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    都の生活 2

宿の食事を済ませると、リウヒは食器を台所に下げて、外に出た。

バイト先の商家は、高級住宅街にある。大通りを歩いていると、否応なく宮廷の黒い残骸が見えた。修復工事はすでに行われているらしい。かすかに木を打ちつける音が響いている。

目的地に近づくたび、憂鬱な気分になってくる。面倒を見ている子供たちは可愛い。十歳の少女を筆頭に、コロコロとリウヒに懐いてくれる。名前も覚えた。少女二人は、キキとネネ。少年たちは上から、ラン、クジャク、タイ。奥さんも、お手伝いさんのシゲノさんも良い人だ。ただ、ハヅキという家庭教師が嫌いだった。大学の授業との兼ね合いなのだろう、来る時間は日によって違う。だから、心の準備ができないのだ。

物静かな少年なのに、なぜかリウヒにだけきつく当たる。あからさまに冷たい、見下したような態度を取る。

わたし、何かしたかなー。心当たりがさっぱり無いんだけどなー。

ため息をつきつつ、家の門をくぐる。

[こんにちはー。リウヒです]

すると子供たちが転げるように、歓声を上げてやってきた。

可愛いなあ、もう。思わず、ほほ笑んでしまう。

[違うよ、リウヒ。まだ朝だからおはようございます、だよ]

[今日は、庭で遊ぼうよ]

ちびっ子たちに囲まれて、手を引かれながら庭に出た。広い庭園は木々がざわめき、色とりどりの花が咲き誇っている。

小さな手が射す方向のものを古代語で答えてゆく。

空。花。椅子。分からない。木。子供? 違うよ、ぼく、タイだよ。一斉に笑う。

[あのね、リウヒにご本を読んであげようと思って]

えらく立派な本を持って、キキがやってくる。専門書かと一瞬びびったが、どうやら童話集らしい。ふっくらした手が、文字を辿りながら、拙い声で読み上げてくれる。胡坐をかいたリウヒの足の中にタイが座り込み、キキを中心に団子になった。リウヒと子供たちは朝の陽だまりの中、庭の片隅で物語の世界に入って行った。


どれほど時がたっただろうか。

[みなさま。お勉強の時間です]

低い声が聞こえて、リウヒたちが振り返ると、家庭教師のハヅキが立っていた。相変わらず冷たい目で、自分を睨みつけている。

来たか。今日はまた随分早いお時間で。

リウヒも負けじと睨み返す。少年は鼻で笑って子供たちに言った。

[早く、こちらにおいでなさい。そんな女の近くにいると、馬鹿が移ってしまいますよ]

「馬鹿で悪かったなあ! 馬鹿っていうほうが馬鹿なんだから!」

思わず、現代語で怒鳴ってしまった後、慌てて口を押さえた。

子供たちは一瞬ぽかんとして、感嘆の声を上げリウヒを取り囲んだ。

[すごい、リウヒ! それジン語?]

[今、なんていったの!?]

ジン国からの旅人、ということにしているが、現代語は絶対に使うな、とカスガに言われている。現代と古代でジン語は異なるそうだ。

[べ、勉強、先!]

急いでハヅキを指差すと、子供たちは、後で絶対教えてよね、と念を押しながら少年の元へ行った。家庭教師は、驚いてかたまっていたが我に返ると、子供たちを引き連れて家の中へ消えた。

ああ、やばかった。いや、ちびっ子たちにどう言い訳をしよう。頭を掻きながらリウヒも家の中へ入っていった。子供たちが勉強をしている間、シゲノさんの手伝いをすることになっている。


***


酒屋の配達をしている間に裏通りまで詳しくなってしまった。道と道とのせまい通りを、酒瓶三本持って歩いてゆく。お届け先はこの道のドン突きだ。

酒の配達です、と裏口から声をかけると、いつもの娘が笑顔で顔を覗かせる。結構な美人で、年の頃は一緒ぐらいだ。ただ、化粧が濃かった。

[ご苦労さま。ねえ、今日は父さんも母さんもいないの。良かったら上がっていかない?]

