55話 座学初日
屋敷の一角にあるその教室は、リオルが想像していたよりもずっと明るかった。
大きな窓から差し込む朝の光が、木の床を柔らかく照らしている。
壁際には本棚が並び、分厚い専門書だけでなく、図の多い初学者向けの冊子も目立った。
「……ここが、教室?」
思わず、そんな声が漏れる。
「そうだ」
隣でヴォルクルが頷いた。
「アルトレス領の子どもたちも、ここで学んでいる」
教室の中には、すでに何人かの子どもが座っていた。
人間、獣人、ドラゴニュート。
年齢も種族もばらばらだが、誰も騒がず、静かに始まりを待っている。
リオルは、無意識のうちに一歩だけ足を引いた。
(……ぼくが、ここにいていいのかな)
胸の奥に、そんな思いが浮かぶ。
特別な力を持ってしまった自分。
失敗すれば、周りを傷つけてしまうかもしれない自分。
「大丈夫だ」
ヴォルクルが、低い声で言った。
「今日は、学ぶだけだ」
「……うん」
リオルは小さく頷き、用意された席に腰を下ろした。
ほどなくして、教室の扉が静かに開く。
「じゃあ、始めましょうか」
柔らかな声とともに入ってきたのは、エド・イレイユスだった。
白衣姿のその男は、人の形をしていながら、どこか不思議な落ち着きを纏っている。
その後ろから、もう一人。
「おはよう」
ミリア・アルトレスが前に立った。
軍服ではなく、動きやすい簡素な服装。
それでも、立った瞬間に空気が引き締まる。
「今日は“魔術の基礎”よ」
ミリアは教室全体を見渡す。
「難しいことはしないわ。
大切なのは、使うことじゃなくて、理解すること」
「知ることです」
エドが静かに言葉を継いだ。
黒板に、簡単な図が描かれる。
円と、そこから外へ流れる線。
「魔力は、特別な人だけのものではありません」
エドの声は落ち着いている。
「生きている限り、誰の中にもあります」
一拍。
「ですが、扱い方を知らなければ――危険になる」
リオルは、自然と背筋を伸ばしていた。
(……ぼくのこと、だ)
「だから、ここでは“出す”前に“知る”」
ミリアが言う。
「怖がらなくていい。
失敗してもいい」
「ここは、学ぶ場所です」
その言葉に、教室の空気が少しだけ柔らいだ。
エドは、リオルの方を見る。
「リオル」
「……はい」
「今日は、無理に何かを感じ取ろうとしなくていい」
「聞いて、考える。それだけで十分です」
「……わかりました」
隣の席の子どもが、ちらりとこちらを見た。
だが、怯えも、好奇の視線もない。
ただの“同じ教室の一人”。
それが、リオルには少しだけ救いだった。
「魔術は、才能だけで決まらない」
ミリアが、はっきりと言う。
「理解、訓練、環境」
「それが揃って、初めて“力”になる」
そして、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「誰かを守るために使うなら、なおさらね」
リオルは、静かに頷いた。
(……ここは)
測られない。
比べられない。
「できるか、できないか」よりも、
「分かろうとするか」を大切にしている。
それが、はっきりと伝わってきた。
「では、今日はここまでです」
エドが言う。
「次から、少しずつ進めていきましょう」
子どもたちが、ぱらぱらと席を立つ。
リオルも立ち上がり、深く息を吐いた。
「……どうだった」
ヴォルクルが、隣で聞く。
リオルは少し考えてから、答えた。
「……怖く、なかった」
それは、今まででは考えられない感覚だった。
ヴォルクルは、静かに頷く。
「それでいい」
教室の窓から、午後の光が差し込む。
学ぶということが、
初めて“苦しくない”と感じられた日だった。
そして――
それは、確かに前へ進んだ証でもあった。




