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    都の生活 3

リウヒが、赤い顔でベッドに倒れている。時々、苦しそうに咳をする。

「大丈夫かよ」

「喉が痛い……」

飲みに行く話にリウヒは喜んで賛成したものの、しばらくお預けになった。風邪をひいて熱を出したのである。久しぶりにバイトが休みで、外をぶらつこうと思っていたシギは、なんとなく部屋に残った。カスガは下で働いており、部屋の中には二人だけである。

「どうりで最近だるくて、しんどかった……」

痛そうな咳を連発した。椅子を立って、リウヒのベッドに腰掛け背中を叩いてやる。ついでにさすると、体が異様に熱くて驚いた。

熱をだしている女って色っぽいな。

上気した赤い顔も、汗に濡れた体も、潤んだ瞳も、礼を言う掠れた声ですら。

カスガが、お粥と薬を持ってきた。おれがやるからと受け取ると、にっこり笑って引っ込んだ。

「食えるか?」

「んー。食欲ない……」

「食えよ。そんなんじゃいつまでたっても直んねえぞ」

しぶしぶ起き上がったリウヒの口元に、粥を一匙掬って差し出す。

黒い瞳が戸惑うように揺れた。口を開ろとシギは僅かに顎を上げて、自分の口を小さく開き身振りで示す。リウヒの唇が、おずおずと開いて匙をくわえた。手を引くと、その間から匙が引き抜かれる。何度もそれを繰り返す。時々、舌がちろりと出て、自分の唇に付いた粥を舐めた。シギの心の奥底に引っ込んでいた保護欲が、静かに浮上してきた。この女が可愛くて仕方がない。

粥が無くなった。薬は椀に入った液体である。不味いから嫌だ、とただをこねるリウヒを抱きかかえて、椀を口に付けた。ゆっくりと休憩をいれつつ流しいれる。

全てを注ぎこむと、吐息が漏れた。

寝かせると今度は水に濡らした布で、顔や首の汗を拭ってやった。

「髪、上げろ」

「うん………」

長い髪がうなじに何本も張り付いている。体の奥から湧き上がる小さな欲望を押し殺しながら、シギは手を動かした。いつもは叩く軽口も、その応酬もない。

「ああ、すごく気持ちいい……」

その顔と、声と、言葉に胸がキュウと鳴る。そのままリウヒは寝入ってしまった。シギはしばらく寝顔を眺めていたが、身を屈めると赤く上気している頬にそっとキスをした。


***


目を覚ますと、シギが自分の腰に手を回すようにして寝息を立てていた。肩が小さく上下している。焦ったものの、つい、その顔をじっくりと観察した。意外にまつげが長くて、うっすらとそばかすがある。唇は薄くて隅がちょっと乾燥してめくれていた。なんとなくオレンジの髪をさわると、水気がなくてパサパサしている。しばらくその頭をなでていたが、またトロトロと意識が沈んでいった。

熱が下がり、完全復活するのに五日かかった。不思議な事に、シギがずっと看病してくれていた。

「ありがとう。シギのお陰で元気になった」

礼を言うと、にっこり笑って頭をくしゃりと撫でられた。

「また、寝込んだら看病してやるよ……なんだよ、その顔」

「あんた、本当にシギ? 人格変わってて気持ち悪い……」

「失敬な女だな! 人の好意を無駄にしやがって!」

「季節外れの雨季が来るね……ぎゃー!」

両手で頭をグシャグシャにかき回され、悲鳴を上げた。

バイト先の商家にいくと、子供たちが文句を言いながらリウヒを取り囲んだ。さびしかったの、つまらなかったの、もう元気なのと上がる可愛らしい声に苦笑しながら謝る。

[ハヅキも、リウヒがいなくて元気が無かったよ]

キキが含み笑いをしながら、何故か嬉しそうに言う。まさか、と笑った。そのハヅキは大学が試験期間に入っているらしく、しばらく来ないという。昔も今も、一緒なんだ。夏休み前の猛勉強を思い出した。

また、わたしはあそこに戻れるのかな。お父さんたち、心配しているだろうな。時間の経過は、同じくらいなんだろうか。それなら、もう三か月くらい経ってしまっている。

ぼんやりしているリウヒを見て、少女たちは変に勘違いをしてしまったらしい。クスクス笑いながら、目配せをしていた。


「これから、酒場にいこうよ。リウヒも元気になったことだし」

カスガの声に、三人で夜の盛り場に繰り出した。

酒場の扉を開けると、喧騒が包む。酒とつまみを適当に注文して、辺りを見渡すと、色んなタイプの人たちがいた。恋人同士や親子連れ、大工の集団らしき男たち、仕事上がりらしい親父の二人連れ。現代の居酒屋みたいだ。隅の方では、若い女が可愛い丸いギターのようなものをつま弾きながら、歌を歌っている。