[すいません、仕事があるんで]

あからさまな誘い文句を、苦笑して断る。ふてくされた娘に、またご贔屓に、と言い残し来た道を戻った。現代の娘は自由奔放だが、古代の娘も中々に奔放だ。

ここに来てから、一か月余りがたった。ネックだった言葉も、カスガのお陰で日常会話は完璧にできるようになったし、たやすく聞き取れるようになった。

言葉は大事だ。よく「言葉はなくとも通じ合える」などいうが、それは嘘だとシギは思う。自分の意思をきちんと伝えなければ、コミュニケーションはできない。相手には分かってもらえない。たとえ、それが恋人であろうと、夫婦であろうと。他人との関係は、全て言葉で繋がってゆく。読み書きも勉強しようかな、カスガはそこまで知っているかな。

こんな所に来て、学ぶ喜びを知るなんて。現代にいる時は、ただテストが終わればそこで知識は消えていたのに。とクツクツ笑った。

「読み書き? 簡単なものしか分からないけど、いいよ。あ、でも紙がないから結構難しいかも」

「そうか。じゃあ、また今度でいいや」

夜の屋根裏部屋。三人はそれぞれにくつろいでいる。シギは窓際で、濡れた頭を拭いており、カスガはテーブルで酒を飲んでいた。リウヒはベッドの上に凭れてぼんやりしている。

「めずらしいね。シギがそんな事をいうなんて。ねえ、リウヒ」

返事がない。明後日の方向を見て、枕を抱えている。

「おい、どうしたんだ」

近づいて、顔の前で手を振ってみると、目の焦点が合った。

「あ、う、ううん、なんでもない。ごめん、わたし先に寝る」

そのまま蒲団の中にごそごそと入ってゆく。いつもは髪が傷むからといって、乾くまでガンとして寝ない女が。枕には水がしみ込んでいる。

「お前どうしたんだよ。おかしいぞ」

からかい半分で、その濡れた髪を梳いてみた。

「やめて」

固い声がかえってくる。手が止まった。なんだか自分を否定された気分だった。胸の中がジリジリと痛い。

なんだよ。突っかかってこいよ。いつもみたく、顔を赤らめておれをなじれよ。

「最近、なんか、変なんだ」

リウヒが静かな寝息をたててから、カスガがポツンと言った。

「バイト先の事も、前みたく言わないし……。なにかあったのかな。いじめられているとか」

「そんなんでへこたれる弱い女じゃないだろう」

「まあ、いじめられることは、昔からよくあったんだけど。名前のせいでね。でも、ぼくにもなにも言わないなんて、初めてだ」

「ホームシックかもしれねえな」

うう、とカスガが頭を抱える。

「一回、みんなで酒場にいってみねえか。ちょっとは気が晴れるかもしれない」

大学が夏休みに入った時、リウヒは三人で外に飲みに行きたがった。それを思い出した。

「シギってさ」

「ん?」

「……いや、なんでもない。ぼくも、そろそろ寝るね」

「おいおい、途中で辞められたら気になるし! 何だよ、一体」

「いや、リウヒが好きなのかなって思って」

じゃあ、お休み。早々にベッドにもぐりこんでしまった。

シギはため息をついて、テーブルに突っ伏した。


***


バイト先に向かう足取りは軽く、前みたく、憂鬱にため息をついたりしない。

ハヅキに怒鳴った二、三日後、帰り道に本人から声をかけられた。付いて来てほしいという。警戒したが、申し訳なさそうな顔をしている少年に少しだけ心を許して付いて行った。町中に大きな園がある。そこで、ハヅキはリウヒに深々と頭を下げ、暴言を許してくれと言った。

[君は、ぼくの妹に似ているんだ。名前まで一緒なんだ]

遠くを見るように少年は語った。

その子は、赤子の頃にハヅキの家に預けられた女の子だった。嬉しかったが、大好きな兄が自分より妹に夢中になった。今まで、当たり前に受けていた兄の愛情は、あっさりと妹へいった。妹も、自分より兄に断然懐いた。

幼心にとてつもない疎外感を感じた。母に言っても、取り合ってもらえなかった。ところが妹は、五つになった頃突然消えた。居るべき所に帰った。ハヅキは悲しかったが、どこかで安心した気持ちもあった。これで兄はぼくをみてくれると。

