第五章 外の世界 1
赤毛の少女が今日もやってきた。かあさんと笑いながら台所で、話している。
そこに加わりたいのに、どうしても足が動かなかった。ただ、居間でぼんやりとその光景を見ているだけだ。
キャラというその少女は、リウヒをちらりと見ると、フン、と鼻で笑った。思わずムッとする。
帰りたかった家はもう苦痛でしかない。トモキも自分を置いて出て行ったままだ。わたしを捨てて。
母とカガミはリウヒの為を思って単独、都へ行ったのだと諭したが、リウヒは捨てられたと感じていた。
「そんな訳ないじゃないか。いいかい、トモキくんはトモキくんなりに色々考えて行動しているんだよ。それは全て君を守る為なんだ」
でも、帰ってこないじゃないか。必ず戻ると言ったくせに。
「リウヒ、あなたも手伝って」
「あ、おばさん、それ、あたしがします」
この子はなんなのだろう。なぜ、こうしょっちゅう、この家に来てわたしを憎々しげな目で見るのだろう。
いたたまれなくなって、外に出た。裏ではカガミが薪を切っていた。丸い体が、あぶなっかしく動いている。手伝う訳でもなく、リウヒは壁に凭れてぼんやりとその姿を見ていた。
トモキに会いたい。わたしの大切なにいちゃんに。
リンたちや、講師たち、シラギのいた東宮に戻りたい。あの平和な部屋の中に。
カガミの丸い輪郭がかすんできた。したたる涙をそのままに、リウヒはズルズルと座り込むと身を守るように膝を立てその間に顔をうずめた。
***
後ろでリウヒとシギが楽しそうに言い合いをしている。
「チームなら名前を決めないとねー。何がいいかなー」
「だから、もうそれを言うなって……」
「全員、二十歳だからチーム20? それともチームカスガ?」
「なんでカスガなんだよ」
「だってカスガが隊長だもん」
「チームって隊だったのか」
「班長? 工場長?」
「どっから出てきた工場長! どこの工場出身?」
ティエンランの都を出たカスガたちは、一番近い村を目指して歩いている。現代の服やリウヒがもらった絹の衣やらは、ゲンさんに預かってもらった。親切な髭親父とそのおかみさんは、元気でいっておいでと弁当まで持たせて見送ってくれた。
空は青く遠く、どこまでも続いている。赤土の道を、イタチのような小動物の親子が横切った。
「ちょっと寒いけど、いい天気だねー」
リウヒの明るい声が聞こえる。シギが何か言って、また二人で笑い声を立てた。
「たいちょー!」
後ろから走ってくる音が聞こえて、腕を取られた。
「そろそろ、お弁当にしませんか」
「まだ、お昼じゃないよ、リウヒ。それに隊長ってなにさ」
「だって、シギがチームカスガって言うから。お腹が空いたであります、隊長!」
しゃちほこばって敬礼をするリウヒを、シギが後ろから技をかける。
「おれはそんなん一言もいってねえぞ! お前だ、お前! そんなだっさい名前を付けたのは!」
「きゃー! 乙女にコブラツイストはやめてー!」
はいはい、行きますよ、とカスガは苦笑した。この二人は朝からずっとこんなテンションだ。
「あの先の木陰についたら、お弁当にしよう。それまではキリキリ歩くように」
まだじゃれている馬鹿二人をほっておいて、再び歩き出す。
そろそろ王女たちも動き出す。伝説の少女と、その六人の仲間をこの目で見ること、そして接触することが、カスガの最大の目的だった。リウヒとシギには言ってない。反対されるのは分かっていたし、二人はそこまで王女に固執していない。
「ねえ、カスガ。王女たちが外を旅していた時のルートは知っているの?」
考えを見透かされたような、リウヒの声に、ドキリとした。
「あ、う、うん。大体はだけど……」
「トモキっていう人は、同行しているわけ?」
「いや。最初の一年は兵に捕まって、もう一年は王女の兄の海賊船に乗っていたから、ほとんど一緒じゃなかったけど。そのトモキを探して王女たちは旅をしていた訳だし……。でも、どうして?」
「カスガは、王女とその一行を追跡しようと思っているんでしょ。もしくは会おうと思っているんでしょ。絶対やめといたほうがいいよ」