「この時代、新聞なんてないだろう。だから、ああいった歌い手がニュースとか話題のことを楽器と一緒に歌うんだよ」

カスガのうんちくにふたりは感心した。

「へー。風流―」

「テレビやラジオもねえもんな」

「一番早いのは、宿とか酒場の噂話なんだけどね」

注文していた品がやってきた。自分の前には、男二人とちがった陶器のコップが置かれる。

「なあに、これ」

「果実酒を水で割った奴。お前、酒、弱いだろう」

「古代にも、こんなものがあったんだ」

少しだけ口をつけてみると、甘くてさっぱりしている。

「すごい、おいしい! さすが酒屋でバイトしてるだけあるね」

「ふふん」

乾杯して、三人は大いに盛り上がった。バイトの状況や、現代の話題。毎晩話しているのに、話題は尽きない。しょうもないことでもゲラゲラ笑う。この酒場の雰囲気がそうさせるのだろうか。

その内、カスガがトイレいってくる、と言い残して、店の隅に歩いて行った。


***


遠ざかるカスガを見送って、横にいるリウヒに目を転じると、よほど果実酒が気に入ったのか、お代りを頼んでいた。

「あんまり飲みすぎんなよ。病み上がりなんだから」

「最近、シギはどうしたの?」

リウヒが振り向く。目の下がほんのり赤く染まって、妙に艶があった。

「どうしたってなにが」

「変に優しい。シギじゃないみたい」

「おれはいつだって優しい男だっての。それに一々突っかかってんのはそっちだろ」

頬をつねると、いひゃいと声を上げた。その顔がおかしくて、からかっていたら突然、見知らぬ少年がこちらに早足でやってきた。

[リウヒ!]

[ハヅキ?]

どうやら知り合いらしい。ハヅキと言われたその少年は、シギには一瞥もくれずにリウヒだけを見ている。

[しばらく会えなかったから、どうしていたのかと思っていた、体調は大丈夫?]

[ありがとう、もうすっかり元気。ハヅキは試験終わったの?]

[今日で終わって、友達と飲みに来ているんだ。ちょっとだけ来てくれないか。みんなに紹介したいんだ]

リウヒが戸惑ったように、こちらを見る。

「いってくれば?」

自分でも、驚くほど低い声が出た。

「行けよ」

「すぐに戻るから」

少年は、シギに小さく一礼をすると、リウヒの背中に手を添えながら、酒場の奥に歩いて行った。

畜生、なんで素直に行ってしまうんだよ。矛盾した苛立ちが胸に立ちこめた。

遠くから見ながら、イライラと酒を飲み干してゆく。ああ、無償に煙草が吸いたい。この苛立ちを、ニコチンでごまかしてしまいたい。

「ただいまー。あれ、リウヒは?」

黙って、顎でしゃくる。先には、四、五人の身なりの良さそうな男たちに囲まれたリウヒの姿がある。その背中には、相変わらず少年の手がかかっている。

「あー……。あれが例の家庭教師かー。結構カッコいいね。……ああっ。酒を注文されました! どうやら一杯だけだと言っておるようですが、果たして一杯ですむのでしょうか。そしてリウヒの背中に回されている手は、一体いつになったらどくのでしょうか! どうでしょう、解説のシギさん」

「だれが解説のシギさんだ。お前は気になんねえのかよ。大事な妹なんだろう」

「うーん、だけど、ちょっと嬉しい。よそのグループに溶け込んで、あんなに楽しそうな顔しているなんて初めて見たよ。何か、こう……」

成長した娘を送り出す父親の気分だ。明日はお赤飯かね。

そう言って、袖で涙をそっと拭った。

このエセシスコンが。シギは舌打ちして酒を煽る。

そんな間近で目を合わせるんじゃねえ。ハラハラする。そんな楽しそうに笑い声を上げるんじゃねえ。ムカムカする。

「気持ちは分かるけどさ、少し落ち着いてよ」

「おれは落ち着いてる」

「じゃあ、その貧乏ゆすりをやめてほしいな」

「そんなんじゃねえ。あの歌のリズムをとってんだ」

「嘘だね。そんなにアップテンポじゃないよ」

いい加減自覚したら?そんなカスガの目線を避けるように、ため息をついて壁に凭れる。

再び目線をリウヒに向けると、少年は藍色の長い髪を触っていた。ゆっくりと愛おしそうに梳いている。我慢の限界だった。

「帰ろうか」

勢いよく立ち上がると、へいへい、とカスガも腰を上げる。会計しといてくれと言い残し、酒場の隅に向かった。

「帰るぞ」

リウヒの肩を小突くと少年たちは、驚いたようにシギを見た。

[ごちそうさま。すごく楽しかった。また明日ね、ハヅキ]

席を立つリウヒにそれぞれ声がかかる。もっといればいいのに、とか送るのに、とか。シギは全てを無視して、ハヅキとかいう少年に小さく頭を下げると、見せつけるように千鳥足のリウヒの肩を抱いて扉へ向かった。

