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第四章 都の生活 1

記憶というものは、匂いとともに思い出すのかもしれない。

トモキに連れられてその生家に入った瞬間、懐かしい匂いがリウヒを包んだ。

それぞれの家がもつ、独特の匂い。

「あ……」

わたしは以前ここにいたことがある。

ここに住んでいた。

そうだ、ここは帰りたくて仕方のなかった場所だ。

嬉しさもつかの間、記憶は連鎖するように、思い出したくなかったことまでやってきた。

闇間。老人の顔。耳にこびりつく笑い声。

あの手、あの感覚、あのおぞましさ。

幸せな気持ちは瞬時に消え、ねっとりした闇が足元から這い上がってきた。

かあさんの顔を見ても、心配そうなトモキの声も聞こえなかった。

「トモキ、もう寝たい……」

夕餉の後そういうと、子供部屋に案内された。粗末な寝台が二つ、小さな小さな寝台が一つ。

ああ、あれはわたしの寝台だ。毎朝、にいちゃんを起こした。トモキはにいちゃんだったんだ。

「に……」

寝台を整えているトモキの背中に手を伸ばした瞬間、その腕に汚い黒いものが付いているのを見て、リウヒは息を呑んだ。汚れている。わたしは汚れている。にいちゃんに触れない。

「リウヒさま。大丈夫ですか?」

心配そうに覗きこむトモキに、慌てて眼をそらして蒲団に潜り込んだ。お休みなさいませと声が聞こえたが返事をしなかった。

帰りたくてしかたのなかった場所は、苦痛の場所になってしまった。

古い記憶は鬼火のようにリウヒを取り囲み、じわじわと苦しめていった。ついには熱まで出た。あがいても、あがいても、闇の中に引きずられてゆく。

助けて。誰か助けて。

それでも、ふと目を覚ました時、トモキやかあさんが横にいた。誰かに優しく髪をかきあげられた。トモキの手。かあさんの手。

その日も、顔に張り付いている髪を誰かの手がそっと拭ってくれた。

にいちゃんだ。安堵して薄目を開けると、その背は部屋を出ようとする。

不安になった。置き去りにされる、そんな感じがした。フラフラする体を無理やり起こし、壁に伝いながら後を追う。

「まずは知ることが大事。そう教えてくれたのはカガミさん、あなたですよ」

外から馬の蹄と、トモキの声が聞こえる。まさか。

「リウヒさまを頼みます」

「うん。頼まれた。行っておいで。無事を祈っているよ」

カガミの声が聞こえた。なにを言っているんだ、馬鹿オヤジ、勝手に頼まれるな!

「どこにいくのだ」

息をするのもしんどかったが、精一杯の声を振り絞ってリウヒはトモキを睨みつけた。

戸口に立っているリウヒを見て、トモキは顔色を変えた。

「お前はわたしをおいて、どこに行くと聞いている」

行かないで、わたしを置いてどこかに行ってしまわないで。

トモキは聞いてくれるはずだ、だってわたしを一番に思ってくれている。

しかし、その思いは裏切られた。

「ここで待っていてください」

馬の首を巡らせてトモキは叫んだ。

「必ず戻ります」

そのまま、こちらを振り向きもせずに馬を駆けて行ってしまった。

砂煙だけがあとに残った。

そんな。呆然と見送っていたリウヒはズルズルとその場に座り込んだ。カガミが慌てたように母を呼ぶ。

そんな、まさかトモキがわたしを置いて、どこかに行ってしまうなんて。

古い記憶が、闇が、また底からゆっくりと這い上がってきた。

思考とは関係なしに、後から後から溢れるように。


***


わたし、古代で生活するなんて思ってもみなかった。

リウヒは宿のおかみさんに頼まれて、市場へお使いにいっている最中である。

あれから数日が経った。宿の髭親父、ゲンさんは事情を説明すると、屋根裏部屋の部屋を格安で貸してくれると申し出てくれた。二階の部屋に比べると狭く天井も低いが、ちゃんとベッドは三つあり、小さなテーブルもあった。