思わず、足を止めてリウヒをみた。幼馴染は、真剣な目をしている。
「トモキはカスガに、瓜二つだもの。ばれたら大混乱になるって」
「なんでそこまで言い切れんの?お前、一瞬見ただけだろう」
シギも目を丸くしている。
「ティエンランの都で、トモキに声かけられたことあるの。わたし。誰かと勘違いされて。でも、そのあとすぐに兵に捕まって、連行されていった。髪の長さは違ったけど、カスガと間違えたぐらい似ていたの」
「なっ、なんでもっと早くそれを……! しかもリウヒばかりずるい!」
思わず声を荒げると、そうくると思ったから言わなかったんだといい返された。
「歴史の中に関わり過ぎるのはまずいってゆったのはカスガじゃん」
カスガは完全にパニックになった。リウヒの肩を掴んで鼻息荒く迫る。
「ちょっとだけ。ね? ちょっとだけだから!」
「どこのエロオヤジのセリフだよ! ああ、もう、離せ!」
シギが顔色を変えて二人を引き離そうとした。
「お願い! ちょっとだけでいいから! じゃないとここに来た意味がないんだよ、ぼくにとっては!」
「カスガ、目が怖い……」
「その手を離せっての! なんでそこまで王女に執着するんだよー」
「ほらほら、カスガ、木陰についたよー。お弁当にしようよ。ちょっと落ち着いてよ」
「弁当なんぞ食ってられるかー!」
道の脇にそびえている大樹にカスガは抱きつき、悲しげな声を漏らした。
「ああ、せっかくタイムスリップしてこんな素敵な時代に来たのに、なんで王女とその一行に会うことができないんだ、ぼくは…。どうしてトモキとそっくりなんだ…」
切なげに幹に語りかける古代オタクに構うことなく、リウヒとシギは弁当を食っている。
「お茶とって」
「ん」
「この時代の水筒って竹なんだねー。エコだ、エコ」
ブツブツと陰気に木に向かって語っていたカスガが突如振り返った。
「リウヒはトモキに、だれと間違えられたの!」
その勢いにリウヒが驚いてむせた。
「よく分かんない。どうしてここにいるとか、あそこで待ってろっていっただろうとか言われた」
「もしかして……王女?」
「まさか!」
ケラケラと笑う。
「王女は絶世の美女なんでしょう?あり得ないって!」
「お前は腐っても美女じゃないもんな」
頷くシギの頭をリウヒが殴った。
「痛え! なにすんだよ!」
「他人に言われるとムカつく!」
いいや。この二人は王女の辿ったルートを知らない。こっそり後を付ける手もある。最悪二年後にスザクに行けば、セイリュウヶ原の合戦に参加することだってできるのだ。そしてあの上意の礼を見ることができる。よしよし、なにも馬鹿正直に言わなくてもいいのだ。
「そうだね、リウヒの言う通りだ。大人しくぼくたちで旅をしよう。…あれ、ご飯は?」
「わたしの胃袋の中であります、隊長!」
「弁当なんぞ食ってられるかって言ったのはお前だぞ」
ゲンさん心づくしの弁当は、カスガが嘆いている間にシギとリウヒの腹に納まってしまっていた。
***
あのさ、とリウヒがシギの髪を切りながら声を上げる。
「ゲームみたいだよね、これって」
小さな村にたどり着き、夕食後宿の部屋でゴロゴロしている時だった。カスガは早速酒を飲んでいる。
「ゲームって?」
この時代の人間は長髪が多いが、短髪に慣れているシギとカスガは、度々髪を切り合っている。リウヒが下手糞なのは台所関係であって、散髪は意外と上手かった。
「うん。ほらRPGの世界って、仲間がいて、モンスターを倒しながら、旅するでしょう? 何か似ているなって。勿論モンスターなんかいないし、お金を稼ぐのはバイトで、経験値があがるわけじゃないけど……」
「レベルアップもないし、ファンファーレならないし、悪いボスもいないし」
「世界を救うために旅をしているわけじゃないし」
むしろ内の一人は、ストーカーしようとしているし。リウヒの目線を受けて、カスガが鼻を鳴らす。
「わたしらが悪の王になっちゃおうか」
「おれが世界に君臨したら、男はパンツ一丁、女は裸だ」
「変態」
「最低」
リウヒとカスガが同時に声を上げた。