「お前、飲み過ぎだ。フラフラじゃねえか、馬鹿」

「うー。眠くなってきた……」

肩を引き寄せて耳元で囁いてもよほど眠いのか、いつものように突っぱねない。

ちらりと後ろを振り返ると、男たちは明後日の方向を見て何か話していたが、ハヅキだけはこちらを見ていた。その目が燃えるように睨みつけている。

ざまあみろ。

鼻先で小さく笑って、肩を抱く手に力を入れた。


***


商家の庭先で、リウヒは子供たちと本を読んでいた。大分と読めるようになった。今、試験を受ければ、間違いなく満点だろう。

[リウヒの声は、低くてとてもきれい。大好き]

クジャクが、リウヒの髪をいじりながらうっとりと言う。この整った顔の子は将来、大層なプレイボーイになるに違いない。

[ありがとう。わたしも、クジャクのきれいな紫の髪、好きだよ]

子供特有の、しっとりした頭を撫でると、ぼくもわたしもと周りから声が上がる。五人で一斉にもみくちゃにされて、芝生の上に引っくり返ってしまった。ああ、わたしってやっぱりこの子たちの玩具なんだわ……。勢いで、小さなダンの体を抱え上げると、悲鳴を上げて喜んでいる。また、ぼくもわたしもとちびっ子たちがのってくる。

[無理です! 体力の限界!]

[なにをしているのですか]

声をかけられて、振り向くと、ハヅキが目を点にして立っていた。

[あれ、ハヅキ。今日は早すぎるよ]

勉強はお昼からでしょう。どうしたの、時間を間違えたの。

[分かった]

キキがにやりと言う。

[早くリウヒに会いたくて、たまらなかったんでしょう]

当たり。とハヅキが笑った。笑顔のまま、こちらに向かってくる。焦ったのはリウヒだ。

[いやいやいや。昨日、酒場で会ったでしょう! 話したでしょう!]

[ぼくは君とあまり話せなかったよ。あの男は何? 恋人?]

誰? シギのこと? ああ、あの人はいつもそうだから、と苦笑する。

[恋人なんかじゃないよ、ただの友達]

ひっくり返っていた身を起こす。ハヅキも、リウヒの横に座った。

[そうは見えなかったけど。本当に恋人じゃないの?]

[本当に違うったら]

つい笑いだしてしまった。

[ふうん……。ところでなにをしているの]

本を読んでいたのだといったら、ぼくも居ていいかなとにっこりする。子供たちはクスクスと嬉しそうに笑っていた。

[じゃあ、今度はキキが読んで]

ダンがリウヒの膝に座り込むと、横にネネが甘えるように身を寄せてくる。クジャクは自分の髪がよほど気に入っているのか、一房とって遊んでいる。ハヅキはリラックスしたように胡坐をかいていた。ランが寝ころんで肘をつき、キキが可愛らしい声で物語を読み始める。


***


鉛色の空から雨が降り始めた。シギは構うことなくイライラと歩を速めて、酒瓶を抱え直す。苛立ちの原因は分かっている。

あの天然女。

最近リウヒの帰りが遅い。いつもはシギの方が遅く宿に着くのに、大体同じ時刻か、それ以上に遅れて帰ってくるときがある。聞けば、例の少年と仕事上がりに公園で、話し込んでいるらしい。

「暗くなったら危険だろうが。早く帰ってこいよ」

「ううん、宿まで送ってくれるから大丈夫」

だから、そいつが一番危険だっつの! 思わず声を荒げると、

「なんで?」

ときょとんとした。お前の天然さにはお手上げだよ、全く。

ともかく心配で堪らない。でも、何故か負けたような気になって言えない。

あの鈍感女。

数日前から髪を結うようになった。横に一房垂らして、緩やかに巻いている。いつも同じ簪を一本挿していた。

「めずらしいね。滅多に髪はいじらなかったのに」

カスガが笑うと、リウヒも笑う。

「簪をもらったの。つけないと悪いかなって思って」

「そ、そ、それはあの男からか!」

「うん」

そんな毎日つけたら、そいつは勘違いするだろう! ついとがった声をだすと

「なにを?」

と目を丸くした。お前の鈍感さには泣きそうだよ、本当に。

深いため息をついたシギの後ろで、カスガが酒を啜りながら「ご愁傷さま」と呟いた。

得意先の戸を叩くと、化粧の濃い別嬪娘が艶やかに顔を出す。

[雨宿りしていけば? 温めてあげる]

胸元が広く開いていて、ふくよかな素肌がこぼれ見える。うっかり喉を鳴らしてしまった。

ここに来てから、三か月もご無沙汰だ。このまま何も考えずに誘惑に乗ってしまおうか。

無意識に娘へ踏み出そうとした一歩を、くるりと返す。

[仕事があるんで。またご贔屓に]

詰る声を後ろに聞きながら、足を速めた。髪から頬から水滴が絶え間なく滴り落ちていく。

それでも気にせず、シギは歩く。

違う、あのケバい女じゃない。やっと自覚した。してしまえば楽だった。いっそすっきりした。


おれが欲しいのは、藍色の髪のウルトラ天然馬鹿女だ。



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