7話 居場所を歩く
その日、リオルは少し早く目を覚ました。
窓から差し込む光が、昨日より柔らかい。
胸の奥に、奇妙な静けさがあった。
――ここにいていい。
そう思える場所で目を覚ましたのは、初めてだった。
着替えを終えたところで、控えめなノックの音がする。
「入るぞ」
ヴォルクルだった。
今日も燕尾服姿。
背筋は真っ直ぐで、無駄な動きがない。
「……おはよう、ございます……」
「おはよう」
短いが、確かな返事。
「今日は、屋敷を案内する」
その言葉に、リオルは目を瞬かせた。
「……ぼくに……?」
「他に誰がいる」
当たり前のように言われて、胸が少しだけくすぐったくなる。
*
廊下は広く、天井が高い。
だが、無駄な装飾はない。
「この屋敷は、防御と機能性を優先している」
歩きながら、ヴォルクルが説明する。
「見た目より、実用だ」
角を曲がると、使用人たちとすれ違った。
獣人。
獣人。
ドラゴニュート。
人間は、ほとんどいない。
すれ違うたび、彼らは立ち止まり、頭を下げる。
「おはようございます、リオル様」
“様”。
その呼び方に、まだ慣れない。
「……おはよう……」
小さく返すと、皆、穏やかに微笑んだ。
怯えも、侮蔑もない。
「……ここは……」
思わず、言葉が零れる。
「……みんな……やさしい……」
ヴォルクルは、わずかに視線を伏せた。
「帝国の人間は、獣人を嫌う」
淡々とした声。
「だが、アルトレス領は違う」
扉を開く。
そこは、広い食堂だった。
「ここが、共用食堂だ」
長いテーブル。
並べられた椅子。
「身分で席は分けない」
「……え……」
「必要ない」
即答だった。
「働く者が、同じように食べる。
それが、この家の方針だ」
リオルは、言葉を失った。
皇族だった頃ですら、
食事は“上下”で分けられていた。
「次だ」
向かったのは、訓練場。
広い空間。
武器棚には、剣や槍が整然と並ぶ。
「軍部だ」
「……え……ぼく……?」
「今は見学だけだ」
そう言って、ヴォルクルはわずかに口元を緩める。
「だが、身体が戻れば、体術から始める」
リオルは、思わず自分の腕を見た。
細く、力もない。
「……でき……ますか……」
「できるようにする」
断言だった。
次に案内されたのは、医療棟。
「ここが医療班」
白衣の者たちが忙しなく動いている。
「エドが統括している」
昨日の医師の姿が、脳裏に浮かぶ。
「そして――」
最後に案内されたのは、地下へ続く扉だった。
「……ここは……?」
「情報部だ」
重い扉。
奥は見えない。
「必要になるまで、入らなくていい」
その言葉の裏に、
アルトレス家が“ただの伯爵家ではない”ことが滲んでいた。
*
案内の最後は、庭だった。
獣人たちが手入れをしている。
草の匂いが、風に乗る。
「ここが、お前の居場所だ」
ヴォルクルは立ち止まり、そう言った。
「屋敷も、領地も、全部含めて」
リオルは、ゆっくりと周囲を見渡す。
誰も、追い出そうとしない。
誰も、値踏みしない。
「……あの……」
勇気を振り絞る。
「……ぼく……ここに……いて……いいんですか……」
ヴォルクルは、少しだけ驚いたように目を見開き――
すぐに、リオルの頭に手を置いた。
昨夜と同じ。
安心させる、温度。
「もう、答えは出ている」
低く、確かな声。
「お前は、アルトレス家の一員だ」
その言葉が、胸に深く沈んだ。
リオルは、ゆっくりと息を吸い――
小さく、頷いた。
「……はい……」
初めて、自分の足で歩いた“居場所”。
その一歩目が、
静かに、確かに刻まれた。




