縁があるのね]
[本当に]
だけども、会ってわたしは、どうするつもりだったんだろう。今、心の中はシギでいっぱいだ。
小さく息を吐いて、枕を抱えたまま窓を見た。と、その目が驚愕に見開いた。人が窓辺に立っている。
――泥棒だ!
ところが体が動かない。魅入られたように、黒い人影を凝視するだけだ。
[静かニ。危害は加えまセン]
女の子の声だった。驚きが二倍になる。月明かりにぼんやり照らされたのは、やはり可愛い少女だった。黒っぽいぴったりした服を着ている。その子は人差し指を口の前で立て、低く小さな声をだした。
[リウヒサンデスネ?]
なんでわたしの名前を知っている! だが、顔はコクコクと頷いた。
[シギサンから伝言を言付かっていマス]
驚きは更に倍増した。なんでシギが、なんであんたが、なんでこの子が。
[会いたい、滅茶苦茶に会いたい、ト]
混乱する頭の中で、それはクルクルと回る。
ああ、シギ。涙が出てきた。止まらずに後から後から溢れてくる。
[シギサンに伝えたいこと、ありまスカ?]
[ある]
涙に濡れた声が出た。
[馬鹿って]
それから
[シギにすごく会いたいって伝えて]
少女は、了解したという風に頷くと、にっこり笑って窓の外に飛び降りた。ここ、二階なのに! 慌てて窓から外をのぞいたが、誰もいなかった。ただ月だけがひっそりと輝いていた。
***
扉の向こうからひっそりとした声がする。叩こうとした手を止めて、シギは聞き耳を立てた。
[アナンさまったら、そんなことをしてらっしゃったの。あの子らしいやら、呆れるやら]
老女のクスクス笑う声が聞こえる。
[王女サマは、そこで王になると宣言しまシタ。イランが海賊に紛れ、実際に聞いたので間違いありまセン。ただ、次期が来ていないとみなサマに止められていまシタ]
[筋書き通り進んでいるのね、元王子は誤算だったけれど]
[宰相サマにも報告はしておりマス]
なんなんだ、こいつらは。シギの背筋を冷や汗が伝う。
[ただ、そノ……。変な男が王女サマたちを付け回しているようデ……。接触はしていないのですが、なぜか王女サマたちが現れる所に先回りしているんデス]
[害は有りそうなの]
[なんとも言えまセン]
カスガだ。冷汗は止まらない。御寒もしてきた。
[邪魔だと判断したら、消してちょうだい]
[はイ。ジュズサマ]
つい、シギの喉が鳴った。扉の向こうの声がぴたりと止まる。慌てて、ドアを叩いた。
[朝餉をお持ちいたしました]
ワカはいつものように盆を受け取ると「どモ」にっこり笑った。奥に見える老女は、何かを思案するように明後日を見ている。
台所に戻ったシギは、全身にびっしょりと汗をかいている事に気が付いた。
なんなんだ、あの会話は。あの老女は、あの少女は。回転する頭の中で、先ほどの会話を反芻する。王女はただ、踊らされているだけなのか。利用されているだけなのか。それにしても、あの老女は何者だ。いやいや、それよりも、カスガがヤバい。消すとは殺すという意味ではないか……。そしてワカは、お使いを頼まれた子供のように、返事をした。
だいたい、あの子も何者だ。リウヒを探すと約束したものの、何事もなかったように毎日を送っている少女を疑問に思い、老女の部屋を出たワカを付けたことがある。お休みなサイ、と退出した少女は、歩きながらおもむろに服を脱ぎ始めた。思わず口に手を当てたシギに気付く事もなく、出現したのは体にぴったりとフィットした黒装束だった。
脱いだ服を廊下の一角にほると、長い焦げ茶色の髪をポニーテールに括った。そして、無造作に窓から飛び出した。
人間業ではなかった。まるでボールを投げるようなきれいな曲線を描いて、少女はあまりにも身軽に飛んで行った。
夢でも見ているのかな……。非現実さに窓から呆然と見送りながら思ったが、少女が脱ぎ捨てた衣はそこにあった。翌朝のワカは、普段通りの呑気な顔をしていた。
[シギ]
当の少女に突然、顔を覗きこまれ、動揺のためシギは椅子から転げ落ちた。
[ななな、なにかな? なんなのかなっ!?]
尻持ちをついている男をきょとんと見ていたワカは、しゃがんでその耳に口をつけた。
[リウヒサンが見つかりまシタ]
ワカの顔を見る。至近距離で目が合った。少女はにっこりと笑う。
[シシの村にいマス。中年の女性と二人で暮らしていまシタ。伝言の返事ももらってきまシタ]
[なんて……?]
心臓が跳ねた。ドキドキして止まらない。つい、ワカの肩を掴んでしまった。
[馬鹿、ト]
あまりの脱力感に、シギがべちょ、と崩れた。馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。あのあんぽんたんめ。
[もう一つ、もう一つありマス!]
慰めるようにワカが肩を叩く。
[シギにすごく会いたいっテ。泣いていまシタ]
ああ、リウヒ。目の前の床に水滴が落ちた。なんのことはない、自分の涙だった。
[あの……、こんな時になんなんですが、あなたは何者なんでスカ……? それにあの人は、名前も、顔もそっくりでシタ……]
王女に、とは言わなかった。少女の顔は、疑いとおそれの表情が入り混じっている。
[おれも、あいつも、ただの旅人だ]
それよりも。シギは、顔を拭い壁に背をもたせて、ワカを凝視した。
[お前も、あの奥方も、何者だ]
色眼鏡で見れば、小さい頃テレビで見た戦闘ものの、悪役ボスと子分のようだった。
[……あたしはただの雇われている者で、あの方はその雇い主デス]
[何を企んでいる]
[それは言えまセン。知らなくていいことだってアル。あまり知り過ぎると、あたしハ……]
その顔が、苦しそうに歪む。沈黙が流れた。
なんにせよ、とシギが小さな声を出した。ワカが顔を上げる。
[リウヒを見つけ出してくれてありがとう。ものすげえ感謝してる]
なんのこれシキ。ワカがにっこりと笑った。