⒊ 活字恐怖症の元賢者
~第五相談室 元賢者、久我文哉side~
「では、ご希望の移住条件について教えてください」
私、久我文哉は机の上を見ないように、意識的に視線を固定していた。
ここは異世界移住相談センター。
紙が多い。とにかく多い。
「はい! 事前にまとめてきました!」
嫌な予感がした。
「職業は隠し職がいいです。成長型は晩成。スキルは近接・魔法・生産のハイブリッドで、初期デメリットはあっても構いません」
目の前に座る異世界移住希望者の青年はそう言いながら、
タブレットと分厚いバインダーを取り出した。
――見た瞬間、呼吸が一段浅くなる。
「すみません……」
「はい?」
「それ、口で……説明してもらっても、いいですか」
「え? でも、全部ここに――」
「口で、お願いします」
声は穏やかだが、指先が微かに震えている。
「えーと……じゃあ、まず世界観設定なんですけど」
青年は律儀に語り始める。
「魔法体系は三系統で、レベル上限は九十九。ただしユニークスキルで――」
「ストップ」
即座に遮った。
「その構成だと、三年目で詰みます」
「え?」
「成長曲線とスキル取得条件が矛盾しています。ハイブリッド構成で晩成型を選ぶと、中盤で資金も経験値も足りなくなる」
青年は目を瞬かせた。
「……それ、資料の二ページ目に補足が――」
「口で、お願いします」
「……あ、はい」
私は目を閉じたまま続ける。
「あと、その世界観だと、隠し職は“見つけた時点でバランス調整されます”。チート扱いされるのは最初の半年だけです」
「え、そんな話どこにも――」
「書いてありますよ」
沈黙。
「いや、でも……」
青年は困惑しつつも、バインダーをめくる。
紙の擦れる音。
その瞬間、肩がびくりと跳ねた。
「っ……」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ただ、古代魔導書に埋もれてた時代を、少し思い出しただけです」
重い一言だったが、青年は気づかない。
「じゃあ、この設定も――」
「口で」
「はい」
「短く」
「……はい」
机の上には、
一文字も読まれていない分厚い同意書と申請書。
自分が説明しなければならないと思って同意書に触れた瞬間……
うっ……は、吐き気が……
同意書を投げ出し口元を押さえてトイレに駆け込んだ。
◇◇◇
「所長〜!久我さんが面談中にまた気分悪くなってトイレに駆け込んでます〜」
なっ、なぜみんな私の仕事を増やすのじゃ! 呪いか!? なにかの呪いなのか!?
「また活字恐怖症発作? 同意書とか渡すだけでいいって言ったのに……どこの部屋?」
「第五です」
トイレに駆け込んだ久我さんはそのうち自分で出てくるだろうから放置して、私は彼がほっぽり出した移住希望者の元に向かった。
コンコン!
「失礼します。大変申し訳ございませんでした。ワタクシ、センター長の成田と申します。担当の久我が急に具合いが悪くなったようでして、私が代わりにお話させていただきますね」
机の上を見ると、移住希望者に渡す同意書や申請書の他に、この青年が持ってきたのであろうタブレットとバインダーの資料が広げられていた。
なるほど……原因はこれか。
「それは……ご希望をまとめて来てくださったものでしょうか? 拝見しても?」
「はい! 是非! 先程の方にも見せようとしたら口で説明するように言われまして」
「そうでしたか、せっかく作ってきて頂いた資料なのに申し訳ありませんでしたね?」
パラパラと資料を捲りながら目も合わせずに謝罪する。
「なるほど――素晴らしい資料ですね」
軽い調子で言う。
青年が期待に満ちた顔で振り向く。
「ですが残念ながら全部、制度外ですね」
「え……?」
意味が伝わらなかったかしら?
「ここにある隠し職とか、成長曲線とか、スキルの組み合わせとか……それ、選べる制度じゃないんですよ」
にこにこしたまま続ける。
「かなり異世界にお詳しいようですが、こういう細かい設定を移住時に決めることは出来ないので、異世界に行けたら行ってから頑張ってみてください」
青年の口が、少し開いたまま止まる。
「あっ!でも、さっきの人は……」
「事前設定可能だって言いました?」
青年は思い出すように斜め上を見る。
「言ってませんね……」
「でも久我相談員は、きっとアチラに行ってからも破綻するとかなんとか言ったのでしょうね? それに関しては謝罪します」
どうせ年甲斐もなくこんな若者を理詰めで追い詰めたんだろう。
「というわけで、どれだけ細かく設定を詰めてもらっても……」
私は資料を全て閉じた。
「説明、実は全部無駄だったんですよね」
空気が、すとんと落ちた。
私は笑顔のまま、分厚い同意書と申請書を差し出した。