「世界征服は大変だよー。あれも努力しなきゃいけないからね」
「じゃあ、やめた」
シギがあっさり放棄する。
「なんの能力があるわけでもないしさ」
「女子大生と古代オタクとエロ河童だし」
「……おい、ちょっとまて。自分だけいいように言うなよ。お前は女子大生っていうより貧乳だ」
「坊主にするぞ、こら」
「すんません、嘘です」
「魔法が使えるわけじゃないし」
「あー、でも一度行った町にいく呪文は欲しいなあ」
「歩く速度も最速ぐらいにしたいなあ」
「死んでも生き返らないし」
「……ゲームの中の人たちって、中々に大変な生活を送っているんだね」
「死ぬのは嫌だよな、痛そうだし……」
「死んでも速攻生き返らされて、戦わされるなんて嫌だねぇ」
のんびりした旅で良かった。リウヒは笑い、はい終了―。と片付けると風呂へ行った。
「リウヒさあ、今日妙にはしゃいでいたけど……」
「から元気だろう」
さっぱり短くなった髪を払いながらシギが答える。
それくらい分かる。妙に明るく振舞っても、たまに都を振り返っては痛々しいため息をついた。その目にうっすら涙さえ溜まっていた事も。
「から元気も元気。その内、元に戻るさ。それでなくてもいつかは別れなきゃいけないんだから」
本当にそうだろうか。おれたちは、本当に現代に戻れるんだろうか。
でも、もう戻れなくてもいいやと思う気持ちもある。母親のことは心配だが、今は初めて好きになった女と一緒にいたい。帰っても帰れなくても、リウヒが横にいればそれで幸せだ。
「ふーん」
「なんだよ、その目」
「ううん、何でも。ぼく、ちょっと外の風に当たってくるね」
カスガが部屋を出て行くと、シギも風呂に入ろうと腰を上げた。
部屋に戻ると案の定、リウヒは窓から都をみてぼんやりしている。
「風邪ひくぞ。そんな濡れた髪で」
横に立つと、遠くに密集した小さな灯りが見えた。冷たい風が緩やかにふいている。
「ねえ、シギ」
「ん?」
「現代で宮廷跡に行った時、その……キスしたよね」
「ああ……」
今更、なんなんだ。横のリウヒを見ると、目線は相変わらず外に向けたままだった。
「あの時、自分が自分じゃなかったような、誰かに体を乗っ取られたような気がしなかった」
「した。すごく切なくて、痛い声が自分の中から聞こえた」
「わたしも」
そのまま黙ってしまった。
「どうしたんだ、今頃になって」
「じゃあ、あれは、わたしじゃなかったってことだよね」
「まあ、そうなるんだろうな」
「なら、いいや」
部屋の中に戻る。昼間のから元気はどこへやら、ため息をついて髪をふいた。昼間さしていた、ハヅキの簪を小さく指でなぞる。
「お前、まさか……!」
ツカツカと歩くと、リウヒの両肩を掴んだ。黒い目が驚きに見開く。
「あの男とキスしたんじゃないだろうな!」
リウヒが固まった。燃えるような嫉妬がシギの胸を支配する。苛立ちのあまり、肩をつかんだまま、細い体を壁に押し付けた。
「痛いよ、シギ……」
「したのか? なあ、言えよ」
低い声がでた。自分でも驚くような醜い声だった。肩を掴んでいる手が、小刻みに震える。
「なんで、そんなことシギに言わなきゃいけないの」
喉が詰まった。お前が好きだからに決まっているだろう。それがどうしても言えない。
その代り、肩を掴んでいる手にますます力が入ってゆく。痛みの為かリウヒの顔が歪んだ。
「離して」
「嫌だ」
至近距離で二人は睨み合った。鼻と鼻がふれ合うくらい近い距離だった。
「あの男が好きなのか」
「だから、どうしてシギに言わなきゃいけないの。関係ないでしょ」
本当に鈍感な女だな、こいつは。苛立ちは頂点に達した。
「お前が……!」
その時、部屋の扉の外でカスガのくしゃみが聞こえた。シギが慌てて身を引き、手を離す。
「いやー。夜はやっぱり冷えるねー。明日はもっと寒く……どうしたの、二人とも」
漂う異様な空気を察知して、カスガが目を丸くした。
「別に」
「なんでもねえよ」
「君たちは、本当に仲がいいのか、悪いのか分からないねー」
呑気に言うカスガが、もう一度、派手にくしゃみをした。