古代語はカスガの超がつくほどのスパルタ教育のおかげで片言だけは話せるようになった。

「祭りに行きます……行きました?」

「学校に行きます……行きました?」

「違ぁーう!」

にわか講師は手でバーンと机を叩いて怒鳴った。

「いいかい、古代語は失われたティエンラン語といわれているけど、厳密には違うんだ。この大陸は元々全ての国で、古代語を話していた。だけど、小国が集まって形成されたジンだけは独自の言語が発展していったんだね。だから今の時代、古代語はティエンラン、クズハ、チャルカで話されいている。まあ、一千年後は全てジン語になっちゃうんだけど……」

「先生、熱弁しているところをごめんなさい」

「今日はこれ以上覚えられません」

しかし、講師の話は続く。

「ティエンランは太陽信仰だけど、それはこの地が農耕民族だからなんだ。太陽は西に消えて東から生まれる。だから、ぼくたちが当たり前に考える輪廻転生という発想が生まれた。太陽神エトという存在は後世のもので、今現在はただ「天」としか言わない。つまり天イコール神なんだね。収穫を祝う民の歌の中でも「おてんとさまにいのろかな」ってゆうフレーズがあるんだよ。ちなみにはっきり太陽神エトが確立されたのは、これから百年後の飢饉と伝染病のせいなんだ。なにか縋る物を形作りたかったんだろうね」

「先生、止まってください」

「もう脳みそ限界」

それでも、何を話しているかは理解ができるようになった。シギは、早速よそへバイトにいっているし、カスガはゲンさんのお気に召したらしく、宿の仕事を手伝っている。賃金ももらっているようだ。

そしてリウヒは、ゲンさんのおかみさんから色々な事を教わっている。自分の壊滅的な料理の腕に呆れたおかみさんは、そんなんじゃ嫁の貰い手がないよ、と悲しげに首を振った。そして、この娘を教育する事が己の使命だと感じたらしい。徹底的指導をされている。現代でも、めったに台所を手伝ったことなかったリウヒは、時代を超えて花嫁修業をしていた。

白菜と人参と芋と葱と鶏肉。頭の中で何度もくり返す。メモはできない。この時代、紙は貴重品で庶民には手の届かないものだそうだ。

市場への道へ折れようとして、いきなり名前を呼ばれて振り返った。

カスガが、真っ青な顔して立っている。

「どうしたの、カスガ。そんな怖い顔して」

しかし、幼馴染は古代語をまくし立てている。なんでこんな所にいるんだ、あの家で待っていろって言っただろう。

「なにを言っているの? おかしいよ、ちょっと……」

その腕に手をかけると、カスガは驚いたように身を引いた。そしてリウヒをマジマジと見て、違う人だと言った。

「馬鹿な事……」

その顔を覗きこんだリウヒの顔も、青ざめた。

違う。この人はカスガじゃない。短いと思っていた髪の毛は後ろで括られている。

[あ、あなたは、誰?]

我ながら間抜けな質問だと思いつつも古代語で聞くと、トモキ、と返ってきた。心臓が飛び跳ねた。

じゃあこの人は、王女の教育者で、わたしたちを馬で轢き殺そうとした人か!

男は申し訳なさそうに礼をすると、早足で去って行こうとした。が、兵らしき男たち数人に取り囲まれ、あっという間に連れ去られてしまった。

「なにあれ……」

周りの人たちも、呆然としてそれを見送っていたが、何事もなかったように日常に戻った。リウヒもしばらくぼんやりとしていたが、再び歩き出した。

トモキは王女と逃げたはずだ。なんで都に戻って来たんだろう。わたしを誰と勘違いしたんだろう。王女? まさかね。リウヒは頭を振る。伝説の王女は、超美人だ。間違われるはずはない。カスガに聞いてみようか。いやいや、下手に聞いたらあの男の事だ。王女とその一行をストーカーしたいとか言い出すかもしれない。だけど、本当にカスガそっくりだった。

市場へゆく足を速める。早くお使いを済ませて帰らなきゃ、おかみさんが待っている。


[子守りですか?]