しかし、兄はおかしくなった。心あらずで、一緒に遊んでくれなくなった。その内、妹がいる所へ行ってしまった。自分と母を置いて。兄がそこへ行ったことによってしかるべき金額が支払われ、そのおかげで大学まで進むことができた。でも、妹と兄に対しては複雑な心境を今でも抱いている。

話している事は、完全には分からなかったけど、気持ちはなんとなく分かる。わたしもカスガの関心がよその人にいったら、すごく悲しいだろう。

[分かるな、それ]

そう言うと、弾かれたようにハヅキはこちらを向いて、もう一度頭を下げた。

[ありがとう。それから、ごめん。あれは、八当たりだった。今までの態度を許してほしい]

[じゃあ、これからは友達だね]

リウヒが笑うと、ハヅキも笑った。手差し伸べられて、握るとさらりと乾いていて温かかった。

これで、脅威は去った。

今日はくもり空で、今にも雨が降ってきそうだ。天気予報なんてものはない。つくづく便利な世界に住んでいたんだな、と思う。

商家の門をくぐって声をかけると、ちびっ子たちが駆け寄って出迎えてくれる。古代語が話せるようになったのは、カスガとこの子たちのお陰だ。

[ねえ、今日はリウヒがご本を読んで]

[駄目よ。今日はリウヒの髪を結ってあげるんだから]

子供たちにもみくちゃにされた。これは子守りというより、玩具にされているんじゃないだろうか。結局、リウヒはたどたどしく本を読みながら、少女たちに髪をいじられている。

[リウヒの髪はとってもきれい。どうして結わないの]

[面倒くさいから]

容姿には自信がないが、髪の毛だけは自慢だ。藍色の太くて癖のない髪は、手入れのかいもあって、艶もこしもある。そういえばこの時代の人は、みんな髪の毛が長い。男も女も。庶民は短髪もいるが、裕福になると断然長髪だ。そして女性はきれいな簪で美しく結われている。もしかして、それがステータスなのかもしれない。

この家の少女二人も、簪を三つ四つ差している。

[出来た!]

[すごーい! 可愛い!]

鏡を見せられて、リウヒも感嘆した。キキとネネの見事な技術に。どこをどうしたのか、たっぷりとした髪は、両サイドに一房ずつ残したまま、高い位置でゆったりと結われて、小さな飾りのある簪が二本突き刺さっている。

少女たちを褒めると、嬉しそうに笑い声をあげて調子に乗ってしまった。

[お化粧もしよう!]

[それはいいって……ぎゃー!]

[ああ、もう、動かないで!]

もう完全に玩具だった。

[完成!]

[うわあー!]

全くの別人が、鏡の中にいた。誰これ。わたしかこれ。少女二人はお互いの健闘を称えあっている。そして、なにやら相談を始めた。すぐに戻ると言い残して部屋を出て行く。

[キキとネネはどこにいったのかな……]

分からない、と少年たちは首を振る。不安が広がってゆく。まさかとは思うけど、まさか。

[母さまの衣借りてきたー!]

やっぱりそう来ましたかー! リウヒは卒倒しそうになった。

[頭も化粧も完璧だもの、衣もそれなりじゃないと!]

[あなたたちは外にいなさい!]

少年たちは追い出された。もういいから、勘弁してー。泣きそうな自分の声は見事に黙殺された。少女たちに無理やり服を脱がされて、美しい衣を着せられる。淡いブルーの衣は絹独特のしっとりした肌触りで心地よい。下衣は濃い茶色で、金色の刺繍が入っている。帯はピンクだった。こちらもビーズのようなものが付いており、動くたびに静かにシャラシャラと音がした。

[素敵! 宮廷のお姫さまみたい!]

