54話 午後の休息
午後の屋敷は、静かだった。
訓練場の張りつめた空気も、昼食時のざわめきも遠のき、
回廊には、ゆったりとした時間だけが流れている。
「……風呂、行くか」
ヴォルクルがそう言うと、
リオルは少しだけ目を見開いた。
「……お風呂?」
「ああ。大浴場だ」
「体、相当使っただろ」
ミノンが、ぱっと表情を明るくする。
「お風呂ですか! いいですね!」
さっきまでの静けさが嘘のように、足取りが軽くなった。
「本当に好きだな」
ヴォルクルが呆れたように言うと、
「はい! あと、ごはんも!」
即答だった。
⸻
大浴場は、石造りの広い空間だった。
湯気がふわりと立ち上り、
一歩足を踏み入れただけで、体の力が抜けていく。
「……ひろい……」
リオルが、思わず呟く。
「屋敷の自慢だ」
ヴォルクルはそう言って、湯へと視線を向けた。
湯に浸かった瞬間、
張りつめていた筋肉が、じんわりとほどけていく。
「……」
リオルは、自然と息を吐いた。
「……あったかい……」
「だろ」
すぐそばで、ヴォルクルが短く返す。
一方――
「わああ!」
湯の向こうで、ミノンが声を上げた。
「泳げそうです!」
「泳ぐな」
即座に飛ぶ、低い声。
「走るな、跳ねるな、静かに入れ」
「えー……」
口では不満そうに言いながらも、
ミノンは結局、大人しく湯に浸かる。
「……子どもみたい」
リオルがぽつりと言うと、
「興奮すると、ああなる」
ヴォルクルは淡々と答えた。
しばらく、誰も言葉を発さない。
水音と、湯気の立つ微かな音だけが響く。
「……」
ヴォルクルは、ふとリオルの方を見た。
「……今日は、よくやったな」
唐突な言葉だった。
「……え?」
「初日だ」
「倒れなかった」
「逃げなかった」
一つずつ、短く区切る。
「それだけで、十分だ」
リオルは戸惑ったように瞬きをしてから、
小さく頷いた。
「……ありがとうございます……」
ヴォルクルは、その頭に軽く手を置いた。
撫でる、というより――
確かめるような仕草。
「ちゃんと、ここにいる」
それだけ言って、手を離す。
リオルは、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「……明日は?」
湯の向こうから、ミノンが尋ねる。
「明日は、午前は軽めの訓練だ」
ヴォルクルが答える。
「午後は、座学」
「ざがく?」
「魔術の基礎だな」
「エドと、ミリアが中心になるだろう」
リオルは、静かに湯面を見つめた。
「……ぼく、ちゃんと……覚えられるかな……」
「覚えられなくてもいい」
ヴォルクルは即答した。
「分からないなら、分からないと言えばいい」
「ここでは、それが許されてる」
その言葉に、
リオルは少し驚いたように目を瞬かせる。
「……うん……」
小さく、だが確かな返事。
湯気の向こうで、ミノンがにこにこと笑っている。
「なんだか……いいですね」
「こういうの」
ヴォルクルは、何も言わなかった。
ただ、この静かな時間が流れるのを、そのまま受け入れていた。
午後の休息は、
確かに――訓練の一部だった。