おかみさんは、にこにこして頷いた。知り合いの家が、子守りを探しているから、行ってみないかと言う。裕福な家だから、お手伝いさんは別にいるし、家庭教師もいるそうだ。

中々に楽そうではないか。リウヒは了承した。

「リウヒがベビーシッター?」

屋根裏部屋で。カスガが笑いを噛み殺しながら酒を注ぐ。シギも猪口を口に付けながら苦笑している。

「どんなところなの、そこ」

裕福な商家で、子供の数は五人。その子供たちの遊び相手をすればいいそうだ。

「シギはうまくいってんの?」

昼間は別々に行動をする三人は、カスガの古代語講座が終わった後にいろんな話をする。テレビがない分、とにかく盛り上がる。こんな時間を過ごしていると、現代でカスガの家でつるんでいたときみたいだ。

お父さんとお母さん、元気かな。会いたいな。

ふと思った。会えなくなると、無償に恋しくなる。

「……だから結構種類が少なくて……おいこら、リウヒ! おれの話を聞け! 自分から振っといて、なんだその態度は!」

いきなり首に手が回って、引き寄せられた。

「ぎゃー! ごめんなさい! 乙女にヘッドロックをかまさないでー!」

「この部屋のどこに乙女がいる!」

「本当に君たちは仲がいいよね」

「カスガ、見てないで助けて!」

「はいはい。ぼく、もう寝るから。あとはお若いお二人で。おやすみー」

「いやいやいや、カスガ! ……ちょっと、どこさわっってんの、エロ河童!」

「何だと、この貧乳娘!」

どこからか、犬の遠吠えが聞こえた。ティエンランの夜は更けてゆく。


***


夜明けとともに、起きて下に行く。井戸に水を汲みにゆき、かまどに火を入れる。

朝一番のカスガの仕事だ。現代に帰ることを諦めてから、数日が経った。リウヒもシギも、この時代に徐々に慣れつつあると思う。それにしても、現代では当たり前のことが、今では不思議に思う。水は蛇口をひねれば出てきた。火はガス栓を押せば付いた。電気もスイッチをつければついた。今や、井戸に水を汲みゆく。火は火打ち石でおこす。夜はロウソクの灯りが頼りだ。とにかく体を動かさなければ、何もできない。

宿の一階は酒場も兼ねており、旅人だけではなく地元の人間も一杯飲みにやってくる。町中に独立した酒場もあるがシギ曰く「女が歌ってたり、舞台で小さなショーとかもあって、宿よりはちょっと敷居が高い感じ」だそうな。

シギは酒屋でのバイトをしている。結構色々な所に配達に行ったりして地理に詳しい。たまに酒をもらってくる。

リウヒは、ベビーシッターの仕事を始めたが、どうも家庭教師の男と反りが合わないようだ。

「大学生でさ、すっごくわたしを見下してんの。年下のくせに! わたしも女子大生だっての!」

鼻息荒く文句を言って、飲めない酒をあおり、うえーと顔を顰めた。

宿の扉を開けて外に出ると、いい天気だった。遠くに焼け焦げた宮廷の残骸が見える。

それは、青空の下ではやけに痛々しく思えた。

[おれたちの天の宮が、あんな姿になっちまって]

[あ、ゲンさん。おはようございます。あの宮廷の中は、どうなっているんでしょうね]

勿論、知っているが、おくびにも出さない。

[国王はご無事だそうだが、今はショウギさまが政治を代行されているらしい]

王族はすべて亡くなられたそうだ。ゲンさんは顔を歪めた。

[でも、上が誰になっても、おれたちの生活は変わらねえよ、さあ、仕事だ]

微笑んで、カスガを促す。

変わるんだな、これが。宿に入りながら、心の中でほくそ笑む。

カスガは全てを知っている。なんだか自分が神さまになったみたいだ。上からものを見ているような優越感が心をくすぐった。

ぼくは歴史の傍観者なんだ。今現在、起こっている出来事、未来に起こる出来事を知っている。なんて気持ちの良いことなんだろう。

この時、カスガは気付いてなかった。自分たち三人も歴史の一部として、古代で生活している事を。



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