キキとネネは、手を取り合って喜んでいる。リウヒは恥ずかしくて仕方がない。

[いいよー。入っておいで]

ランたちとともに、ハヅキも入ってきた。なんであんたがいる! どうやら、勉強の時間になっても、入れず扉の外で足止めをくらっていたらしい。呆然と自分を見ている。

[君……、すごくきれいだ……]

その言葉に、顔から火が出そうになった。

[あ……ありがとう……]

モジモジしている二人をみて、子供たちはクスクスと笑い、肘を突き合った。特に少女たちは鼻高々だ。今まで、大好きなリウヒに冷淡にしていたハヅキが、その娘に見とれている。そして娘を美しく着飾ったのはあたしたちなのだ。

[べ、勉強の時間なら、わたしはお邪魔だから……]

[ちょっと、リウヒ! どこいくの!]

[シゲノさんのお手伝いだよ。今までもそうだったでしょ]

[駄目! リウヒはここにいるの!]

[そんな恰好じゃ、お手伝い出来ないよ!]

子供たちは憤慨して声を上げる。

[いいじゃないか、君も一緒に受ければ]

ハヅキ、あんたまで! 結局、リウヒが折れて、シゲノさんと奥さんに断りを入れに出ることは許された。早く帰ってきてね。送り出されて、廊下に出る。

[あらあらまあまあ、可愛いこと。お気になさらないでください。あなたの本業はお嬢さまたちのお相手なのですから]

シゲノさんは福々しい顔で笑った。

[あらあ、その衣、あなたの方が似合うのね。差し上げるから、そのまま着て帰ったら?]

奥さんは、お茶を啜りながらにっこりした。

[いやいや、駄目ですって。こんな高価なもの、いただく訳に行きませんって!]

いいのよー。と奥さんは手をヒラヒラと振って、片目をつぶった。

[また、新しい衣を主人にねだることができるもの]

子供部屋に戻ると、キキたちが歓声を上げてリウヒを出迎えた。一緒になって授業を受ける。それでも、ハヅキの目線が自分に注がれているのが分かって、顔が上げられなかった。


***


バイトから帰ってきたリウヒを見て、カスガは目を点にした。別人かと思った。

「どうしたの、その格好。リウヒじゃないみたい」

「子供たちに玩具にされた」

なんじゃそりゃ。ゲンさんとおかみさんも、顔をほころばせて褒めている。

[いつもは、これから台所を手伝ってもらうけど、今日は無理だね]

すぐに着替えてくるというリウヒを笑って押しとどめる。今日はお姫さまでいなさい。

「まさか、この年になって、お姫さまごっこをすると思わなかった」

リウヒが苦笑した。カスガも昔を思い出して笑った。

幼稚園の頃、幼馴染はお姫さまごっこにはまった。母親の長いスカートをはいて、裾をつまんで得意げになって歩き、気取った言葉で話した。勿論、カスガも無理やり付き合わされ、嫌々ながらお姫さまになった。今となっては懐かしい記憶だ。

シギが帰ってきてその姿を見た時、一瞬見とれたのにカスガは気が付いた。しかし。

「馬子にも衣装だな」

「悪かったな」

本当に、この男は素直じゃないな。

「いつも、そんな恰好をすればいいのに」

屋根裏部屋に戻り、カスガが笑いながら言うと、リウヒも小さく笑った。

「結構、楽しんだけど頭が痛い」

ベッドに腰かけながら、簪をゆっくり抜いてゆく。その度に癖のない髪の毛が、サラサラと落ちてゆき、なんともいえない色気があった。ちら、とシギに目線を走らせると食い入るようにリウヒを見ている。

「バイト先でも評判良かったんじゃないの」

「うん、嬉しかった」

「天敵の家庭教師は、どんな反応だった?」

「あ……。う、うん……よかった」

お風呂に入ってくる、とそそくさと部屋を出て行った。ほんのり顔を赤らめながら。

「リウヒもついに、春到来かー」

「なんだよ、それ」

煽るように一人ごちると案の定、シギが食いついてきた。

「別に。ああ、そうだ。酒場に行くのは明日にしようか」

「いいけどさ。なんなんだよ。春到来って」

睨みつけるようにカスガを見る。

「分からない? バイト先の家庭教師の男の事、前はあんなに腹立てていたのに、今じゃ、顔を赤らめて恥ずかしそうに部屋を出て行った。ここ最近、ぼんやりしていたのも、その男の事でも考えていたんじゃないの」

「ありえねー」

シギは鼻で笑ったが、その顔は引きつっていた。




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