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永久に咲く紫の花は

作者: 入江 涼子
掲載日:2026/06/08

 私は君とずっといるよ。


 そう、囁いた貴方はいない。わたくしはただ、毎日を抜け殻のようになりながらも生きる。今、ある山中の小さな尼寺でひっそりと暮らしていた。わたくしに乳姉妹の禅師の尼君、孫娘の(ふじ)姫、乳母の君の四人だけだが。

 静かながらに穏やかな中で藤姫はすくすくと育っている。もう、この子も十一歳になっていて。毎日、乳母の君や禅師の尼君、近くの別邸にいるらしい女童(めのわらわ)達と元気に遊んでいた。庭から、今日も賑やかな声が聞こえる。


「……お祖母様、稲君(いなき)ちゃんが捕まえたカエルよ!」


「……姫、またですか。カエルが可哀想よ、逃がしてあげなさい」


「はあい」


 つまんないと言いながら、藤姫は渋々カエルを逃がしてあげていた。稲君ちゃんと言うのは近くの別邸にいる姫君付きの女童だ。何故か、藤姫とは一緒によく遊んでいた。


「あ、藤様!こんな所にいたんですね!」


「稲君ちゃん、お祖母様から怒られたの。カエルを捕まえるのは可哀想だって」


「藤様、あの。庵主様のおっしゃる通りですよ」


「何よ、お祖母様の肩を持つ気なの?」


「あたしも主の姫様から、よく叱られますから。まあ、確かにカエルも生きていますし」


 そう言って、稲君ちゃんはこちらに目配せをした。わたくしは苦笑いしながら、小さく頷く。


「稲君さんの言う事が当たっているわ、命ある物を飼いたいなら。ちゃんと、浄土に逝く時まではお世話をしてあげるべきですよ」


「……お祖母様の言ってる事はいちいち、難しくてよく分からないわ。別にいいじゃない、カエルの一匹や二匹がどうなろうと!」


「藤様、いけません!庵主様のお言葉はその通りです、仮にも寺院にいるのに。理解できないんですか?」


「そ、そんな事はないわ。ただ、叱られて嫌になっただけよ」


「姫、カエルであろうと犬であろうと。ちゃんとお世話をしてあげれば、それなりの形で返してくれるようになりますよ。要は根気強さの問題です」


 わたくしが言っても藤姫には難解過ぎたらしい。不満そうにしながら、こちらを見つめていた。


 稲君さんが帰り、わたくしは姫や禅師の尼君、乳母の君との四人で早めの夕餉にした。藤姫は行儀良く、水飯や大根のにらぎ、山菜の汁物を食べている。この時も静かだ。四人の息遣い、食事中に出る音。食器が当たったりする音だけが響く。

 注意深く見ると、姫はまだ機嫌が悪い。どうしたのだろう?


「なあに?お祖母様」


「姫、昼間に言った事が気になっているのですか?」


「ううん、違うわ。ただ、お祖母様がいつもよりは真面目だったなと思ったの。命ある物って言われても。何か、いまひとつ分からなくて」


 わたくしは手早く、夕餉を終わらせる。禅師の尼君や乳母の君に声を掛けた。


「禅師、乳母や。姫と二人で話をしたいわ。其方らは退がりなさい」


「かしこまりまして」


 禅師の尼君は深く手をつく。乳母の君も黙って同じようにする。二人はお膳を持ち、退出した。衣擦れや足音が遠のくと、おもむろに話しかける。


「……藤、其方は何が不満なの」


「私、お母様がいないでしょう?」


「ええ、そうね」


 わたくしが頷くと、姫は俯く。


「神鳴が凄くしている中でお母様は儚くなったわ、私だけが残されて。お父様は結局、北の方様が怖いからかな。弔いに来てくれなかった」


「姫」


「しかも、私が住んでいたお邸を解体するって言い出すし。藤は邪魔だから、山寺にいるお祖母様に預けようって。とにかく腹立たしいし悔しかったわ。だから、カエルとかにその気持ちをぶつけてしまったのよね」


 わたくしは姫の沈痛な表情を見て、堪えきれなくなった。膝でいざり寄ると姫の小さな肩や背中に腕を回す。ひんやりと艷やかな黒髪を優しく、撫でもする。軽く抱きしめながら、自身の至らなさに情けなくなった。


「……藤や、お父様が憎らしかったのね。まさか、其方が住んでいたお邸を解体までするだなんて。分かりました、大人になるまではこちらにいなさい。其方はそれまでに身の振り方やこれからの事を考えたら良いわ」


「いいの?」


「ええ、お祖母様も頑張って長生きするわ。藤が大きくなるまではね」


「……ありがとう、お祖母様。後、言う事を聞かなくてごめんなさい。これからはちゃんとするわ」


「藤、別に何から何までしなくてもいいわ。ただ、基本的な事はちゃんとしていたらそれで十分よ」


 姫もとい、藤は腕の中で小さく頷いた。わたくしは藤の髪や背中を撫でながら、この子を守らなくてはと決意を改めて固めたのだった。


 ゆっくりと年月は流れ、六年が経っていた。わたくしは五十近くになり、孫娘である藤も十七になっている。既に藤は一昨年に裳着の式を済ませ、成人していた。ちなみに式は藤から言うと、母方の伯父に当たる内大臣様が盛大に催してくれて。わたくしの娘で藤の母、孝子(たかこ)の腹違いの兄君だ。内大臣様は実父である源中納言殿に直談判して、藤をわたくし共々、自邸に引き取ってくれて。しかも、養女にもこの子を迎え入れてもくれたのだ。

 藤は義父になった内大臣様を慕い、北の方様とも良い関係を築いている。わたくしにも二人は良くしてくれていた。


「お祖母様、今日も三位中将様から文が届いたの」


「あらあら、熱心ね」


「お返事を書きたいから、奥に行くわね」


 頷くと、藤は本当に奥へと戻っていく。三位中将殿はあの子を真剣に想っているようだ。なら、このままに結ばれたらとは願っている。わたくしは念珠を持ち直し、御仏に祈りを捧げた。


 半年後、水無月の中頃に。藤は三位中将殿と無事に婚姻できた。露顕(ところあらわし)の儀式も済ませ、二人は名実ともに夫婦だ。


「お祖母様、私をここまで育てて頂き、ありがとうございます。本当にどんなに感謝しても足りませぬ」


「ええ、ほんにね。藤が大人になるまではと思っていたけど」


「ふふ、では。ひ孫が生まれるまでは元気でいて頂かないと」


 わたくしは苦笑いする。


「あら、もっと長生きしないといけないわね。わたくし、今年で五十よ?」


「でしたら、せめて六十までは生きてくださいな。殿にも伝えますね」


「……藤、中将殿と末永く仲良くね」


「ええ、もちろんです。お祖母様もほんにお体には気をつけてください」


「分かったわ、また遊びに来てちょうだいな」


 藤は笑いながら頷いた。そのまま、自身が住む西の対屋へと戻っていく。わたくしは涙ぐみながら、見送った。


 ――完――

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