4話 目覚めと診察
目を覚ましたとき、最初に感じたのは――
温かさだった。
背中に、確かな感触がある。
硬い床でも、冷たい石でもない。
呼吸に合わせて、ゆっくりと上下する胸。
「……?」
ぼんやりとした意識のまま、リオルは小さく身動ぎした。
すると、頭の上から低い声が落ちてくる。
「起きたか」
一瞬、心臓が跳ねた。
だが次の瞬間、昨夜の記憶が一気に蘇る。
泣いたこと。
抱きしめられたこと。
「守る」と言われたこと。
――あ。
今、自分はヴォルクルの胸の中にいる。
気づいた途端、顔が熱くなった。
「ご、ごめ……っ」
慌てて身体を離そうとするが、力が入らない。
長く泣いたせいか、身体が重い。
「無理に動くな」
ヴォルクルは静かに言い、そっと腕を緩めた。
すぐに離すが、距離は取りすぎない。
逃げ道を残す、絶妙な距離。
「……眠れたか」
「……すこし……」
正直な答えだった。
けれど、その「少し」は、ここに来てから初めての眠りだ。
ヴォルクルはそれ以上追及せず、立ち上がる。
「医師が来る。
診察だ」
その言葉に、リオルの肩がびくりと跳ねた。
診察。
測定。
数値。
最低値。
身体の奥が、冷える。
「……だいじょうぶだ」
不安を察したのか、ヴォルクルが言った。
「ここでの診察は、帝国のやり方とは違う」
その言葉だけで、呼吸が少し楽になる。
*
朝の伯爵邸は、静かだった。
使用人たちが行き交っているが、足音は抑えられ、声も低い。
怒鳴り声はなく、命令口調も聞こえない。
通された医務室は、薬草の匂いがした。
「おはようございます」
そう言って立ち上がったのは、白衣姿の男だった。
落ち着いた眼差し。
感情を表に出さない、理知的な顔立ち。
「私はエド・イレイユス。
アルトレス家専属医師だ」
ドラゴニュート。
その証である角が、額から覗いている。
リオルは反射的に身を縮めた。
医師=測る者。
判断する者。
「……緊張しなくていい」
エドは淡々と言う。
「君を評価しに来たわけじゃない。
“診る”ために来ただけだ」
評価しない。
その言葉が、胸に引っかかった。
診察台に座らされる。
ヴォルクルは少し離れた位置に立ったまま、視線を外さない。
逃げ道が、ある。
「まず、質問する」
エドは紙に書き込みながら続ける。
「いつから、食事量が減った?」
「……わからない……」
「眠れない夜は、どれくらい続いている?」
「……ずっと……」
「息が苦しくなることは?」
「……ある……」
一つ一つ、否定されない。
溜息も、失笑もない。
エドはただ、書き続ける。
「脈、測るぞ」
指先に触れられる。
冷たくない。
「……細いな」
それは事実としての言葉だった。
責める響きはない。
「栄養失調。慢性的な睡眠不足。
筋力低下。免疫も落ちている」
淡々と告げられる。
リオルは俯いた。
やっぱり、弱い。
役に立たない。
だが――
次の言葉は、予想と違った。
「だが、致命的な病気はない」
顔を上げる。
「……え?」
エドは、こちらを真っ直ぐ見た。
「君は“壊れて”はいない。
“壊されかけて”いただけだ」
喉が、詰まった。
「魔力量についても、同じだ」
リオルの肩が強張る。
「測定器が反応しなかったから、最低値だと判断された。
……それは、測定器の限界だ」
一拍置いて、続ける。
「君の魔力は、静かすぎる。
深く、内側に沈み込んでいる」
――封じ込めている。
無意識に。
「恐怖と否定で、自分自身を閉じた結果だ」
ヴォルクルの拳が、わずかに握られた。
「つまり」
エドは、きっぱりと言う。
「君は、無能ではない」
その言葉は、宣告だった。
長年刷り込まれてきたものを、真正面から否定する。
「……信じなくていい」
エドは続ける。
「だが、覚えておけ。
君は“生き直せる身体”をしている」
診察は、それで終わった。
立ち上がろうとしたリオルの身体が、ふらつく。
即座に、支えられた。
ヴォルクルだった。
「……無理をするな」
その声は、昨日と同じ。
守る、と言った声。
リオルは、小さく頷いた。
朝の光が、窓から差し込む。
昨日より、少しだけ眩しく感じた。
それでも、怖くない。
ここはまだ、慣れない場所だ。
だが――
生きていい場所かもしれない。
リオルは、初めてそう思った。




